光恵が先頭を歩き、その後ろに杏がついて歩いた。


トオルは一番後ろを歩き、険しい表情で2人の女の後頭部を眺めている。


光恵の歩くペースは遅い。


酔いがまわり、足元がおぼつか無いようにも見える。


時折、口元を緩めて振り返り、トオルの顔を横目で確認しながら


光恵はゆっくりとスタンド席の脇の階段を上った。


光恵が振り返る度に、トオルは目をしかめた。


光恵の歩き方が鬱陶しかったのだ。


トオルの集中力を削ぐような歩き方だった。




トオルと光恵が出会った頃、光恵は必ず酔ってからトオルの前にあらわれた。


トオルは初め、それを可愛らしく思っていた。


彼女が解放的になれる大義名分を潰さないように


あえてそれを指摘しない時期があった。


次第にトオル自身が自力で彼女を解放させて、快楽の絶頂を味あわせてやろうと


躍起になった。



目の前の彼女が翌日、昨日のことは酔ってて何も覚えていないと自白するまでの数時間、


トオルは全力を尽くてリードし、毎度記憶を消されようとも色んな角度から甘い言葉を投げかけた。


完全にドツボにハマっていた。



トオルは最後尾で階段を上りながらモヤモヤしていた時期のことを思い出していた。


『プリテンド。』


そうトオルは呟き、あの頃の答えを今、自らの口から吐き出した。


中学生の杏に銃を預けた不甲斐なさと、光恵の振る舞いから


トオルはイライラしてきていた。



光恵が階段を上りきり、スタンド席から出る手前で再びトオルの方を振り返る。


今度は完全に体をトオルに正対させた姿勢である。


光恵は杏の手を引き、トオルから杏を引き離した。


杏は氷を握るかのような手で柔らかく光恵の手に触れていた。


光恵は言った。


『送ってくれなくていいよ。』


『杏ちゃんは一人にできないぞ。』


『どうせトオル君はトイレの中には入れないんだよ?』


『行けるところまでは行く。』


『うーん・・・。前にも言ったかもしれないけどさ・・・、ずっと前だけど、忘れちゃったかな?


