かつてこのブログを読んで下さっていた方へ



お知らせがあります。



長らく、本当に長らく(6年強)「するの?しないの?」という感じでしたが、この度、



出来ました(子ども)。



それに伴い、別の形で日記をはじめようかと思っています。



ここはここで、大切な思い出などが詰まっているので、許される限りはそのままにしておきたいと思います。(アメーバブログさんの判断で消されたらその時はその時で…)



新しい私の人生の道のりを、また覗いてみたくなったら、見に来て下さい。



「育てるということ。」⇒



ダンナと一緒にオススメアイテムなどを紹介するブログ⇒
 コピーをとりながら、ぼんやり外を眺めた。窓から見えるのは、高く聳え立つビルと、昔からたっているらしい古めかしい住宅。商店街にそってたちならぶ店は、客の訪れを微塵も感じさせない。

こんなところに洋品店なんか作って、いったい誰が買うんだろう。

 そう思いながら、いつも店の前を自転車で通り過ぎる。一日、また一日と時は過ぎているのに、まるで時間が止まっているように感じるのは、あたしが成長してないからだろうか。

 ここから見える景色は、ここからでしか見えない景色で、ここからあたしがこうやって眺めているのを気づいてる人はきっと誰も居ない。この空はどこまで続いているんだろうなんて思うと、自分がほんとにちっぽけなものに感じる。ここから見える人間も、みんなちっぽけで、みんな同じにみえて。

この家の数だけ人間が存在してて、その人間の数だけ物語があるんだな。

 ふと、そんな風に思った。当たり前の事だけど、普段はそんなこと意識しないで、その場その場を楽しんでいる気がする。人間の数だけ幸せがあって、苦しみがあって。みんな悩みを抱えて生きている。

 ほんとは自分が思うほど、幸せでもないし辛くもないし楽しくもないし可愛そうでもないのに、みんな心のどこかで、自分が1番幸せで、自分が1番辛くて、自分が1番楽しくて、自分が1番可愛そうだと思っている。だから悩んだり傲慢になったりするんだ。

 自分が思うほど人のことなんて気にしてないし、自分が思うほどすばらしいわけでもない。悩んだり傲慢になっている人は、みんな自分基準でしか見ていない。あたしもそう。貴方もそう。

上には上がいる事はわかってるし、下には下がいる事もわかっている。だけど・・・。

 悩みがない人なんていない。それを表に出すか出さないか。出さないのが格好いいわけでもないし、出すことが格好悪いわけでもない。上を見て憤りを感じたり、下を見て優越感を感じたり、そのくり返しで生きている。生きているってそういう事なのかもしれない。

 上ばかりを見て憤りを感じて生きている人、下ばかりを見てささやかな優越感を感じて生きている人。どちらが幸せなんだろう。きっとどっちも幸せじゃなくて、ギリギリのところで生きながらえているのだろう。

 そんな風に考えている間も、コピー機は動いている。出てくる紙は同じ内容で、次から次へとトレーへ吐き出される。こんな風に人間も同じ顔で同じ人生だったら、それがいくら幸せなものでも、絶対つまらない。

人をどうこう言う前に、自分はどうなんだ。

そう、きっとそういう事。
その、まさかでした。

WEB相談(仮サイト名)に見に行ってみると、そこのメインコンテンツである、ネット上の様々なトラブルに対してアドバイスをする掲示板では、私のサイトについて相談しているスレッドがあり、

”そのサイトには、よくわからない仕掛けがあって、メールアドレスを知らない間に盗まれた。どうすればよいか”

このように相談し、管理人の方は不在だったようで、そのアシスタント的な人が

”どういった内容のサイトだかはわかりませんが、使い道を心配してしまいますよね。”
的なアドバイスが書いてありました。

ここらへんまではいいとしましょう。”仕掛け”のことも、サイトのことも、説明不足だし、アシスタントみたいな人がこのように返信するのはある意味当然のことでしょう。

そしてこの後、その初心者サンは、こともあろうか私のサイトのURLを堂々と張り出していました。

”ちなみにこのサイトです。こんな恐ろしい仕掛けがある所があるんですね。今後気をつけます。”

