選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己) -3ページ目

八所さんの息子さん?という呪縛。

こんばんは。
プレイフルコーチの
ヤディです。

私が社会に出たのは1992年。
就職活動もせず、大学を卒業した私。
世の中を甘く見ていました。苦笑。

コピーライター志望を掲げて
秋から学校に通うと決めて
その資金稼ぎにアルバイトを始めました。

都内にあるグラフィックデザインの
制作会社。

何かしらコピーに関連付けていたつもりでした。
でも、ここでの仕事はもっぱら原稿を届ける
トラフィック業務。

暇なアルバイト。

コピーライターになりたい!
そんな気持ちはあったものの
実際は全くそれらしき勉強も環境も
意欲もなかったように思います。

コピーライターは
学校に通わなければなれない。
そんな前提がありました。

秋から開講するコピーライター養成講座に
通うための資金稼ぎだったのです。

本格的に勉強するのは学校に通い始めてから。
そんな甘い考えもありました。

学校に通う➡勉強する➡コピーライターになれる。
そんな思い込みがあったようです。

夢を語って現実は何もせず。
典型的な何も成果を出せないパターン。

そんな毎日に、父親が黙っていませんでした。

でも、父親は怒ることはしなかった。

「コピーを書く仕事ができる
会社があるけど行くか?」

そんな投げかけでした。
私は「うそ!!」と思いましたが、

父親の言うことは聞くという幼少期の習性が
未だ残っており、
その会社に行くことにしました。
父の強力なコネクション。

後にカリスマ美容師で騒がれる
美容業界で、美容室やメーカー相手に
イベントを実施する会社でした。

社長以下6名。
初日から「八所」の洗礼を受けます。

名刺を差し出すと
「ん?八所?聞いたことあるな」
と相手方。

すると上司はすかさず
「息子さんなんですよ」

「やっぱりそうなんだ。
お父さんにはいつもお世話になっています。」

どこにいってもお決まりのやり取りが
展開されるのです。
父親の業界での有名さは尊敬に値しますが、
息子扱いは嫌でしたね。

意識しなければよいのですが、
どうしても「八所」の看板がのしかかっている。
そんな日々でした。

同じ業界でも父親は出版、私はイベント。
会うことはほとんどありませんでした。
なのに、この居ずらい感じ。
結局9か月で退社するという結果に。

親は子供を心配します。
何とかしてあげたいと思うものです。

幼少期のスポーツしかり
進学しかり、就職しかり。

でも、子供は大人の意思とは違うベクトルを
持っていることがあります。

そして、それを言うことができぬまま
従うという傾向もあるような気がします。

自分で考えて自分で決める。
それからは、
全く違う世界を自分で決めて
自分の足で歩くというカタチを選択しました。

父はそれに関して何も言いませんでした。

スポーツ界でもよくありますよね?
二世選手。うまくいかずに早めに引退する。

子供にとって父親や母親の存在は特別です。
そして、子供は目に見えないプレッシャーが
かかっているんです。
無意識は知っています。

親子の関係は切っても切り離せない。
とてつもない強い結びつきがあるのです。

だからこそ、
一度関係性が崩れるとなかなか
修復が難しい。

幼少期の関係性創りが
大切なんだと思います。

今まで過干渉で関わっていて
急に突き放すとか、
その逆で、
今まで放任しておいて
急に口を出したりとか。

そういう転換は子供には
通用しないんです。

私の場合は、結果父親のフィールドで
仕事をしたくないと思ってしまった。

それはなぜなのか?
父親のレールはありがたかったが
長続きはしないという答えを無意識に
知っていたんだと思います。

でも、
指示待ちにならなかったのは
レールは引くがその上は自走しなさい。
引かれたレールの上では主体行動。
目的志向で動いていたように思います。

皆さんはどのような親子関係を
築いてきましたか?

また、親となった今は、
お子さんとどのように接していますか?

子供が与えられた枠組を信じてしまって
そこから前提を作っているとするなら
それは親が子供の可能性を
狭めてしまっているのかもしれませんね。

こうあるべきを捨てる勇気も大切かもしれません。

子供は与えられた枠組みを信じて、
その枠組みの中で考えることを覚えます。

親の「こうあるべき」は、多大に影響を与え、
それが狭ければ狭いほど
子供も狭い枠組の中でしか考えることが
できなくなる。

そんな傾向があるようです。
当たり前のように学校の勉強をする。

受験をする。
いい学校に入る。

そんな枠組みを与えたら
視野はその中にしかなくなる場合があります。

スポーツにも同じことが言えます。
野球をやらせる。バスケをやらせる。

そういう枠組みを作ってしまったら
他の選択肢は失われていくのです。

受け入れる方も同じかもしれません。
塾やスポーツチーム。
どちらも狭い枠組みで受け入れる。

ひたすらスパルタで勉強を教え、
難関校に合格させることを使命とする。

スポーツなら一つの競技をとにかく極める。
他の競技は見ないやらないやらせない。

大人はいつしか無自覚に
子供の可能性を奪っているかもしれませんね。

子供の可能性について、
振り返る機会があるといいですよね?
自分たちはよかれと思っていても
そうではないかもしれない。

そして、自分たちが引いたレールに
子供がうまく乗らない場合に

ついつい大きな声を出してしまったり、
ついつい縛り付けてしまったり
してしまうのかもしれません。

どうやって子供と本当の信頼関係を築けるのか?
親子のコミュニケーションを楽しむことができれば
スポーツも勉強も納得するカタチが
見えてくるんじゃないでしょうか?

