ケイト様について
ケイトのサイトを貰った人のコメント サインは右手で書いてくださいますが、笑顔で対応していただいても、ちょっと怖いのは、どうしてでしょうか?(笑)
オーラが物凄いです!大女優の見本のようですよ!
ケイト様クラスになると当然相手役の希望とかもできるんだろうね。
ケイト様は、ルー二ーと共演が決まったときに、それまでにルー二ーの作品とか観ていただろうし。でもケイト様とルー二ーはキャリアも年齢差もあるから、当然ケイト様は自分がリードしなきゃみたいなものはあったと思う。
ケイト様のすごいとこは、インタビュアーの顔について毛を取ってあげるとことか後輩の女優のドレスをさりげなく直してあげるとこ。
普通大女優は、そんなことしないよね。
ケイト様は、作品を選ぶときにキャリアになるかどうかではなく直感で選ぶと言ってたけど、もしキャロルを選ばなかったらこの作品で出会えてなかったと思うとキャロルを選んでくれたケイト様に深く感謝だよ。
ケイト様とルー二ーだからこんなに優れた作品で出来上がったんだから、女優の力、それも才能溢れた女優の力ってすごいね。
キャロルのこと
キャロルは、男性と女性の感想でも大きく違って当然だと思うし、年代や女性でも未婚か既婚かでも違うだろうね。そんな風に考えるとケイト様が言うように、「すべての人たちが共感できるとは思ってないわ」というのは諦めとかではなくて深いよね。
人それぞれ価値観も考え方も違うから同じ感想を持つほうが珍しいかも。。キャロルがテレーズに惹かれた理由の一つに年齢差があると感想を書いている人がいた。。
テレーズがキャロルの母性を刺激したのではないかと。。判らなくもないけど、その一方で子供を手放すのだから、私はキャロルはテレーズには母性よりも一緒に人生を歩いていけるパートナーを見たと思うな。でもキャロルが好きだから完全にさよならできないし。。
でもキャロルにテレーズができた時点で。。アビー辛いよね。自分の片思いだけでも辛いのに、好きな人に好きな人ができるってほんと辛い。。
テレーズの弱いとこは、持ってないものを持ちたいと思ったとこから始まるのかもしれない。でも、それはキャロルも同じで、キャロルはキャロルで自分以外との人生をテレーズが捨てたと考えればテレーズもまた平凡な普通の生活を捨てたわけだからそういう意味では二人は同じなんだよね。
でもこれからのことを考えると今度は立場が逆になるというか、キャロルはもう結婚もしたくないだろうし、子供も持つことを考えないと思う。でも結婚も子供を持つことも経験してないテレーズをキャロルがこれからは不安になるというか、いつか男の人と結婚したいと思う日が来るんじゃないかとか子供を持ちたいと思う日が来るんじゃないかとかキャロルは不安に思うこともあるだろうな。テレーズのように失うものがほとんどない人は失う怖さはないよね。でも失う怖さがないことがイコール強みではないと思う。ただ持ってないだけだから。
キャロルとケイト様
ケイト様は、もともと原作者のファンだったらしいけど、映画化を望んだのは当然「自分ならキャロルができる」と感じたからで、これってすごいわ。
ケイト様は、インタビューでもし自分がキャロルならやはり自分の気持ちに正直に生きたいと答えていたけどね。きっとものすごく考えたと思うもの。
だからこそ偏見で見て欲しくないという気持ちが強いんだろうね。
映画も原作も真実は一つだろうけど、観る人間、読む人間によって現実、つまり受け方がいろいろってことだよね。
最後はテレーゼとキャロルの立場が逆転したって感想もあるけど、私的にはそんなこと二人は気にしてないと思うけどね。もうそんなのを超えていると思うもの。
キャロルが「来なくても理解する」と書いたのは、自分のためではなくテレーズに対する思いやりだと思うけどね。
でもそれは、テレーズも同じだと思う。テレーズもキャロルを守りたいと思ったんだよ。キャロルの原作を読んだ時、作者が未来に向けてずっとこの小説を読むであろうリアルのキャロルやテレーズの幸せを願って書いたものと思ったけど、今は未来に出会うであろうケイト様とルーニーに向けて書いたのだと信じたい。
キャロルで二人が3ヶ月振りで再会した時に、テレーズが初めて愛する人に「NO」というけど、あれは「今までの二人の関係は終わり」ってことをキャロルにというより自分に言いたかったんだろうね。
だって完全なる終わりなら手紙1本で別れを告げればいいんだもの。逢う必要ないものね。そんな風にいろいろ考えると恋愛映画じゃなくて人間の生き方の映画だね。
だから二人の間では、以前の関係を1度きちんと二人の納得の上で終わらせる必要があったってことだね。
つまり二人は、潜在意識の中では一度も離れ離れにはなってなくて、ずっと心は繋がっていたってこことだね。ただそれをどうやって表面化するかってことが求められたわけだけど「NO」はこれからの二人に対するお互いの思いやりと愛の証だったわけだ。
再会の時の「NO」はテレーズの心の強さの表れで、これからはキャロルを守って行くんだというのがわかるし、わざわざテレーズに「NO」と言わせるようなことを言ったキャロルには包容力が感じられるから、キャロルはこれからもテレーズを優しく包んでいくのがわかるよね。
キャロルについて
誰かのツイートで女性同士の恋愛ものと知らなくて見た人が憤慨してたとか。
番宣で女性同士の恋愛ものと紹介しないのはおかしいという意見もかなりあったらしいけど、これはたぶんいろんな人に観て欲しいから先入観を持ってみて欲しくないからだとも思うけど、難しいとこだろうね。
同性愛ものってラストが悲しいものが多いらしいけど、何故キャロルがそうならなかったかというと、一つは作者の希望であり、もう一つは作品をこれから先も読むであろう未来の同性愛者にエールを送りたかったのかな。
小説や映画に対して、もしこうだったらなんて考えるのはナンセンスなのはわかってるけど何故、キャロルの設定を離婚調停中にしたんだろうか。
ケイト様は、インタビューでもし自分がキャロルならやはり自分の気持ちに正直に生きたいと答えていたけどね。きっとものすごく考えたと思うもの。
いまさらながら自分の気持ちに正直に生きることがどれだけ大変かってことだよね。