送って貰うより、迎えに来てくれるほうが嬉しい子の方が多いのよ?』



光恵はそうトオルに言うと、杏に同意を求めるかのように顔を覗き込んだ。


杏は下を向いていた。



『今はそんな状況じゃないだろ。』


トオルがそう言うと光恵は笑った。


光恵は言葉を返さない。


口元が微かに笑っていた。


光恵はプールを眺め始めた。


30秒ほどして目線をトオルに戻した。



『これをね、野見山君に言ってみようかな?なんてね。

野見山君は迎えに来てくれるかなぁ。

アナタと色んな意味で正反対な野見山君だから・・・

きっと来てくれるかもね。アナタは送る男。野見山君は迎えに来る男。これも面白いわよね。』


一人で笑いながら杏の手をとり、観戦スタンドから出て行った。




『おう、杏ちゃん、お疲れさん。』


『はい。』


杏はトオルの呼び掛けにそう答えた。



トオルは杏が動揺しているかも知れないと踏んだが、


杏はお疲れ様という言葉に慣れていない為、何と返していいものか


分からずに出てきた言葉が”はい”だった。




トオルは杏に近づき、レースの話を持ち出した。


杏は不思議そうな顔で受け答えをした。


話が一段落すると、トオルは本題を切り出した。


光恵に聞こえぬように、小さな声で杏に言った。



『悪いんだけどさ、あの女の人をトイレに連れて行って欲しいんだ。

いいかな?』


『私がですか?あの人を・・・?はぁ、わかりました。』




杏は初めて光恵を淳の家の玄関先で見たとき、恋人である淳を奪われる


のではないかという予感がしていた。


唇から血をみせている光恵を目の前にして、足元が震えた。


こんなにクレイジーに見える大人を見たのは初めてだったのだ。


この件は淳が関係してる。


杏は直ぐにそう判断した。


杏は光恵の詳しい人物像は知らない。


野見山クラスの精神異常者ではないかとすら疑った。


杏の足が思うように動かない。


目の奥が笑っていない光恵の笑顔が怖くて仕方がなかった。


『杏ちゃん、行かないと淳が・・・』


『え?』


『淳が警察に捕まる。』


『なぜですか?』


『今日付けでSCREAMの5代目に就任するからだ。あの女の人は少し異常な密告者だ。』


『密告者・・・?』


『そう。捕まれば、もう社会復帰は難しい。もう会えないだろう。』


『そんな・・・。』


『怖ければ、これを持って。』


トオルは光恵に背を向けて、杏の目を見ながら、銃を握らせた。


『撃たなくていい。野見山を呼べと言ってこれを向けなさい。』


杏は大きな唾を飲み込んだ。


同時にトオルは2度と杏の前に姿を見せないことを決意していた。





杏は握った銃を再びトオルの手の元へ返す。


目を瞑り、下を向いた。


『できない・・・よな、そりゃ。』


トオルは一応逃げ道をつくってあげた。


杏は肩にかけていたタオルを手に持つと、トオルの手の上で拳銃を包んだ。


杏がそれをジャージの上着のポケットに突っ込むと、トオルは光恵の方に振り返った。


『光恵、歩いて。後ろついてくから。』


光恵は杏に微笑みかけてから歩きだした。


トオルはトイレの前までは杏と共について行くようだ。




トオルは杏を呼び出すことにした。


陽介に連絡し、杏に来させるように命じた。


杏は淳からトオルとは会うべき相手ではないと聞かされていた。


まるで保護者が子供の友達を選別するかのような調子で言われたのだ。


杏は直感的な女である。


自分の直感を信じたい意欲が強い。


トップスイマーにしては失敗の数が人一倍多い選手だった。


彼女の中で失敗はデータになればいいと思っている。


雑誌のインタビュアにもそう答えていた。




水泳の専門家は口を酸っぱくして彼女に反省の仕方が悪いと指摘してきた。


杏は感覚でしかレースを振り返らない。


理論的に検証する力がないとこれ以上伸びないと誰もが言った。


彼女もそれは理解しているようだが、苦痛で仕方がないようだ。


よく自分のことを頑固な性格と言っているのはこの為であろう。


淳は水泳のことで彼女に口出しはしない。


出来ないのかもしれないが。




水泳雑誌の特集で淳が自分の中学の各選手についてのコメントを


求められた際に、


実は杏の方がマリより本能的だと答えて、それがそのまま記事に載った。


下品な意味にもとれるということで、淳は杏の親の元へ謝りに行ったという経緯がある。


杏はというと淳のコメントは内心嬉しかったと話していた。





杏はトオルに対する偏見を持っていなかった。


彼女の親は厳しく、杏の友達の育ちの悪さを指摘することがしばしばあった。


杏は友達には自分に無い物があるのだと具体例を挙げながらいつも親に話した。


親は加点法で人を判断することを危険だと彼女に教えた。


その反動か、杏は何か1点で相手を好きになれる育ち方をした。


どうやら杏はトオルにも何かワンポイントを感じたようだ。


このワンポイントを感じることが杏の直感力であり、感性で、


自分の行動を肯定する材料とすることができるのだ。




杏が土曜日の練習に持ってくるお弁当は容姿に似合わず地味だった。


父親が食べてそうな弁当だ。


『もっと普通がいいのに・・・』


彼女は良くこの言葉を口にした。


トップスイマーなのにも関らず、水泳に執着せずに、


美容師の専門学校に進学したがっている理由は、


もっと普通でいたいという気持ちが強いのであろう。


杏はトオルの元へ向かった。




杏を待つ光恵とトオルは恋人同士のようにも見えた。


『杏ちゃんって、どういう子なんだろう。話したことないからなぁ。』


『普通の子だよ。明るい子。』


『もう2回ぐらい会ってるから何と無くは分かるけど。でも、淳君が好きになる子だもんねぇ。』


光恵が杏に関心を示す。


光恵は悪気があってトオルに最低と言ったわけではなく、冗談半分で言ったつもりであったが、


トオルは杏を呼んだことに対し少し引け目を感じている。


テンションは下り気味だった。


淡々としている光恵はまだそれに気づいていない。




『最近はちゃんと寝れてるの?アナタ覚えてる?祐子の時のこと。どっぷりハマってたわよねぇ。』


『何のことだ?』


『電話があるとか無いで一喜一憂してたじゃない。寝付けなくてよく寝坊してたでしょ?