プレイフルコーチ ヤディ
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スポーツのナショナリズムからスポーツと社会を関連付ける

こんばんは。
プレイフルコーチの
ヤディです。

2025年7月5日
ラグビー日本代表が、
ウェールズ代表から勝利。

30度を超える気温の中
2013年以来の2勝目を上げました。
成果を出すことは重要です。

2年目のエディジョーンズジャパンは
成果を出しました。

大きな弾みとなることは間違いありません。
国の代表としてどのように闘うか?
これからも尽きない課題ですが、
JAPANが強くなることで
その競技のステータスも変わります。

世界ランキング12位のウェールズと13位のJAPAN。
ナショナリズムを高揚させる戦いだったなと実感します。

ただ、JAPANのゴールはもっと先にある。
そのためにここからチームはどう変化するのか?
それが楽しみでもあります。

時は同じ頃、
ニュージーランドのダニーデン地方。
気温は7度。吐く息も白い中

世界ランキング
2位のオールブラックスと
4位のフランスが
対戦しました。

オールブラックスは3連敗中。
フランスはノンキャップ5人を投入し、

若手中心のメンバー構成。
これに対しニュージーランド国内では、

「敬意の欠如」。と評されました。
フランス代表のガルシエヘッドコーチは

優しく反論した。
過密スケジュールによる
選手の疲労を考えての人選。

選ばれた選手を信頼しベストパフォーマンスで
臨むと発言した。

NZのスコットロバートソンは
フランス劣勢と報じるメディアに対して

「そんなことを言える権利はない」
とあくまでフランスは強いチームだと
はっきりと言った。

よみがえるのは1999年。
第4回ワールドカップの準決勝を思い出します。

史上最強と言われたNZオールブラックスが
フランスに31‐43で敗れるという
波乱がおきました。

準決勝の4か月前、54‐7と大勝した相手。
前半も14点のリードで折り返した。
オールブラックスは油断したのかもしれない。

後半に入るとフランスのキック攻撃に
楕円球が味方をした。

後半だけで33点を取ったフランスが
逆転で決勝進出を決めた。

噂によると、試合前に決勝の日のスケジュールを
配っていたとも言われている。

完全に足元を救われたゲームだった。
自信と過信は紙一重。
これが蘇る。
いつも万全な準備と適度な緊張感が必要だと
思い知らされる試合だった。

今回もフランス劣勢。1999年と同じだ。
ワールドカップの準決勝とテストマッチは
状況は違うが、
国のナショナリズムをかけて戦う
試合には違いない。

総キャップ数(代表の公式戦に出場した選手の回数)
でいけば、858と322。

経験値は圧倒的に違う。

でも、フランスは大健闘。
総キャップ数など意味はないのかもしれない。
終わってみれば27‐31の4点差。
オールブラックスは、
ビデオ判定(TMO)によって3回のトライキャンセル。
不運に見舞われたが、勝ちを引き寄せた。

ベテランのボーデンバレットやウィルジョーダンが
再三再四チャンスを作り、ピンチをしのいだ。
やはりキャップ数は少し関係あるのかもしれない。笑

勝者はオールブラックス。

国の代表戦というものは
こういうものなのだ。

プライドをかけて戦う。
負けるわけにはいかない。

オールブラックスは、
ハカに「ガパオパンゴ」を選んだ。
本当に大切な試合にやる「ガパオパンゴ」

4連敗は許されない。
薄氷を踏むような試合。
4点差にどんな意味を持つのか?

国の代表として戦うことの尊さを、
チームとしての成熟度を。

一般社会でも日々行われている
チームビルディング。

こうしたラグビーのナショナルチームの
「それ」を参考にすることは
できるかもしれませんね。

どのようにしてチームは作られるのか?
現代のリーダー像やメンバーのポテンシャル。
そして、進むべき方向。

とても興味深いものであります。

そして、再びエディジャパン!
内容で言えば、
スクラムの安定とラインアウトディフェンスが
相手を上回った。
サインプレーからトライも生まれた。

国の代表として、
選手たちが体を張っている姿は美しいと思いました。

プロップの竹内選手がスクラムを組む前の動作。
あのルーティンにはどんな意味があるのか?
ちょっと気になりました。

ここから進むべき方向はどこなのか?

