実は、今回のStar Wars ローグ・ワン は、映画館で観なくてもいいかな、と思っていました。
というのも最初に聞いたこのコンセプトは「もう一つの Star Wars」ということで、本編のストーリー展開とは直接関係ない、別の話だと思っていたからです。
しかし、それはとんでもない誤解でした。
これはもう、欠かすことのできないメインストーリーの一部です。
というか、下手をすればエピソード1・2・3以上に、エピソード4とつながっている話だと思います。
もちろん、エピソード1・2・3は、ダースベイダーの誕生を描いた話ですので、これなくしてエピソード4もあり得ないのですが、「話がつながっている」という観点では今回のローグ・ワンの方がはるかにつながっていると思います。
エピソード4の始まりは、レイア姫達が脱出しているところにダースベイダー達が追いつき、攻め込んでくるところから始まるわけですが、今回のローグ・ワンは、その直前の瞬間までを描いていますので、本当に直結しています。
ローグ・ワンを見る数日前に、自分はエピソード4を見直してから行ったのですが、それは大正解でした。
これからローグ・ワンを見られる方には、ぜひ事前にエピソード4を見直されることをお勧めしたいです。
最初の10分だけでも見直しておくと、すべてがつながった気分になれると思います。
自分の場合さらにローグ・ワンを見て帰宅した後、またエピソード4を見てしまいました。
多分、ローグ・ワンを見た興奮が冷めやまない人の多くは、似たような行動をとったのではないでしょうか。
そもそも、エピソード4の始まりは、ちょっと急展開過ぎる始まり方でした。
エピソード4の映画の冒頭で、立体的に流れてい行くテロップの中で、現在帝国軍が優位であること、そんな中初めて反乱軍が勝利したこと、その中で帝国軍の超巨大兵器・デス・スターの設計図を奪うことに成功したこと、その設計図をレイア姫が持って、逃げている途中であること、までが紹介されます。
しかし、そんな複雑な展開が、わずか1分程度のテロップで流されるだけで終わってしまい、いきなりレイア姫の乗っている宇宙船が襲われるところから始まるのですから、かなり強引だったと思います。
しかし、今回のローグ・ワンは、要するに上記のテロップで流されていたストーリーを映画化したものと言える内容ですので、これはもう、エピソード4の一部というか、エピソード4.5というか、4.9といってもいいのではないかと思います。
また、「子供だましのアクションSF映画」という酷評をされてしまうこともあったエピソード4ですが、今回のローグ・ワンの中で語られる背景・根拠により、そういった評価も変わるか可能性があると思います。
というのも、子供だましと言われてしまった理由の一つが、帝国軍の総力を結集して作った巨大兵器・デススターが、その一部分を主人公の戦闘機から攻撃されただけで、全部大爆発してしまったのですが、現実的にそんなモロい設計にするわけはなく、もっと冗長性を持たせて作るに決まっているのですが・・・というあたりが、子供向けのヒーロー映画の延長と言われてしまった所以のひとつだったと思います。
しかし、デススターにそのような弱点があった、というか弱点を作りこんだ背景には深い事情があり、それがローグ・ワンですべて明らかになっています。
きっと、エピソード4を酷評した映画評論家の方々も、考え直さなくてはならないと思ったのではないでしょうか。
また、今回は「映画作りの技術」の観点からも感心しました。
一瞬ではありますが、レイア姫が、エピソード4の時と全く同じ容姿で登場するのですが、当然同じ女優(キャリー・フィッシャーさん)で今回撮影したものではないはずです。35年前ですからね。。
あるとすれば、CGだけで再現したか、もしくはそのシーンがいつか使われることを見越して、35年前に既に撮影されていたかのどちらかでしょう。
しかし、後者は難しいと思います。
仮に撮影されていたとしても、映像のクオリティが35年前とはまるで違いますので、今の映像の中に差し込むには無理があるかと思われます。
となると、やはりCGだけで再現したのでしょうね。
CGで再現した人間というと、我々の先入観では、よくファイナルファンタジーなどのゲームで再現されているような、アニメと実写の中間くらいの人間を想像してしまいます。
しかし、現在のCG技術というのはそれよりもはるかに上で、かかる工数や時間を考慮しなくていいのであれば、実写の主人公の俳優を違和感なくCGだけで作りこむこともできるようですので、多分そういうレベルの技術を使って若き日のレイア姫を再現したのではないかと思われます。
これで、エピソード3からエピソード4へのつなぎがしっくりきたところで、来年は再び最新の時代に戻ってエピソード8・・・
それはもちろんとても楽しみですが、こうも時代を行ったり来たりする展開(エピソード4から始まって,5,6,そこから20年近く空けて1,2,3,さらに10年くらい空けて7,4.5,8・・・)は、どうにかならなかったものでしょうかね? (笑)
先日、うちのチームの中で最も長く在籍されていた方が、新たな挑戦をされるということで他のチームへと異動されました。
そして、気が付いてみると、日本の中では自分が一番このチームに長く在籍している人になってしまいました。
もっともアジア全体で見れば、部長をはじめ、自分よりも長くいる人はまだまだいるのですが、物理的に日本にいる人だけで見ると、自分が最長老となってしまいました。。
自分の中では、自分はまだまだ新参者の部類だったのですが、あれよあれよという間にみなさん異動されたり、卒業されたりして、いつの間にかこんなことに。。
しかし現実には、どうひいき目に見ても、自分よりも後から入られた方々の方がはるかに能力が高くて仕事も早く、そして頼りになります(笑)
こういう特殊?な状況において考える必要があるのは、いったい自分がチームのためにできることは何で、そしてなぜ自分がこのチームにいる意味があるのか?ということかと思います。
言い換えれば、もしも自分がこのチームにいる意味を自分自身で見いだしてしかもそれを証明できないのであれば、もう長くはチームにいられない、ということだと思います。
自分がチームのためにできることは何か。。
それを考えるためには、自分のStrength(強み)は何かを明確にするところから考える必要があると思います。
うーむ。。
真っ先に思いつくのが、プログラミング技術だったり、大規模ソフトウェア開発のプロジェクトマネージメントだったりというところですが、それは少なくとも直接は役に立ちそうにありません。
ソフトウェアを開発するチームでも開発サポートをするチームでもないからです。
カタコト英語を話すことができるというのもダメです。
そもそもこのチームの標準言語は英語なので、逆に今の自分の英語のレベルでは、本来必要なレベルに足りていない状況です。
では、ここ数年そればかりやってきたといっても過言ではない、ビジネスプレゼンテーション、レポーティング、データ分析については・・これもやっと最近上司のダメ出し・ほとんど全部やり直しが少なくなってきたレベルで、まだまだStrengthとは言えないです。
他には・・コミュニケーション能力、交渉能力といった部分も、他のメンバーに比べて卓越しているわけでもなく、そもそもそのあたりは元来あまり得意ではありませんでした。
そう考えていくと、自分のStrengthって・・ないですね。
今のままでは、今後新しいポジションに応募したり、いづれはくるであろう転職しなければならなくなったときに、自分を売り込む材料がない、ということになります。
ではチームのためにできることは何か、という観点で考えると、
とりあえず、現在募集中の、新しく入られる方のOnboarding (導入支援)は必ずやらなければならないと思います。
それから、現在兄弟チーム的な位置づけにあるチームで行おうとしている改革に、うまくうちのチームが合わせられるようにドライブするということと、最終的に日本の現場にとっていい形になるように調整するといったことも、やっていけたらと思います。
つまり、チームや会社のために行うべきところは、大雑把に言えばビジネスマネージメントであり、今後目指すべき役割は、ビジネスプログラムマネージャー、といったところになるかと思われます。
ただ、自分が本当に好きなこと、やりたいことというのは、本来は科学技術、ソフトウェア技術です。
先日も会社の前の部署の大先輩と、科学の話、技術の話をしましたが、やっぱり時間を忘れてしまう面白さで、そういった科学技術を現実の世の中の発展のために具現化していく仕事というのは自分の中では夢の仕事でした。