SCREAMの3代目のヘッドなのに。』


『あったかもな、そんな事も。』


『肯定するんだ。へぇ。好きな女の前では格好悪くなってもいいと思う人だもんね。

たとえ自分が不本意な体勢を取ろうとも、相手を悪にしたままで事を終えない。

必ず相手を立てるわよね。

それは素敵よ。でも今、祐子は此処にいないじゃない。なのに・・・。』


『別にいいだろ、そんなこと。』


『ロマンチストすぎるわ。ロマンチスト過剰。何故?』


『知らん。それが俺なりに格好いいと思っているからじゃないか?』


『私にはそんな素振りしない癖に。隣で寝れない彼氏を見ている愛人の気持ちが分かる?』


『アホか。俺には一生分からないだろうな。俺には俺の接し方がある。』


『祐子に会いに寝ぼけ眼で運転して衝突事故起こして逃げたでしょ?』


『あれは逃げてない。それに眠くもなかった。これ言うの何度目だ?』


『前の運転手が待て!って呼んでたの聞こえてたくせに。』


『聞こえてない。カスッた程度だったしな。』


『ヤクザの車でびびったんでしょ?』


『俺は誰にも屈しない。』


『平謝りしてたくせに。それにあの車は故意に停止した。

事故る前から俺の車が気に入らなかったんだろう。』


『後ろから突っ込んだ方が悪いのよ。』


『止まったもん勝ちかよ。』


『あなたは私に任せっきりで呆然としてたけど、

あの件は私が話をつけて解決したのよ。無事にお金も払わずね。』


『どうせ警察の権力をかざしたんだろう?』


『そうよ。あなたはそれに守られた。よくノウノウとデカイ顔して走れたわね。

と言っても、このことは今私が言うまで知らなかったでしょうけど。』


『だから何なんだよ?』


『チームのヘッドなんてショボイんだよ。』


トオルが光恵の頬を張った。


トオルの爪で光恵の唇は出血した。


光恵の表情が急に変わる。


母親が電話に出る時のようだ。


唇に血を滲ませながら光恵は微笑んだ。


光恵と向き合って立っているトオルが光恵の表情に気づく。


光恵は階段を上から見下ろしていた。


トオルは振り返る。




『遅くなりました。』


トオルの後ろに杏が立っていた。







トオルは光恵に悟られないように何気なく会場内を見渡した。

どう見ても警官が務まるような容姿の大人はスタンドにはいない。


光恵がトイレに行きたいと言い出した。

行って来いよ、と言うわけにはいかなかった。


『トイレに行きたきゃ、何か行動してからにしろ。』


光恵は折り畳み式の携帯をパカパカさせる。

トイレにエスケープする口実が作り易いように

光恵はアルコールを欲しがったのではないかと

トオルは勘ぐった。


携帯を握りながらトイレに行く光恵の姿は

これまでの付き合いで何回も見てきた。

基本的に何も問い詰めない。

トオルは女に恋人がいるかどうかなど聞いたことがない男だ。

しかし、何でも見ている男で、表情一つ見逃さない。

他人が聞こえないと思って話している声も、トオルの耳には届いていることが多い。


トオルの中でのジャッジは下っていた。

光恵はトイレに入り、自分を落とし入れるという判断だ。


『あれ?あれトオル君の彼女さんじゃない?』


右前方、光恵寄りの階段をマリが上ってきている。

マリは2人を見ていた。

光恵は丁寧に頭を下げた後、マリに手を振った。


あたかも今2人の存在に気づいたような表情を作ったマリは、

首を少し前に曲げて、それに応えた。


トオルはにこやかな表情で大きく手を振った。

マリはそれに頷く。


光恵はマリを見て、彼女がとても幼く見えたからかもしれない。

鼻で笑って、その後我慢できなかったかのように、まん前を向いたまま吹き出した。

基本的に誰の悪口も言わないトオルは密かに嫌悪感を感じた。


マリが通り過ぎて行く。


『何がおかしいよ?光恵。』


『だって、3代目と5代目の女が同じ競技のライバルなんだもの。

こんなすごい会場で何やってるのかしらってね。』


『アイツらは別に関係ない。』


『あの子にトイレまでついて来て貰ってもいい?』


光恵はマリに同伴してもらうのでトイレに行かせろと要求した。


『アイツを巻き込むな。駄目だ。』


『もう我慢できないのよ。』


『我慢しろ。』


『あの子が駄目なら淳君の彼女呼んで。

アナタは淳君に頼まれて銃を持ってるわけでしょ?

