キャロルよりも先にアビーが | キャロル愛さずにはいられないあなた

キャロルよりも先にアビーが

昔読んだ本に「誰でも同性を好きになる要素や可能性は多少はあり、そこにきっかけやタイミングが上手くはまることで、恋愛に発展することがある」みたいなのがあり、でもこういうのは一過性というか一時的なものだと私は思ってる。

例えば、長い人生の間に一度だけ同性を好きになった場合など。多分、キャロルよりも先にアビーがキャロルのセクに気がついていたんだと思う。だから、アビーはキャロルを諦め切れなかったんじゃないかな。

そしてまたアビーがキャロルを放っておけないのは自分にも責任があると感じているのかもしれない。テレーズは原作でも映画でも、恋愛は未経験のような感じで書かれているんだけど、多分生まれてから今まで一番愛してくれるはずの母親や家族から愛されたことがないから愛そのものや愛し方がわからないんだと思う。

人に対して無感情や無関心的なのも感情の出し方が判らないんだと思う。脱線するけど、もしキャロルが美しくなかったら、どうなってたんだろうね。

不細工とまではいかなくても普通のそこらの顔だったら。まぁ、それだったら映画そのものがないか。。テレーズが好奇心や興味本位でキャロルを好きになったとは思えない。

あそこまで一途になれるのは、たまたま相手が女性だっただけとは思えない。テレーズは、ビアンだよね。そもそも現状に満足していて幸せ一杯でいろんな意味で満ち足りている人は、恋愛ってするか?

そりゃ絶対にしないとは言い切れないし、恋はある日突然それこそ降って来たりする場合もある。でも恋って自分の奥深くで何かを求めているときに起こりやすいと思う。

何かというのは人とは限らないけど女性同士の場合、どちらかを男に見立てる人がとても多いように思う。それは第三者だったりまた相手の場合もある。例えば相手にはスカートを穿いて欲しくないとか髪を伸ばして欲しくないとかね。

相手に男っぽさや包容力を求める人は案外多いよね。もちろん逆もある。でもキャロルってそういうのはないと思う。キャロルは、テレーズに女らしさを求めてないし、テレーズもキャロルに対して男っぽさを求めてない。

ここが同性だから惹かれたのではなく、人として惹かれた相手がたまたま同性だったということかなと思う。映画に自己投影した場合、自分をテレーズ側に考えることは難しくない。

テレーズのほうがいろんな意味で身軽だから。でもキャロル側はどうだろう。ケイト様が美しすぎてなかなか自分をキャロルに置き換えることはできないけど、でもキャロルの状況や置かれている立場を考えるとキャロルの立場は辛い。