しかしながら、そういうことで生計を立てていける人というのは確実に減っていると考えられます。
科学や技術が進化して自動化できるようになってきたことで、科学者や技術者の需要が減り、結果それらを仕事にできる人が限られてしまったという状況かと思われます。
ただ、それは進化の結果なので、正しい方向だと思います。
なので、まずは今できること、今やるべきことを確実にできるようにし、自分の中の将来の方向性としては、ビジネスマネージメントのスキルを伸ばしてそれをStrengthとできるようにしていきたいところです。
そして、気が付いてみると、日本の中では自分が一番このチームに長く在籍している人になってしまいました。
もっともアジア全体で見れば、部長をはじめ、自分よりも長くいる人はまだまだいるのですが、物理的に日本にいる人だけで見ると、自分が最長老となってしまいました。。
自分の中では、自分はまだまだ新参者の部類だったのですが、あれよあれよという間にみなさん異動されたり、卒業されたりして、いつの間にかこんなことに。。
しかし現実には、どうひいき目に見ても、自分よりも後から入られた方々の方がはるかに能力が高くて仕事も早く、そして頼りになります(笑)
こういう特殊?な状況において考える必要があるのは、いったい自分がチームのためにできることは何で、そしてなぜ自分がこのチームにいる意味があるのか?ということかと思います。
言い換えれば、もしも自分がこのチームにいる意味を自分自身で見いだしてしかもそれを証明できないのであれば、もう長くはチームにいられない、ということだと思います。
自分がチームのためにできることは何か。。
それを考えるためには、自分のStrength(強み)は何かを明確にするところから考える必要があると思います。
うーむ。。
真っ先に思いつくのが、プログラミング技術だったり、大規模ソフトウェア開発のプロジェクトマネージメントだったりというところですが、それは少なくとも直接は役に立ちそうにありません。
ソフトウェアを開発するチームでも開発サポートをするチームでもないからです。
カタコト英語を話すことができるというのもダメです。
そもそもこのチームの標準言語は英語なので、逆に今の自分の英語のレベルでは、本来必要なレベルに足りていない状況です。
では、ここ数年そればかりやってきたといっても過言ではない、ビジネスプレゼンテーション、レポーティング、データ分析については・・これもやっと最近上司のダメ出し・ほとんど全部やり直しが少なくなってきたレベルで、まだまだStrengthとは言えないです。
他には・・コミュニケーション能力、交渉能力といった部分も、他のメンバーに比べて卓越しているわけでもなく、そもそもそのあたりは元来あまり得意ではありませんでした。
そう考えていくと、自分のStrengthって・・ないですね。
今のままでは、今後新しいポジションに応募したり、いづれはくるであろう転職しなければならなくなったときに、自分を売り込む材料がない、ということになります。
ではチームのためにできることは何か、という観点で考えると、
とりあえず、現在募集中の、新しく入られる方のOnboarding (導入支援)は必ずやらなければならないと思います。
それから、現在兄弟チーム的な位置づけにあるチームで行おうとしている改革に、うまくうちのチームが合わせられるようにドライブするということと、最終的に日本の現場にとっていい形になるように調整するといったことも、やっていけたらと思います。
つまり、チームや会社のために行うべきところは、大雑把に言えばビジネスマネージメントであり、今後目指すべき役割は、ビジネスプログラムマネージャー、といったところになるかと思われます。
ただ、自分が本当に好きなこと、やりたいことというのは、本来は科学技術、ソフトウェア技術です。
先日も会社の前の部署の大先輩と、科学の話、技術の話をしましたが、やっぱり時間を忘れてしまう面白さで、そういった科学技術を現実の世の中の発展のために具現化していく仕事というのは自分の中では夢の仕事でした。
しかしながら、そういうことで生計を立てていける人というのは確実に減っていると考えられます。
科学や技術が進化して自動化できるようになってきたことで、科学者や技術者の需要が減り、結果それらを仕事にできる人が限られてしまったという状況かと思われます。
ただ、それは進化の結果なので、正しい方向だと思います。
なので、まずは今できること、今やるべきことを確実にできるようにし、自分の中の将来の方向性としては、ビジネスマネージメントのスキルを伸ばしてそれをStrengthとできるようにしていきたいところです。
ギターの練習を開始してから、もうすぐ半年が経とうとしています。
これまで自分は、楽器の演奏というのは、結局誰かに聞いてもらって初めてその価値が生まれるものだと思っていました。
もちろん自分一人で練習して、自分一人でうまくなって、自分一人で喜ぶという楽しみ方もあると思っていましたが、きっとそれは楽しさも少なめだと思っていました。
しかし、半年やってみて、そうばかりではないことを理解しました。
練習を積んでいくうちに、できなかったことができるようになるという気持ちよさもありますし、自分が再現したいと思って行った操作(演奏)がイメージ通りに実現するという脳科学的な意味での気持ちよさもありますし、そしてなんといっても自分の好きな曲が自分の手で再現できるという喜びは、格別だと思います。
この達成感、気持ちよさは、人生の中で味わう様々な喜びの中でも、最上級に属するものの一つだと思います。
そして、ギターを弾いてみて思ったこと、それは自分はこんなにも音楽が好きだったのだ、ということでした。
思いかえせば自分は、昔から音楽が大好きでした。(※音楽の授業は嫌いでした)
小学生の頃、一番欲しかったものは多機能ラジカセ、そして大型コンポでした。(※それは音楽が好きというより、メカが好きだったのではないかというツッコミは、ここでは無しの方向で。。)
当時はレコードを自分で自由に買えるようなお金はなかったので、ラジオの音楽番組をチェックして、好きな曲が流れるとすかさず録音していました。
自分でレコードが買えるようになったのは、小学校高学年になってからでした。
最初に買ったEPレコード(シングル曲のレコード)は、高田みづえさんの「私はピアノ」だったと思います。
初めて買ったLPレコード(アルバム)は、オフコースのベスト盤だったと思います。
高校生の頃、年間50枚くらいLPレコードをレンタルレコード屋さんで借りて聞きました。
就職後、毎週、いや週に2回くらい職場の同僚の皆さんとカラオケに行く、という日々が続きました。
2000年代には、エリック・ジョンソン、スティーブ・ルカサー、ジョー・サトリアーニ、マイク・スターンといった超一流ギタリストの来日時には、必ず足を運んで生の演奏を聴いていました。
しかし、いつの頃からか、忙しい、新曲を積極的に追いかける必然性を感じなくなった、などの理由であまり積極的に音楽を聴くことがなくなっていました。
そんな時にギターを手にする機会に会い、自分の知っている古い曲の中で、好きな曲を練習し始めました。
そして気が付きました。
別に無理に新しい曲を選ばなくても、またジャンルを限定しなくても、ただ自分が本当に好きだった曲を、好きなように楽しめばいいのだ、というごく当たり前のことです。
そして、そんな自分が本当に好きだった曲で、長いこと聞いていなかったような曲をギターで再現すると、その曲のまた違った良さが見えてきたりして、本当に楽しいのです。
さらに、ギターを弾くことで大きくなってきた新たな興味、それは音楽理論です。
といってもそんな堅苦しいことをやりたいのではなく、ただ、好きな曲のコード進行やスケールがどういう根拠からできているのかをもっと知りたいという意欲が自然と湧いてきて、そしてそういった理論を理解したうえでギター演奏をすることでさらに楽しく弾けるのではないかと思っています。
ギターという、6本の弦を張っただけの単純な楽器が案内してくれる世界は、とても深くて長くて、そして素晴らしいものだと思います。
これまで自分は、楽器の演奏というのは、結局誰かに聞いてもらって初めてその価値が生まれるものだと思っていました。
もちろん自分一人で練習して、自分一人でうまくなって、自分一人で喜ぶという楽しみ方もあると思っていましたが、きっとそれは楽しさも少なめだと思っていました。
しかし、半年やってみて、そうばかりではないことを理解しました。
