このシリーズ、再びです。

今回は怒です。

前回とは違い、今回は相手を怒らせない方法です。
ちなみに、なんにでも怒る人がいますが、とりあえず適当にあしらう方法を取るしかありません。

とりあえず今回は、フツーの人をあまり怒らせない用にする方法です。

世の中には色んな方がいらっしゃいます。まず、相手の事をよく観察します。その際、やはり価値観を広く持っていなければ相手の真の姿はなかなか見えてきません。

そこで気がついた、相手の気にしていることを言わないことはもちろん大切です。

さらに言うなら、「事実」の取り扱いに気を付けるということです。

人は、あまり良くない事実について、あえて目を閉じていることがあります。

そこに触れるということは、それなりに相手の感情を逆撫ですることになります。
着地点が見えていて、叱咤の必要が特別にあると判断したなら、そういう方法をとるのもありかもしれません。
しかし、精神疾患の人相手にはとてもハイリスクだということは、おさえておかなければなりません。

事実をそのまま相手に突きつけるということは、相手の感情を逆撫でし、多くの場合は不快感を与え、気の短い人なら一発で怒りだします。
心が弱っている人なら、そのまま折れてしまうことさえありますので、行動に移す前に良く考えた方が良いです。

これは、人材の育成にも割と役立ちます。
指導する際に、相手に不満感を与えないようにしつつ、具体的かつ建設的な方向に冷静に伝えるのです。

指導する前には、必ず着地点を考えておき、そのどれかに着地するように事前に何を話すか良く考えておくと良いでしょう。
もちろん、着地点については、お互いが最も有益になるような着地点をキッチリと考えておかなければならなりません。

既に相手が怒っている場合は、こちらが冷静で友好的な態度を継続すると、相手も落ち着いてきます。
そこを見逃さず、着地点に近づきつつ相手の感情を逆撫でしないような言葉を選びながら、調停するのです。

また、部下全員をえこひいきせずに、平等に接することも大切です。

不要な争いを避けつつ、チーム全体の自主性をのばすならば、価値観を広く持ち、怒らず怒らせない方法も、一つの方法として有効です。

もちろん、人間相手なので、多少ぶつかるのは仕方がない事です。おそれず、怒らずに接していれば、少しずつ解が見えてきます。

以上、読者の皆様の何かしらの参考にしていただけたら幸いです。
僕が以前勤めていたとある会社は、新卒採用で圧迫面接をしていました。

はっきり言ってバカバカしいというか、愚かな事です。
新人教育も、今思えばただの人格否定と洗脳教育でした。
自分で物事を組み立てて考える事のできない人間の集まりになっていました。

こんな事をしていてはいけません。

何故か?
面接にきた人は、長い目で見て客になるかもしれないということです。
客になるかもしれない存在に対して、人格の否定なり暴言なりしてはいけないということです。

暴言吐かれた会社の店使いますか?僕には無理です。

よって、僕が人事も担当していた時は、圧迫面接は一切やりませんでしたし、教育の時も細かいことでぶちギレたりせず、覚えるまで何度もつきあいました。
人と人の付き合いですから当たり前の事なんですけど、出来るようになったら素直にいーじゃん!!って言うし、マズイ事になってもまず必ず事情を聞いてから自分が責任を取る。

指導においては、本人が一番マズイ事したなあと思っているはずなので、具体的解決策を一緒に考えた後はしつこく言わない。
こうした方が、覚えも良いと思います。

こんな感じで人事が変わっていった方が良い気がします。

自分がされたら嫌だろうから、普通の感性持っているなら暴言や暴力はしないと思うんですけど、一部の企業ではまだカビ臭いやり方にこだわっているようなので。

お目汚し失礼しました。
今になって、昔を振り返ると、面白いなあと思います。

そもそも昔の自分は、自分が嫌いでした。他人も嫌いでした。しかしモテたいと思っていました。
自分が好きではないものが、誰かから好かれるだけ好かれたいと思っていたのです。

