生年月日 1975・7/5
身長 184cm
体重 78
利き足 右
ポジション FW
アルゼンチンの点取り屋、クレスポです☆☆
1993~1996年、アルゼンチンリーグのリバープレートでプレー。
1996年に、イタリアのセリエA・パルマへと移籍。ただ、最初はイタリアのサッカーに馴染めず、満足のいく結果が出せずにいた。(>_<)
しかし、1999年には、コッパ・イタリア、UEFAカップ優勝に大きく貢献する。
その活躍が認められ、セリエA新記録の約66億円の移籍金で、ラツィオへと移籍する。そして、移籍後初シーズンで得点王になるなど、大きな活躍を見せることになる。
そして2002年、ロナウドの穴を埋めることを期待され、イタリアの強豪クラブ、インテルへと移籍する。しかし、怪我により、出場機会に恵まれず、結果を残すことはできなかった。
翌シーズン、ロシアの石油王のアブラモヴィッチがオーナーに就任したイングランドのクラブ、チェルシーが、ビッグネームを次々と獲得する補強に出て、その対象となったクレスポをインテルは手放してしまう。サポーターの猛抗議もあり、インテルは白紙撤回を要求したが、すでに遅かった。
そして2003年、イングランドに活躍の場を移すも、イングランドのサッカーに上手く順応できず、出場機会にも恵まれず、不遇の年を過ごした。
2004年、チェルシーにはモウリーニョが監督として就任し、構想外となったクレスポは、イタリア、セリエA、ACミランへレンタル移籍することになる。
その移籍により、シェフチェンコと2トップを組み、その年のUEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献するなど、本来の輝きを取り戻すのであった。
しかし、本人はイタリア残留を希望するも、2005年には、レンタル元のチェルシーに呼び戻され、チェルシーのFW、ドログバのスーパーサブとして、起用されることになる。不本意な形ではあったが、好調を維持することはできた。
2006年、2年契約のレンタル移籍で、インテルに復帰。待望のイタリア復帰ができたのだった。イブラヒモビッチと2トップを組み、欧州のリーグでは新記録となる、17連勝を記録するなど、その年のリーグ優勝にも大きく貢献した。
シーズン終了後は、チェルシーへの呼び戻しも予想されたが、インテルに残留と完全移籍が決定した。
代表では、98年フランス大会、02年日韓大会、06年ドイツ大会と、W杯三連続で出場している、不動のストライカーである。
得点感覚は、ピカイチですね♪正しく万能型ストライカー!裏への飛び出しも絶妙だし、ヘディングもできる!どんなタイプのFWとも組めるから、頼もしい存在ですよねww
インテルでは、FWがたくさんいますが、今シーズンはレギュラーの座を守れるかが注目ですし、前回のチャンピオンズリーグでは、納得できない終わり方だったでしょうから、どうなるのかも注目ですよね・・!
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