対照的な2つのチーム ~ベンチで見えた“声かけ”の力
こんばんは。
プレイフルコーチの
ヤディです。
◆中学サッカー大会でのワンシーン
先日、
中学生のサッカー大会で、
印象的な2つのチームに出会いました。
試合はワンサイドゲーム。
最初の得点はあっけなく入り、
そこから気づけば0‐5。
ハーフタイムのベンチ風景が、
両チームの違いを鮮明に映し出していました。
◆勝っているチームの“主体性”
勝っているチームのベンチは、
選手同士が積極的に言葉を交わし合い、
「誰がどう動く?」
と自分たちで作戦を練っています。
監督やコーチは、
必要なときに補足するだけ。
まさに主体性を感じる
チームづくりができていました。
◆負けているチームの“指示待ち”
一方、負けているチームのベンチでは…
「おい!お前らのための大会だろ!」
「昨日やったことをやれよ!」
コーチングスタッフの苛立ちが隠せません。
選手たちは声も出さず、
ただ頷くだけ。
試合に出ていないメンバーは
退屈そうに座っています。
後半が始まっても、
差は広がるばかり。
コーチの声は次第に悲壮感を帯び、
選手たちも悔しさを
感じている様子はなく、
淡々と終わりを待っているようでした。
◆“声かけ”が生むチームの空気
気になったのは、
2つの声かけ。
1つ目は、
「お前らの大会だろ!」
確かにその通り。
でも、
その先が見えない。ー
コーチの「勝ちたい」
という思いが先行し、
選手の気持ちと
ベクトルが合っていない
ように感じました。
2つ目は
「昨日やったことをやればいいんだよ」
昨日の練習と同じ状況が
試合で訪れることは稀。
選手たちは戸惑い、困惑し、
指示待ちでその場を
やり過ごすしかなくなっていく…。
こうして、サッカーは好きでも
「チームは好きじゃない」
と感じる子が生まれ、
純粋な“やりたい”
という気持ちが削がれていくのです。
◆指導者の影響力とコミュニケーション
指導者の影響力は本当に大きい。
「俺の言う通りやれば勝てる」
と振りかざすだけでは、
選手のモチベーションも、
チームの一体感も生まれません。
スポーツは、
勝ち負けだけでなく、
人間的な成長や
学校では学べない体験を重ねる場。
その素晴らしさを
伝えるのが指導者の役割です。
◆明るい未来をつくる“声かけ”を
指導者と子供(選手)のコミュニケーションは
明るい未来をつくる架け橋になる――
私はそう信じています。
皆さんも、
どんな“声かけ”が
子どもたちのやる気や
成長につながるのか、
ぜひ一度、
現場で見直してみてください。
プレイフルコーチ ヤディ
スポーツと教育のブレイクダウン~指導のポイントを考える~
小学校に体育の出張授業に
行くことがあります。
種目はタグラグビーだったり、
オリジナルスポーツの
リングビーだったり。
都内の小学校に
出張授業に行った時のお話です。
事前の打ち合わせの時に
「私の授業は教えないんですよ」
と言うと、
担任の先生は、
キョトン・・・・。
「え?教えないんですか?」
しばし沈黙・・・・。
「教えないってどうやって・・・?」
私は“教えない”という
意味について伝えました。
すると・・・
「なるほど!!」という納得の表情。
未だにその先生の表情は
忘れられません。
学校教育に携わる
教員、すなわち先生たちに
とって、“教えない”は
職場放棄を
意味するのかもしれません。
ティーチャーは
ティーチングが仕事。
そう言うと当たり前のように
聞こえてきます。
でも、体育の指導に関して言えば
本当にそうなのか?
と疑問を持つことができそうです。
別の小学校では、
担任の先生以外に
体育の補助教員がいて
完璧にサポートしています。
この先生たちが何ともスパルタで。笑
子どもたちよりもパワフルな感じ。
指導要領というフレームに
きっちりはまって、はみ出すことなく
授業を進めていきます。
では、実際に担任の先生たちは
どうか?
というと、これは本当に様々です。
我々外部の講師が来ると
授業にすら顔を出してこない
先生もいます。
また、
熱心に質問をしながら
学びをしている先生もいます。
自分が生徒のように張り切って
ゲームに参加する先生も。
これに関しては本当に様々です。
ただ、一貫して言えるのは
「知るとすぐに教えたがる」
ということです。
先生のティーチング癖は
職業病ですね。笑
教えて何がいけないの?
