選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己) -6ページ目

スポーツの枠を越えて マルチな経験が未来を創る

こんばんは。
プレイフルコーチの
ヤディです。

私は幼少期、
たくさんのスポーツをやってきました。

3歳でスキー、4歳から体操と水泳。
9歳からヨット、11歳から野球。

父親がすべて決めました。
私には意思はなかった。

中でも
ヨットは苦痛だった記憶があります。

ヨットは嫌でしたね。
なぜか?

毎週日曜日の朝、江の島まで行く。
父親の運転で連れて行ってもらいます。

当時車酔いがひどくて
ヘビースモーカーの父親の車で
毎週酔っていました。

気分が悪いまま到着。
そこで厳しい先輩たちに
怒られながら準備します。

この時間がとても苦痛でした。
さらに、1人用のヨットに乗っていたのですが、
とても孤独な時間を過ごしていたんです。

風がない日は進まないので、本当に嫌になる。
風があるとスピードが出るので怖い。
風をつかむセンスもなかったようで、
常に後ろの方を走っていました。

セーリングがうまい子たちと
仲良くなれず、
東京から来ている子も少なかったので、
アウェイ感満載でした。

一度だけ諏訪湖の
ヨットレースに出たことがあって、
真ん中より少し前の11位でフィニッシュ。

すごく良くもなくダメでもなく。
満足感は全くありませんでした。

やらされている&厳しい&仲間ができない。
これじゃ楽しいわけないですよね。

それでも小学校3年から中学3年までは続けました。
本来は高校3年まであるのですが、
ラグビーを始めたきっかけで途中退部しました。

子供の頃は親が決めたスポーツをやることが
多いと思います。

親はそのスポーツに魅力を感じて
やらせるのでしょう。

でも、それが必ずしも
子供とマッチするとは限りません。

子供は本当に楽しんでいるか?
ということを見てあげることは
大切だなと思います。

私の場合は次男ということもあり、
兄がやっていたスポーツを
必然的にやるという流れでした。

そうなると兄と比較されるのが
また嫌な瞬間でした。

それでもやめなかったのは
純粋にスポーツは好きだった。
そして、
義務感からだと思っています。

スキーは20歳くらいまでやりました。
ヨットは中学3年生。
体操と野球は小学校を卒業と同時に辞めています。

その後中学ではソフトテニスをやるんですが、
それも父と兄の影響でした。

ソフトテニスも嫌いではありませんでしたが、
やっぱり3年生になった頃は飽きていました。

自分で決めたわけではなかったので
思い入れが足りなかったのかもしれない。

他のスポーツも
楽しいとは感じていたが、
長く続けるというイメージはなかった。

高校生になったらソフトテニス以外のスポーツを
やろうと決めていました。

そして、ラグビーを選択。
初めて自分で決めた競技でした。

言うまでもない。
見事にハマりました。

それでも父親には感謝しています。
たくさんのスポーツを
やらせてもらえたということ。

これは貴重な体験でした。
身体を動かす楽しさを実感できたと思います。
そして、スポーツの楽しみ方を
覚えたような気がしています。

私が中学までのスポーツで学んだことは2つです。
1つ目は、身体の動かし方の豊かさ。
2つ目は、継続と責任です。

競技を絞らずにマルチにやってきたことで、
いろんな動きを無意識に習得しました。

そして、いろんなスポーツを同時にやる
継続することの素晴らしさも知りました。

遊び感覚でやる体操やスキー。
ガチで真剣勝負のヨット。
その中間の野球。

それぞれの経験が後の自分の経験に
活かされていると思っています。

そして、中学でテニス部の主将をやったことで、
責任を知りました。

スポーツにたくさんのことを教えられました。
父がどんな思いでスポーツをやらせてきたのかは
もう今は聞くことができませんが、
マルチスポーツの経験は今の人間形成に
活かされていると思います。

スポーツの環境としては恵まれていて、
スポーツは遊びの一環だという意識。

複数のスポーツを同時にやることで
子供は学ぶことが一気に増えるんじゃいかなって。

そして、自分で決めてやることがベストです。

マルチスポーツは、
スポーツの視点を変えます。

もし、今一つの競技に息詰まっているとしたら、
もう一つ、別の競技をやってみるという選択も
良いかもしれません。

プレイフルコーチ ヤディ

“昭和の呪い”を解く―― スポーツ現場に残る指導のカタチ

◆なぜ大人は子どもを叱るのか?
昭和の指導現場から
スポーツ指導の現場では、
いまだに“昭和のやり方”が
根強く残っている場面に
出会うことがあります。

あるセミナーで、
コーチから
「昭和のやり方なので
ピンときませんでした」
と言われたことがありました。

厳しくする、
罰を与える、
指導者の言うことは絶対。

軍隊から体育、そして部活動へ――
この流れの中で
「肉体と精神を徹底的に鍛えることが
人間の成長につながる」という理屈が、
昭和のスポーツ指導の根底にありました。

