キャロル愛さずにはいられないあなた -6ページ目

(キャロル振り返り)だから再会するまでは

だから再会するまでは、出会いから別れまでの一連の出来事を何度も何度も頭と心とカラダで反芻したと思う。最初は、キャロルを憎み、次はキャロルを愛した自分を憎んだんじゃないかな。でも時間が経つに連れて仕方がなかったのかという気持ちも出てきたと思う。だって浮気とか心変わりとは違うものね。

二人の関係が長かったならまた違っていたと思うけど、出逢ってから愛し合ってから日が浅いからまだお互いに遠慮があるよね。相手にどこまで踏み込んでいいのかわからない遠慮があると思う。そしてテレーズは、自分はキャロルのことをまだ何も知らないのだと思い知ったと思う。もう負の気持ちだよね。

もうこうなると去ったキャロル以上にキャロルを愛した自分を許せないよね。愛していればいるほど相手の気持ちはもちろん自分の相手への気持ちに執着してしまうからね。再会するまでテレーズがどんだけ辛くキャロルを狂おしく思っただろうね。愛って残酷だよね。気持ちが純粋であればあるほど 残酷だ。

キャロルとテレーズの一番の違いは、守らなきゃならないものがあるかどうかの違いだと思う。テレーズは、自分とキャロル。でもキャロルは、自分とテレーズとリンディ。どう考えてもキャロルが辛い。。キャロルはテレーズに比べると幸せだった時間が多いから余計辛さも多いよね。

ほんともうどうしたらいいんだろうって感じ。でもあのままキャロルが偽りの家族ごっこを続けてもキャロルの人格が崩壊していくだけ。そして、テレーズは人格は崩壊しないけどますます自分の殻に閉じこもり他人に心を開けない人間にどんどんなっていくだろうね。もう未来も夢も希望も持てるかって感じ。ではどうやってテレーズは前を向けたのか?キャロルの愛だよね。たとえ短い間でも、あのキャロルに自分は愛されたんだという事実。この事実を胸にテレーズは生きる決心をしたんだと思う。でも、キャロルのことは許してないんだよね。許せるはずないよね。こんなにも自分を苦しめる狂おしいキャロルを。

 

(キャロル振り返り)この時期テレーズが

この時期テレーズが一番苦悩したのは、キャロルにとって自分は自分の存在は何だったのかということだと思う。キャロルにとって自分は、ただの通りすがりの相手だったのか。。

自分に自信の無い、持てないテレーズにとっては、キャロルは自分のためにも去ったのだとはなかなか思えなかったと 思う。恋愛には、多少の身勝手さと自惚れがあったほうがいいと思う。

でも内気で自分に自信の無いテレーズには、身勝手さも自惚れも無い。だから、キャロルに心の深いところで大切に思われていたとは気がつかない。

自分の魅力を信じられないから。テレーズは時間の経過とともにいい意味で開き直った部分もあるんじゃないかな。

そして、自分だけが求めても相手に求められないのならそれは仕方のないことだと思うようにもなった。

だからとにかく今は自分のできることをしようと思うようになった。とにかく生活をしなければならないからね。

(キャロル振り返り)二人が一緒に

(キャロル振り返り)二人が一緒に旅行をしてから結ばれるまで若干日数が経ってるけど、テレーズ的には旅行を承諾した時から気持ちは決まっていたと思う。それはキャロルも同じだろうね。

では、何故結ばれるまでに時間が掛かったかと言うと、キャロルからするとテレーズがあまりにも無防備だったことやもし私がテレーズならやはりアビーの存在は、怖いよね。

でもテレーズは、キャロルを知れば知るほどアビーを知れば知るほどキャロルとアビーの関係を理解できるようになるんだと思う。テレーズも一緒に戻ることはできなかったのか?

これは、二人の関係がバレてしまった以上は難しいよね。裁判になれば、当然テレーズも引っ張り出される可能性があるからね。

だからキャロルは、何としても裁判や自分の敵からテレーズを守りたかったんだと思う。まして目覚めたらアビーがいたわけだから驚きなんてものじゃないよね。

屈辱とまで感じたかもしれない。この時点では、三者三様の気持ちが乱れそれぞれが自分の気持ちが整理できない状態だったと思う。三人ともまさにどん底状態だよね。

 

はっきりと何時何時までって言えたらともかくそのうちなんていい加減なことをキャロルは言いたくなかったんだと思う。これはテレーズが若くて将来がある身だから。

すっかり自分に自信を無くし弱気になってるキャロルとしては自分がテレーズの人生の邪魔をしたくないと思ったと思うよ。子供というのは旦那とは違い、はいさよならという簡単にはいかない。

 

旦那は他人から始まり他人で終われるけど子供はそうはいかない。まして成人しているならともかく幼児だからね。この時のキャロルの辛さなんて身を切られる思いだったと思う。キャロルは、ハッピーエンドで終わっている珍しい作品と言われるけど、子供の親権を取られるという犠牲を払ってる。