今思えばムシのいい話です。自分は人を愛さないが、自分は愛されたいと。

また、世の中の見方もかなり片寄っていました。

そんな僕の中に流れ込んできたのは、高校3年の受験の時の現代文と古文と漢文の学習内容でした。
その時になってはじめて、「自分以外の価値観」が積み重なっていきました。
当時の国語の先生方が懇切丁寧に僕の質問に答えてくれたのが大きいと思います。
感謝しかありません。

古文は、昔の人たちが歌などにたくさんの意味を込めて贈りあうさまが、まるでファイル圧縮のようで面白いなあと思ったものです。
また、恋愛観というものも少し学べました。

漢文からは、世の中にはたくさんの人生があり、自分の考えはその中のひとつに過ぎず、いかに多くの人の考えを調停する事が大切かを学びました。

で、今の考えに至るわけです。
結局人間と人間に相性はあるので、合わないものは合いません。ですが、噛み合いきるわけもないので、多少すり減らしながらもうまく噛み合うところを探るしかありません。
もちろんそこまで力を注げる人数には限りがあるので、家族や親友など大切な人に限るべきでしょう。

ここまで来れば、不特定多数からモテたいという考え方はないと思います。

で、恋に至る過程ですが、遠回りするしかありません。がっつけば引かれますので、好きなフリーの人がいるなら、その人の力にさりげなくなるとかもしくはせめて日常的に笑顔でいることにより人相をよくするとかそういう遠回りな方法でお近づきになるのが良いと思います。
あと、努力できることと言えば、ダイエットや筋トレで身体を魅力的にすることや、何か自分に誇れる仕事か趣味の技術を複数持つことですね。

で、恋が発展したあとですが、恋とは、まあドキドキだのトキメキだのチュッチュだの抽象的な言葉で表現出来ますが、その一瞬を積み重ねずに散ればそれまで。
未来を見据えて今を積み重ね、相手のためになることを継続できる範囲でやっていくことが出来れば愛。
それらの道を共に振り返れば幸せ。

大切なのは、向き合う意志と、自ら人生を楽しむ姿勢、そして向上心。


ホント、過去にこの考えに至っていれば、また人生違ったかもしれません。
でも、多少の過去における「もしも」を考えられる隙が、酒の肴になるんですよ。

お目汚し失礼しました。
僕の趣味は、多少片寄っているので、僕がもしもテレビ番組を作るとしたら、とってもクレイジーな内容になると思います。

本当に失礼かつ配慮もない内容になると思うので、不快に思われたら即このブログのタブを閉じてください。

以下内容

【タイトル】
「プロ・シロー闘」

【内容】
腕に自信はあるがその道で稼いでいない人と、プロフェッショナルを対決させ、その結果について、どちらがどちらを手がけたか判断がつかない形で一般人に評価してもらう。
必ず応募者が家族を紹介する形で応募し、紹介された本人が参加に完全に同意した場合のみ採用。
トーナメント形式でプロと素人が大奮闘。
勝利した場合は、素人なら本人と応募者にそれぞれ二百万円がプレゼントされる。
第一回戦は必ずプロと素人が対決する。
優勝したら1億円。

こんな番組あったらいいかなーなんてね。
一般人の妄想として軽くあしらってください。

恵方巻なんですが、かつて付き合いのあった小売の惣菜部長が、ロスについてはかなりあると言っていました。

トップが売り上げを伸ばすことを望むため、昨年よりも少ない量を生産することは難しいのだそうです。

ですが、そもそも北海道なんかはもともとは恵方巻を食べる習慣がなく、買おうとすら思わない人も多いのです。

需要に対して、供給が圧倒的に多く、ただ無駄に食品を捨てています。

その小売で拝見したごみの量もまた、半端なかったですし、ほぼ予約販売にして、昨年実績をもとに売れば良いと思います。

なんなら、恵方巻自体完全予約にしても良いと思います。

正直、あれだけ見映えのために現場が仕入れさせられて、大量に捨てているなら、かなりの損失だと思います。

興味の薄い地域は、完全予約に一度してみてはいかがでしょうか。
流行りってキラキラしていていいと思います。

今はインスタが流行っていますが、僕はというと、やっていません。

生活に食い込んで来ない趣味程度のものなら、流行らせてもスタらせても良いと思います。。

では、ペットはどうなのか。

僕には理解できないのですが、犬や猫の種に流行りがあるんだそうです。ペットは命あるもの。一体、どういう事なのでしょうか。

そういう方は、生命に流行り廃りがあるんですかね?廃りが来たらどうするんでしょうか?

