選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己) -6ページ目

教育への不安が生んだ “自由学園”という挑戦

◆教育に不安を覚えた夫婦の決断

今日は、
教育にまつわる
ちょっと特別なお話を。

東京都豊島区西池袋にある
「自由学園明日館(みょうにちかん)」
をご存じでしょうか?

実はこの建物、
国の重要文化財に
指定されています。
※写真は教室からの写真です

大正時代に
ある教育熱心な夫婦が
「今の教育に不安がある」

と一念発起して
設立した学校なのです。

◆大正デモクラシーと“新しい教育”の胎動

時は1921年。
創立者の羽仁もと子・吉一夫妻は、

当時としては珍しい
クリスチャンであり、
気鋭のジャーナリスト。

「よい家庭がよい社会をつくる」
という信念のもと、
女性や子どもの教育を重視し、

1903年には月刊誌『家庭之友』
(現『婦人之友』)を創刊、
啓蒙活動に力を注いでいました。

そんな夫妻が学校設立を
決意したきっかけは、

長女の
「小数点の位置さえ間違えなければいい」
という一言。

知識を詰め込むだけで
本質を教えていない
教育への危機感が、
自由学園誕生の原点でした。

◆“生活即教育”と“自由”の追求

自由学園が目指したのは、
知識の詰め込みではなく
「生活そのものが教育」になること。

生徒自身が昼食の調理や
学校生活の役割を担い、

自ら考え、学び、行動する力を育てる
――そんな大正新教育の理想を
体現する学校でした。

この「生活即教育」の理念は、
現代でいう“主体的・対話的で
深い学び”に通じるもの。

子どもを信じて任せ、
経験から自分で発見し学ぶ――

今でこそ当たり前に
語られる教育観ですが、
当時は画期的な
挑戦だったのです。

◆世界的建築家
フランク・ロイド・ライトとの出会い

校舎の設計を手がけたのは、
あのフランク・ロイド・ライト。

夫妻の友人である遠藤新の紹介で、
帝国ホテル設計のため
来日中だったライトに依頼。

夫妻の教育理念に
共鳴したライトは、
「簡素な外形のなかに
すぐれた思いを充たしめたい」と、

幾何学模様の窓や
芝生の広がるモダンな
校舎を設計しました。

この空間で学ぶ生徒たちは、
まさに“自由”と“創造性”を
体感できたことでしょう。

◆芸術教育とデンマーク体操の導入

自由学園の特徴は、
芸術教育と身体教育にもあります。

芸術は人間性に根ざすもの
――生活と結びついた学びを
重視しました。

さらに、
創立間もなくデンマーク体操を導入。
デンマークから指導者を招き、
体をのびのびと動かす
“自由で活発な生活”を
願った教育は、

今も「体操会」
として続いています。

◆教育の本質を問い直す

羽仁夫妻が問いかけた
「教育の本質」とは何か。

小数点の位置や
テストの点数ではなく、

自分で考え、自由に発想し、
生活に根ざした学びを通じて
自立した人間を育てること。

画一的な教育から自由な教育へ――
その挑戦は、
今も色あせることなく、
私たちに問いかけてきます。

◆今、子どもたちに“自由”を与えているか?

皆さんが指導している子どもたちや、
ご自身のお子さんは、
本当に“自由”に生活し、
学んでいるでしょうか?

基礎と応用をつなぐのは、
自由に発想できる“遊び心”。

生活に密着した学びが、
子どもたちの自立や
有能感を高めていきます。

ぜひ一度、
教育や指導のあり方を
振り返ってみてください。

プレイフルコーチ ヤディ

息子と歩んだ野球の道 ~親子で振り返る成長ストーリー

 

◆6歳から始まった
息子の野球物語

息子が野球を始めたのは
小学1年生。

 

きっかけは仲良し3人組の
「野球やりたい!」という話から。

 

友達の親御さんが
見つけてきた
野球スクールに、
3人で入部することになりました。

 

このスクールは、
週1回平日の夕方に活動。

試合は年に2回ほどの
合宿イベントだけ、
という“ゆるい”スタイル。

 

だんだん物足りなさを感じてきて、
ついに街の少年野球チームを探すことに。

 

◆親当番問題とチーム選びのドラマ

 

親当番問題は避けたい…
とネットで調べ、

親当番がないチームを
3つピックアップ。

 

それぞれ体験会に参加しました。

ここでちょっとしたドラマが。

 

