【序章から喚起的】メタ・スポーツマインド_009 | 選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己)

【序章から喚起的】メタ・スポーツマインド_009

先日、改めてラグビーの価値について考える機会があった。自分の人生を振り返ってみると、意外なことにラグビーという競技がいかに人生に影響を与えているかということに気づかされた。日本において、メジャースポーツと言えば野球とサッカーである。その人口は野球が約270万人、サッカーが約310万人。ラグビーは約10万人。その差は大きい。そして、ラグビー界は閉鎖的である。内側の絆は素晴らしいものがあるが、こと外側にめっぽう弱い。さらに、それでよしとしている風潮すらある。別に知っている人たちだけで盛り上がれば良いのだという感覚も多分にある。そんな中、「ラグビーの価値」を問われて、その発信先を「ラグビー無関係者」と位置付けたときに、一体どんなことが起きるだろうか?領域を侵されたくないと思う人や、話すのは無理。理解が得られないという思いもある。一方で、無意識は活動的になる。「ラグビーの価値」はなんだろう?と動き出したらもう止まらない。人それぞれアウトプットしたくなるものだ。ラグビーはキックオフから喚起的に場面が動く。その神秘的な空気は、感情を揺れ動かすのには十分だ。あっという間にドラマに引き込まれていく。これがラグビーのエヴォカティブな部分とも言える。そこに何が起きているのか?試合前のロッカールームで何かが起きている。グランドに出る時にはすでにストーリーは序章が始まっているのだ。だから喚起的になる。その姿はあのラグビーの起源と言われるラグビー校の少年たちのようである。その歓びこそラグビーの価値である。
楕円球という不規則なボールを蹴る、投げる、持って走る、そして持ってぶつかる。そんなたくさんの選択肢を本能で捌きながら敵の陣地を目指す。一つ一つの判断が、ゲームを左右する。誰かの判断に非言語で反応しながら答えを待つ。答えは出ないことの方が多い。それもまたラグビーの価値である。ゲームをしながら無意識を活性化。それを喚起的に表現していく。ドラマティックに生きる人の人生と同じようなストーリーがある。もっと掘り下げて、その先へと進んでみたい。