しかも、私は2択を飲んだんだから、そっちにも応じてもらうわ。』


トオルは一瞬迷った。


その間に光恵は言った。


『男らしくない人。』


『構わん。』


トオルは邪念を振り払った。


『この条件を飲まなければ、すぐに警察が来ると思って。

あなたは即逮捕よ。』


『バカかお前は?』


トオルはそう言いながら、彼女の髪の毛を指で遊んだ。


『アナタは今更私を消したところで、もうチームとは関係ない人なんだから・・・

無駄に逮捕されるだけよ。』


『俺はお前が消えればそれでいい。お礼参りのようなもんだな。』


『またずいぶん古い発想ね。アナタらしくない。』


『・・・』


『もう無理しないで。私には分かるんだから。淳君に使われちゃ駄目よ。』


トオルは笑った。笑うしかなかったのだ。


『淳君の彼女が私と一緒にトイレへ行けば、私も淳君もお互いヘタな事できないでしょ?

これで5分と5分。よくない?トオル君は関係なくなるじゃない。』


光恵がトオルを説得しだした。

トオルは聞こえないふりをする。

あくまでトイレは我慢しろというスタンスだ。


『逮捕されちゃうよ?このままだと。』


この光恵の発言にトオルはイラっときた。

アドバンテージを取った気分になっている光恵が気に入らない。


『バカだな。どうせ逮捕されんなら、お前を撃ってからに決まってるだろ?』


トオルはそう口にした。


『撃てんのかなぁ?』


光恵はそう小さく呟く。


こういう場合、野見山ならもうとっくに撃ってるんだろうなと

トオルは考えていた。


銃を握るのは初めてだった。


現役時代は銃さえあれば楽勝だなと毎日思っていたトオルであったが

実際持ってみるとかってが違うようだ。


『もういいじゃない格好つけなくても。私の前では素でいなさいよ。

私は全部理解できるつもり。』


トオルは時たま、光恵に分からぬように銃を握ってみたりしている。


『撃つならもう撃ってるでしょうに。トオル君、銃、危ないからコッチにちょうだい?』


トオルもこれには応じない。


『どうやったらデカデカと載るかなと思ってよぉ。

やっぱ人生一度は華を飾りたいだろ。

撃つならよぉ、俺もドデカク1発かましたくてな。

多少打算的だが、祐子のことも考えていた。

バシっと決めればアイツも許してくれるかなとな。』


『私を撃っても、誰もあなたを絶賛したりしないわよ。

このままじゃ、全部淳君の思うがまま。

とりあえずあの子の彼女呼んどかない?』


『コンパじゃねぇぞバカヤロウ。それはできない。』


『優柔不断男。』


『うるせぇ。』


トオルは撃てないだろうと自分でも思っていた。

淳の連絡を待った。

時に淳を疑い、そして信じた。

まるでSCREAM襲撃後の野見山のような心境だ。


淳は野見山をハメた。

その事実がトオルの脳裏をかすめる。


『おい三浦。淳は?』


光恵の前で電話をかけた。


『さっきアップを終えて・・・、もうすぐレースなんですよ。

多分もう召集所に向かったと思いますが。』


『淳から伝言なんて受けてたりしないか?』


『いえ。』


『どれくらいかかる?』


『戻るまでですか?まぁハッキリは分かりませんが、

少なくとも30、40分はみといた方がいいかと。

1時間ぐらいかかるかもしれませんが。

運営側も予防線を張って早めに選手を招集するので。』


『OK了解。』





光恵は携帯をいじっている。


『トオル君、メールすればいいのに。』


『ふん。俺は基本隠さない。隠さないながら隠すのが俺の手法だ。』


『バカみたい。素直じゃないのね。泊君から返信が来たよ。

淳君は正式に5代目に就任するんだって。』


『知ったこっちゃない。』


『CANDY結成の時と何か似てない?あの子も壊して、作って大変ねぇ。

ま、面倒な部分は古い3代目にやらしとこうって腹なんだろうけど。』


トオルは何故自分で泊に5代目就任の真相を聞かなかったのかを

自分に問いだした。

気づくと光恵の後手にまわっていた。


泊にはまだ光恵のタブーを話していない。

しかし、SCREAMは関係者以外にチームの情報は漏らさない

不文律がある。


トオルは現役時代小さな情報でも、漏れたことが自分の耳に入ると

犯人を徹底的にこらしめた。

ただし、この風潮が蔓延すればするほど、正しい情報が上に来なくなるので

