気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ -36ページ目

気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

先日、以下の本を読みました。




この本のいいところは、このブログでも何度か取り上げているテーマである「自分の人生は、自分の思い描いた通りになってゆく」について、それが本当であることを現実に証明するための具体的な手法が数多く書かれていることではないかと思います。

「自分の人生が、自分の思い描いた通りになる」 - 非科学的だと思われるかも知れませんが、これは間違いなく真実だと思います。
※非科学的、というのは2015年現在の科学では証明できないというだけであって、ひょっとしたら千年後の科学では当たり前のことになっているのかも知れません。

この類の書籍は、数えきれないほど出版されていますし、自分も何冊か読んできました。
また、自分の人生を振り返ってみても、結局のところこれまで起こってきたことというのは、自分の深層心理が持っていたイメージ通りだったと思います。

ただ、やはり深層心理をコントロールすることは簡単ではないため、どうしてもその「自分の人生は自分の思い描いた通りになる」ということが現実に起こっていることが信じられないものだと思います。
例えば、単純な例で言えば、「10億円いきなり手に入る」と、深層心理のレベルで信じることができれば本当に10億円は手に入るはずなのですが、実際にはなかなか心の底から10億円手に入ることをイメージして信じきれないため、10億円が実際に手に入らない、というようなことかと思います。

しかしながらこの本では、現実社会での実験を通してその原則が本当であることを読者に理解してもらうように工夫されています。
たしかに、実験を通して自分が経験したことであれば、何十冊も本を読んだりするよりも、はるかに自分の腑に落ちて、その原則が本当であることを、自分の深層心理が認めるかと思います。

そうなればしめたもので、あとはより自分の状況に合わせた「望んでいる状態」を持ち続けることで、自分の望むことが(場合によっては形を変えて)実現することを確認するだけだと思います。


なお、自分もこの本に載っている実験をいくつかやってみました

実はうまくいかなかった実験もあったのですが、それはおそらく、あまり実験に集中する時間がとれなかったからだと思います。

それ以上に本の内容そのものも説得力があり、価値の高い本だと思います。

うちの子は、この4月から新しい保育園に行きます。
したがって3年間通い続けた今の保育園を卒業します。

今までの保育園は認証保育(保育料が高い)だったのですが、新しい保育園は認可保育(保育料が安め)です。3年間申請し続けて、やっとかなった認可保育への転園です。

新しい保育園はうちの近くですし、保育料が安くなるということで好ましいことではあるのですが、正直なところ、これまでお世話になってきた保育園を去るのが寂しく、複雑な心境です。

うちの子はと言えば、最初は新しい保育園に行くことを喜んでいました。
しかしそれは、「新しい建物」に、「これまでの保育園にいた先生も、お友達も、みんな一緒に」移動することだと誤解していたようで、事実が分かった時からさみしがるようになりました。


もう何日も前から、その卒園式のことを考えるだけで、大人 気もなく号泣しそうでした。

そしてとうとう、昨日は今の保育園の卒園式でした。
おそらく最後に、各クラスにわかれて父兄ひとりひとりからコメントをする時間があるだろうと思っていましたが、その時ちゃんと話せるか分かりませんでした。

ところが。
式が始まって、まず最初にその保育園の退職者が発表されたのですが、そこで、うちの子の担任を2回も(1歳児の時と3歳児の時)やってくれた先生をはじめ、5人もの主要な先生がこの3月で退職するか、ほかの保育園へと異動されることが発表されたのです。

自分の中の、今の保育園をやめる上でのひとつの大きな不安は、うちの子が信用している担任の先生と会えなくなることでした。
うちの子は、親の言うことを聞かなくても、担任の先生に言われたことは聞いたりするのです。
だから、新しい保育園に行くにあたって、うちの子が「○○先生(担任の先生)に会いたいよ~」と言い出すのではないかという不安が大きかったのです。

しかし、その先生は退職して、遠くの県へ引っ越してしまうのだそうで、だったら、保育園を変わろうが変わるまいが、結局その先生とは別れなければならなかったことになります。
そういう意味では保育園を変わることに対する後悔は、する必要はなかったということが分かりました。

そう思ったらなんだか安心してしまい、号泣はしないですみました(笑)