みたいなことが書かれています。アシスタント的な人が、私のサイトを見たらしく

”注意書きをはっきり書くなどの配慮が必要だったと思います。最近はどんな用途で使われるかわかりませんからね。それで変なメールが来るようになったら怖いですよね。”

あのー、何の被害にもあっていない(しかも注意書きを見た上でOKを押したのに)なんの断りもなくURLを貼りつけて、極悪サイト呼ばわりした方の方が明らかにおかしくありませんか?

私はさすがに見過ごすことが出来ず、反論をはじめました。訪問ボタンなどについてはあくまで一般的なものでしたので、私と同じように考えている人がほとんどで、初心者の方も最初は威勢よく、長々と言い訳を書いていましたが、自分の知識不足が原因だということに気づいたらしく、最終的にしぶしぶ謝ってきました。

そのサイトの管理人の方も、途中で仕事に復帰したらしく、そのスレッドのなりゆきをみて、自分のアシスタントが軽率な発言をし、まず責めるべくはURLを貼りつけ、極悪サイト呼ばわりした相談者の方であったと謝罪してきました。

この件に関しては、やっと理解を示してくれてスッキリしたのですが、その初心者の方の思い込みのせいで、某大手検索サイトのディレクトリ登録は抹消されていました。忙しいでしょうから、わざわざ真意の程を調べるほど暇ではないと思うので、アドバイスなどをして無駄にやりとりを重ねるより、そのまま削除してしまったんだと思います。

再び、サイトを再開する際は、そのホームページで告知して始めようと思っていましたが、その道は絶たれました。

今では過ぎた話ですし、もうどーでもいいことなんですが、明らかに実質的被害をうけたのは、むしろこっちの方で、いくら個人レベルとはいえ、様々な人間の目に触れるサイトを運営するっていうのは、大変なことだなぁと、今更ながらに思います。
前回の日記で書いた、災難についての”例え話”ですが、何年か経ちましたので、具体的に解説しようと思います。

もう7年程前のことですが、私は、自分のホームページを運営していました。ファッション関係の情報交換のページで、当時では珍しい試みなどもしており、人も多く訪れてくれていました。個人運営の範囲ですから、1日に300人弱と、驚くほどではありませんが、当時のネット人口を考えると(今の7分の1程度)、だいぶ多い方だったかと思います。

今では登録されるのに長期間かかり、企業のHPにおいては”審査”を優先的に行ってもらう為に5万円~15万円かかると言われている某大手検索エンジンの、ディレクトリにも登録されていました。

何年か運営するうちに、1個人で運営することに限界を感じ、ファッション関係の情報交換としてのサイトは閉鎖。以後、効率よく運営していく為の知識を蓄えるべく、充電期間に入りました。

その間、某大手検索エンジンや、リンクしてくれていた有名サイトからアクセスしてくれるお客様に対し、サイトを再開した時にお知らせしたいという気持ちから、訪問通知ボタンを置いておきました。

訪問通知ボタンというのは、本文なしのメールを送り”サイトに訪れましたよ”と知らせる為の、日記やテキスト関連をメインコンテンツとして運営しているサイトなど、個人サイトでは一般的になっていた、送信フォームボタンです。

そのボタンを押すと”インターネットエクスプローラーの仕様によって”注意書きのようなものは表示されますが、それに同意の上で送信するもので、希望者のみ、それに同意して訪問を知らせてくれれば良いと思って設置してありました。

閉鎖してから、何ヶ月かたってから、ネットの知識がほとんど無い人間が、ボタンを押してその注意書きのメッセージが出たことにビビって、それだけで私のサイトを凶悪サイトだと決め付け、メールを送ってきました。

こちらは、一般的に利用されている送信ボタンだと理解していた為、その人が意図していることがわからず(むしろ逆に嫌がらせのメールかと思い)返事をしないでいたら、利用していたプロバイダーから

