トオルは光恵に悟られないように何気なく会場内を見渡した。
どう見ても警官が務まるような容姿の大人はスタンドにはいない。
光恵がトイレに行きたいと言い出した。
行って来いよ、と言うわけにはいかなかった。
『トイレに行きたきゃ、何か行動してからにしろ。』
光恵は折り畳み式の携帯をパカパカさせる。
トイレにエスケープする口実が作り易いように
光恵はアルコールを欲しがったのではないかと
トオルは勘ぐった。
携帯を握りながらトイレに行く光恵の姿は
これまでの付き合いで何回も見てきた。
基本的に何も問い詰めない。
トオルは女に恋人がいるかどうかなど聞いたことがない男だ。
しかし、何でも見ている男で、表情一つ見逃さない。
他人が聞こえないと思って話している声も、トオルの耳には届いていることが多い。
トオルの中でのジャッジは下っていた。
光恵はトイレに入り、自分を落とし入れるという判断だ。
『あれ?あれトオル君の彼女さんじゃない?』
右前方、光恵寄りの階段をマリが上ってきている。
マリは2人を見ていた。
光恵は丁寧に頭を下げた後、マリに手を振った。
あたかも今2人の存在に気づいたような表情を作ったマリは、
首を少し前に曲げて、それに応えた。
トオルはにこやかな表情で大きく手を振った。
マリはそれに頷く。
光恵はマリを見て、彼女がとても幼く見えたからかもしれない。
鼻で笑って、その後我慢できなかったかのように、まん前を向いたまま吹き出した。
基本的に誰の悪口も言わないトオルは密かに嫌悪感を感じた。
マリが通り過ぎて行く。
『何がおかしいよ?光恵。』
『だって、3代目と5代目の女が同じ競技のライバルなんだもの。
こんなすごい会場で何やってるのかしらってね。』
『アイツらは別に関係ない。』
『あの子にトイレまでついて来て貰ってもいい?』
光恵はマリに同伴してもらうのでトイレに行かせろと要求した。
『アイツを巻き込むな。駄目だ。』
『もう我慢できないのよ。』
『我慢しろ。』
『あの子が駄目なら淳君の彼女呼んで。
アナタは淳君に頼まれて銃を持ってるわけでしょ?
しかも、私は2択を飲んだんだから、そっちにも応じてもらうわ。』
トオルは一瞬迷った。
その間に光恵は言った。
『男らしくない人。』
『構わん。』
トオルは邪念を振り払った。
『この条件を飲まなければ、すぐに警察が来ると思って。
あなたは即逮捕よ。』
『バカかお前は?』
トオルはそう言いながら、彼女の髪の毛を指で遊んだ。
『アナタは今更私を消したところで、もうチームとは関係ない人なんだから・・・
無駄に逮捕されるだけよ。』
『俺はお前が消えればそれでいい。お礼参りのようなもんだな。』
『またずいぶん古い発想ね。アナタらしくない。』
『・・・』
『もう無理しないで。私には分かるんだから。淳君に使われちゃ駄目よ。』
トオルは笑った。笑うしかなかったのだ。
『淳君の彼女が私と一緒にトイレへ行けば、私も淳君もお互いヘタな事できないでしょ?