 

私は、この設定に関しては原作者が子供のいない人だったからというのが大きいと思う。原作者に子供がいたらまた違う展開になっていたのではないかと。

たとえテレーズから連絡をしたとしてもキャロルの状況が変わっていなければ何の進展もないのだから。たぶん少しずつテレーズは、待つことにも諦めることにも慣れていったのかもしれない。

 

なんだかんだ言っても自分は子供には勝てないのだという思いもあったろうね。でもずっとキャロルを想っていたと思う。キャロルからの手紙を破り捨てたのは想いがあるからだよね。

テレーズの中で終わってないからだ。キャロルに逢いに行ったのは、逢いたいからはもちろん自分の気持ちを確かめたかったのだと思う。すでにテレーズの中で終わっているなら会う必要はないからね。

キャロルよりも先にアビーが

昔読んだ本に「誰でも同性を好きになる要素や可能性は多少はあり、そこにきっかけやタイミングが上手くはまることで、恋愛に発展することがある」みたいなのがあり、でもこういうのは一過性というか一時的なものだと私は思ってる。

例えば、長い人生の間に一度だけ同性を好きになった場合など。多分、キャロルよりも先にアビーがキャロルのセクに気がついていたんだと思う。だから、アビーはキャロルを諦め切れなかったんじゃないかな。

そしてまたアビーがキャロルを放っておけないのは自分にも責任があると感じているのかもしれない。テレーズは原作でも映画でも、恋愛は未経験のような感じで書かれているんだけど、多分生まれてから今まで一番愛してくれるはずの母親や家族から愛されたことがないから愛そのものや愛し方がわからないんだと思う。

人に対して無感情や無関心的なのも感情の出し方が判らないんだと思う。脱線するけど、もしキャロルが美しくなかったら、どうなってたんだろうね。

不細工とまではいかなくても普通のそこらの顔だったら。まぁ、それだったら映画そのものがないか。。テレーズが好奇心や興味本位でキャロルを好きになったとは思えない。

あそこまで一途になれるのは、たまたま相手が女性だっただけとは思えない。テレーズは、ビアンだよね。そもそも現状に満足していて幸せ一杯でいろんな意味で満ち足りている人は、恋愛ってするか?

そりゃ絶対にしないとは言い切れないし、恋はある日突然それこそ降って来たりする場合もある。でも恋って自分の奥深くで何かを求めているときに起こりやすいと思う。

何かというのは人とは限らないけど女性同士の場合、どちらかを男に見立てる人がとても多いように思う。それは第三者だったりまた相手の場合もある。例えば相手にはスカートを穿いて欲しくないとか髪を伸ばして欲しくないとかね。

相手に男っぽさや包容力を求める人は案外多いよね。もちろん逆もある。でもキャロルってそういうのはないと思う。キャロルは、テレーズに女らしさを求めてないし、テレーズもキャロルに対して男っぽさを求めてない。

ここが同性だから惹かれたのではなく、人として惹かれた相手がたまたま同性だったということかなと思う。映画に自己投影した場合、自分をテレーズ側に考えることは難しくない。

テレーズのほうがいろんな意味で身軽だから。でもキャロル側はどうだろう。ケイト様が美しすぎてなかなか自分をキャロルに置き換えることはできないけど、でもキャロルの状況や置かれている立場を考えるとキャロルの立場は辛い。

(キャロル振り返り)セクマイについて。

(キャロル振り返り)セクマイについて。

私は、専門用語も知識も詳しくはないので、実際に自分が経験したこと、感じたことしか言えないけど、まず私が知っている範囲でいうと、同性を好きな流れとして考えると

1。子供の頃から同性だけしか好きになれず異性は嫌い

2。子供の頃から同性が好きだが異性も嫌いと言うほどではない

3。異性との結婚に違和感がなく結婚して子供も生んだがある時から何故か女性が好きになった

4。既婚になってから同性が好きになり同時に異性が嫌いになった

5。既婚になってから同性が好きになったが異性も嫌いではない

キャロルを観て

旦那とは離婚調停中で子供の親権を取りたいのだから、当然子供との二人暮らしを考えている。ふと思うけど、経済的に生活できると考えていたってことだよね。キャロルのお金の使い方を考えるとどう考えても良いとこのお嬢さん育ちに思えるし、持参金とか親の遺産とかあったのかもしれない。

生きていくためには当然経済的な問題があるけど、それだけではなくて誰でも心のより所が欲しい。子供がいるのだからって意見もあるだろうけど、子供は親にすれば守らなきゃならないものであってもちろん子供からも親は守られているんだけどやはり人の心はそんな簡単じゃない。

 

キャロルは、自分の支えになるようなものを潜在的に求めていたんだと思う。それは必ずしも恋人とは限らず、友人でも文学でも趣味でも良かったかもしれない。

誰かの言葉でも良いし。。それがキャロルの場合は、テレーズと出合ってしまったんだと思う。だから空から落ちてきた天使という言い方をしたのではないかと。

 