ネットやパソコンについて理解をしてなさそうな初心者の人から、”このサイトはメールアドレスを盗む凶悪なサイトですから削除してください。”と、一方的な決め付けによるメールを受けました。当プロバイダーではお客様のサイトをそのようなサイトだと判断しておりませんので、削除することは御座いませんが、当プロバイダーだけではなく、某大手検索サイトにも同様のメールを送ったようですので、そのようなメールがあったことをお知らせします。

といった内容のメールが送られてきました。

流石にこれはただごとではないと思い、その人に対して、訪問ボタンの意味と、私が何故それを置いたか、そして、個人の情報交換を目的に運営しているサイトですから、受信したメールアドレスに対してはサイトを再開した際のお知らせ以外に利用することはないという内容の返事を送りました。それに対して返って来た返事は

某有名WEBトラブル相談サイト(ネット上のトラブルなどの質問に対して正しい知識を元に相談に乗ってくれるサイト)に連絡します。

それだけ書いてありました。こちらの説明に対して全く聞く耳を持たないその姿勢に呆れ果て、私は某有名WEBトラブル相談サイトの人なら、理解をしてくれると思い、特に確かめに行くことはしませんでした。

すると、しばらくして、某有名WEBトラブル相談サイトのURLから、私のサイトに多くのアクセスがあるのを、アクセス解析で知ったのです。

まさか…。 (つづく)
2000/10/12(Thu)

日記は久しぶりだけども、この間にワタシが経験した稀有な出来事をたとえ話でお話したいと思います。

ワタシは私道(公道じゃないというのがミソ)をバイクに乗って走っていました。制限速度は20km、普通の道は30kmなのでその時は25kmくらい出ていたかもしれません。すると横断歩道で、いきなり人が飛び出してきました。ワタシはそれをよけました。その人は全然無事です。

そしたらその人が、聞いてきました。

”今死ぬ所でしたよどうしてくれるんですか?”
”あなたは私をひき殺すつもりだったんですか?”

”は?”

ワタシは不思議に思って無視してほっときました。

そして次にその人がとった行動はワタシのバイクの免許を剥奪してほしいと免許センターに訴え、バイクを買った店になんであんなやつにバイクを売ったんだと抗議。免許センターから、こんな事を言ってる人がいましたが赤信号で進むのが悪いので追い返しましたという知らせが来てその事を知りました。バイクを買った店ではもう修理してもらえなそうです。

世の中にはよくわかんない人がいるなーと思いつつ、なんかしんないけどとりあえず一言いっておこうと思って、

”あなたをひき殺そうなんて少しも思っていないし、思っているのが不思議です(車に乗って100kmとか出してたわけじゃあるまいし)。25km出していたのも、制限速度が30kmの道がほとんどなのでそのまま走っていたのです。赤信号だったと思いますし、なのに何故免許センターやバイク店に抗議したりするんですか?”

的なことを感情的にならず説明しました。すると彼からの返事は

”警察に相談します。”

でした。

”どうせ警察に言っても、警察はわかってくれるだろうからほっとけ。わけわかんない人だな。”

と思ってなんの返事もしませんでした。こっちがきちんと説明したのにそんな一言ですませる人とは関わりたくないし、よけいな争いはしたくないですから。そんな人にいろいろ言った所でわからないと思うので。

すると、ワタシのバイクのナンバーを見て顔をしかめてる人達がいます。どうしてでしょう。

警察に行ってみると、ワタシのナンバーがさも指名手配のように貼ってあります。その人と警察で留守番してるらしい下っ端警察官が
”赤信号には”危ないから止まれ”ってちゃんと書いてくれないとわからない。”

”制限速度20kmなのに25kmで走っているなんておかしい。”

”もしかしたらひかれて死んでいたかもしれないですね。”

なんて話してます。ちょっとまて、赤信号で渡ったそいつにはなんもいわないのか?赤信号を知らないってどういうこと?そんな立ち話だけならいいとして、警察にナンバーを貼られ、怪我一つしてないのに免許センターやバイク店に抗議し、実際にバイク店(最大手)ではもうバイクが買えなくなっている(修理はできるけど)この状況はどうしてくれるんだ?ワタシは我慢できなくなって反論をしました。