これで5分と5分。よくない?トオル君は関係なくなるじゃない。』
光恵がトオルを説得しだした。
トオルは聞こえないふりをする。
あくまでトイレは我慢しろというスタンスだ。
『逮捕されちゃうよ?このままだと。』
この光恵の発言にトオルはイラっときた。
アドバンテージを取った気分になっている光恵が気に入らない。
『バカだな。どうせ逮捕されんなら、お前を撃ってからに決まってるだろ?』
トオルはそう口にした。
『撃てんのかなぁ?』
光恵はそう小さく呟く。
こういう場合、野見山ならもうとっくに撃ってるんだろうなと
トオルは考えていた。
銃を握るのは初めてだった。
現役時代は銃さえあれば楽勝だなと毎日思っていたトオルであったが
実際持ってみるとかってが違うようだ。
『もういいじゃない格好つけなくても。私の前では素でいなさいよ。
私は全部理解できるつもり。』
トオルは時たま、光恵に分からぬように銃を握ってみたりしている。
『撃つならもう撃ってるでしょうに。トオル君、銃、危ないからコッチにちょうだい?』
トオルもこれには応じない。
『どうやったらデカデカと載るかなと思ってよぉ。
やっぱ人生一度は華を飾りたいだろ。
撃つならよぉ、俺もドデカク1発かましたくてな。
多少打算的だが、祐子のことも考えていた。
バシっと決めればアイツも許してくれるかなとな。』
『私を撃っても、誰もあなたを絶賛したりしないわよ。
このままじゃ、全部淳君の思うがまま。
とりあえずあの子の彼女呼んどかない?』
『コンパじゃねぇぞバカヤロウ。それはできない。』
『優柔不断男。』
『うるせぇ。』
トオルは撃てないだろうと自分でも思っていた。
淳の連絡を待った。
時に淳を疑い、そして信じた。
まるでSCREAM襲撃後の野見山のような心境だ。
淳は野見山をハメた。
その事実がトオルの脳裏をかすめる。
『おい三浦。淳は?』
光恵の前で電話をかけた。
『さっきアップを終えて・・・、もうすぐレースなんですよ。
多分もう召集所に向かったと思いますが。』
『淳から伝言なんて受けてたりしないか?』
『いえ。』
『どれくらいかかる?』
『戻るまでですか?まぁハッキリは分かりませんが、
少なくとも30、40分はみといた方がいいかと。
1時間ぐらいかかるかもしれませんが。
運営側も予防線を張って早めに選手を招集するので。』
『OK了解。』
光恵は携帯をいじっている。
『トオル君、メールすればいいのに。』
『ふん。俺は基本隠さない。隠さないながら隠すのが俺の手法だ。』
『バカみたい。素直じゃないのね。泊君から返信が来たよ。
淳君は正式に5代目に就任するんだって。』
『知ったこっちゃない。』
『CANDY結成の時と何か似てない?あの子も壊して、作って大変ねぇ。
ま、面倒な部分は古い3代目にやらしとこうって腹なんだろうけど。』
トオルは何故自分で泊に5代目就任の真相を聞かなかったのかを
自分に問いだした。
気づくと光恵の後手にまわっていた。
泊にはまだ光恵のタブーを話していない。
しかし、SCREAMは関係者以外にチームの情報は漏らさない
不文律がある。
トオルは現役時代小さな情報でも、漏れたことが自分の耳に入ると
犯人を徹底的にこらしめた。
ただし、この風潮が蔓延すればするほど、正しい情報が上に来なくなるので
何かのついでに情報漏洩の事実をゲロさせて懲らしめるシステムをとっていた。
果たして4代目の泊がどれほど徹底していたかがトオルには分からない。
『彼が5代目に就任する以上、必ず逮捕させていただくわ。』
『5代目に就任しなくてもパクるつもりだろうが。』
『じゃあアナタが何とかしたら?』
光恵は強引に席を立とうとした。
トイレに向かうようだ。
『待てや。おい待てや!』
『トイレよ。もういいでしょ。』
『バカ言うなよ。』
『これが最後よ。トイレに行かせないなら警察が来るわよ。いい?』
『・・・』
光恵は席を立ち、歩き出そうとした。
トオルは追った。
銃を腰に当てる。
『来いよ。』
光恵の腕を引っ張る。
『杏て女だ。お前とトイレに行かせる。』
光恵は頷く。
そして笑みを浮かべた。
『最低ね、アナタ。』
余裕たっぷりに光恵はそう言った。
トオルはペンディングのつもりだった。
杏を上手く使えばチャラになると考えた。
もうこの女の後手には回りたくない。
そう思っていた。
勿論苦渋の決断だ。