光恵はスタンド席でビールを飲み始めた。

気を引き締めながらトオルも飲んだ。


『あの子、凄い目をしてたわね。』


『淳? ああ。珍しいかもな。』


『明日の事なんて考えてなさそうだった。昔のアナタにそっくり。』


光恵は少しハイペースでビールを口に含んでいる。


『考えてるよ、アイツは。 ずっと先のことまでな。』


独り言のように小さな声でトオルは呟いた。



光恵はまだ動かない。

トオルはそこの事についてはまだ触れずにいた。


『祐子には会ってるの?』


光恵は甘えた口調でトオルに言った。


『そりゃ、会ってるよ。』


トオルがそう答えると光恵は何も言わなかった。

光恵が何を言いたいのかをトオルは考えていた。


3分後ぐらいに”ふーん”という鼻息混じりのリアクションが返ってきた。

果たして祐子の件に対する反応だったかは定かではない。


『もし、祐子が死んだら、アナタ怒り狂うでしょ?』


『さぁな。』


光恵は笑った。


『私が死んだら・・・誰が悲しむんだろう。』


トオルはこの話には乗らなかった。

ただ目の前のプールを見つめていた。


『せっかく貰った命なのに。』


光恵はまだ続ける。


『きっと私の重い肉の塊だけが残って、やがて・・・。

私がずっと付き合ってきた私の体の細胞が、沢山の細胞達が悲鳴を上げてアナタ達を呪うわ、きっと。』


『そうか。』


トオルはただそう答えただけだった。


光恵が悲しそうな表情を浮かべる。


そして、言葉を訂正した。


悲しむのは細胞じゃなく、私だと。 細胞達に謝るのも私だとトオルに告げた。


『私は自分の命を止めたくない。』


光恵は初めてトオルにはっきりとした意思表示を行った。


『お前の細胞達の合唱も聴いて見たいものだねぇ。』


トオルはてきとうに聞き流していた話に、意地悪く答えた。


『私は、アナタがやってたチームとかが嫌い。無駄に血を流して、傷つけ合って、命を奪う。

最悪よ。ただそれだけ。』


『光恵、ここは弁論大会の会場じゃねぇぞ、コラ。』


『そんなこと分かってる。』


光恵は少し声を荒げた。トオルの前でこのような態度をとるのは珍しい。


いや、今まで無かったのが不思議なのかもしれないのだが。


光恵はトオルの体に寄りかかった。少し疲れたようだ。


『殺人について、どう思ってるの?』


『悪い事だとは思うよ。でもね、俺自身、もっと良く考えなければならないと思っている。』


『殺人はどう考えたって悪いことでしょ?それも分からないほど麻痺してるの?』


『違う。分かるよ。悲しいことだよな。でも毎日誰か死ぬだろ。いちいち心は痛まないよ、正直。』

自分とは関係ない人が死んだところで、俺は何とも思わない。悲しむのは自分の利害に関わる時だけだ。

このことを俺はもっと考えたい。』


『・・・。』


『殺した人が背負う十字架とは何だと思う?』


『一つではないと思うわ。沢山あると思う。』


『じゃあ、殺人がOKな社会での殺人犯が背負う十字架は何だ?』


『自分の胸の痛みや、遺族への想い・・・。』


『そっちはスラスラ答えられるんだな。』


トオルは黙ってレースを観戦した。


『アナタは麻薬を嫌った。そうでしょ?』


『そうだよ。人が変わってしまうからな。本当に怖いと思ったよ。組織で蔓延したら機能しなくなる。』


『それだけの理由?』


『麻薬を吸ったら人間失格かもな、社会人的によ。でも地球人として吸えば問題はない、と俺は思っている。』


『何でもアリの社会なんて無いわ。地球人なんて単なる世捨て人よ。』


『お前はルールを作るのが仕事だからな。ルールにはいい面も悪い面もあると思う。

だから俺は時に揺れる。俺だけじゃないと思うが。殺人犯が背負う一番大きな十字架は何だ?』


『・・・。』


『辛い刑務所生活か? 賠償金か? 社会的地位意の損失か? 世間の目か?心の痛みか?