確かに制限速度を5kmオーバーしていた私にも非がありますけど、私が全て悪いんですか?赤信号で突っ込んできて、被害にもあってないのになんでこんな言われ方をしなきゃいけないんでしょう。本当に世の中にはおかしい人がいます。”とりあえずあいずちうっときゃどっかいくだろ”的な考えで同意していた下っ端警察官にも納得いきません。

みなさん、横断歩道にさしかかったら、たとえ青信号でも
”今車が通りますよー気をつけてくださいねーー”
と言わなきゃならないらしいですよ。

その前に交通ルール勉強しろ!!赤信号なのに渡るな!!もっといろんな道を走れ!!よちよち歩きの赤ちゃんじゃあるまいしそれくらい自分の中で対処しろ!!

と言いたい。そう思いません?ふって沸いた災難。そんな感じ。
この頃私は、職場で感じるストレスと、行き場のない不安について、若かったという事もあるし、まだ考え方がなっていなかったいうのも重なって、心の中でかなりの憤りを感じていた。

表向きには大人しく、従順に振舞っている年上の女子社員。彼女は常に、自分が一番働いて、自分が一番辛くて、自分が一番会社に貢献していて、自分が一番損な役回りを引き受けていると錯覚し、それについて常に陰口を叩いていた。

最初は食事の時に皆が集まっている時くらいだったが、会社が移転して、皆で食事をする会議室がなくなり、各自の席で食べなければならなくなってからは、発散を出来ないのが辛かったらしく、営業時間中にも言うようになった。

その陰口はエスカレートし、社長、社長の息子、客、上司…。聞こえよがしに言っている。

私の所属している部署の悪口も、社長の息子の事を絡めて言っている。真横で。

私の所属している部署はほとんど私しか居なくて、ほぼ全部任されているという点もあり、様々な業務を柔軟にこなしていると自負していた為か、

「今、私が辞めたら、大変なことになる。」

そう”勘違い”している部分もあったし、社会人としてある程度耐えなければいけないと思っていて、そんなストレスや、様々な不満を感じながらも続けていたこの職場であったが、今考えてみると、どうってことない。

”自分じゃなきゃ絶対に出来ない”ことなんて、何一つないし、そんなストレスを感じる状況に耐えて続けていること自体が、自分で選択している道であったし、そんな女子社員に対して何も言わなかった自分も、それを好んで選択しているだけの話ではないかという話である。

自分で選んだ道だというのに、きっと、一人悲劇のヒロインになっていた。

もちろん、その女子社員も、何にたいして憤りを感じ、発散しているか知らないが、愚かであったというのは紛れも無い事実であるが。

そのストレスと、仕事の疲労感、そして彼にあんまり会えないという寂しさ…色々なものが重なって、私は少しずつ、少しずつ現実逃避するようになっていった。

確か、そんな時期。
 怖い話は好きですか?あたしは、話すのは好きです。怖がる顔を見るのは話してて楽しい。その人が怖がれば怖がるほど大袈裟になっていって、どんどん話が膨らむ。ただ変な音を聞いただけのものにその背景をつけたりして。怖い話なんてそんなもの。

 逆に、聞くのは嫌い。思い出してしまうからだ。その話が怖ければ怖いほど、ふとした時に思い出してしまって怖くなる。それはだいたい、一人でお風呂に入っていたり、トイレに入っていたり、あんまり頭を使ってない時だったりして。いつか忘れるまで、たびたび思い出してしまうもの。そして、怖ければ怖いほど誰かに話したくなるんだ。あたしだけこんな思いしてるなんて耐えられないから。人間って我侭だ。

http://profiler.hp.infoseek.co.jp/concrete.htm

 みんなに見て欲しいのはここの事件の話。あの有名な『女子高生コンクリート詰め殺人事件』のことについて詳しく書かれたHP。怖い話なわけじゃない。実際にあった事件の話。作り話でもおとぎ話でもないホントの話。あたしはこの事件の詳細を見たとき、胸が締め付けられるというか、はっきりいって気持ち悪かった。これを見てから1時間は放心状態で、すごい気持ちが重くなって。まあその時一緒にいた友達に教える事によって、二人で少し話して、そのうち他の話になったから大丈夫だったんだけど。