練習を積んでいくうちに、できなかったことができるようになるという気持ちよさもありますし、自分が再現したいと思って行った操作(演奏)がイメージ通りに実現するという脳科学的な意味での気持ちよさもありますし、そしてなんといっても自分の好きな曲が自分の手で再現できるという喜びは、格別だと思います。
この達成感、気持ちよさは、人生の中で味わう様々な喜びの中でも、最上級に属するものの一つだと思います。
そして、ギターを弾いてみて思ったこと、それは自分はこんなにも音楽が好きだったのだ、ということでした。
思いかえせば自分は、昔から音楽が大好きでした。(※音楽の授業は嫌いでした)
小学生の頃、一番欲しかったものは多機能ラジカセ、そして大型コンポでした。(※それは音楽が好きというより、メカが好きだったのではないかというツッコミは、ここでは無しの方向で。。)
当時はレコードを自分で自由に買えるようなお金はなかったので、ラジオの音楽番組をチェックして、好きな曲が流れるとすかさず録音していました。
自分でレコードが買えるようになったのは、小学校高学年になってからでした。
最初に買ったEPレコード(シングル曲のレコード)は、高田みづえさんの「私はピアノ」だったと思います。
初めて買ったLPレコード(アルバム)は、オフコースのベスト盤だったと思います。
高校生の頃、年間50枚くらいLPレコードをレンタルレコード屋さんで借りて聞きました。
就職後、毎週、いや週に2回くらい職場の同僚の皆さんとカラオケに行く、という日々が続きました。
2000年代には、エリック・ジョンソン、スティーブ・ルカサー、ジョー・サトリアーニ、マイク・スターンといった超一流ギタリストの来日時には、必ず足を運んで生の演奏を聴いていました。
しかし、いつの頃からか、忙しい、新曲を積極的に追いかける必然性を感じなくなった、などの理由であまり積極的に音楽を聴くことがなくなっていました。
そんな時にギターを手にする機会に会い、自分の知っている古い曲の中で、好きな曲を練習し始めました。
そして気が付きました。
別に無理に新しい曲を選ばなくても、またジャンルを限定しなくても、ただ自分が本当に好きだった曲を、好きなように楽しめばいいのだ、というごく当たり前のことです。
そして、そんな自分が本当に好きだった曲で、長いこと聞いていなかったような曲をギターで再現すると、その曲のまた違った良さが見えてきたりして、本当に楽しいのです。
さらに、ギターを弾くことで大きくなってきた新たな興味、それは音楽理論です。
といってもそんな堅苦しいことをやりたいのではなく、ただ、好きな曲のコード進行やスケールがどういう根拠からできているのかをもっと知りたいという意欲が自然と湧いてきて、そしてそういった理論を理解したうえでギター演奏をすることでさらに楽しく弾けるのではないかと思っています。
ギターという、6本の弦を張っただけの単純な楽器が案内してくれる世界は、とても深くて長くて、そして素晴らしいものだと思います。
今年の1月に、TVを新調しました。(そのときの記事はこちら)
しかしながら。。
これは今日や昨日に始まった問題ではありませんが、自分たちの見たいTV番組を見るということはほとんどできません。
子供がずっと、ディズニー関係の番組をケーブルTVで見ているか、ヒーローものの録画番組を見ているか、借りてきたDVDを見ているからです。
TVを見ていないとなると、兄弟がいないということもあって、大人が遊んであげる必要が生じることが多く、結局自分たちが見たいTV番組を見るということはほとんどありません。
どうしても見たい番組は、録画しておいて、後日タイミングを見計らって見ればいいからいいのですが、やっぱり朝軽くニュースを流しておきたかったり、休日の夜にバラエティー番組を流しておくといったことができない状況でした。
そこで、テーブルの上におけるようなサイズの小型TVを、導入して見ることにしました。
なお、フルセグチューナーのついているスマホを使えばそういったポータブルTVの代わりになると思われるかも知れませんが、うちはVHF/UHFの電波の入りが悪く、窓際に立っていても入ってきません。
それにスマホでは、大きさはせいぜい5.5インチくらいになると思いますが、さすがにその大きさだと、軽く番組を流しておいて複数の人がチラ見する、という使い方をするには無理があります。
早速販売店の、「小型テレビ」のコーナーに行ってみると。。
大きいのですよ、十分に。
ちょうど、デスクトップPCのディスプレイくらいのサイズ(19インチから24インチくらい)は、今では「小型TV」なのですね。。
そのサイズでは、家族3人で座るようなテーブルの隅の方に置くには大きすぎます。
・・まあ置いておけないことはなさそうですが、圧迫感がありそうです。
そういうものではなくて、もっと小さくて、iPadくらいの大きさで十分なのです。
ところが「小型TV」のコーナーには、そういうサイズのものがなかったのです。
それでどうしたものかと思い、探してみると。。
「小型モニタ付き ポータブルDVDプレイヤー」のコーナーに、TVチューナー内蔵モデルが沢山ありました。
しかも2~3万円くらいで購入できるものが多く、コスト的な負担も少なめでした。
しかもそれらの「TVチューナー付きDVDプレイヤー」であれば、通常の家庭用のアンテナ線が接続できるようになっており、うちのような電波の入りが悪いところでも、ポータブルアンテナではなく屋外のアンテナのケーブルからとることができるので、問題ありません。
※安いカーナビを使って、TVの視聴だけするという方法も検討しましたが、やはりアンテナ線との接続に問題があり、やめました。
結局今回購入したのは以下のモデルです。
Bluelayも見られるということで、最初に見ていたモデルよりも若干高くなりましたが、今後のことを考えてこちらにしました。
使ってみると。。
デフォルトでDVDプレイヤーとして起動するので、いちいちTVモードに切り替えなくてはならないということと、番組表がさすがにREGZAと比べると見劣りしますが、当初の目的であった「軽くニュースやバラエティー番組を流しておく」という用途にはぴったりです。
しかしながら。。
これは今日や昨日に始まった問題ではありませんが、自分たちの見たいTV番組を見るということはほとんどできません。
子供がずっと、ディズニー関係の番組をケーブルTVで見ているか、ヒーローものの録画番組を見ているか、借りてきたDVDを見ているからです。
TVを見ていないとなると、兄弟がいないということもあって、大人が遊んであげる必要が生じることが多く、結局自分たちが見たいTV番組を見るということはほとんどありません。
どうしても見たい番組は、録画しておいて、後日タイミングを見計らって見ればいいからいいのですが、やっぱり朝軽くニュースを流しておきたかったり、休日の夜にバラエティー番組を流しておくといったことができない状況でした。
そこで、テーブルの上におけるようなサイズの小型TVを、導入して見ることにしました。
なお、フルセグチューナーのついているスマホを使えばそういったポータブルTVの代わりになると思われるかも知れませんが、うちはVHF/UHFの電波の入りが悪く、窓際に立っていても入ってきません。
それにスマホでは、大きさはせいぜい5.5インチくらいになると思いますが、さすがにその大きさだと、軽く番組を流しておいて複数の人がチラ見する、という使い方をするには無理があります。
早速販売店の、「小型テレビ」のコーナーに行ってみると。。
大きいのですよ、十分に。
ちょうど、デスクトップPCのディスプレイくらいのサイズ(19インチから24インチくらい)は、今では「小型TV」なのですね。。
そのサイズでは、家族3人で座るようなテーブルの隅の方に置くには大きすぎます。
・・まあ置いておけないことはなさそうですが、圧迫感がありそうです。
そういうものではなくて、もっと小さくて、iPadくらいの大きさで十分なのです。
ところが「小型TV」のコーナーには、そういうサイズのものがなかったのです。
それでどうしたものかと思い、探してみると。。
「小型モニタ付き ポータブルDVDプレイヤー」のコーナーに、TVチューナー内蔵モデルが沢山ありました。
しかも2~3万円くらいで購入できるものが多く、コスト的な負担も少なめでした。
しかもそれらの「TVチューナー付きDVDプレイヤー」であれば、通常の家庭用のアンテナ線が接続できるようになっており、うちのような電波の入りが悪いところでも、ポータブルアンテナではなく屋外のアンテナのケーブルからとることができるので、問題ありません。
