19年のチアダンス人生から見えた「指導者」と「成長」の物語 | 選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己)

19年のチアダンス人生から見えた「指導者」と「成長」の物語




◆3歳から始まった

娘のチアダンス物語

今日は、22歳になった長女が
3歳から始めたチアダンスについて、

本人の言葉や家族の視点を交えて、
スポーツ人生を振り返ってみたいと思います。

※ちなみに写真は娘とは関係ありません。笑

◆指導者は“怖い存在”だった?

娘に「指導者ってどんな存在だった?」
と聞いてみると、

「母親や学校の先生と同じで、
悪いことをしたら叱られる、
良いことをしたら褒められる。
つまり、どこか“怖い存在”だった」
とのこと。

実際に怖かったかどうかは
分からないけれど、

先生が踊ったり技術を
見せてくれる場面はなく、

リスペクトや憧れというより
“教育されている感覚”が
強かったそうです。

チアダンスの世界は礼儀に厳しく、
保護者は練習に口出しも
見学もできないことが多い。

そんな環境の中で、
娘はどうチアダンスと
向き合ってきたのでしょうか。

◆「嫌になったこともあったけど…」

実は、
チアだけでなく
陸上やバレエ、
水泳やピアノなど、

いろいろなことに挑戦してきた娘。
最終的に
「一番自分に合っている」
と感じてチアを選び、

引退後も
OGチームや
指導のバイトで
チアを続けています。

「踊ることやチアが好き。
踊っている自分も好き。」
そんな言葉が出てきました。

始めたきっかけは親の直感。
「嫌がったら辞めればいいや」
という軽い気持ちで始めたものの、

「嫌なことや辞めたい気持ちに
なったこともたくさんあった」
と振り返ります。

それでも続けられたのは、
“踊るのが好き”
“踊っている自分が好き”
という気持ちが根底にあったから。

◆褒められるために頑張る子ども心

「怒られるのは嫌、
褒められるように頑張る性格。

とにかく褒められるために努力していた」
と娘は言います。

特に選抜チームに入る前は、
「ほめられると伸びるけど、
怒られるとへこむ。
怒られると恐怖となり、
自主性を奪われていく自分がいた」
と自己分析。

小学生の頃から、
自分の性格や周囲との関わり方を

無意識に分析し、
どうすればうまくやれるかを
考えていたようです。

◆レベルの高い環境での葛藤と成長

選抜チームに入ると、
周りのレベルが高く、

「自分に目が向いているのか分からない」
状況に。

それでも
「名前を挙げてもらえるように頑張っていた」
と言います。

中学生になると、
U先生に少し気に入られている
自覚が持てて、

やっと劣等感が消え、
頑張れるようになったとか。

劣等感やきつい時期もあったけれど、
「自分自身の目標があったからこそ続けられた」
と語ってくれました。

◆メンターや環境の支え

選抜チームや部活では、
レベルの高さや
自分の未熟さに悩むことも多かった。

それでも
I先生や部活のコーチ、
周囲の環境に支えられて
続けてこられたそうです。

大学のサークルでは、
本来のチアの楽しさを再発見し、

その魅力をビギナーの後輩たちに
伝えることもできた――

そんな経験が
大きな自信になったと
話してくれました。

◆指導者はどこまで見抜いていたのか?

「先生は、私のことを分かってくれていた気がする」
と娘。

選抜チームで振り付けが変わる時、
「○○ちゃんならできるはず」
とみんなの前で言われた経験が、

今思えば自分を見てくれていた
証だったのかもしれません。
良い指導者に恵まれたことも、
娘の大きな財産です。

◆チアダンスが教えてくれたこと

「協調性やグループ力、
リーダーとしての話術、
考え方の違いを認めること。

継続力、礼儀、周りを見る力、
自信の大切さ…

とにかくたくさんのことをチアから教わった」
と娘は言います。

19年のチアダンス人生で、
自分で振り付けを考え、
イベントにも出演。

3歳で飛び込んだ世界で
自分の存在を見つけ、
変化と成長を重ねてきた――

「踊っている自分が好き!」
という言葉がすべてを
物語っています。

◆親として、そして指導者として

チアダンスは
父親が出る幕がほとんどない世界。

でも、高校の部活動では
父親のコミュニティができ、

陰ながら娘を応援できる場もありました。

改めて、
指導者と選手は
どんな関係でいるのが良いのか?

そんな問いが心に浮かびます。

皆さんもぜひ、
お子さんのスポーツ人生を振り返りながら、

指導者と選手の関係性について
考えてみてください。

プレイフルコーチ ヤディ