私が気に入ったのは
Aチーム、
息子はBチームが良いと言う。

しばらく悩んだ末に
「息子の意思を尊重しよう」
と思ったその時、

息子が急に
「やっぱりAチームがいい」
と言い出しました。

 

おそらく親の気持ちを
察してくれたのでしょう。

 

何度聞き直しても
気持ちは変わらず、
Aチームに入団。

 

息子はこのことを
覚えていないようですが、

私は今でも
“気を遣わせてしまったかな”
と苦笑いです。

 

◆勝利至上主義のチームでの日々

 

Aチームは
勝利至上主義。

土日朝から夕方までの練習。
熱心な指導。

 

親としても
練習や試合を見に行ってました。


3年生の時監督から
「息子さんをキャプテンにしたい。
コーチもやってほしい」

とオファーを受け、
コーチを引き受けることに。

 

キャプテンになった息子を、
つい細かく見てしまう日々。

 

チームは「自主練をしろ」と
“義務”のように
自主練を課していました。

 

私も息子と一緒に“自主練(宿題?)”
をやっていました。

 

◆息子の本音と親の気づき


息子に当時を振り返ってもらうと――

「朝早く起きるのは嫌だった。
自主練もめんどくさいと思ってた。
でも、
やらなきゃって思う日もあったし、
自分から起きた日もあった。
モチベーション次第で
行動が変わっていた。」


無口な息子が
本当に好きでやっていたのか、

やらされていたのか、
親には分かりませんでした。

 

今思えば、
強要していた部分もあったと反省です。

 

◆勝ち負けと指導者の存在

 

小学生時代は、
勝ち負けで
嬉しい思いも
悔しい思いも経験。

 

息子は
「指導者には恵まれていた」
と一言。

 

基礎から応用までしっかり
教えてくれたことが
印象に残っているようです。

 

2年生から試合に出してもらえたことも、
良い思い出になっているようでした。

 

◆中学・高校での変化と自立

 

中学は名門シニアへ進学。
しかし実力不足に悩み、

「やらされている感覚が強かった」
と振り返ります。

 

「悔しいというより、
実力がないから仕方ない。
努力しようと思う時もあったけど、
あまり考えていなかった。」

 

親には積極的に
自主練しているように
見えていたけれど、

実は消極的だった時期も
あったようです。

 

それでも

「中学では野球を深く学び、
自立できるようになった。
親離れができたのは大きかった」


と語ってくれました。

 

高校ではさらに自立し、
寮生活も経験。

「高校では楽しかったし、
中学より自主的に
勉強も野球もできていた」
と振り返ります。

 

高校時代は、毎日、
息子とLINEでやり取りをしていました。

 

それは野球のことだけでなく、
学校生活や寮生活のことまで。

 

何があって、何を感じたか。
そんなことを毎日対話していました。

 

そのことを他の父親に話すと
「うちなんか一週間未読が続いてる!!」

と言って毎日やり取りしていることに
かなり驚かれました。笑

 

学校や寮や部活動で
何が起きているか?

小さい頃からコミュニケーションを
重ねてきたことで

毎日のやり取りは
当たり前になっていた。

そんなことを感じています。
 

◆野球が教えてくれたもの

 

「やらされなきゃやらなかったけど、
今は“やらなきゃ”
と思えるようになった。
大事さやメリットも理解できた。」

 

親との関わりについては、

「当たり前のように“野球やるよね”
と言われるのは嫌だった。
したいことをさせてほしかった。
でも、野球をやめなくて良かったし、
続けてよかった。」

さらに、

「人としてどうあるべきか、
人間性や礼儀、
仲間の大切さ、
スポーツの持つ力や価値」

こうしたことも野球から学んだ、
と話してくれました。

 

◆マルチスポーツの経験と今

 

実は息子、サッカーや体操も経験。

「サッカーは体の使い方や
体力づくりに役立ったし、
楽しかった。


体操も運動神経が鍛えられた。
でもやっぱりボールを使う
スポーツが好きだったみたい。」

 

複数のスポーツを
経験することで得られる気づきや成長。

「マルチスポーツの重要性」を
息子の成長から実感しました。

 

◆今も野球とともに

 

そんな息子は、
今も大学で野球を続けています。

野球とともに人生を歩み、
これからどんな価値を見出していくのか――
親としてもますます楽しみです。

 

親子でコーチと選手の関わりを
している方も多いと思います。

 

ぜひ一度、
親子の歩みや
スポーツとの関わりを
振り返ってみてください。

 

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プレイフルコーチ ヤディ

19年のチアダンス人生から見えた「指導者」と「成長」の物語




◆3歳から始まった

娘のチアダンス物語

今日は、22歳になった長女が
3歳から始めたチアダンスについて、

本人の言葉や家族の視点を交えて、
スポーツ人生を振り返ってみたいと思います。

※ちなみに写真は娘とは関係ありません。笑

◆指導者は“怖い存在”だった?