ただそれでも、この3年間お世話になってきた保育園での経験や人間関係が、うちの子の今後の人生においての基盤になっていくことは間違いないでしょう。
何しろ、彼にとっての人生はじめての、家族以外での「所属集団」だったわけですから。

自分も自分がウン十年前に保育園児だった時のことを結構鮮明に覚えていますが、やはりあの時あの場所で理解した「社会観」が、今でも自分の中の基盤を形成していると思います。
そういえばあの頃、仮面ライダー1号の変身ベルトをつけて登園してきた子が二人くらいいて、本当に羨ましかったです(笑)

あと数週間ではありますが、今の保育園での残りの時間を十分に楽しんで、いい思い出を作って、いつまでもそのことを忘れないで、素敵な人生の1ページとして大切にしてほしいものです。
先日、たまたまディスカバリーチャンネルで、宇宙の構造についての番組を見ました。

その中で一つ、非常に興味深かったのが、銀河系とアンドロメダ銀河との衝突についての話でした。

我々の銀河である銀河系と、同じ局部銀河群に所属しているアンドロメダ銀河は、40億年以内に衝突すると考えられています。

ちなみに、アンドロメダ銀河の方が銀河系よりも大きいと言われています。銀河系が約3000億個の恒星(もちろん太陽を含みます)で構成されているのに対して、アンドロメダ銀河の方は約1兆個の恒星で構成されていると考えられています。

また、地球からアンドロメダ銀河までの距離は約239万光年の距離であるとされており、地球から最も近い銀河であるおおいぬ座矮小銀河との距離約2万5千光年と比較するとかなり遠い距離にあることになります。

それでも、40億年で衝突する可能性があるということは、アンドロメダ銀河は遅くとも1億年で3万光年は移動していることになります。。。といっても速いのか遅いのかよく分かりませんね(笑)
もうすこし計算すると、1光年= 約9.5兆キロメートルですので、一年で27075000000キロメートルとなり、一秒間に858キロ移動していることになります。。。超速いですね。


そして、40億年くらい後の衝突ですが、興味深かったのは、なんと、銀河系の恒星と、アンドロメダ銀河がの恒星とが衝突する可能性はほぼ0%だということです。

我々の価値観で考えたらこれはあり得ないことです。
3000億個の恒星の集団と、1兆個の恒星の集団とが衝突するのに、一個もぶつからないなんて、想像できませんよね。
というか、半分以上の恒星がぶつかってしまうのかとさえ思っていました。

なぜぶつからないかというと、恒星と恒星との距離が離れすぎていて、ぶつかる可能性は無視できるくらい小さいのだそうです。
例えば太陽と最も近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリとの距離は4×10の13乗kmということですが(ちなみに太陽と地球の平均距離は約1億4960万kmです)、どのくらいの距離感かというと、Wikipediaによると「太陽をパリに置かれた卓球のボールだとすると、プロキシマ・ケンタウリはベルリンに置かれたエンドウ豆の大きさのボールに相当する」そうです。

つまり、銀河というのはスカスカなのですね。


では、銀河同士が衝突しても、恒星同士がぶつからないのであれば、すり抜けて、最終的には何事もなかったようにまた2つの銀河は遠ざかっていくのかというと、当然そうはならず、お互いの重力の影響により、まず原型を留めることはなく、融合残骸となり、クエーサーを形成し、最終的にはまた別の銀河になると考えられています。

では、われらが太陽系はどうなってしまうか、ということですが、12%の確率で新しい銀河からはじき出されるようですが、それでも太陽系に対する擾乱は発生しないと考えられているそうです。

とは言っても、そもそもアンドロメダ銀河と衝突する前に、今から約14億年後くらいには、太陽の表面温度が上がりすぎて地球の表面に液体の水が存在できなくなり、生命体はすべて死滅すると考えられていますので、あまり銀河の衝突に関して神経質になる必要はなさそうです。
今日は初めて、うちの会社の社長・次期社長および役員の皆様の面前で、プレゼンを行いました。