 他人事だと割り切って”過ぎた事”にするのか、この事について真剣に考えるか。まあ、だいたいみんな前者だろう。それでも、知っておいた方がいいと思う。目を背けちゃいけないというか。こういう人間もいるんだって、そして自分ももしかしたらこういう事をしていたかもしれないって感じる事は無駄じゃない。

 こういう話を聞くと、人間てホントに残酷な生き物だよなあと思う。たまたまターゲットになった女子高生。”たまたま”。毎日たくさんの男に輪姦されて、暴力をふるわれ、最後の方はその傷から放つ異臭から人間扱いもされなくなった女子高生。たまたまこの話の詳細を見たけれど、世の中にはもっと残虐な話もあるんだろう。たまたま知っただけ。”たまたま”。そして今、たまたま貴方はここのHPに来て、たまたまこの日記を読んでる。

たまたま。
2000/06/13(Tue)

母は怪我して松葉杖。

父は車ぶつけて怪我をした。

兄は無断欠勤失踪。

いったい何が起こるんだ。あたしには。

別に明日への不安とか、今日への不満とか、世の中への失望とか、そういうのは考えずに生きてるけど、そういうのを考えて毎日過ごすのもそれはそれでおもろいだろうか。

あたしは、怒りを表したり汚い言葉を発してみたり、あんまりしない人だけど、一人でいる時にボソっと出る恐ろしい言葉に、自分で自分が恐くなったりとか。

あたしはこんな事を思ってんのかとか、驚いてみたり。

ふと何かにあたりたくなる衝動、何かをこわしたくなる衝動。それを理性で抑えているけれど、その理性が欠如してる人がバスジャックとかするんだろうか。

人間は皆凶暴で、ずる賢くて、恐ろしい動物。だからこんなに増殖して、我が物顔で荒らしてる。まるで自分達だけの場所のように。全てが自分達のために存在するように。全てを自分達の思い通りにするために。

人間が全員、本能のままに生きていたら、今頃全てが焼け野原で、青い海は赤く染まっていただろう。ドス黒い海は、人間達をうつす鏡のようにそこにあるだろう。

きっと、赤い海は人間達を魅了してやまない。

ただ言えることは、人間が存在しなくても地球はそこにありつづけること。あたしが存在しなくてもこの世界は皆を魅了して、夜11時には人を集わせる。あたしが存在してもしなくても変わらない。あたしがここで何を言おうと言うまいと、誰が見ようと見まいと変わらない。世界が変わるわけでもないし自分が変わるわけでもないし。ただ一つわかること。

それはここにあたしがいるということ。

伝わっていますか?
2000/6/05 (Fri)

 あの事故から一年の時がたった。あれから一年、あたし達は変わらず一緒に笑っている。いつも、笑っている。あの時から変わった事といえば、毎日会えなくなった事。アイツが一人暮らしではなく、実家に戻ったからだ。

 アイツはあの事故で試験勉強もままならず、それまで通っていた会社の面接にも行く事が出来なかった。そして今、その日々を取り戻すかのように試験勉強に没頭している。あたしはそんなアイツの邪魔はできない。

 一年前、勉強するアイツの横でテレビを見たり、ゲームをしたり、絵を描いたり。たまに手を休めて一緒に笑う。お互い、テキトーなのがモットーだけれど、譲れない事は譲れない。負けず嫌い。そんな所が似ている気がする。B型だからか。