お前らの作るルールは良くできている。秩序を保つ意味も含めてな。

ただし、重い十字架の内容物は時に俺にはクダラなく見えるときがある。

殺人が根本的に駄目な行為と言う奴を疑いたくなる時があるよ。』


『私には理解できない。』


『俺も、お前も知らない奴の死刑判決はすんなり受け入れるだろ?

時に批評までしやがる。

あれは何故だ?』


『もういい、そんな話し。』


『野見山連れてこいよ。アイツに俺が聞いてやる。撃つのはそれからにしろ。』


『バカ言わないで。それに彼は何も考えていない。アナタだって分かってるでしょ。』







淳がスタンドへと消えて行く。


トオルは光恵の横へ座った。


さっそく光恵はメールを打ち始めた。


『アナタが相手の方が幾分楽ね。』


光恵が携帯の画面に目を向けたまま呟く。


トオルは面白くない顔をしつつ、光恵が何を書いているのかを気にした。


光恵はトオルのその素振りに気づいたかは不明だが、腕を絡ませ、さらに呟いた。


『嘘だよ。』


トオルは光恵を睨み付ける。


光恵はトオルの目を見つめ返した。


『お前、こういう場合はまず誰にメールすんの?』


『え?あぁ、一応泊君にね。私、淳君の5代目就任なんて聞いてなかったから。』


光恵はSCREAM4代目の泊にメールを入れていた。


光恵は淡々としていた。


トオルは何も言及しない。


『さてと・・・この件は返信待ちね。』


光恵が仕切り直すように言葉を発した。


トオルは淳の5代目就任の話しは今聞かされて初めて知った。


トオルの中では有り得ないことであった為、淳のハッタリだろうと心の中で思った。


光恵は3代目のトオルには5代目就任の経緯を何も聞かなかった。


トオルも光恵の振る舞いに対し、何も言わない。





光恵は次の行動を考え込んでいるようだ。


時たま首をかしげる。リズムを取っているようにも見える。


光恵の癖だ。


その時、わずかではあるが、鼻から吐息が漏れているのが


トオルには感じとれていた。


トオルの口に光恵の髪の毛が触れた。



『私、どうしたらいいかな?』


『呼べよ、野見山。』


『うん。少し、自由にしてもいい?』


『自由って?』


『お酒飲ませて。何か飲まないと・・・』






トオルは光恵の要求に応じた。席を立ち、腕を絡ませたまま2人は歩いた。


ラウンジを出ると通路は混んでいる。


2人が横に並んで歩くには若干狭いぐらいだ。


トオルが1歩先を歩くかたちとなった。


光恵は肘を伸ばし、トオルの手を握った。


トオルは特に何もリアクションはしない。


売店でトオルが幾つかアルコールとツマミを見繕う。


品物を見せたトオルに光恵は頷いた。



会場内から大きな歓声が聞こえ、トオルは売店前の入り口からスタンド席を覗き込んだ。


光恵はトオルの手をほんの少し強く握り、トオルに見に行こうと無言で促した。


光恵は昔からトオルに結論を下させる。


そして、それを受け入れる。



トオルが判断する前に光恵はサインを必ず出す女だった。


そのサインはとても微妙なものばかりだ。


トオルはそのサインに半分は気づき、半分は気づかない。


ある種、その辺のサービスマインドは


これまで光恵に育てられてきたと言っても過言でははない。



2人はスタンド席に入り、空席を探した。


座りやすい端っこの席は無い。


一時的な観戦とはいえ、連結されたベンチの中央部までトオルが頭を下げながら


光恵をエスコートした。



2人が席に座る。


まるで2人が出会ってまもなくに行った映画館での座り方のようだった。


2人ともそれは心の中で感じていた。


2人の関係だけがあの頃と大きく違った。



そもそもの出会いは海だった。