わずか10分程度の短い時間ではありましたが、人生の中でこれほど緊張することも少ないだろうと思えるような、自分にとっては大きな舞台でした。

そのプレゼンは、我々が企画している新しいプロジェクトについて紹介し、社長・役員の皆様の了解を得るためのものだったのですが、既にそのプロジェクトのために新しく派遣社員さんを雇う予算まで確保している状態でしたので、失敗は許されないものでした。

しかも、その前のセッションが押して時間がなくなっており、さらに時間を短縮するように言われて行ったので、さらに緊張感が増していました。

それでも、確かに自分の言葉で、説明することができたと思います。

プレゼン終了直後、現社長(有名な方です)からの質問もあり、そして「これはぜひ実行するべきです」と言っていただけて、さらに終了後、法務部からもこのプロジェクトに参加されたいというオファーをいただくとができました。
したがっておそらく、自分のプレゼンがそれなりに皆様に伝わったのだと思います。


なお、このプレゼンを行うために、昨夜は深夜に一人で10回以上練習しました。
通勤の電車の中でもずっと資料を見返して、会社についてからもう一回練習しました。

おそらくその練習が、功を奏したのではないかと思います。

そしてその深夜の練習の時間を作るために、子供のお風呂入れをやってくれたカミさんの献身的な協力に感謝しています。


もっとも、そのプロジェクト自体はこれでやっと現実味を帯びてきた段階ですので、一日も早く実施できるように、進めていきたいところです。
「それは生活費を稼ぐため」といってしまえばそれまでなのですが、特に、自ら進んで転職した人の場合には、その会社に何かしらの特別な思いがあったか、少なくとも選択肢に入り得る何かがあったからその会社を選んだのではないかと思います。

自分の場合も、今の会社には転職して入っていますが、今振り返って考えてみると、「今の会社にいる意味」が入社当時とは大きく変わっています。


思えば、今の会社に入った最大の理由は「その会社・部署が開発している製品が大好きだったから」でした。

その製品は、大げさに聞こえるかもしれませんが自分の人生を大きく転換してくれた製品でした。
同様な製品が競合他社からも発売されており、もちろんそれも試しましたが、やはりそれらと比べても根本的に良くできていました。

なので、その製品の開発の一部に参加できるというだけで、もはや給料がどうこうという問題ではなく、一つの大きな夢の実現でもありました。


しかし今、その製品の開発チームではないチームで働いており、あの頃のように「その製品が好きだからこの会社にいる」という理由は成立しなくなりました。

それでも今、この会社で働き続けたいと思える理由があります。
それは、学べることの多い、素晴らしい人たちと仕事ができるということです。

彼らと仕事をしていると、人間の限界というのはもっと高いものだったのだと思い知らされることがよくあります。

元々、ほぼ全員が自分よりもあらゆる面で能力が高い人ばかりであることに感動していましたが、それだけではなく「成功に必要な、物事の進め方」のようなものを体得している人が多いのです。
つまり、頭がいいだけではなく人間的にもできている人が多いのだと思います。

そういう人たちから学ぶことは多く、もしも自分も僅かでも彼らに近づくことができたならば、たとえどのような将来だったとしても役に立つと思います。


また、そういう人たちと仕事をしているときというのは不思議とネガティブな気持ちになりにくいものです。
例えばとても深刻で急を要する事態に対する緊急のミーティングなどであっても、彼らは決して感情で無駄な議論を重ねたりすることをせず、最も効率のいい方法を考えます。
そういう人達と仕事をすることで、自分自身も成長することができ、また一人で悩んで状況を悪くすることも避けられると思います。


いつまで居られるか わからない今の会社ではありますが、いられる間は、そういう素晴らしい人達と働くことができることを喜び、それを自分が成長するきっかけとできるようにしていきたいところです。
正直なところ、VAIOシリーズはもう終わったと思っていました。

というのも、SONYさんがPCビジネスから撤退することになってVAIO株式会社さんに引き継がれてからは魅力的なモデルは出ておらず、独自のメジャーアップデート版のPCの噂さえも長いこと聞いておらず、そもそもノートPCの市場自体本当に元気がなく、かつては特にノートPCの分野では強い人気のあったVAIOシリーズもワクワクするような状態になることはもはやないのだろうと思っていました。