流行り廃りに左右されないべき、大事なものってあると思うんです。

今、ちょっと成長した子犬が売れないそうです。
ホームセンター等でも小さいものは売約がつき、大きいものはこちらが個体として認識できるレベルでしばらく売れ残って、いつの間にかどこかにいっています。

今後、果たしてペットが「販売されるべきなのか」も考えた方が良いような気がします。

テレビの番組で、ペットの殺処分などの問題をテーマにしたものがやっていたもので。

調べてみると、ペットの命の軽さに驚きます。

人間に代入すると、今この日本ではありえない事が起きているようです。

議論がなされ、民間組織を支援する制度が整備されると良いのかなと思います。

また、過剰に若年なペットの映像をテレビなどで放映することを、厳格に法律で禁じるべきだと思います。
ある意味、メディアはこの国のペットに関連する諸問題の引き金を引いています。
そっちに詳しい親友の話を聞く限りでは、テレビなどでペットを取り上げること自体をやめた方が良いようにも思います。

お目汚し失礼しました。
今の世の中、生活力を教えていない親が増えているのではないかと危惧します。

僕も20代の若造ですが、最低限家事くらいできますし、料理もそこそこできます。

しかし、最近の子たちの中には、例えば料理するとき、包丁が使えていない、ピーラーが使えない、目分量ができない、脳内にレシピがない、といった子たちがいるわけです。
そんな最低限のレベルすらできない子たちが、思ったより多いんです。

お行儀だけは良くても、生活力のない子たちが増えているように思います。

家事は、生きていく上で必須のものです。

それを親として教えないのは、どういう了見なのか不思議です。
手を切らせたくないとか、そういう「失敗させたくない」という理由でやらせないのは、あまりにも無責任が過ぎます。
子供が死ぬまで、いや、孫、曾孫の代まで家事全部全員分やるのか?
無理なはず。なら、ちゃんと教えなきゃなりません。

特に家事全般は、小さい頃から教えないとダメな部類のものです。生活の基本を教えないことは、虐待に匹敵すると個人的には思います。

僕がはじめて社会人となり、いざ一人暮らしをして、男女関係なく同僚の中食の多いことにビックリしたものです。

朝昼夕、平日休日も全部外なんです。昼はさすがに中食外食が多いでしょうけど、さすがに毎日一切自分で作らない食事というのは不健康です。
親がそうしているからそうなのかもしれませんが、ちょっとひどいです。一人暮らしは金がないわけですから、そんな生活ばかりでは金がたまりませんし、風邪を引きがちになってしまいます。

今大人になり、普通に暮らしてよくわかりました。
学歴はそこそこ大事ですが、それよりは生活力が大事です。後で自分で身に付けるのは大変なんじゃないかと思います。

一時間正座できるより、40分でご飯と汁と二、三品用意できる方が余程大事と思います。
新年の挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願いします。

読者の皆様の今年一年のご多幸を心より祈念申し上げます。

さて、新年早々ですが多少愚痴らせてください。

実は先日、某有名コーヒーチェーン店に行ってきたんですが、ドリップコーヒーが不味すぎたんです。もう、不味いというワードを通り越しました。

プラスチックの味がして、飲めませんでした。
まさか味覚が狂ったのかなと思いましたが、他のコーヒー屋さんのコーヒーも家族が作るコーヒーもとても美味しいのです。

味覚が狂ったのではなく、そのコーヒーチェーンがどうやらダメっぽいようでした(以降プラコーヒーと呼びます)。

普通の喫茶店では一杯ずつ丁寧にいれてくれて、豆も選べてコーヒーはうまいです。もちろん100円か200円プラスでかかりますが。

同じコーヒー一杯でも、100円か200円の違いでここまで違うのかなと思ったわけです。

さらに、もっとガッカリだったのが、セブンなどのコンビニのコーヒーにすらそのプラコーヒーの味が劣ったというところです。いや、比べるまでもない感じでした。
まあ、たぶん人生これまで飲んだ液体の中で最悪の味がしました。何かの社会実験か罰ゲームかなという感じでした。