何かのついでに情報漏洩の事実をゲロさせて懲らしめるシステムをとっていた。


果たして4代目の泊がどれほど徹底していたかがトオルには分からない。


『彼が5代目に就任する以上、必ず逮捕させていただくわ。』


『5代目に就任しなくてもパクるつもりだろうが。』


『じゃあアナタが何とかしたら?』


光恵は強引に席を立とうとした。




トイレに向かうようだ。




『待てや。おい待てや!』


『トイレよ。もういいでしょ。』


『バカ言うなよ。』


『これが最後よ。トイレに行かせないなら警察が来るわよ。いい?』


『・・・』


光恵は席を立ち、歩き出そうとした。


トオルは追った。


銃を腰に当てる。


『来いよ。』


光恵の腕を引っ張る。


『杏て女だ。お前とトイレに行かせる。』


光恵は頷く。


そして笑みを浮かべた。


『最低ね、アナタ。』


余裕たっぷりに光恵はそう言った。


トオルはペンディングのつもりだった。


杏を上手く使えばチャラになると考えた。


もうこの女の後手には回りたくない。


そう思っていた。


勿論苦渋の決断だ。

光恵はトオルの言動に対し、半ば呆れた態度を取った。

気だるい態度だ。

しかし、光恵の場合は気だるさをもプラスの表現で示す。

トオルの胸に顔を乗せ、体の力を抜いて、彼に身をゆだねる姿勢をとった。


トオルはすかさず拳銃をコメカミに押し付ける。


『おい、面倒くせぇ女だな。』


トオルは2度とだまされまいと警戒した。

相手にとってダメージが大きいであろうと思われる言葉をあえて投げかけた。


光恵は微動だにしない。


『こんなつまらない男だったけ?』


光恵も同じようにトオルの心のツボを刺激した。


お互いが沈黙する。




その数秒間で2人はある種の快感をおぼえていた。


不思議なことにトオルと光恵の距離はさらに縮まってしまった。


この時、トオルは光恵にクレジーさを感じていた。


昔感じた感覚が蘇ってきている。


それにとても興奮し、溺れる寸前まできていた。


これ以上この変態女に見つめられたら俺は終わってしまう、


そう思ったトオルは拳銃をぶっ放したくもなっていた。


全身から衝動が込み上げてくる。




気がつくと光恵の頭に缶ビールを流し込んでいた。


光恵の髪の毛を両手で揉み、それに飽きると鷲づかみにした。


光恵の顔がゆがむ。痛いようだ。


口に入ったビールを毒霧のようにトオルに吹きかけた。


『お前はいい女だよ。俺はお前の体に入ることに快感をおぼえているわけじゃない。

お前が俺の中に入ってくるのが堪らなく好きなんだ。』


トオルは光恵の唾液を好んだ。

光恵の所有物が自分の体内に入ることを望んだ。

光恵もそのことを思い出していた。


『お前、ついて来れんのかよ?』


トオルは少し狂った表情で光恵を挑発した。

光恵は唾を上に吹きかけた。

とても下品だった。


トオルはさらに強く光恵の髪の毛を掴む。


『お前の生きた証はいただいた。』


口元に垂れた光恵の唾液を舌で舐めた。


順序はよく分からないが、


どうやらトオルの中で光恵を殺す準備がととのってしまったようだ。


このまま野見山を呼ばずに居座るのなら、お前を自らの手で殺すと光恵に伝えた。


トオルはビールかけを終えて一区切りを実感している野球選手のような清々しい顔をしている。


滑稽なことにビールをかけられた側の光恵のテンションは一気に沈んでいった。


トオルのスイッチのON、OFFは紙一重のようだ。


光恵はトオルの操縦に失敗した。


トオルは興奮しながらも銃を持っているてまえ逮捕を恐れていた。

どこの誰が警官であってもおかしくないかもしれないと、緊張感は持っていたつもりだ。





淳はあれ以来全くこちらに姿を見せない。

トオルに銃を握らせて以来、連絡をよこさない。

トオルはその点が少し心配だった。


まるでトオルさん、自分のかわりに光恵を始末してください

と言われているかのような錯覚にも陥った。

トオルはその心情を光恵に絶対悟られてはならないと自分に言い聞かせた。


トオルはこっそり淳に電話した。

淳はでない。



光恵はまださほど動かない。




背後で人が動く。

トオルは耳をダンボにして会話を拾った。

警察が近くに迫っていないか疑心暗鬼になっていた。


俺は一体何をやっているんだ。

トオルに自問自答の波が押し寄せた。