今になって、昔を振り返ると、面白いなあと思います。

そもそも昔の自分は、自分が嫌いでした。他人も嫌いでした。しかしモテたいと思っていました。
自分が好きではないものが、誰かから好かれるだけ好かれたいと思っていたのです。

今思えばムシのいい話です。自分は人を愛さないが、自分は愛されたいと。

また、世の中の見方もかなり片寄っていました。

そんな僕の中に流れ込んできたのは、高校3年の受験の時の現代文と古文と漢文の学習内容でした。
その時になってはじめて、「自分以外の価値観」が積み重なっていきました。
当時の国語の先生方が懇切丁寧に僕の質問に答えてくれたのが大きいと思います。
感謝しかありません。

古文は、昔の人たちが歌などにたくさんの意味を込めて贈りあうさまが、まるでファイル圧縮のようで面白いなあと思ったものです。
また、恋愛観というものも少し学べました。

漢文からは、世の中にはたくさんの人生があり、自分の考えはその中のひとつに過ぎず、いかに多くの人の考えを調停する事が大切かを学びました。

で、今の考えに至るわけです。
結局人間と人間に相性はあるので、合わないものは合いません。ですが、噛み合いきるわけもないので、多少すり減らしながらもうまく噛み合うところを探るしかありません。
もちろんそこまで力を注げる人数には限りがあるので、家族や親友など大切な人に限るべきでしょう。

ここまで来れば、不特定多数からモテたいという考え方はないと思います。

で、恋に至る過程ですが、遠回りするしかありません。がっつけば引かれますので、好きなフリーの人がいるなら、その人の力にさりげなくなるとかもしくはせめて日常的に笑顔でいることにより人相をよくするとかそういう遠回りな方法でお近づきになるのが良いと思います。
あと、努力できることと言えば、ダイエットや筋トレで身体を魅力的にすることや、何か自分に誇れる仕事か趣味の技術を複数持つことですね。

で、恋が発展したあとですが、恋とは、まあドキドキだのトキメキだのチュッチュだの抽象的な言葉で表現出来ますが、その一瞬を積み重ねずに散ればそれまで。
未来を見据えて今を積み重ね、相手のためになることを継続できる範囲でやっていくことが出来れば愛。
それらの道を共に振り返れば幸せ。

大切なのは、向き合う意志と、自ら人生を楽しむ姿勢、そして向上心。


ホント、過去にこの考えに至っていれば、また人生違ったかもしれません。
でも、多少の過去における「もしも」を考えられる隙が、酒の肴になるんですよ。

お目汚し失礼しました。