※安いカーナビを使って、TVの視聴だけするという方法も検討しましたが、やはりアンテナ線との接続に問題があり、やめました。
結局今回購入したのは以下のモデルです。
【送料無料】 CHL 10V型 地デジ/ワンセグ対応ポータブルブルーレイディスクプレーヤー APBD-F1070HK[APBDF1070HK] |
Bluelayも見られるということで、最初に見ていたモデルよりも若干高くなりましたが、今後のことを考えてこちらにしました。
使ってみると。。
デフォルトでDVDプレイヤーとして起動するので、いちいちTVモードに切り替えなくてはならないということと、番組表がさすがにREGZAと比べると見劣りしますが、当初の目的であった「軽くニュースやバラエティー番組を流しておく」という用途にはぴったりです。
先の記事の完結編?を投稿したいと思います。
大学入学後はどんな様子だったのかということと、
「結局、苦労して苦労して大学に入って、当時目指していた『本物の教師』に近づくことができたのか?」というところまでを言及したいと思います。
まず、そもそも自分の大学・学部選択は、いばらの道を選んだ形となりました。
というのも、日本の大学にしては珍しく、簡単に進級・卒業ができないことでも有名な所だったからです。
一年次から2年次に進級できる人は、ほぼ半分でした。
入学時は4クラス分の入学生がいたのですが、2年次では2クラスとなりました。
(あまりにも毎年計ったように半分しか進級できないので、実は絶対評価ではなく、内部ではこっそり相対評価にしているのではないかという疑惑もあがっていました。)
なお、3年次以上は選択する科目が人によって大きく変わってくるので、クラスという概念はありませんでした。
また、さらに厳しいことに、自分は教員免許を取りたかったので、教職課程を履修しました。
当然、取得しなければならない単位は増え、ほとんど毎日みっちり講義を受けなければなりませんでした。
そのような中で、自分の場合、留年することは許されませんでした。
恥ずかしい話ですが、学費を一年分余計に工面するだけの余裕はなかったので、必死でした。
幸い、必死に取り組んだ結果は出て、単位を落とすということはほとんどなく、3年次までで、4年次に必須のゼミ以外のすべての必須単位を取得できました。
したがって、4年目はゼミのあった金曜日と、興味本位で取った任意科目の「英会話」があった水曜日だけ学校に行けばいい状態となりました。
「単位を落とすことはほとんどなく」というのは・・はい、4年間で一つだけ単位を落としました。
それは、「教育基礎1」という、教職課程の科目でした。
落とした理由は、正直に言えば、なめていたからです。
当時、一応曲がりなりにも教師として教壇に立ってきたので、「今更 教育基礎とか馬鹿馬鹿しいしー」くらいに思っていたのです。もちろん、そういった考え方は、自身の成長の妨げとなりるのですが。。
なので、まるで高校時代の英語の授業のように、サボってしまいました。。
ただ、その「教育基礎1」を一度落としたことは、結果的にはすばらしい経験に繋がりました。
というのは、翌年、もう一度その「教育基礎1」を履修せざるを得なかったわけですが、今度は違う時間帯で、違う先生にその科目を教えていただきました。
その違う先生というのが、素晴らしすぎる先生で、彼が話すと彼の世界に引き込まれてしまうのです。
面白くて面白くてしょうがない、と思っているうちに時間が過ぎてしまう。。そんな講義でした。
あまりにも面白くて、思わずその先生が独自に書かれている本を、後日購入しました。
・・・しかしながら、その講義で教えていただいたことについて、彼の身の上話以外、何も覚えていません(笑)
はい、そうですね、そんなにも面白くて引き込まれた講義でさえも、何も頭に残っていないのですから、それ以外の講義のことなど覚えているはずもありません(笑)
実を言うと、自分が最終的に専攻した、数理統計学のことさえも、何も覚えていません。
まあ、百歩譲って、今は卒業してから時間が経ったということと、数理統計学とは直接関係ない仕事をしているので、覚えていなくてもしょうがないと割り切ったとしても、卒業して一年後くらいの時点で、もはやほとんど覚えていなかったと思います。
卒論のテーマさえも、覚えていません。
覚えていることと言えば、ゼミの合宿で箱根の施設に5日間ほど泊まり込み、昼間はソフトボールをやって、一塁を守って、一二塁間を抜けるライナーに向かって思い切って横っ飛びしたら、たまたまボールがグローブに入ってくれたこと(あれは気持ちよかった。。)、その夜今度はバレーボールをやっていたら、足をくじいたこと、そして、5日もいたのにゼミに関することをやったのは初日の1、2時間で、しかもその時教授は居眠りをしていたということくらいです。
あとは、教職課程の一環で行った、母校での教育実習のことはよく覚えています。
たった一週間ではありましたが、つかせてもらったEi2というクラスの子たちが、最終日に色紙に全員のメッセージを書いてプレゼントしてくれました。
もちろん今でも持っています。
結局、普段の教室から離れて、自分たちで体を動かしたり、現実的な活動をしたりしたことは記憶に残りますが、そうでないことは難しい、ということの典型的な事例だったと思います。
・・最初の問いにかえって、「本物の教師に近づくことができたのか?」については、上記のような大学生活でしたので、答えは残念ながらNoですね。。
それでも、その4年間の経験は、確実に自分の中に変化をもたらしてくれたと思っています。
大学入学後はどんな様子だったのかということと、
「結局、苦労して苦労して大学に入って、当時目指していた『本物の教師』に近づくことができたのか?」というところまでを言及したいと思います。
まず、そもそも自分の大学・学部選択は、いばらの道を選んだ形となりました。
というのも、日本の大学にしては珍しく、簡単に進級・卒業ができないことでも有名な所だったからです。
一年次から2年次に進級できる人は、ほぼ半分でした。
入学時は4クラス分の入学生がいたのですが、2年次では2クラスとなりました。
(あまりにも毎年計ったように半分しか進級できないので、実は絶対評価ではなく、内部ではこっそり相対評価にしているのではないかという疑惑もあがっていました。)
なお、3年次以上は選択する科目が人によって大きく変わってくるので、クラスという概念はありませんでした。
また、さらに厳しいことに、自分は教員免許を取りたかったので、教職課程を履修しました。
当然、取得しなければならない単位は増え、ほとんど毎日みっちり講義を受けなければなりませんでした。
そのような中で、自分の場合、留年することは許されませんでした。
恥ずかしい話ですが、学費を一年分余計に工面するだけの余裕はなかったので、必死でした。
幸い、必死に取り組んだ結果は出て、単位を落とすということはほとんどなく、3年次までで、4年次に必須のゼミ以外のすべての必須単位を取得できました。
したがって、4年目はゼミのあった金曜日と、興味本位で取った任意科目の「英会話」があった水曜日だけ学校に行けばいい状態となりました。
「単位を落とすことはほとんどなく」というのは・・はい、4年間で一つだけ単位を落としました。
それは、「教育基礎1」という、教職課程の科目でした。
落とした理由は、正直に言えば、なめていたからです。
当時、一応曲がりなりにも教師として教壇に立ってきたので、「今更 教育基礎とか馬鹿馬鹿しいしー」くらいに思っていたのです。もちろん、そういった考え方は、自身の成長の妨げとなりるのですが。。
なので、まるで高校時代の英語の授業のように、サボってしまいました。。
ただ、その「教育基礎1」を一度落としたことは、結果的にはすばらしい経験に繋がりました。
というのは、翌年、もう一度その「教育基礎1」を履修せざるを得なかったわけですが、今度は違う時間帯で、違う先生にその科目を教えていただきました。
その違う先生というのが、素晴らしすぎる先生で、彼が話すと彼の世界に引き込まれてしまうのです。
面白くて面白くてしょうがない、と思っているうちに時間が過ぎてしまう。。そんな講義でした。
あまりにも面白くて、思わずその先生が独自に書かれている本を、後日購入しました。
・・・しかしながら、その講義で教えていただいたことについて、彼の身の上話以外、何も覚えていません(笑)
はい、そうですね、そんなにも面白くて引き込まれた講義でさえも、何も頭に残っていないのですから、それ以外の講義のことなど覚えているはずもありません(笑)
実を言うと、自分が最終的に専攻した、数理統計学のことさえも、何も覚えていません。