 血液型なんて4種類しかなくて、そんなので性格を決め付けて欲しくはないが、B型というのは確かにテキトーな気がする。楽観的でワガママで好奇心旺盛で。末っ子というのも手伝って世渡り上手。長男とか長女のような失敗はしない。どんな事をすれば怒られるか、誉められるのかわかってるからだ。長男とか長女みたいに責任感はないけれど、自由な発想ができる。そんなところだろうか。

 あの事故で、離れてひとりでアイツを想う事を学んだ。それまでいつも一緒にいたから忘れていた何か。アイツがそこにいることの重大さ。肌の温かさ。ぬくもり。部屋の広さ。調味料の場所。帰り道の途中のくらやみの怖さ。中央線の遅さ。立川駅のバス。病院の空気。1時間のあまりの短さ。

 あの長い2週間は、あたしとアイツを繋げる糸を、確実に太いものにしてくれた。そう思える。アイツもきっとそう思っている。

あの事故があたしに与えてくれたもの。アイツそのものかもしれない。
2000/05/09(Tue)

 5月。この季節になると理由もなく焦ってくる。体に重くのしかかっていたコートを脱いで、夏へ向かう。いち早く春夏物を買い込んだアパレル店員のあの娘は、待ってましたといわんばかりに鼻の穴を広げて歩く。まるでこの世で一番自分が優れているかのように。たとえ誰も見ていなくても、彼女は架空の視線に対して敏感になっている。人からどう見られているか。

 人からどう思われようと関係ない、自分は自分、いつも自然体。そんな人いるわけない。いるわけがないんだ。本当は気にしているくせにそれを出さないのがもっと厭らしい。だったら私を見て見て光線出してるコギャルやホストとかの方がよっぽど人間らしい。

「どうせ一生会わないんだから何してもいいでしょ。」

そういう自分と

「一生会わないならいい印象を与えたい。」

そういう自分と。

 どちらが楽かといえば、後者の方が楽だ。人にいい印象を与えるなんて簡単な事だ。あえて悪い印象を与えるパワーを持ち合わせている人が、私は羨ましい。私はいつも、争いから逃げている。もう、疲れたんだ。

 嫌な感情を持った時、私はそれを表に出すことを嫌う。それを表に出した時に、倍になって帰ってくるのを恐れているんだ。嫌な感情が倍になるのを恐れている。だから、自分から遠ざかる。その場をにごす。

 勝ちか負けか、赤か白か、表か裏か。引き分け、ピンク、真ん中。私はそうやって生きてきた。格好悪いけど、本当にそうなんだ。適当に生きていても、こうやって笑って過ごせるならそれでいいと思っている。自分が本当にこだわれる物にさえパワーを注げればそれでいい。あとは適当。

 すごい勢いで燃えて、すごい速さで走って、そんな人はきっと明日死んでもいいんだろう。人生の絶対量は決まっている、誰かがそんなことを言っていた。とろ火でもいい。最終的に肉に火が通ればいいんだ。火が通らないうちはまずい肉なんだけれど。火が通れば、あの美味しい肉にも負けない。

 自分という肉があって、そこに何を合わせるか、何を入れるか自分で決める。時には予期せぬ物が入り込んで痛めつけるかもしれない。逆に痛めつけてしまうかもしれない。でもそれは結局は鍋の中に溶け込んで、味に深みを加える。無駄なものなんて何一つない。それによってアクが出たとしても、すくえばいい。根気づよく。それを面倒くさがるのなら、今までのものが台無しになる。濁った汁は濁ったまま。

時には冒険したくなることもあるだろう。それを人は止めるかもしれない。

「やめた方がいいよ。君のことを思って…。」

 その言葉を鵜呑みにしてやめるのは構わない。でも、それは自分の鍋だ。自分が食べるんだよ。その人じゃない。その鍋をまだ作り始めたばかりなら、そんなのいつでも修正が効く。迷うことなんてない。手を止める必要はない。ありきたりの味を求めても、そんなの限界がある。だったら面白いって言われたい。

 適当って言われても、いい加減って言われても、最終的にどうなるか。人に貶されようが何されようがそんなの全部溶け込ませて、いい味にする。それだけのこと。