そんな疑問が
聞こえてきますが、
教えるのがいけないわけでは
ありません。
指導者ですから
教える場面はあるんです。
一言で言うと、
教えると教えないの使い分け。
といったところでしょうか。
日本の体育の授業は
運動会や部活動に直結
しているような面があります。
それはスポーツと教育が
密接な関係性であることを
示しています。
世界に目を向けると
もっと遊び心のある
コンセプトを耳にします。
例えば興味や能力によって
選択できる。
健康教育が組み込まれている。
そして、学校外との連携もあるようです。
スポーツの本来持つ魅力。
遊び心や、気晴らしといった
意味。
それが体育教育となった途端
切り離されてしまう。
スポーツを教育と捉えるか?
それとも教育に縛られない
非日常の体験と捉えるか?
ブレイクダウンの攻防は
果てなく続くような気がしています。
指導者の教えると教えないの
二刀流を身に着けると
その答えも
見えてくるかもしれませんね。
私自身は体育という授業の
あり方を根本から見直して
体育とスポーツという
カテゴリに分けると
もっと明確な役割分担が
できるのかなと
感じています。
皆さんは
どう感じているでしょうか?
スポーツと教育のブレイクダウンは
部活動にもつながっています。
プレイフルコーチ ヤディ
“学び”としてのスポーツ ~体育の現場から見えたもの
◆100年変わらぬ小学校体育の現場へ
私は時々、
小学校の体育に
“出張授業”でお邪魔しています。
バスケやサッカー、
マット運動に跳び箱、
鉄棒や縄跳び…
いろんな種目がある中で、
私が担当するのは
ちょっと変わった“ゲーム”です。
1つ目は「リングビー」
という道具を使った
「スローランゲーム」。
日本リングビー協会が開発した、
誰でも楽しめるオリジナル競技です。
ルールはシンプル、
運動量もたっぷり。
投げる・取る・走る――
誰でも得点できる、
みんなが主役になれるゲームです。
◆親子で盛り上がる“体育の授業”
この「スローランゲーム」、
親子のコミュニケーションにもぴったり。
公開授業でやると、
親御さんも子供も一緒に大盛り上がり!
高学年になると
子どもの方が体力があったりして、
「お母さんがんばって!」
「お父さんもっと早く!」
なんて声が飛び交います(笑)。
体育の授業で親子が一緒に楽しむ――
これだけで、
体育が“学び”としても
“思い出”としても特別なものになります。
◆もう一つの挑戦、「タグラグビー」
もう一つは「タグラグビー」。
2008年に学校授業に登場した
新しい種目で、
私も「タグティーチャー」として
都内の小学校で授業をしています。
NPO法人スポコレや
中央区ラグビーフットボール協会と連携し、
3~6時間のプログラムを組み立て、
子どもたちと深く関わります。
◆“体育が苦手”な子も楽しめる工夫
体育の授業には、
運動が得意な子もいれば、
苦手で消極的な子もいます。
「タグラグビー」は
運動能力の差が出にくい競技。
ボールを取ったり、
パスしたり、タグを取ったり――
いろんな役割があるので、
誰もが授業に参加できるのが魅力です。
外部講師として、
私は“ファシリテーター”の立場で、
子どもたちに主体的に関わり、
非言語コミュニケーションも
駆使して距離を縮めます。
気づけば2時間目には
「ヤディ!!」と
呼ばれるようになり、
子どもたちはどんどん上達し、
楽しさが増していきます。
◆“楽しい”から生まれる主体性とチームワーク
楽しくなれば、
自分たちで作戦を考え始める。
全員がボールに触れる
オリジナルルールを加えると、
さらに盛り上がります。
主体性やチームワーク、
リーダーシップも
自然と身についていくのです。
体育は、
運動能力の高い子だけが
楽しむものではありません。
「スローランゲーム」や
「タグラグビー」は、
子どもたち全員が
“楽しい”を感じながら、
スポーツの本質を学べる授業です。
◆スポーツで築く
親子と子どものコミュニケーション
スポーツを通して、
理屈抜きで
心が通じ合う瞬間が生まれます。
これこそが、
スポーツのゴールだと
考えています。
そして、
ここには大人と子どものコミュニケーションの
ヒントが隠されています。
スポーツは「教える」
だけでなく、
「一緒にやる」こともできる。
身体を使って、
共に楽しむことで、
親子の絆や信頼も深まります。
ぜひ、皆さんもお子さんと
”一緒にスポーツをやってみる”という
体験をしてみてください。
そこにきっと、
新しい発見と学びがあるはずです。
プレイフルコーチ ヤディ