◆“気合と根性”が美徳だった時代

50代、60代、70代、
そして40代くらいまでの世代は、
この“気合と根性”を叩き込まれて
育った人が多いはずです。

ロジックや対話で解決しようとしても、
結論が見えないと苛立ってしまい、
気づけば大きな声で“熱く語る”――

これが昭和のコーチングの特徴であり、
怒鳴ることで指導した気になってしまう
“楽な方法”でもありました。

◆スポーツ界だけじゃない“昭和の呪い”

この体質はスポーツ界だけでなく、
学校や芸能界、
社会全体にも蔓延。

「強者と弱者」
「支配する者とされる者」

上下関係が当たり前のように存在し、
理不尽なヒエラルキーが
“我慢すること”とセットで
受け入れられてきました。

◆今、必要なのは“対等な関係性”

しかし、昭和のやり方は
今やさまざまな問題を生み出しています。

「スポーツは厳しくなければ強くなれない」
という前提を手放すことが必要になります。

まずは“承認・信頼関係”を築き、
対話を重ね、
許可を与えたうえで“厳しさ”を示す。

この順番が大切です。

大人と子ども、指導者と選手、
先生と生徒、親と子――
上下ではなく“対等”という
視点を持つこと。

大人も指導者も先生も親も、
偉いわけではありません。

◆変化する勇気と覚悟を
今こそ、私たち大人が変化する
勇気と覚悟を持つべき時。

スポーツ指導の現場でも、
子どもたちが“自分で考え、
判断し、行動できる”環境をつくることが、
本当の成長につながると私は信じています。

昭和の“呪い”から一歩抜け出し、
新しい時代のコミュニケーションと
信頼関係を築いていきましょう。

あなたは昭和のコミュニケーションになっていませんか?

少年野球チームが子どもたちに与える “気づき”とは?

◆試合前のルーティンに見えた“チームの色”

先日、
ある少年野球チームの
試合を観戦しました。

11年ほど少年野球に携わっていた経験から、
試合前の雰囲気や親御さんの様子を見るだけで、
そのチームの“色”がなんとなく伝わってきます。

低学年チームの試合。
片方のチーム(N)は
円陣を組み、
歌を歌い始めました。

ルーティンとして
定着しているようですが、
どこか“楽しさ”より
“義務感”が先立つ様子。

歌い終わると保護者から拍手が。
大人は盛り上がりますが、
子どもたちはどこか淡々と…。

もう一方のチーム(D)は、
静かに練習。

監督やコーチもおとなしめで、
特に目立った指導もなく、

“普通”という言葉が
ぴったりの雰囲気でした。

◆試合で見えた“判断力”の差

試合が始まると、
両チームの違いは明らか。

Dチームは監督が何も言わず、
子どもたちが自分たちで
判断しながら動いています。

一方のNチームは、監督さんのサインの基、
確実にゴロを打ち、
盗塁やエンドランを駆使して
得点を重ねていく。

気づけば3回までで0-9。
この大差はどこから生まれるのでしょうか?

◆“ゲーム性”を理解することの大切さ

野球は対戦型のゲーム。
一球ごとに状況が変わり、
その都度「何が必要か?」
を考える力が求められます。

確率のゲームでもあり、
駆け引きも重要。

この“ゲーム性”を
どれだけ理解しているかが、
実はチームの強さや子どもたちの
モチベーションに大きく影響します。

基本動作やスキルはもちろん大切。
でも、どの子も基礎練習は経験しているはずです。

それでも差がつくのは、
ゲームそのものをどれだけ
“自分ごと”として捉え、
攻略しようと考えられているかどうか。

◆“考える時間”が子どもを伸ばす

指導者がまず伝えるべきは、
「この競技はこんなに面白い!」
というゲーム性や魅力。

その上で、
「どうやったら攻略できるか?」
をワクワクしながら考える時間を
設けてみてください。

型にはめると子どもは戸惑いますが、
自由にゲームの主旨だけを伝えると、
子どもたちの発想力や行動力は
想像以上に伸びていきます。

◆“良好なコミュニケーション”が生まれる瞬間

子どもたちに十分に考える時間を与える。
それが、
良好なコミュニケーションや
チームワークにつながります。

少年野球チームが
子どもたちに与えてくれるのは、
スキルだけでなく
「考える力」や「ゲームを楽しむ心」。
その価値を、
これからも大切にしていきたいですね。

プレイフルコーチ ヤディ