SCREAMの男メンバー6人とメンバーのバイト先の知り合いの女友達を4人集めて


遊んだのがきっかけだ。


皆、SCREAMのメンバーであることは隠して遊んだ。


バーベキューとサーフィンを楽しんだ。



光恵は前の晩に遅くまで酒に付き合っていたため、集合時間に間に合わず、


3時間ほど掛けて電車とバスを乗り継いで一人遅れて現地に現れた。




今から思えば、とにかく凄い女だった。


初対面の印象は、おしとやかな女とは遠い女だった。


もちろん美人だ。


フットワークが軽く、行動力があり、まわりに気をつかう。


場を盛り上げるために、たくさんお酒を口にした。


男勝りという印象を持った男もいたかもしれない。



しかし、トオルはそうは思わなかった。


彼女は甘えることができた。


頭のいい女だ。


帰り際まで光恵は他の男とばかりハシャイでいた。


2台で来た車で帰る為、5人5人にわかれた時、光恵はトオルとは別の車に乗っていた。


出発間際になって光恵がトオルがいる後部座席に移り、


後ろに4人が乗り帰ることとなった。



光恵は酔っていた。


横にいるトオルと話したかと思えば、すぐに寝てしまった。


嘘寝だ。


トオルにもたれ掛って寝ていた光恵は腕を絡ませて、トオルの肩に顔を置いた。


トオルの肩を噛みながら手を握ると自分の体に摺り寄せ、何をするでも無く、


顔の位置をずらして再び眠る。


この方が寝やすいと言わんばかりのようだ。




光恵が何度も姿勢を変えるうちに2人の唇は重なった。


光恵から迫ったのだ。


右隣に2人がいる後部座席でトオルと光恵は何度もキスした。


SCREAMの第2のアジトの勝どきまでは時間があった。


およそ1時間半から2時間。


光恵は途中で友達らしき人に電話を入れている。


どうやらこれから地元に帰って、また飲むような約束をしている。


車内の皆に聞こえる大きめの声で話していた。


午後8時、解散場所は築地の市場前だった。





皆がそれぞれ解散して行き、光恵と2人きりになると、


光恵は再びどこかへ電話をしている。


断りの電話のようだ。やっぱダメかもなどと言っている。


先程、威勢の良い声で電話していた地元での約束をキャンセルしている模様だ。


トオルは感じとった。


『もう少し飲みに行こうか?』


トオルはとりあえず結論を先送りにし、飲みに誘った。


『どこ行く?』


小さな声で光恵が囁く。



体じゅうを触りあい、キスしながら2人は歩き出した。


おそらく車内から含めてキスは100回は越えているであろう。


光恵は積極的だった。


10Mも歩かない内に立ち止まり、濃厚なキスをした。




光恵は濃厚なキスの度に体を反らせた。


トオルの顔が光恵の胸の前に来る。


と、同時に下半身が密着する。


トオルは興奮したが、光恵から何かを試されている気分にもなった。


トオルは汗ばんだ首筋にキスをしながら考えた挙句、その度に胸を選択した。


入った寿司屋で座敷に座った。



光恵は車内から度々言っていたことがあった。

上のキャミソールがバーベキュー臭いこと頻りに気にしていた。

トオルは胸に顔を寄せ、ただその匂いを嗅いだ。


寿司屋で光恵は自分の好物である甘エビやボタンエビをオーダーし、

トイレに向かった。


持ち金が不足していたことに気づいたトオルは立っていた店員にその旨を伝えると

少し先にあるコンビニでおろせると言ったのでダッシュで金を引き出し、席に戻った。


自分も時間差でトイレに行っていたと誤魔化そうと思ったが光恵の姿はまだ無かった。


光恵が席に戻る。

2回目のオーダーの品数がぐっと増えた。

金を引き出しに行った情報を店員から聞き、

気をつかって、再びトイレに戻って長いことやり過ごしていたのではないかとトオルは焦った。