こんなものを買ってしまったら最後、そのプラコーヒー店の様々なアレンジは、その不味さを隠すためだったのかなと勘ぐってしまいます。

株主や経営側がてめえらの利益ばかり要求して客に泥水飲ませるような商売しているのかもしれませんが、僕にはよくわかりません。

「ちゃんとしたもの」を求めるなら、「ちゃんとした値段」を払うべきなのでしょうが、まあまあな値段がしたので、てっきりそのプラコーヒーを提供したチェーン店はまあまあちゃんとしたな味がするものだと僕は勘違いしていました。

値段イコール質というのは、もしかしたらちょっと前の時代の話になってしまっているのかもしれません。考えてみれば今の時代は、混沌の時代です。

今の時代、ちゃんとした高級品と、利益最優先で値段だけちょっと高い高額品、それなりにちゃんとした質の安物などと、様々なモノが入り交じっていて、中間の値段のモノが必ずしも質を伴わないのです。

僕はまだ若造なので、嗅覚がさほど鋭くなく、時々やられてしまいます。

ただ、一つ言えるのが、スタッフが余裕をもって仕事をしているところ、つまり人間にお金を投資しているところは、長く続いていますし、多少お値段が高くても良い仕事をしてくれるようです。

僕は、あまりお金はないですが、今年からは多少お値段がかかっても、ちゃんとしたモノやサービスにペイしようと思います。

また、満足できないなら、自分で作ることにします。

自分で作った方が、安くて確実な場合もありますし。

今回は、キッチリしっかりしたものは、それなりに値段が張るが、注意が必要という話でした。
高校生の頃、僕はありふれた日常がつまらないと思い、非日常に憧れていました。

今はそんな事思わないのですが、当時は何も考えていなかったんでしょうね。

そう、何気ないありふれた日常を支えるのが、なかなかに大変だということすら、わかっていなかったんだと思います。

毎日様々なことを決定し、実行に移す。しかも、家庭だけでなく仕事でも、また子どもの将来の希望を叶えるためにどうしたら良いかについても…。

日常の維持がいかに大変か、これはやってみないとわかりません。主婦とパート兼業の人が、いかに大変かとも思えます。

ただ、家庭で起きるぎくしゃくは、「自分だけが頑張っている」と思うからでしょう。互いの立場の不理解から喧嘩が起きるのだと思います。

だからといってただちに日常を破壊する不貞行為をして良いとはなりません。
よくニュースで大きな詐欺事件が報道されますね。

(詐欺業者にとって)うまい話も、時には新聞広告に挟まれてくるんで、著しく悪質です。

じゃあ、どうやって詐欺業者を見分ければ良いのでしょうか?

そのためにはまず、ビジネスの大まかなシステムを理解することです。

組織がどのようにして利益をあげているのか。まず、モノを売る場合ですが、モノを仕入れて売る場合は、仕入れ原価がかかります。その上に必要経費や利益などを乗せていきます(乗っかった分をまとめて粗利といいます)。

商品の需要の度合いや会社の方針などにより、粗利はずいぶん違ってきますが、日常的に消費される商品ですと、2~5割前後といったところでしょうか。

ちなみに企業によるんでしょうけど、粗利のなかに純利はあまり乗っかりません。せいぜい数%あればすごいですかね。

では、どうやって詐欺を見分けるのか。

例えば、皆さんが知らないような耳にもしたことの無い商品をリースする事業の高配当投資の勧誘チラシが入ったとします。

そこには、高配当!月6%!とか書いてあるわけです。

では、固定資産税など様々な税金も運営にかかる人件費なども支払ったとして、その高配当を月あたりで配当をたくさんの人数に行えるのか、また事業としての継続が果たして可能なのかを考えてみてください。

まず、「皆さんが知らないということ=需要がない」という事と同義と考えても良いです。

売れないくせに値段設定が安かったり、超高額だったりするところは、まずあやしいです。

そういうチラシは、まず事業は存在せず、経営者()がいいだけ儲けたあとにドロンするものだと思った方が良いです。