まあ、百歩譲って、今は卒業してから時間が経ったということと、数理統計学とは直接関係ない仕事をしているので、覚えていなくてもしょうがないと割り切ったとしても、卒業して一年後くらいの時点で、もはやほとんど覚えていなかったと思います。
卒論のテーマさえも、覚えていません。
覚えていることと言えば、ゼミの合宿で箱根の施設に5日間ほど泊まり込み、昼間はソフトボールをやって、一塁を守って、一二塁間を抜けるライナーに向かって思い切って横っ飛びしたら、たまたまボールがグローブに入ってくれたこと(あれは気持ちよかった。。)、その夜今度はバレーボールをやっていたら、足をくじいたこと、そして、5日もいたのにゼミに関することをやったのは初日の1、2時間で、しかもその時教授は居眠りをしていたということくらいです。
あとは、教職課程の一環で行った、母校での教育実習のことはよく覚えています。
たった一週間ではありましたが、つかせてもらったEi2というクラスの子たちが、最終日に色紙に全員のメッセージを書いてプレゼントしてくれました。
もちろん今でも持っています。
結局、普段の教室から離れて、自分たちで体を動かしたり、現実的な活動をしたりしたことは記憶に残りますが、そうでないことは難しい、ということの典型的な事例だったと思います。
・・最初の問いにかえって、「本物の教師に近づくことができたのか?」については、上記のような大学生活でしたので、答えは残念ながらNoですね。。
それでも、その4年間の経験は、確実に自分の中に変化をもたらしてくれたと思っています。
前の記事で東大の記事を投稿したので、その流れに乗って、大学に関する記事を投稿したいと思います。
実は自分にとって「大学」とは、極めて遠くの別世界の存在で、縁のないものだと思っていました。
なぜなら、
「お前が大きくなっても、大学には入れてやれんでな (入れてあげられないからな)」
と、自分が小学校高学年~高校生だった頃に親から言われていたからです。
今聞くと、親がそのように子供の大学進学について制限するというのはちょっと考えられないことかも知れませんが、当時は大学には進学しない人が多数おり、18歳人口に比べて全大学の定員数は圧倒的に少なかったため、大学に行かせない前提で子供を育てることも珍しくはない時代でした。
しかも、うちの実家は見渡す限り田んぼの中に建っている、いわゆる田舎です。
田舎では、家族は3世帯くらいまでみんな一緒に暮らすのが常識であり、首都圏の大学に行くために一人暮らしをさせるといった発想は、あまりありませんでした。
当然、小学生時代からそのように親から言われていた自分は、将来は高校を卒業したら働くものと思っていました。
したがって、高校は卒業後すぐに就職することを前提に、工業高校に行きました。
高校在学中は、就職後に直接役立つであろうプログラミング言語やソフトウェアの勉強は夢中でやりましたが、就職に関係のない(と思っていた)英語や世界史などはほとんど無視していました。
なので、二十歳過ぎてから受験勉強をし直して、大学に進学し直すには苦労しました。
希望の大学・学部に入ることができたのは、実に24歳になってからでした。
しかし、遠回りしたとはいえ、それは決して悪いことではなかったと思っています。
理由は、早い時期から(中学生のころから)、将来自分が現実的にやりたい仕事について、リアルに考えることができたということです。
あの頃、大学進学を希望していた人たちの多くは、おそらく将来やりたいことを熟考する余裕はなく、受験する大学・学部の選択基準はほぼ偏差値と入試の対象科目だけだったと思います。
あの大学の〇〇学部はちょっと興味あるけど、苦手な世界史が試験科目に入っているから、やめておこう。。というような会話は、今聞くと違和感がありますが、当時はごく普通の考え方でしたし、第一先生たちがそういう指導をしていたと思います。
それで、あまり興味のない学部に入って、とりあえず卒業はして、就いた仕事はその出身学部・学科とは何の関係もないものだった、という話は無数に存在してると思います。
そのような中、明確な希望業種を中学生の頃から考える機会を得ることができて、興味のない大学・学部になんとなく入るという状況を回避できたことは、有り難いことだったと思います。
ちなみに、二十歳過ぎてから4年もかけてまで大学に行きたくなった理由は、複数ありますが、一番大きな理由は「本物の教師になりたかった」からだと思います。
当時、一応専門学校の教員として教壇に立っていましたが、自分の中で、「特に教員免許を持っているわけではないのに、教師をしていていいのだろうか」という気持ちというかコンプレックスが、ずっとありました。
※専門学校や大学の教員になるに際して、特に教員免許などは制度上必要ありません
また、当時は周囲に大変優秀な先生たちがいました。(正直、少数派ではありましたが。。)
自分たちで独自に「勉強会」を開いたり、輪講形式で先生から先生たちに対して自分の得意分野をシェアする機会を作ったり、積極的に自分を高める努力をされていました。
そして彼らの勉強の仕方というか、自分の高め方みたいなものが、自分とははるかにレベルが違っていることは、すぐに分かりました。
そして、そんな彼らのバックグラウンドには、大学・大学院での研究室での体験や、修士論文を書いた経験が強く生きていることが、次第にわかってきました。
彼らの領域に参加するためには、少なくとも大学を卒業しないことには話にならない・・それが、当時の自分の結論でした。
また、大学に入ることで教職課程を履修するチャンスが得られますので、中学・高校の教員免許を取って、上記のコンプレックスを解消することにもつながると思いました。
・・なので、自分の大学生活は、高いモチベーションをもって過ごすことができたと思います。
高校の数学の教員の免許を取ることもできましたし、自分の書いた卒論も、教授からはちょっとだけ評価してもらえたと思います。
ただ、そうまでしてこだわった「本物の教師像」があったのに、また、当時働いていたの学校で「ちょっと若いけれども近いうちに教務課長になってもらう検討をしている」と校長から言っていただいていたのに、あっさり転身してしまったのですけどね(笑)
それでももちろん、大学で学んだことは決して無駄ではなかったと思っています。
※もっとも、大学で学んだことよりもはるかに、高校で学んだことの方が多かったと思っておりますが。。
実は自分にとって「大学」とは、極めて遠くの別世界の存在で、縁のないものだと思っていました。
なぜなら、
「お前が大きくなっても、大学には入れてやれんでな (入れてあげられないからな)」
と、自分が小学校高学年~高校生だった頃に親から言われていたからです。
今聞くと、親がそのように子供の大学進学について制限するというのはちょっと考えられないことかも知れませんが、当時は大学には進学しない人が多数おり、18歳人口に比べて全大学の定員数は圧倒的に少なかったため、大学に行かせない前提で子供を育てることも珍しくはない時代でした。
しかも、うちの実家は見渡す限り田んぼの中に建っている、いわゆる田舎です。
田舎では、家族は3世帯くらいまでみんな一緒に暮らすのが常識であり、首都圏の大学に行くために一人暮らしをさせるといった発想は、あまりありませんでした。
当然、小学生時代からそのように親から言われていた自分は、将来は高校を卒業したら働くものと思っていました。
したがって、高校は卒業後すぐに就職することを前提に、工業高校に行きました。
高校在学中は、就職後に直接役立つであろうプログラミング言語やソフトウェアの勉強は夢中でやりましたが、就職に関係のない(と思っていた)英語や世界史などはほとんど無視していました。
なので、二十歳過ぎてから受験勉強をし直して、大学に進学し直すには苦労しました。
希望の大学・学部に入ることができたのは、実に24歳になってからでした。
しかし、遠回りしたとはいえ、それは決して悪いことではなかったと思っています。
理由は、早い時期から(中学生のころから)、将来自分が現実的にやりたい仕事について、リアルに考えることができたということです。
あの頃、大学進学を希望していた人たちの多くは、おそらく将来やりたいことを熟考する余裕はなく、受験する大学・学部の選択基準はほぼ偏差値と入試の対象科目だけだったと思います。
あの大学の〇〇学部はちょっと興味あるけど、苦手な世界史が試験科目に入っているから、やめておこう。。というような会話は、今聞くと違和感がありますが、当時はごく普通の考え方でしたし、第一先生たちがそういう指導をしていたと思います。