ラグビーという競技を通じて
日本の社会にもたらす影響はどの程度あるのか?

どうしても結びつけたくなる感情があります。
それは明確な役割と個性の重要性。
強みを最大限に活かすコンテンツ。

ここにラグビーの魅力は詰まっています。
そして、スポーツは幅広く人の心を揺さぶるのです。

JAPAN対ウェールズ。
オールブラックス対フランス。

どちらも第2戦にどんなドラマが
繰り広げられるか?
想定を超えてほしいと願います。

プレイフルコーチ ヤディ

スポーツの枠を越えて マルチな経験が未来を創る

こんばんは。
プレイフルコーチの
ヤディです。

私は幼少期、
たくさんのスポーツをやってきました。

3歳でスキー、4歳から体操と水泳。
9歳からヨット、11歳から野球。

父親がすべて決めました。
私には意思はなかった。

中でも
ヨットは苦痛だった記憶があります。

ヨットは嫌でしたね。
なぜか?

毎週日曜日の朝、江の島まで行く。
父親の運転で連れて行ってもらいます。

当時車酔いがひどくて
ヘビースモーカーの父親の車で
毎週酔っていました。

気分が悪いまま到着。
そこで厳しい先輩たちに
怒られながら準備します。

この時間がとても苦痛でした。
さらに、1人用のヨットに乗っていたのですが、
とても孤独な時間を過ごしていたんです。

風がない日は進まないので、本当に嫌になる。
風があるとスピードが出るので怖い。
風をつかむセンスもなかったようで、
常に後ろの方を走っていました。

セーリングがうまい子たちと
仲良くなれず、
東京から来ている子も少なかったので、
アウェイ感満載でした。

一度だけ諏訪湖の
ヨットレースに出たことがあって、
真ん中より少し前の11位でフィニッシュ。

すごく良くもなくダメでもなく。
満足感は全くありませんでした。

やらされている&厳しい&仲間ができない。
これじゃ楽しいわけないですよね。

それでも小学校3年から中学3年までは続けました。
本来は高校3年まであるのですが、
ラグビーを始めたきっかけで途中退部しました。

子供の頃は親が決めたスポーツをやることが
多いと思います。

親はそのスポーツに魅力を感じて
やらせるのでしょう。

でも、それが必ずしも
子供とマッチするとは限りません。

子供は本当に楽しんでいるか?
ということを見てあげることは
大切だなと思います。

私の場合は次男ということもあり、
兄がやっていたスポーツを
必然的にやるという流れでした。

そうなると兄と比較されるのが
また嫌な瞬間でした。

それでもやめなかったのは
純粋にスポーツは好きだった。
そして、
義務感からだと思っています。

スキーは20歳くらいまでやりました。
ヨットは中学3年生。
体操と野球は小学校を卒業と同時に辞めています。

その後中学ではソフトテニスをやるんですが、
それも父と兄の影響でした。

ソフトテニスも嫌いではありませんでしたが、
やっぱり3年生になった頃は飽きていました。

自分で決めたわけではなかったので
思い入れが足りなかったのかもしれない。

他のスポーツも
楽しいとは感じていたが、
長く続けるというイメージはなかった。

高校生になったらソフトテニス以外のスポーツを
やろうと決めていました。

そして、ラグビーを選択。
初めて自分で決めた競技でした。

言うまでもない。
見事にハマりました。

それでも父親には感謝しています。
たくさんのスポーツを
やらせてもらえたということ。

これは貴重な体験でした。
身体を動かす楽しさを実感できたと思います。
そして、スポーツの楽しみ方を
覚えたような気がしています。

私が中学までのスポーツで学んだことは2つです。
1つ目は、身体の動かし方の豊かさ。
2つ目は、継続と責任です。

競技を絞らずにマルチにやってきたことで、
いろんな動きを無意識に習得しました。

そして、いろんなスポーツを同時にやる
継続することの素晴らしさも知りました。

遊び感覚でやる体操やスキー。
ガチで真剣勝負のヨット。
その中間の野球。

それぞれの経験が後の自分の経験に
活かされていると思っています。

そして、中学でテニス部の主将をやったことで、
責任を知りました。

スポーツにたくさんのことを教えられました。
父がどんな思いでスポーツをやらせてきたのかは
もう今は聞くことができませんが、
マルチスポーツの経験は今の人間形成に
活かされていると思います。

スポーツの環境としては恵まれていて、
スポーツは遊びの一環だという意識。

複数のスポーツを同時にやることで
子供は学ぶことが一気に増えるんじゃいかなって。

そして、自分で決めてやることがベストです。

マルチスポーツは、
スポーツの視点を変えます。

もし、今一つの競技に息詰まっているとしたら、
もう一つ、別の競技をやってみるという選択も
良いかもしれません。

プレイフルコーチ ヤディ