トオルは体裁を気にするところがある。


2回目に注文した物がとどく数分の間に光恵はカウンター席に移りたがった。

当初、座敷に座りたいと光恵から聞いたトオルは腑に落ちなかった。

冷房が強くて寒すぎるからだという。


トオルは店員に冷房を弱められないかと尋ねてみたが、光恵が途中で間に入り

それを断った。

トオルは、それならばカウンターに移れないかと再び店員に尋ねると了解が得られ、

カウンターへと移った。


光恵はトオルの自宅に行きたがっていた。

洋服の匂いも冷房も、自宅に行く口実だった。

トオルとしてはSCREAMのアジトに関係者以外を入れたくなかったし、今まで入れてこなかった。


カウンター席に移るころにはトオルもそのサインには気づいていた。

光恵は八海山を飲みながら寿司を摘んだ。

部屋に入れないトオルに子持ちなのか、妻持ちなのか等ということを冗談で聞き始めた。

トオルは肯定も否定もせずにのらりくらりとかわした。

最後に大トロを頬張ると、美味しいねとまた短いキスをした。

唇吸った音が大きく鳴った。


トオルはホテルを探して歩いたが土地柄、なかなか見つからない。

ますます自宅へ連れて行かなきゃならなくなってきている。

光恵の絡みはどんどんハードになってきており、しかも酔っている。


トオルは濃厚なキスを受けながら思考を巡らせた。

考えながらも理性は誘惑には勝てずに、駐輪所施設の隅で体を結んだ。

もう少し、挿入していたいというところで光恵がゴネ、身をよじる。

光恵の方が数段上手だ。


屋外じゃダメ。

4回目の挿入後に彼女は口にした。

それまでトオルはイケると思っていた。済んだら帰ろうと企んでいた。

服を身に付けてトオルは言った。


『ホテル探すから、今日は疲れたかもしれないけど、もうちょっとだけ待ってね。』


光恵は頷く。

歩き出すとまた身を絡ませ、道の真ん中で二人は抱き合う。

一向に進まない。


『お前もう帰れよ。』


トオルはビシっと言った。


『うん。そっか。じゃ、帰ろうかな。』


光恵は格段悲しい顔は見せない。

トオルはそれがちょっと気になった。

光恵の顔を覗き込む。


『ヤリ逃げか・・・』


光恵がそう呟いたのが引き金となった。

トオルのプライドらしき物が揺さぶられた。


無言のまま歩くとホテルは見つかった。

一般の安めのホテルだった。

トオルは彼女を連れて入る。

料金は前払いだった。


光恵はとにかく激しかった。


3回終えるとトオルは力尽きた。


2人は眠りにつき、トオルは3時30分には目をさました。


『ちょっと行かなきゃいけないんだ。』


トオルがそう言うと光恵はベッドの上で頷いた。


すぐ帰るのもあからさまなので、PCでインターネットを数分し、


彼女の頭をなでた。


気づくとデスクに置いてあった紙に連絡先を書いていた。


連絡先の交換などしていなかったのだ。


トオルは今夜限りの付き合いでお互い遊び半分で接していると思っていたが、


別れ際に自分から連絡先を書いていた。




その後、一向に彼女からの連絡は無かった。

トオルには若干寂しさが残っていた。


10日後に彼女からメールがきた。


トオルは内心嬉しかった。


すぐに光恵と付き合うことにしてしまったのだ。















2人はラウンジへと出た。


『何故またSCREAMの5代目なんかに?』


光恵が聞く。


『時間かせぎですか・・・。

野見山が失脚しようが、SCREAMが潰れかけようが、警察の取り締まりは相変わらず派手じゃねぇか。

何も変わりゃしねぇ。

いや、どんどんエスカレートしてやがる。俺を重い罪でパクるまで止めないつもりだろ?だったらいっその事俺がSCREAMに復帰して無茶苦茶やってやろうと思っています。』


