小学生時代の自分を振り返って、自分の中の忘れていた面を思い出そう | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

先日法事で実家に帰った時に、小学生・中学生のころの通信簿(成績表)を発見しました。

当時は見るのも嫌だった成績表ですが、今になってみてみると意外な発見があり、面白いものです。

もっとも興味深かった発見は、自分は小学生だった頃は意外にも国語が得意科目で、算数が苦手科目だったということです。

自分の場合、記憶にある限り自分の人生は「極端に理系派の人間」として歩んできました。
ソフトウェア開発のエンジニアに対する強いこだわりはもちろん理系特有のものですし、字が下手なのも(本来関係ありませんが)自分は理系に偏った人間だからということで言い訳にしてきました。
受験では数学と物理だけでどこまで得点を伸ばせるかがすべてで、国語と社会が試験科目にない大学・学部を選ぶことが必須でした。
(もっとも、当時行きたかった大学は理系の中の理系と言えるような大学だったため、結果的には国語・社会を受験のために勉強しなおす必要はありませんでした)

また、小学生の頃の成績表でもう一つ興味深かったのは、「図画工作」の成績が悪かったということです。
モノ作りが大好きな今の自分としては、これは意外でした。
おそらく、絵の具を使って絵を書くことが物凄く下手だったため、絵画の課題があるときは図画工作の成績が悪くなっていたのだろうと思います。


そして中学生になると、1年生の前半くらいまでは国語・社会の方が、数学・理科に比べて成績が良かったのですが、段々その差がなくなり、3年生になる頃には逆転していました。

おそらく成績が逆転した原因は、中学では数学や理科が面白くなってしまったからだと思います。
よく言われることですが、小学校の算数は、その計算方法の根拠や理由はあまり説明されずひたすら早く正確に数字を使った計算をする能力が求められますが、中学校ではむしろ、なぜそのような計算になるのか、証明問題なども含めてその根拠を重要視する傾向にあったと思います。
自分の中で腑に落ちたことを応用して行使するのは好きなので、中学の数学は自分にとって楽しかったのだと思います。

中学時代に数学が楽しくなり、そしてその絶妙なタイミングで、PCプログラミングという理系の代名詞のような世界にどっぷりはまり、結局その流れでこれまで「極端に理系に偏った人間」として、自分自身も疑うことなく生きてきました。
しかし実は自分はもともと、どちらかといえば文系に近い少年だったのでした。


しかしそういう事実を踏まえたうえで自分自身の内面と向き合ってみると、実は自分は極端に理系に偏った人間ではない、文系的な部分も大いにある人間なのではないか、という気がしています。

例えば、自分は文章を書くのが大好きです。
このブログにしても、本当は書きたいことが山積みで、本当は毎日でも、いや一日に複数回でも書きたいのです。
また、いわゆる物語を読むのが大好きです。その物語に対して自分なりの考察を語れと言われたら、大抵何時間でも話せると思います。
また、人間の「言語」に対して大変興味があり、結局日本語以外はものになっていないものの、複数の言語を学んできました。

そう考えると、自分は超理系の人間だと思っていたのは単なる思い込みであり、また自分にできることは何かを考えるうえであまり制限を設けて考える必要はなく、色々なことができる可能性がまだあるのかも知れませんね。

そしてそれは自分だけのことではなく、おそらく、「自分はこういう人間だから、こういうことは無理だ」というように思いこんでる方も、実際にははるかに大きな可能性を持っていらっしゃり、ただほんの少しだけ自分の中の考え方の制限を外すだけで、一気にその可能性が広がるのではないかと思います。