今頃、映画「浮雲」を鑑賞する!(リブート記事)
1955年 日本
「めし」「稲妻」の成瀬巳喜男監督が、再び林芙美子の同名小説を原作に、とめどなく落ちぶれていく自堕落な男と、そうと分かっていながら結局どこまでも男に着いていってしまうひとりの女の宿命を描いた愛と悲劇の物語。
戦時中、赴任先のインドシナで、妻ある男・富岡と出会い愛し合ったゆき子。終戦後、妻と別れて君を待っている、との言葉を信じ富岡のもとを訪れたゆき子だったが、富岡はいつまでたっても態度をはっきりさせようとしない。途方に暮れたゆき子は外国人の愛人となり、富岡のもとを去る。しかし、ある日、富岡が訪ねてくると、ゆき子の心は再び富岡へと戻って行く。ところが、二人で行った伊香保温泉で、富岡は今度は飲み屋の若妻おせいに手を出してしまう……。
理屈では割り切れない男と女の業と性を冷徹なまでに妥協のない眼差しで描き切った名匠・成瀬巳喜男の代表作。全編を通して一瞬たりとも緩むことのない息詰まるほどの張りつめた緊張感をぜひとも味わっていただきたい。
<allcinema>
私は太宰治と言う小説家が大嫌いですが、(とか言って、殆ど作品は読んでいる。)
太宰治に代表される戦後流行した所謂無頼派の作家たちと、
林芙美子(1903~1951)は、似たような系列に属する作家かと思っていましたが、これが全然違うらしい。林芙美子の「放浪記」(1930年)は若い頃読んだ記憶があって、(でも、よく判らなかった。
)他は全然知らなかったんですけれど、この「浮雲」はいい作品ですね。
敗戦直後の荒廃した世相を背景に、段々堕落していく、けれども女にもてまくる富岡(森雅之)と、何だかんだって、彼と腐れ縁を切れないゆき子(高峰秀子)。
太宰治の小説の主人公は、お金持ちのお坊ちゃんで、
周りの人間に甘えまくる、そういう処が私は嫌なんですが、
同じ女たらし
でも、なんとなくこの富岡なる人物には共感をもてました。
映画の中で、何度も大日本帝国華やかなりし頃の回想シーンが出てまいりますが、
それと、ごみごみした戦後の焼け跡や闇市の風景とのギャップが生々しい。
敗戦によってすべてを失った
当時の日本人の荒んだ気持ちがよくでいたと思います。
この人、誰の映画にも出てきますね(笑)
と、読んだことのない林芙美子の原作小説と
成瀬巳喜男(1905~1969)のこの映画を混同して話をしておりますが、
映画としてとても見事な出来栄えです。
脚本は、有名な女性脚本家が書いたものなのだそうですが、
そのせいか、女性の視点で当時の世相がよく描かれているような気が致しました。
小津安二郎の映画のように、
女優さんを「奇麗、奇麗」
にだけ撮らない処も良かったです
私が、この時代の映画を好んで観るのには、
話は暗いものが多くても何かどこかに希望が感じられる部分が多いからです。
戦前の日本の古いしきたりや風習が米軍のB29の空襲によって全部燃え尽きて、
青空が見えてすがすがしい気分が私には感じられるんです。
(お腹は空いていたでしょうけれどね
。)
1950年代に、日本映画の傑作が目白押しに出てきたのは、
戦争によって抑えられてきた日本人の文化的創造力が爆発したからだと思う。貧しくても、民族的活力に溢れた時代だったですよね。
『浮雲』は(原作がすでにそうなのであるが)日本が仏印を占領していた、つまり、侵略者だった時代の楽しい記憶によって結びついている男女が逆転した時代のなかでどう生きたかという、おそろしく難しい主題を映像化し得た唯一の日本映画と言いきってもよかろう。
観ておられない方は、是非。