それで、あまり興味のない学部に入って、とりあえず卒業はして、就いた仕事はその出身学部・学科とは何の関係もないものだった、という話は無数に存在してると思います。
そのような中、明確な希望業種を中学生の頃から考える機会を得ることができて、興味のない大学・学部になんとなく入るという状況を回避できたことは、有り難いことだったと思います。
ちなみに、二十歳過ぎてから4年もかけてまで大学に行きたくなった理由は、複数ありますが、一番大きな理由は「本物の教師になりたかった」からだと思います。
当時、一応専門学校の教員として教壇に立っていましたが、自分の中で、「特に教員免許を持っているわけではないのに、教師をしていていいのだろうか」という気持ちというかコンプレックスが、ずっとありました。
※専門学校や大学の教員になるに際して、特に教員免許などは制度上必要ありません
また、当時は周囲に大変優秀な先生たちがいました。(正直、少数派ではありましたが。。)
自分たちで独自に「勉強会」を開いたり、輪講形式で先生から先生たちに対して自分の得意分野をシェアする機会を作ったり、積極的に自分を高める努力をされていました。
そして彼らの勉強の仕方というか、自分の高め方みたいなものが、自分とははるかにレベルが違っていることは、すぐに分かりました。
そして、そんな彼らのバックグラウンドには、大学・大学院での研究室での体験や、修士論文を書いた経験が強く生きていることが、次第にわかってきました。
彼らの領域に参加するためには、少なくとも大学を卒業しないことには話にならない・・それが、当時の自分の結論でした。
また、大学に入ることで教職課程を履修するチャンスが得られますので、中学・高校の教員免許を取って、上記のコンプレックスを解消することにもつながると思いました。
・・なので、自分の大学生活は、高いモチベーションをもって過ごすことができたと思います。
高校の数学の教員の免許を取ることもできましたし、自分の書いた卒論も、教授からはちょっとだけ評価してもらえたと思います。
ただ、そうまでしてこだわった「本物の教師像」があったのに、また、当時働いていたの学校で「ちょっと若いけれども近いうちに教務課長になってもらう検討をしている」と校長から言っていただいていたのに、あっさり転身してしまったのですけどね(笑)
それでももちろん、大学で学んだことは決して無駄ではなかったと思っています。
※もっとも、大学で学んだことよりもはるかに、高校で学んだことの方が多かったと思っておりますが。。
ところで東大のキャンパスは、いわゆる赤門がある本郷キャンパス以外にも、教養課程(1年次・2年次)で就学する駒場キャンパスおよび、自然科学系の研究所が存在する柏キャンパスの3つが主要キャンパスとなっており、他にもいくつかの研究所が存在するキャンパスが存在するそうです。
そして、今学園祭をやっているのは駒場キャンパスになります。
駒場キャンパスは上記の通り1年次・2年次の学生さんたちがいるキャンパスなので、比較的若い子たちが多いと思います。
なお、東大の場合、前期課程と後期課程で大きく違いがあり、第一に前期課程では基本的に全員が「教養学部」に所属する形になるそうです。
その教養学部の中で、文科一類、文科二類、文科三類、理科一類、理科二類、理科三類と6科に分かれておりますが、まだ具体的な学部、たとえば工学部とか法学部といった所属学部が決まっていない状態となります。
その後、後期課程に入る段階で、つまり3年生になる段階ではじめて、専門的な学部に分かれていきます。
(※ただし、選択肢はそれほど多いわけではなく、例えば有名な理科三類の進学先は、医学部医学科でほぼ決まりとなっているようです)
さて、そんな東大ですが、昔は自分にとってはまさに「雲の上の存在」でした。
自分たちが子供だったころは「東大に合格する」ということは「人生の勝ち組に入る切符を手に入れる」ことと同義であり、何浪しようが、実社会に通用するスキルがあろうがなかろうが、とにかく東大卒という肩書だけで、輝かしい未来が約束される、と認識されていました。
また、自分が認識している限り、生まれて数十年の間、「東大卒」の人に面と向かって会ったことは一度もなく、まさに別世界の住民と感じておりました。
しかし、あれからさらに数十年が経って、自分の中の東大卒業者に対する認識も大きく変わりました。
多数の東大卒の人達と一緒に仕事をしてきて、もちろん皆優秀な人達なのですが、「明らかに違う雰囲気」を醸し出すわけでもなく、また圧倒的な頭の良さを見せつけるということでもなく、実に対等な感じで皆さん接してくれます。
それで、今回はカミさんの誘いにのって、現役東大生の素顔を見てみようと思い、また、「さすが東大」と思わせされられるような文化祭なのかどうかというところも興味があったので、行ってみました。

・・一言で感想を言えば、「いたって普通の大学生たち」と感じました。
文化祭自体も、一部しか見られなかったのであまり客観的な感想ではありませんが、「現在の普通の大学の文化祭」という印象でした。
あまり長い時間いられなかったので、立ち寄ることができたのはほとんどサイエンス系のブースやショーばかりでしたが、それでも 10人くらいの学生さんから、例えば「台風が起きる仕組み」などのサイエンスに関する説明を聞いて、実験を見せてもらいました。
そんな学生さんたちの説明からは、「ものすごく特別な印象」は受けませんでした。
もちろん彼らは、小学生未満の子供でもある程度理解できる内容にするために、ものすごく簡単にして説明しているため、彼らが持っているであろうハイレベルな知識や技術を表に出すことはもちろんないと思いますが、しかし、簡単なことであっても、その道の本当の達人のような人が説明すると、別にその達人らしさを見せなかったとしても、ひと味違うわかりやすさだったり、なぜかものすごくしっくりきたりする、ということがあると思います。
、そういった感じの感触は、今回は受けませんでした。
しかし、東大うんぬんという話は置いておいて、本当に面白い、いくら時間があっても足りない、立ち寄りたいブースや出し物が溢れるほど詰まった、素晴らしい学園祭でした。
本当は行きたかったブースや出し物がたくさんあります。。
1) 何といっても、脳科学者の茂木健一郎先生の特別講演は聞きたかったです。。最もそれは金曜日の平日に行われていたので無理でしたが、来年ももし来てくれるなら、何が何でも行きたいです。
2) また、東大教養学部で学ぶ英語のカリキュラムを紹介するブースというのがあったのですが、あれも立ち寄りたかったです。。実に興味深いです。
3) それから、競技麻雀の部屋があったのですが、一度東大生と勝負してみたかったかも・・ですね(笑)
子供が一緒だったので、到底無理でしたが、ちょっと興味がありました。
最後に、「東大入試研究会」のテントで発売していた、以下の小冊子を買いました。

本としての構成や編集は・・・・もうボランティアで手伝って直してあげたいレベルでしたが、コンテンツとしてはよく分析されており、お勧めの参考書や使い方が現実的に語られており、大変興味深かったです。
東大受験を突破して入学した在学生たちはまず例外なく全員徹底的に入試の問題の傾向などを分析し、気の遠くなるような時間を受験勉強に費やしてきたに違いありませんが、さらにその中でも「東大入試研究会」をやる人達ですから、凄いのは当然といえるかと思います。
東大駒場キャンパスの学園祭、来年もまた行けたら行きたいですね。
そして、今学園祭をやっているのは駒場キャンパスになります。
駒場キャンパスは上記の通り1年次・2年次の学生さんたちがいるキャンパスなので、比較的若い子たちが多いと思います。
なお、東大の場合、前期課程と後期課程で大きく違いがあり、第一に前期課程では基本的に全員が「教養学部」に所属する形になるそうです。
その教養学部の中で、文科一類、文科二類、文科三類、理科一類、理科二類、理科三類と6科に分かれておりますが、まだ具体的な学部、たとえば工学部とか法学部といった所属学部が決まっていない状態となります。
その後、後期課程に入る段階で、つまり3年生になる段階ではじめて、専門的な学部に分かれていきます。
(※ただし、選択肢はそれほど多いわけではなく、例えば有名な理科三類の進学先は、医学部医学科でほぼ決まりとなっているようです)
さて、そんな東大ですが、昔は自分にとってはまさに「雲の上の存在」でした。
自分たちが子供だったころは「東大に合格する」ということは「人生の勝ち組に入る切符を手に入れる」ことと同義であり、何浪しようが、実社会に通用するスキルがあろうがなかろうが、とにかく東大卒という肩書だけで、輝かしい未来が約束される、と認識されていました。