もちろん、本当はVAIOさんには頑張ってほしいと思っていました。
これまでに、VAIOシリーズの新品のノートPCを個人で3台購入し、カミさんも2台購入しており、うちではかなりVAIOシリーズをひいきしてきたと思います。

特に最後に購入したVAIO type Zシリーズは本当に胸の躍る製品でした。
圧倒的なパフォーマンス、美しいデザイン、それでいて当時としては考えられない軽量なノートPCとしてリリースされ、もう本当に非の打ちどころがなく(高価であること以外は)、買うか買わないか迷うことなく買いました。
ZシリーズはVAIOのノートPCの中でも最上位モデルとして、その後2回ほどフルモデルチェンジし、特にノートPCの玄人には根強い人気を長く確保してきたと思います。

しかし、そのZシリーズもSONYさんのPC事業の撤退とともにその進化を止めてしまい、VAIOシリーズのフラグシップモデルはProシリーズに変わることとなりましたが、ProシリーズはZシリーズほどのワクワク感は感じられず、そういう意味でもVAIOシリーズは自分の中では終わったと思っていたのでした。


そんな矢先に登場した、VAIO株式会社初のオリジナルデザインによる新製品、VAIO Z
http://vaio.com/products/z/?banner_id=ggl_lst_zna_txt_150216

「VAIO Z」という名前を見ただけで興奮してしまいました(笑)
しかし、興奮したのはもちろん名前だけではありません。

このPCのセールスが厳しい時代に、惜しげもなく高価なテクノロジーを湯水のように使用し、予想をはるかに上回るハイスペックノートPCとして登場したのです。

何と言っても素晴らしいのはCPUだと思います。
この春の新しいモデルは、どのメーカーも最上位ノートPCには最高でもCore i7の5550Uか、同じく5500Uを使っているものがほとんどです。これらはTDP(消費電力の目安)が15Wと低めですが、クロックが2.00GHzか2.40GHzにとどまっております。
ところがVAIO Zでは、思い切ってTDP 28WのCore i7 5557Uを採用しました。そのためクロックが3.10GHzと高く、内蔵しているグラフィックスのチップも6100シリーズでワンランク上のものとなっています。

TDPが高い、ということでバッテリーの持ちや冷却効率が心配になりますが、バッテリーの性能向上により15時間持つということです。(ほぼ一日中持つと言えると思います)
しかも軽く、さらにACアダプターも小型化されています。
熱効率に関しても、独自開発の静音デュアルファンにより、静かでしかもキーボードの上が異常に熱くなったりしないようになっているそうです。

さらにメモリが16GB搭載可能で(8GBでもノートPCとしては贅沢だと思っていました)、SSDも上位モデルでは512GBが標準で、またそのSSDのアクセススピードも一般的なモバイルノートPCに使用されているSATAのSSDに比べて3倍以上のスピードとなっており、HDD(7200rpm)と比較すると実に16.5倍にもなるそうです。

タブレットPCに変化するギミックもすばらしく、現状考えられる最もいい形での変形を実現していると思います。

細かいところでは、スピーカーがVAIO Z専用に設計されたものを狭いスペースに配置されており、実に外付けスピーカーなしでも100人規模のプレゼンで動画再生などで使用しても問題ないそうです。


ほかにも書き足らない素晴らしい特徴がてんこ盛りなのですが、それでいてディスプレイ13.3インチで全体の重量が1.34kgと、このクラスでは最軽量と言える軽さなのです。

本当に、すべてが期待をはるかに上回る出来で、VAIO Zの名前に恥じない、最高性能ノートPCとして完成されていると思います。


まあお値段の方も豪華で、上記のようなスペックを全部入れていくと軽く30万オーバーとなり、逆にこのノートPCのセールスの厳しい時代によくぞこの値段で出してきた(というかこの値段にならざるを得ない超高性能モデルを開発してきた)と思います。