娘に「指導者ってどんな存在だった?」
と聞いてみると、

「母親や学校の先生と同じで、
悪いことをしたら叱られる、
良いことをしたら褒められる。
つまり、どこか“怖い存在”だった」
とのこと。

実際に怖かったかどうかは
分からないけれど、

先生が踊ったり技術を
見せてくれる場面はなく、

リスペクトや憧れというより
“教育されている感覚”が
強かったそうです。

チアダンスの世界は礼儀に厳しく、
保護者は練習に口出しも
見学もできないことが多い。

そんな環境の中で、
娘はどうチアダンスと
向き合ってきたのでしょうか。

◆「嫌になったこともあったけど…」

実は、
チアだけでなく
陸上やバレエ、
水泳やピアノなど、

いろいろなことに挑戦してきた娘。
最終的に
「一番自分に合っている」
と感じてチアを選び、

引退後も
OGチームや
指導のバイトで
チアを続けています。

「踊ることやチアが好き。
踊っている自分も好き。」
そんな言葉が出てきました。

始めたきっかけは親の直感。
「嫌がったら辞めればいいや」
という軽い気持ちで始めたものの、

「嫌なことや辞めたい気持ちに
なったこともたくさんあった」
と振り返ります。

それでも続けられたのは、
“踊るのが好き”
“踊っている自分が好き”
という気持ちが根底にあったから。

◆褒められるために頑張る子ども心

「怒られるのは嫌、
褒められるように頑張る性格。

とにかく褒められるために努力していた」
と娘は言います。

特に選抜チームに入る前は、
「ほめられると伸びるけど、
怒られるとへこむ。
怒られると恐怖となり、
自主性を奪われていく自分がいた」
と自己分析。

小学生の頃から、
自分の性格や周囲との関わり方を

無意識に分析し、
どうすればうまくやれるかを
考えていたようです。

◆レベルの高い環境での葛藤と成長

選抜チームに入ると、
周りのレベルが高く、

「自分に目が向いているのか分からない」
状況に。

それでも
「名前を挙げてもらえるように頑張っていた」
と言います。

中学生になると、
U先生に少し気に入られている
自覚が持てて、

やっと劣等感が消え、
頑張れるようになったとか。

劣等感やきつい時期もあったけれど、
「自分自身の目標があったからこそ続けられた」
と語ってくれました。

◆メンターや環境の支え

選抜チームや部活では、
レベルの高さや
自分の未熟さに悩むことも多かった。

それでも
I先生や部活のコーチ、
周囲の環境に支えられて
続けてこられたそうです。

大学のサークルでは、
本来のチアの楽しさを再発見し、

その魅力をビギナーの後輩たちに
伝えることもできた――

そんな経験が
大きな自信になったと
話してくれました。

◆指導者はどこまで見抜いていたのか?

「先生は、私のことを分かってくれていた気がする」
と娘。

選抜チームで振り付けが変わる時、
「○○ちゃんならできるはず」
とみんなの前で言われた経験が、

今思えば自分を見てくれていた
証だったのかもしれません。
良い指導者に恵まれたことも、
娘の大きな財産です。

◆チアダンスが教えてくれたこと

「協調性やグループ力、
リーダーとしての話術、
考え方の違いを認めること。

継続力、礼儀、周りを見る力、
自信の大切さ…

とにかくたくさんのことをチアから教わった」
と娘は言います。

19年のチアダンス人生で、
自分で振り付けを考え、
イベントにも出演。

3歳で飛び込んだ世界で
自分の存在を見つけ、
変化と成長を重ねてきた――

「踊っている自分が好き!」
という言葉がすべてを
物語っています。

◆親として、そして指導者として

チアダンスは
父親が出る幕がほとんどない世界。

でも、高校の部活動では
父親のコミュニティができ、

陰ながら娘を応援できる場もありました。

改めて、
指導者と選手は
どんな関係でいるのが良いのか?

そんな問いが心に浮かびます。

皆さんもぜひ、
お子さんのスポーツ人生を振り返りながら、

指導者と選手の関係性について
考えてみてください。

プレイフルコーチ ヤディ