また、自分が認識している限り、生まれて数十年の間、「東大卒」の人に面と向かって会ったことは一度もなく、まさに別世界の住民と感じておりました。
しかし、あれからさらに数十年が経って、自分の中の東大卒業者に対する認識も大きく変わりました。
多数の東大卒の人達と一緒に仕事をしてきて、もちろん皆優秀な人達なのですが、「明らかに違う雰囲気」を醸し出すわけでもなく、また圧倒的な頭の良さを見せつけるということでもなく、実に対等な感じで皆さん接してくれます。
それで、今回はカミさんの誘いにのって、現役東大生の素顔を見てみようと思い、また、「さすが東大」と思わせされられるような文化祭なのかどうかというところも興味があったので、行ってみました。

・・一言で感想を言えば、「いたって普通の大学生たち」と感じました。
文化祭自体も、一部しか見られなかったのであまり客観的な感想ではありませんが、「現在の普通の大学の文化祭」という印象でした。
あまり長い時間いられなかったので、立ち寄ることができたのはほとんどサイエンス系のブースやショーばかりでしたが、それでも 10人くらいの学生さんから、例えば「台風が起きる仕組み」などのサイエンスに関する説明を聞いて、実験を見せてもらいました。
そんな学生さんたちの説明からは、「ものすごく特別な印象」は受けませんでした。
もちろん彼らは、小学生未満の子供でもある程度理解できる内容にするために、ものすごく簡単にして説明しているため、彼らが持っているであろうハイレベルな知識や技術を表に出すことはもちろんないと思いますが、しかし、簡単なことであっても、その道の本当の達人のような人が説明すると、別にその達人らしさを見せなかったとしても、ひと味違うわかりやすさだったり、なぜかものすごくしっくりきたりする、ということがあると思います。
、そういった感じの感触は、今回は受けませんでした。
しかし、東大うんぬんという話は置いておいて、本当に面白い、いくら時間があっても足りない、立ち寄りたいブースや出し物が溢れるほど詰まった、素晴らしい学園祭でした。
本当は行きたかったブースや出し物がたくさんあります。。
1) 何といっても、脳科学者の茂木健一郎先生の特別講演は聞きたかったです。。最もそれは金曜日の平日に行われていたので無理でしたが、来年ももし来てくれるなら、何が何でも行きたいです。
2) また、東大教養学部で学ぶ英語のカリキュラムを紹介するブースというのがあったのですが、あれも立ち寄りたかったです。。実に興味深いです。
3) それから、競技麻雀の部屋があったのですが、一度東大生と勝負してみたかったかも・・ですね(笑)
子供が一緒だったので、到底無理でしたが、ちょっと興味がありました。
最後に、「東大入試研究会」のテントで発売していた、以下の小冊子を買いました。

本としての構成や編集は・・・・もうボランティアで手伝って直してあげたいレベルでしたが、コンテンツとしてはよく分析されており、お勧めの参考書や使い方が現実的に語られており、大変興味深かったです。
東大受験を突破して入学した在学生たちはまず例外なく全員徹底的に入試の問題の傾向などを分析し、気の遠くなるような時間を受験勉強に費やしてきたに違いありませんが、さらにその中でも「東大入試研究会」をやる人達ですから、凄いのは当然といえるかと思います。
東大駒場キャンパスの学園祭、来年もまた行けたら行きたいですね。
時々このBlogの中で記事にしている近代麻雀連載中の「アカギ」ですが、現在、全く想像しなかった状況になっており、この先どうなるのか、全く読めなくなりました。
前回の記事では、対戦相手の鷲巣氏が「東」(山に残り1枚のみ)を引き当てれば、後は身内の連続差し込みで終了、という実質聴牌の状態で、それを阻止する最後のチャンスとして、アカギの身内である安岡氏の自摸でその「東」を引き当てて、鷲巣氏の上がり目を殺してしまうことができるかどうか? というところで数か月引っ張っている、という状況でした。
しかし、安岡氏の自摸はなんと数か月も連載を引っ張っておきながら無駄自摸だったため、自分としてはあまりにもがっかりして、このBlogに記事を書く気力さえも起きなかったのでした。
この調子では、またダラダラと進むのだろうな、と思っていました。
ところが今月1日発売号で、まず誰にも想像できなかった事態が起きたのでした。
それは、実質聴牌状態の鷲巣氏が、実質上がり牌といえる「東」を、引き当ててしまったのです。
つまり、鷲巣氏の勝ちが確定した、ということです。
あとは、身内から 白、発、中、東を切ってもらって次々とポンして、最後に裸単騎の西待ちに対して西を差し込んでもらって終了です。
しかし、しかし、アカギが負けないことは確定していたはずです。。。
負けたら絶命するこの勝負ですが、アカギが年を取った後のストーリーがすでに存在するため、少なくともここで死ぬことは100%ないのです。
・・では、どうやって生き残るのでしょうか。
上記の差し込みの中で、それを阻止できる方法があるかを考えてみます。
唯一割り込めるのは、鷲巣氏の不要牌の中に1萬があり、その1萬の対子をアカギの身内である安岡氏が持っていますので、そこを鳴くことはできると思います。
しかし。。そこまでです。
例え鳴いて順番を奪い取っても、ツモ順としては安岡氏の次は鷲巣氏なので、その鳴きは意味がないはずです。
安岡氏の次のツモ順がアカギだったならば、そこでアカギが5ソウを自模れば勝てるのですが、順番が違う以上そうはなりません。
自分が考える限り、どう頑張っても鷲巣氏の上がりを阻止できる方法はありません。
ただ、とりあえず現状鷲巣氏はまだ牌を倒していません。つまり上がりを宣言していません。
いうならば、野球で、ホームランを打ったけれどもまだダイヤモンドを一周していません。ルール上、ダイヤモンドをもしも一周しなかったらホームランは成立しません。
それと同様、鷲巣氏が上がりを宣言しないということ以外、考えられません。
しかし、鷲巣氏が上がりを宣言しないなどということが、あるのでしょうか。。
もしも鷲巣氏がものすごく余裕があるならまた違うかもしれませんが、鷲巣氏も致死量ギリギリの血を採取され、まさに「やらなければやられる」状態です。
若者を殺すことに対する抵抗もありません。
アカギが一度、死んだか、と思われるような意識不明の状態になった後になんとか復帰したときに、鷲巣氏はアカギの首を絞めようとしていました。
第一、アカギが、「負けたのに生かされる」ようなことを受け入れるとも思えません。
基本的に生きることに興味がない人ですので、万が一鷲巣氏に「まあ血を抜くのは勘弁してやる」みたいなことを言われたとしても、受け入れない可能性が高いと思います。
では一体。。。
連載の続きが読めるのは12日後。。うーん、待ち遠しいですね。
前回の記事では、対戦相手の鷲巣氏が「東」(山に残り1枚のみ)を引き当てれば、後は身内の連続差し込みで終了、という実質聴牌の状態で、それを阻止する最後のチャンスとして、アカギの身内である安岡氏の自摸でその「東」を引き当てて、鷲巣氏の上がり目を殺してしまうことができるかどうか? というところで数か月引っ張っている、という状況でした。
しかし、安岡氏の自摸はなんと数か月も連載を引っ張っておきながら無駄自摸だったため、自分としてはあまりにもがっかりして、このBlogに記事を書く気力さえも起きなかったのでした。
この調子では、またダラダラと進むのだろうな、と思っていました。
ところが今月1日発売号で、まず誰にも想像できなかった事態が起きたのでした。
それは、実質聴牌状態の鷲巣氏が、実質上がり牌といえる「東」を、引き当ててしまったのです。
つまり、鷲巣氏の勝ちが確定した、ということです。
あとは、身内から 白、発、中、東を切ってもらって次々とポンして、最後に裸単騎の西待ちに対して西を差し込んでもらって終了です。
しかし、しかし、アカギが負けないことは確定していたはずです。。。
負けたら絶命するこの勝負ですが、アカギが年を取った後のストーリーがすでに存在するため、少なくともここで死ぬことは100%ないのです。
・・では、どうやって生き残るのでしょうか。
上記の差し込みの中で、それを阻止できる方法があるかを考えてみます。
唯一割り込めるのは、鷲巣氏の不要牌の中に1萬があり、その1萬の対子をアカギの身内である安岡氏が持っていますので、そこを鳴くことはできると思います。
しかし。。そこまでです。
例え鳴いて順番を奪い取っても、ツモ順としては安岡氏の次は鷲巣氏なので、その鳴きは意味がないはずです。