VAIOファン、特にZシリーズにこだわる者としては、これは躊躇せず買いですね
先日法事で実家に帰った時に、小学生・中学生のころの通信簿(成績表)を発見しました。

当時は見るのも嫌だった成績表ですが、今になってみてみると意外な発見があり、面白いものです。

もっとも興味深かった発見は、自分は小学生だった頃は意外にも国語が得意科目で、算数が苦手科目だったということです。

自分の場合、記憶にある限り自分の人生は「極端に理系派の人間」として歩んできました。
ソフトウェア開発のエンジニアに対する強いこだわりはもちろん理系特有のものですし、字が下手なのも(本来関係ありませんが)自分は理系に偏った人間だからということで言い訳にしてきました。
受験では数学と物理だけでどこまで得点を伸ばせるかがすべてで、国語と社会が試験科目にない大学・学部を選ぶことが必須でした。
(もっとも、当時行きたかった大学は理系の中の理系と言えるような大学だったため、結果的には国語・社会を受験のために勉強しなおす必要はありませんでした)

また、小学生の頃の成績表でもう一つ興味深かったのは、「図画工作」の成績が悪かったということです。
モノ作りが大好きな今の自分としては、これは意外でした。
おそらく、絵の具を使って絵を書くことが物凄く下手だったため、絵画の課題があるときは図画工作の成績が悪くなっていたのだろうと思います。


そして中学生になると、1年生の前半くらいまでは国語・社会の方が、数学・理科に比べて成績が良かったのですが、段々その差がなくなり、3年生になる頃には逆転していました。

おそらく成績が逆転した原因は、中学では数学や理科が面白くなってしまったからだと思います。
よく言われることですが、小学校の算数は、その計算方法の根拠や理由はあまり説明されずひたすら早く正確に数字を使った計算をする能力が求められますが、中学校ではむしろ、なぜそのような計算になるのか、証明問題なども含めてその根拠を重要視する傾向にあったと思います。
自分の中で腑に落ちたことを応用して行使するのは好きなので、中学の数学は自分にとって楽しかったのだと思います。

中学時代に数学が楽しくなり、そしてその絶妙なタイミングで、PCプログラミングという理系の代名詞のような世界にどっぷりはまり、結局その流れでこれまで「極端に理系に偏った人間」として、自分自身も疑うことなく生きてきました。
しかし実は自分はもともと、どちらかといえば文系に近い少年だったのでした。


しかしそういう事実を踏まえたうえで自分自身の内面と向き合ってみると、実は自分は極端に理系に偏った人間ではない、文系的な部分も大いにある人間なのではないか、という気がしています。

例えば、自分は文章を書くのが大好きです。
このブログにしても、本当は書きたいことが山積みで、本当は毎日でも、いや一日に複数回でも書きたいのです。
また、いわゆる物語を読むのが大好きです。その物語に対して自分なりの考察を語れと言われたら、大抵何時間でも話せると思います。
また、人間の「言語」に対して大変興味があり、結局日本語以外はものになっていないものの、複数の言語を学んできました。

そう考えると、自分は超理系の人間だと思っていたのは単なる思い込みであり、また自分にできることは何かを考えるうえであまり制限を設けて考える必要はなく、色々なことができる可能性がまだあるのかも知れませんね。

そしてそれは自分だけのことではなく、おそらく、「自分はこういう人間だから、こういうことは無理だ」というように思いこんでる方も、実際にははるかに大きな可能性を持っていらっしゃり、ただほんの少しだけ自分の中の考え方の制限を外すだけで、一気にその可能性が広がるのではないかと思います。
今回は少々苦労しました。

今回行ったのは、ラズパイと光センサー、AD変換器を接続して、周囲の光の明るさをPC側(ラズパイ側)に入力してその明るさの数値を表示するという実験です。
これができると、例えば部屋が明るくなった時だけ音楽が再生されるとか、色々なことに応用できると思います。

しかし、光センサーのようなアナログ機器を直接ラズパイで制御することはできませんので、AD変換器を仲介させる必要があるのですが、そうすると一気に難しくなります。

前回までは、電源のオン・オフを制御するだけでしたので、プログラムも単純だったのですが、AD変換器を制御するとなると、まずクロック信号を送ってシリアルデータの入力時の同期を取るようにし、AD変換器から送られてきたデジタル信号(シリアル信号)をプログラム側でビットシフトなどを使って数値に変換する必要があります。