『確かアナタはトオル君を守る為にSCREAMを襲撃した・・・』


『はい。それは間違いありません。アナタ達にパクられることになる前にうまい事引退させたかったんです。』


『野見山君は?』


『魅力的な駒ではあります。でも如何せん危険すぎます。はっきり言って邪魔と言っていい。』


『アナタなら使いこなせたんじゃない?』


『チームの一員としては無理です。アンタと似たタイプです。警察がすぐ来る。

もういいですきかね、お喋りはこれぐらいで?』




淳はソファーのクッションを手に取り、拳銃を向けた。





『待って・・・お願いだから。』


『代案でも?』


『・・・』


『野見山は何処行ってる?炎上が通報で入ってるはずだ。どうせ調べただろ?』


『正確な場所は分からない。』


『無駄に泳がしやがって。俺はもう密会する気なんて無いぞ。あっ、お前、呼べよ野見山。』


『呼ぶって・・・どうするの?』


『お前が撃て。野見山を撃つ銃も用意しろ。』


淳は、今ここで撃たれるか、野見山を撃つかの2択を迫った。


『俺には君たちの存在は煩わしい。どっちかに消えてもらう。』


『分かったわ。どうにかして呼ぶわ。』


淳はトオルに電話した。


トオルはこちらに来るようだ。





『どうした?』


光恵と淳の姿を見てトオルに緊張が走ったが、平静を装った。


『単刀直入に言いますと、野見山を消します。』


『本気か?』


『はい。』


トオルも野見山の存在は恐ろしかった。消えてくれたら好都合な存在だ。






淳はトオルに銃を握らせた。


そして光恵に聞こえない声でトオルに言った。


『俺は今日中に彼女を消して、新たなスタートを切りたいと思ってます。』


光恵に伝えた2択の説明を行った。


トオルは淳の顔を凝視した。


『決めたことですから・・・』


『光恵を消したら大変なことになるぞ。』


『野見山を撃たせてからです。これなら5分と5分です。』


『お前・・・。』


トオルは愕然とした。


『俺はレースがあるんでずっとはついていられません。しばらく監視をお願いします。

ヤバくなったら撃って下さい。俺がケツを持ちますから。』


『そんなわけにも行かないだろう。』


『俺なら大丈夫です。頼みます。』


淳がトオルの目に訴えかけた。


トオルは受け入れた。淳に対する想いもトオルの中で色々あったからだ。


トオルは光恵の方へと銃を持ちながら近づいて行った。


『早く電話でも何でもして野見山の居所つかめや。すぐつれて来い。

大会が終わるまでにだ。』


陽介の家の前で単車を止めた。


『びっくりしたぜ。お前、本当にSCREAMの5代目になるのかよ?』


『まぁな。願ってもないチャンスだ。』


『しかしよく4代目の泊も納得したなぁ。』


淳は明日の大会終了後からSCREAMの5代目として活動を開始すると告げた。


そして拳銃を陽介から受け取ると、小さな声で言った。


『明日、最後だな。』


淳はまだ何か言いたげだった。陽介は頷き、次の言葉を待った。


『俺は、あの日、野見山を切った・・・これが聞きたかっただろ?』


『マジなのか?』


『あぁ。俺はトオルを警察から守ることを優先してしまった。』


その後、野見山があそこまでブチ切れた行動を取るとは思っていなかったと釈明した。


淳が陽介に頭を下げる。


今日は野見山に早く務めを終えて出てきて貰えるように、あえて突放したとのことだった。


『もう合わせる顔がねぇよ。』


淳の目に涙が浮かんでいる。


陽介はてきとうに慰めることができいタイプだ。


ただ黙って頷くばかりだった。


しばらくして沈黙を破った。


『おい5代目。警察はお前をパクるのに力を惜しまないだろうよ。』


『俺は負けない。大丈夫だよ。以前のように自由に走れる時が来る。』




ついに大会最終日。

午前から個人競技の決勝レースが始まる。

フィナーレは中学対抗の男女のメドレーリレーの決勝である。


会場は満員だ。


アザのできた2人の顔を見たキャプテンの貴司は呆れて声も出ない様子だ。


陽介は淳の告白で心のつっかえが取れた分、陽気だった。


大丈夫、大丈夫と繰り返し、調子の良さをアピールした。


『お前、テンションだけだな。』


貴司がようやくまともに声をかけた。


『いやいや、今日で水泳とオサラバだと思うと嬉しくて嬉しくて。』


『ほぉ。最後ぐらいちっとはマシな泳ぎしろよ。』


一人だけ入念に長めのアップを行った陽介は、体を拭きながらレースに備えてスタンドへと戻った。




