2000/05/09(Tue)

 5月。この季節になると理由もなく焦ってくる。体に重くのしかかっていたコートを脱いで、夏へ向かう。いち早く春夏物を買い込んだアパレル店員のあの娘は、待ってましたといわんばかりに鼻の穴を広げて歩く。まるでこの世で一番自分が優れているかのように。たとえ誰も見ていなくても、彼女は架空の視線に対して敏感になっている。人からどう見られているか。

 人からどう思われようと関係ない、自分は自分、いつも自然体。そんな人いるわけない。いるわけがないんだ。本当は気にしているくせにそれを出さないのがもっと厭らしい。だったら私を見て見て光線出してるコギャルやホストとかの方がよっぽど人間らしい。

「どうせ一生会わないんだから何してもいいでしょ。」

そういう自分と

「一生会わないならいい印象を与えたい。」

そういう自分と。

 どちらが楽かといえば、後者の方が楽だ。人にいい印象を与えるなんて簡単な事だ。あえて悪い印象を与えるパワーを持ち合わせている人が、私は羨ましい。私はいつも、争いから逃げている。もう、疲れたんだ。

 嫌な感情を持った時、私はそれを表に出すことを嫌う。それを表に出した時に、倍になって帰ってくるのを恐れているんだ。嫌な感情が倍になるのを恐れている。だから、自分から遠ざかる。その場をにごす。

 勝ちか負けか、赤か白か、表か裏か。引き分け、ピンク、真ん中。私はそうやって生きてきた。格好悪いけど、本当にそうなんだ。適当に生きていても、こうやって笑って過ごせるならそれでいいと思っている。自分が本当にこだわれる物にさえパワーを注げればそれでいい。あとは適当。

 すごい勢いで燃えて、すごい速さで走って、そんな人はきっと明日死んでもいいんだろう。人生の絶対量は決まっている、誰かがそんなことを言っていた。とろ火でもいい。最終的に肉に火が通ればいいんだ。火が通らないうちはまずい肉なんだけれど。火が通れば、あの美味しい肉にも負けない。

 自分という肉があって、そこに何を合わせるか、何を入れるか自分で決める。時には予期せぬ物が入り込んで痛めつけるかもしれない。逆に痛めつけてしまうかもしれない。でもそれは結局は鍋の中に溶け込んで、味に深みを加える。無駄なものなんて何一つない。それによってアクが出たとしても、すくえばいい。根気づよく。それを面倒くさがるのなら、今までのものが台無しになる。濁った汁は濁ったまま。

時には冒険したくなることもあるだろう。それを人は止めるかもしれない。

「やめた方がいいよ。君のことを思って…。」

 その言葉を鵜呑みにしてやめるのは構わない。でも、それは自分の鍋だ。自分が食べるんだよ。その人じゃない。その鍋をまだ作り始めたばかりなら、そんなのいつでも修正が効く。迷うことなんてない。手を止める必要はない。ありきたりの味を求めても、そんなの限界がある。だったら面白いって言われたい。

 適当って言われても、いい加減って言われても、最終的にどうなるか。人に貶されようが何されようがそんなの全部溶け込ませて、いい味にする。それだけのこと。