しかし幸い、自分たちが高校生だった頃と違って、今では有益な情報がネット等でいくらでも入手できますので、あまり試行錯誤は必要なく、入手した情報を間違いなく具現化すれば動くはずなので、リスクは少ないと思います。

また、使用したパーツも極めて安価で、AD変換器は数百円、光センサーは発光ダイオードで代用できますので、一個当たり数十円です。

ブレットボード上に、以下のように配線して(※配線を間違えないように各線にタグを付けています。。)、Pythonで書いたプログラムを実行すると



うまくいきました。
懐中電灯で光を当てたり、手でセンサーを隠して光を減らしたりすると、表示される数値がそれに比例して変化することが確認できました。
なかなか感動的でした。





ただ、自分の高校時代の友人たちの多くは、そういった制御を専門に仕事をしていたり、高校時代から既に上記以上のレベルの回路とプログラムを自分で作っていたりと、レベルの高い人達が多いのですが、彼らにとってはきっとこのような実験は、初歩中の初歩なのだろうなと思いました(笑)

それでも、AD変換を使えるようになったことで、光センサー以外の様々なセンサーを使えるようになりました。
とりあえず圧力センサーを既に購入してありますので、次はそれを実験してみたいと思います。
先日、叔父さんの四十九日の法要があり、実家に一泊したのですが、一人で実家にいるとやはり実家に住んでいたころのこと、つまり高校時代よりも前のことをよく思い出します。
今回思い出したエピソードを、いくつか書きたいと思います。

この記事は、その中の一つになります。

・・あれは中学3年生の時でした。
偶然、クラスの女子達が、自分の悪い噂をしているのが聞こえてしまったのです。

「・・・でも、アイツのノートって、もっのすごく汚いらしいよ?」
「えーそうなのー。じゃあ借りても仕方ないよねー。」
というような会話でした。

実はそれが結構ショックというか、驚きでした。
というのは、当時自分は自分のノートには絶対的な自信があったのです。
自信があった、というよりも、自分にとってノートを書く(あえてノートを取る、ではなくノートを書く、という表現をしています)、という行為は自分の中の脳内の整理をするための行為であり、ノートを書くことで授業で学んだことを「自分のもの」として定着させていたのです。

だから、あの頃のノートは自分にとっては宝であり、ノートを書かなかったら知識が定着せず、成績などもずっと悪かったと思います。

なので、その自慢のノート、単なる黒板の模写ではなく、知識を定着させるための工夫がつまったそのノートを否定されたことは当時としては本当に驚きでした。


でも今は少し、それがどういうことだったのかわかる気がします。
第一に、すべての人が、自分と同じ理解の仕方で知識を脳内に定着させているわけではない、というこです。
人にはそれぞれ独自の記憶方法、理解方法があるわけで、自分の理解・記憶のパターンに合わせて書かれたそのノートが万人にとって有益なものではなかったのだと思います。

第二に、これは想像ですが、そのクラスの女子達にとっての「良いノート」というのは、きれいな字できれいなレイアウトで書かれた、「表面の美しいノート」だったのではないかと思います。
おそらく彼女たちが借りたかったノートは、先生が黒板に書いたことを完璧にコピーしたもので、かつ字が美しいものだったのではないかという気がしています。

自分のノートは、必ずしも黒板に書かれていることのコピーではありませんでしたから、もしも彼女たちが正確な黒板のコピーを求めていたのならば、自分のノートはダメなノートだったはずです。


それで先日、叔父の四十九日の際に実家に立ち寄って、自分の中学時代のノートを見てみました。
・・うーん、字が汚い!
これじゃあ、知識を定着させるための記述だの、単なる黒板のコピーではないだの、色々言っても話にならない、だれも見向きもしなくて当然だったな、と思いました(笑)

これは面接試験などと同じで、仮に内容自体はいい面があったとしても、あまりにも表面上の部分(服装とか、挨拶とか、マナーとか)が悪いとそのいい面にたどり着く前にダメ、ということになってしまうのと同じなのだと思います。l

もう少し字をきれいに書かないと、人が借りたいと思ってくれるようなノートにはならなかったのですね。
自分たちが保育園児だったころ、ロボットアニメの「マジンガーZ」が大人気でした。
その関連のおもちゃが多数販売され、特に超大型のマジンガーロボの人形?は圧巻でした。
全長が、当時の自分のおへそくらいの高さまであって、腕が取れる(ロケットパンチ)ようになっていて、他にもいくつかのギミックがあって、とにかく憧れの的でした。