『おい、ご機嫌だな三浦。』


トオルに首根っこを掴まれ、野見山が何処に行ったかを尋ねられた。


『ノミの行方は正直わかりません。喧嘩別れっすね。』


トオルは珍しくそれ以上質問攻めをしてこない。


陽介は午前中からトオルが来ていることにびっくりしていた。


『野見山の事は悪く思わないで下さい。』


『そうか。』


トオルは直ぐに陽介を解放した。





淳は早めにアップを終え、コンディションを確認すると、一人でスタンドに戻って行った。



『おはようございます。今日もいらしてるんですね、監視、お疲れ様です。』


右手にタオルを巻き、水着姿の淳は言った。


『おはよう・・・。』


背後から光恵の腰に銃が突きつけられる。


光恵は振り返ることができない。


『この度、SCREAMの5代目に就任しました。』


『淳君でしょ・・・?どうしたの急に?』


『僕をパクりたくて仕方がないアナタにとって、お望み通りでしょうに。

この銃は野見山から預かりました。光恵さんへとの事です。』


『そ、そんな。困るわ。』


『受け取って貰わないと僕も困るんですよ。』


『で、でも。』


淳は強く銃口を腰に押し付けた。


『あんまウロチョロされてもねぇ。』


『・・・』


『あげるのは弾だけですよ。野見山は撃ち込んで来いやと言ってまして。

僕の事は捕えて貰っても結構です。そのかわり、アナタの命はありません。』


『やめて。銃をしまいなさい。』


『お前のせいで何人パクられたと思ってんだよ。』


『誤解よ。』


『誤解でも何でもいいんだよ、もう。ちょっと来いよ。』


淳は光恵を連れてスタンド席から消えた。








霧雨が振ってきてムシムシする夜だった。


学校前を単車が通り過ぎようとしている。


校庭に懐中電灯の明かりが2つ見えた。


警備員などいない学校だ。


単車の速度を落とし、誰がいるのかを2人で覗き込んだ。


『淳、あれ誰だ?』


『え?あぁ石飛じゃねえか?』


単車を止めて、2人は面白半分で校庭の人物に近づいて行った。


石飛兄弟であった。


仲は悪いが、一緒にいることが多い兄弟だ。


野見山に喧嘩を売ったことがあるという伝説だけで悪の巣窟を生き延びる豪傑だ。


年に1、2度は話題にのぼる名物兄弟であった。


勿論、兄弟揃って2人とも野見山に殺されかけたという笑い話なのだが。


兄貴は懐中電灯を空に向けてはしゃいでいる。



『こいつ等、またやってるよ。』


『たまにお前も手伝ってただろうが、陽介。』


『ない、ない。それはない。』



この兄弟は雨が降る夜に学校の校庭に来ては、スコップで校庭を滅茶苦茶に掘り返す。

まずは、自分らが所属するテニス部のコートを耕すところから始まる。


特攻服姿の2人組みが近づいてきたことを察知した2人は、懐中電灯を置き、モゾモゾしだした。


『お疲れさん、石飛君。』


『おい、おい、おい!マジびびったぞ、マジ勘弁だよ三浦!』


『相変わらずだな。』


『見ろよこの汗。こっちは仕事してんだぞ、お前らはまだ暴走族ごっこしてんのか? あぁ?』


弟も勢い付いて淳と陽介に睨みを利かす。


対馬に苦汁を飲まされた淳は、3年の勢力マップから漏れており、

何も知らない1年生の弟は至近距離で淳にガンを飛ばし、

体を揺らしながらポケットに手を入れて、口をクチャクチャさせている。


『おう、その人はやめとけ。おい、やめとけよ!』


弟は淳の足元に勢い良く唾を吐き捨てると、仕事を再開し始めた。


弟が自分の言う事を素直に聞いたことに気分を良くした兄貴は


『おう、俺ももう卒業を待つ身となったぜ。』


と呟いた。どこか寂しげだ。


『不純な汗かいてんじゃねーよ、バカ兄貴。』


『てめぇ、今なんつった?あぁ?

今まで散々、全体集会だのよぉ、体育だのよぉ、お前らの陸トレだのを中止させてきたのは俺だぜ?

感謝の一言があってもいいと思うがねぇ。』


『それは、どうもです。』


『お前ら中止だ!中止だ!って騒ぐだけだったよな、アホみたいによぉ。』


『うるせぇ、お前が一番誰よりも中止を願ってただろうが!このムッツリ野郎!』


『何とでも言え。』


『誰かに頼まれたのかよ?』


石飛の兄貴の顔つきが変わった。


『心外だな、三浦。俺は仕事にポリシーを持ってやっている。


一つ、誰の指示も受けいない。全て自発的な行為。


一つ、雨が降った夜にのみ出勤する。そこは誤魔化さない。体育祭の前夜でもだ!