ひたすら暗中模索していて暗くなりつつある自分の人生にひと筋の明かりを灯してくれた天使。。再び自分を未来ある人生に救い上げてくれるだろう天使。。

だからテレーズを離したくないと思った。だからキャロルとテレーズの出会いは、偶然ではなく必然だと思う。お互いが求めていたものがすっぽり一致したんだと思う。

 

もし、二人の関係が友情であれば偶然の可能性もあるけど最初からあれだけお互いの心のひだがかみ合ったのはやはり必然の出会いだよね。

もうキャロルを映画館で

もうキャロルを映画館で観ることはできなくなり、ひたすら頭の中で場面を繰り返してるけど、観た人の年齢でもかり感想は違うだうね。私の年になるともう人生の残りを意識してしまうから人様に迷惑をかけない範囲で好きなように生きたいと思うもの。

 

だから、キャロルの選んだ道はとても羨ましいね。キャロルが一番恐れたのは、自分の存在が未来ある若いテレーズの人生を邪魔してしまうんじゃないかってことだろうね。

 

テレーズがキャロルと同じような年なら二人は恋愛しなかったと思うから年齢差ってすごい大きなポイントだったんだろうね。

 

キャロルは、テレーズに自分の人生の光を見たんだと思う。

キャロルは、自分のために子供を捨てたという意見もあるけど、もちろん人それぞれ価値観は違うから自由だけど、キャロルは自分の気持ちに正直に生きることの大切さと難しさを子供に残したいと思ったんだと思う。

 

自分を助けて欲しいという安易で依存的なものならアビーでも良かったと思う。でも一緒に乗り越えていく勇気と優しさをキャロルはテレーズに感じたんじゃないかな。そして同時に自分を守ってくれる強さを感じたんだと思う。お互いに支えあい補えると直感したんだと思う。

ルーニーが雑誌のインタビューで

ルーニーが雑誌のインタビューで「テレーズがキャロルを初めて見かけたときこの人はいったいどんな人なの?という好奇心に駆られそれまで彼女のような人に出会ったことがなくキャロルは自尊心の強い独立した強い女性。大胆不敵でユーモアがあり美しい。テレーズはキャロルのすべての面に衝撃を受けた」と語ってた。

 

なんかこれってそのままケイト様とルー二ーの関係みたいに想うよ。

ケイト様、最初はルー二ーをbabyとかsweetheartとか言ってたのにそれがmissusになったのだから、まるで可愛い妹、恋人から頼れる奥さんにルー二ーがなったみたいだよね。。。

 

嬉しい・・・

ケイト様のオーラのすごさにびっくり

シンデレラ観た。ケイト様のオーラのすごさにびっくり。それに一番最初に名前が出るのケイト様なんだね。普通は、主役が出ることが多いけど。。

なんでもシンデレラが作られることになって最初に決定した配役がケイト様だったらしいね。さすがだ。。

シンデレラでのケイト様の笑い方ってすごい。。手の上げ下げや全体的な振る舞いにも嫌味感満載でほんとに役になりきる人なんだね。笑うところを見るたびに怖くてぶっくり。私が睨まれてる気がするほど。。上手いよね。。

 

ケイト様来日

 

海外の芸能情報というか仕事に対して疎い私にはわからないけれど、今回のケイト様の来日って日本で言うところの営業みたいなものなのかな。。

だとしたら、ヴィトンってすごいんだね。セレモニーだけでケイト様を呼ぶんだから。

 

確か、ケイト様の来日は今年の一月のキャロルの宣伝が3回目で、今までの二回は、アルマーニとSKⅡだったと思う。。ケイト様は、日本には来ないと見られていたらしいから一年に二回ってすごいよね。嬉しい限りだけど。

でも確か、雑誌で読んだと思うけど、昔は女優とブランドって提携が先にあって女優が着るというのがパターンだったのに、ケイト様がアルマーニが好きで良く着ていてそこから提携の話になって、それからは他の女優もケイト様のやり方を真似するようになったと書かれてあったよ。

めざましアクアの動画でケイト様は、何度も写真撮影を要求されて下がりかけてまた戻る様子が出ていた。嫌な顔一つせずケイト様ってプロだよね。

 

スッキリでやっと観れた。木村佳乃ちゃんケイト様に「キャロル観ました。あなたの大ファンなんです。ほんとにファンなんです。いつ日本に来られたんですか?」とかいろいろ会話してた。

 

ケイト様、嬉しそうな笑顔で良かった。ケイト様は、いつでもどこでも素敵だけれど、程度の低い質問をされて「けっ」みたいな顔した時やカメラで足元からなめるように失礼な撮り方をされた時の「ふん」みたいな顔が特に好きだ。とても顔に出る正直でいつも一生懸命な顔が好き。