しかし当時、それを買ってもらうことはできませんでした。
理由はちょっと覚えていませんが、多分大きすぎて置き場所に困るということだったのではないかと思います。
(ちなみに代わりに「超合金」のレッドバロンを買ってもらい、塗装が剥げるまで遊んだのを覚えています。)

その話をカミさんにしたところ、なんと彼女はそれを子供のころ買ってもらったというのです。
女の子で、マジンガーZの超大型モデル・・よっぽど好きだったのでしょうね。


あの時代から何十年かが過ぎ、今我々の子供がはまっている「トッキュウジャー」に出てくる大型ロボットにも、やはりマジンガーZの超大型モデルと同じように、子供の腰くらいまでの高さがあるような大型のおもちゃが存在します。

ただ、我々はミニプラで既にそのロボットの合体ギミックの遊びを子供に提供しており、しかも彼は期待以上にそのおもちゃから数々の物理法則を学び取ってくれました。
また、「トッキュウジャー」のTVでの放送自体、もう数週間で終わります。
さらに、その大型のおもちゃはやはり金額的にもかなり値が張ります。
まあお金の問題は、手が出ないほどの金額ではないからいいとしても、最大の懸念は、あまりにも欲しいものを与えすぎてもいけないということがありました。
なので自分としてはもう、その大型のおもちゃを買う必要はないだろうと思っていました。

しかし先日、トイザらスにみんなで行ったときに、その大型のおもちゃがショーケースに展示してあったのですが、それを見たカミさんが、今となってはめったに見せてくれないような喜びの笑みを浮かべ、本当に嬉しそうだったのです。
思えば、マジンガーZの超大型モデルを、あの時代(今とは比較にならないレベルで、女の子は女の子らしく、という半強制的な教育が普通に行われていたと思います)に親を説得?して手に入れた女の子が、この現代のギミック満載の超大型モデルに興味を示さないわけはありませんでした。

なんだかそんなカミさんを見ていて、これはもう、買うべきだと思ったのでした。
もちろん実際には子供が遊ぶおもちゃになるのですが、カミさんのために買ってあげたいと思ってしまったのでした。

ところが、もう最終回も近い番組のおもちゃということで在庫がどんどん無くなっており、なんとそのショーケースに飾られていたおもちゃは、既にそこには在庫がなかったのです。
悔しくなってそのまま新宿にも行き、2~3件回りましたが、結局それを売っているところはありませんでした。


しかし、その後で思いました。
そのように、最終回が近くなって在庫がないようなおもちゃならば、逆にもういらなくなって売りたがっている人も少なくないのではないかと。
また、別にピカピカの新品である必要はなく、どのみちうちの子もカミさんも、数か月後にはそのおもちゃで遊ばなくなるでしょうから、中古でも十分です。

今ではヤフオクなどの便利なシステムがありますので、そういう売り手を探せば、かえって新品を高値で買うよりもいいのではないかと思いました。

そしてめったに使わないヤフオクで探したところ、数件の出品があり、結局一番良さそうなものを、最後の15分はPCの前にへばりついて、落札することができました(笑)

そして実物を手にすると・・




おそらく、この大きさはあのマジンガーZの超大型モデルとほぼ同じくらいのスケール感のモデルではないかと思います。
しかし、自分が大きくなり、このおもちゃも、あのマジンガーZの超大型モデルほどの圧倒的な印象を受けませんでした。(当たり前ですね。。)

しかしきっと、うちの子にとっては、きっとあの頃自分がマジンガーZの超大型モデルを見たときと同じ圧倒的な迫力を、感じているのでしょうね。

うちの子は何度も何度も、「ありがとう」を繰り返し、本当に嬉しそうです。
また、今度はミニプラとは違った、ある程度力を使ってはめ込んだりするギミックから学ぶ、やや大きめの物理的法則と、そして組み立ての順序や方法によって変わってくる効率やクオリティの違いを、体で学び取ってくれることを期待しています。