一つ、校庭は徹底的に荒らすが、ゴミは拾う。』


『嘘つけこのエロガッパ。最後のは嘘だろうが!』


弟が40Lぐらいある容量のゴミ袋をかざした。袋はゴミで膨らんでいた。


『お前ら、俺がいなけりゃなぁ・・・まぁいい。』


『何だよ、言えよ。』


『今頃、喫煙問題で部活どころじゃねぇぞ。ポイポイ吸殻捨てやがってよぉ。』


陽介と淳は顔を見合わせた。


まさかバカ兄弟の兄貴から説教を受けるとは思ってもいなかったからだ。


『今後のお前らの為に言っておく。中止になったからってなぁ、自習時間は自由時間じゃねぇ。

お前ら高校行くんだろ?このボンボン野郎が!』


『ボンボンじゃねぇけどな。』


『このまま高校行ったらな、お前らは・・・即退学だ。

俺は、もういねぇからな。吸殻なんて拾ってやんねぇからな。』


兄貴は戒めの為に懐中電灯の明かりを2人の顔にあてた。


血だらけの2人の顔がそこにはあった。




『何してんだよ、お前ら。』


『それはこっちのセリフだ石飛。』


『もういい、この大バカ野郎。

まぁお前らも知ってるかもしれねぇが、俺は野見山って奴をボコボコにした時、

お前らみたく死神のような顔になっちまったけどな。』


淳と陽介の2人は伝説の名言を直接耳にすることができ、喜んでいる。


弟も誇らしげであった。


石飛は懐中電灯で誰もいない夏休み中の校舎にかけられた横断幕を照らした。


”山城中学水泳部 全国大会出場 ”


その横には出場者の名前が書かれていた。


『あれを見ろ。』


ポカーンと皆で横断幕を見ていた。


『お前ら、一回クビになりかけてんだろうが!』


『お前はどうなんだよ? お前もテニスで大会出ただろ?』


『他人に興味の無い奴らだ。知らないのか?とっくに負けたよ。長い夏休みだバカヤロウ。』


皆、黙り込んだ。


『いつもの癖でな。また来ちまっただけの話しよ。半分わかってんだけどな。

もう校庭荒らしたってよぉ、誰も得しねぇんだよ。』


『・・・』


『さっきのは嘘だ。最近は、雨の日だけじゃねぇよ。

この間まで一緒に校庭にいた奴が全国行ってんだぜ。

俺は耕すしかねぇだろ?なぁ?

毎日意味も無く来ちまう俺の気持ちがお前らにはわからねぇだろ?

あの横断幕を見ちゃよ、応援の一つもしたくなるぜ、普通の人間ならよぉ。

ま、お前らに言わせれば意味の無い汗で届かぬ応援かもしれんがな。』


石飛兄貴は興奮していた。


そのテンションを不思議に思い、目をこらして校庭を見渡すと、とても綺麗だった。


この間まで掘り返してたのが嘘のような綺麗なグラウンドだったのだ。


一応持ってきたスコップは照れ隠しのカモフラージュだった。


持って来なきゃ校庭に来る大義名分が無くなるからだ。




気づかれた石飛は恥ずかしそうにしている。


『何かいいことしなきゃと思ってな。まぁ散々荒らしてきてなんなんだが。』


2人は言葉を失った。


『とりあえず、やれることはやったと思う。』


スコップをブンブン回して力一杯に空高く放り投げた。


スコップは30Mほど宙を舞い、テニスの用具入れ倉庫の前に落ちた。


『明日がラストなんだろ?陰ながら応援してるよ。あばよ!』





石飛兄弟は足早に立ち去って行った。


2人は無言のまま体育館脇の水道まで行くと、顔を洗い、特攻服の袖で拭いた。


傷口に水がしみる。


明日が少し不安になった。


2人とも特攻服の上着を脱ぎ、プールへ投げ捨てた。


明日、大会が終われば2度と戻らないと思われるプールに。

両手を広げたような形の特攻服が静かに水の上に浮かんだ。

それはまるでCANDYメンバーの水死体のようにも、チームの完全燃焼の姿にも見えた。


『行くぞ。』


勢いよく校門を飛び越え、単車に乗った。



『体は動くか?』


淳が聞いた。


『動くどころじゃねぇよ。』