安岡氏の次のツモ順がアカギだったならば、そこでアカギが5ソウを自模れば勝てるのですが、順番が違う以上そうはなりません。
自分が考える限り、どう頑張っても鷲巣氏の上がりを阻止できる方法はありません。
ただ、とりあえず現状鷲巣氏はまだ牌を倒していません。つまり上がりを宣言していません。
いうならば、野球で、ホームランを打ったけれどもまだダイヤモンドを一周していません。ルール上、ダイヤモンドをもしも一周しなかったらホームランは成立しません。
それと同様、鷲巣氏が上がりを宣言しないということ以外、考えられません。
しかし、鷲巣氏が上がりを宣言しないなどということが、あるのでしょうか。。
もしも鷲巣氏がものすごく余裕があるならまた違うかもしれませんが、鷲巣氏も致死量ギリギリの血を採取され、まさに「やらなければやられる」状態です。
若者を殺すことに対する抵抗もありません。
アカギが一度、死んだか、と思われるような意識不明の状態になった後になんとか復帰したときに、鷲巣氏はアカギの首を絞めようとしていました。
第一、アカギが、「負けたのに生かされる」ようなことを受け入れるとも思えません。
基本的に生きることに興味がない人ですので、万が一鷲巣氏に「まあ血を抜くのは勘弁してやる」みたいなことを言われたとしても、受け入れない可能性が高いと思います。
では一体。。。
連載の続きが読めるのは12日後。。うーん、待ち遠しいですね。
ギターの練習を始めて4ヶ月。
始めた当初は目標にしていなかった、ソロギターをやってみたくなりました。
なお、ソロギターと一口に言っても、アコースティックギターとエレキギターでは、基本的には全く違う奏法になります。(もちろん、多くの例外はありますが)
エレキギターでの「ソロ」とは、メロディー部分を単音で奏でる奏法で弾く場合が多いと思います。
バンドの中で、リズムパートはあくまでベースやドラムに任せつつ、ギターでメロディーを演奏するのが一般的であり、ピックを使って弾くことが多いので、単音をきれいにつないでいくか、複数弦を鳴らすとしてもあくまで同じメロディーを和音を使って奏でているのであって、2つ以上のパートを同時に弾いているわけではないことが多いと思います。
ただし、その分エレキギターの場合、テクニックを駆使した奏法や速弾き、エフェクターとチューブアンプを駆使しての音づくりが重要になってくるので、簡単ではありません。
一方、アコースティックギターのソロギターは、一人でベースラインとメロディーの両方を、一本のギターで奏でる奏法のことを意味する場合が多いです。
うまい人のアコースティックソロギターを聞くと、まるで二人で演奏しているように聞こえます。
以下の「もののけ姫」の演奏例などは、わかりやすいと思います。
アコースティックギターのソロ奏法、基本的にどうやって演奏しているかというと、まずピックは使わず、指で直接弦をはじくフィンガーピッキングをすることが大前提であり、(右利きの場合)右手の親指をベースライン専用、右手の人差し指、中指、薬指をメロディーライン専用として使用します。また、弦の方も低い音のでる6,5,4弦はベースライン専用、高い音のでる3,2,1弦はメロディーライン専用(4弦、3弦のあたりは流動的ですが)として使用します。
したがって、右手親指を独立して、メロディーラインとは別の動きをさせる必要があります。
エレキギターのソロもメチャクチャかっこいいですし、目が釘付けになったりするものだと思いますが、アコースティックギターのソロはまた違った魅力があり、落ち着いた曲のソロは聞いていて癒されます。
エレキのソロが「元気の出る」演奏ならば、アコギのソロは「気分が落ち着く」演奏になることが多いかと思います。
(もちろん、エレキで癒しの演奏をすることを得意とするトッププロもたくさんいますし、アコギでロックを演奏することも多々あると思いますが、一般的な傾向としては上記のような感じだと思います)
アコースティックギターのソロ奏法、少しでもできるようになったら気持ちがいいでしょうね!
・・・といっても自分のように不器用でかつ頭の回転が遅い人間にとっては相当難しい奏法なのですが、3年くらいかけてある程度弾けるようになることを目指して、挑戦してみたいところです。
最後に以下の動画は、「ルパン三世のテーマ」のアレンジ版のソロギター演奏なのですが、これを見るとアコースティックギターがいかに表現力のある楽器かわかります。思わず何度も繰り返し再生してしまいました。
始めた当初は目標にしていなかった、ソロギターをやってみたくなりました。
なお、ソロギターと一口に言っても、アコースティックギターとエレキギターでは、基本的には全く違う奏法になります。(もちろん、多くの例外はありますが)
エレキギターでの「ソロ」とは、メロディー部分を単音で奏でる奏法で弾く場合が多いと思います。
バンドの中で、リズムパートはあくまでベースやドラムに任せつつ、ギターでメロディーを演奏するのが一般的であり、ピックを使って弾くことが多いので、単音をきれいにつないでいくか、複数弦を鳴らすとしてもあくまで同じメロディーを和音を使って奏でているのであって、2つ以上のパートを同時に弾いているわけではないことが多いと思います。
ただし、その分エレキギターの場合、テクニックを駆使した奏法や速弾き、エフェクターとチューブアンプを駆使しての音づくりが重要になってくるので、簡単ではありません。
一方、アコースティックギターのソロギターは、一人でベースラインとメロディーの両方を、一本のギターで奏でる奏法のことを意味する場合が多いです。
うまい人のアコースティックソロギターを聞くと、まるで二人で演奏しているように聞こえます。
以下の「もののけ姫」の演奏例などは、わかりやすいと思います。
アコースティックギターのソロ奏法、基本的にどうやって演奏しているかというと、まずピックは使わず、指で直接弦をはじくフィンガーピッキングをすることが大前提であり、(右利きの場合)右手の親指をベースライン専用、右手の人差し指、中指、薬指をメロディーライン専用として使用します。また、弦の方も低い音のでる6,5,4弦はベースライン専用、高い音のでる3,2,1弦はメロディーライン専用(4弦、3弦のあたりは流動的ですが)として使用します。
したがって、右手親指を独立して、メロディーラインとは別の動きをさせる必要があります。
エレキギターのソロもメチャクチャかっこいいですし、目が釘付けになったりするものだと思いますが、アコースティックギターのソロはまた違った魅力があり、落ち着いた曲のソロは聞いていて癒されます。
エレキのソロが「元気の出る」演奏ならば、アコギのソロは「気分が落ち着く」演奏になることが多いかと思います。
(もちろん、エレキで癒しの演奏をすることを得意とするトッププロもたくさんいますし、アコギでロックを演奏することも多々あると思いますが、一般的な傾向としては上記のような感じだと思います)
アコースティックギターのソロ奏法、少しでもできるようになったら気持ちがいいでしょうね!
・・・といっても自分のように不器用でかつ頭の回転が遅い人間にとっては相当難しい奏法なのですが、3年くらいかけてある程度弾けるようになることを目指して、挑戦してみたいところです。
最後に以下の動画は、「ルパン三世のテーマ」のアレンジ版のソロギター演奏なのですが、これを見るとアコースティックギターがいかに表現力のある楽器かわかります。思わず何度も繰り返し再生してしまいました。
先日、パスポートを更新しました。
人生3回目の更新となります。
今でこそ、パスポートがないと業務上困りますが、初めてパスポートを取得する数か月くらい前までは、海外で仕事をするのはおろか、「海外旅行」にさえ自分は生涯いかないのではないかと思っていました。
いや、下手をすれば国内線を含めて「飛行機」に搭乗することさえないかもしれないとさえ、思っていました。
そう思っていた背景としては、まず自分の親は、海外旅行に行ったことがありませんでしたし、飛行機に乗ったこともありませんでした。
親戚関係も、まあやっぱり田舎ですので、当時だれも海外旅行に行ったことがなく、親戚のおじさんが国内線で北海道に旅行に行った、という話がまるで武勇伝のように親戚の集まりでは話されていました。
あの勢いは、我々で言えば、「南極大陸に行ってきた」くらいの感じでした(笑)
そんな自分の初めての海外旅行は、ハワイでした。
もっとも、ハワイといっても、ツアーで参加して日本語の通じるホテルに泊まって買い物三昧、という類のものではなく、友人たちと合同で一戸建ての別荘を借りて、レンタカーを借りて、郊外で一週間ほど過ごすというものでした。
正直自分は乗り気ではありませんでしたが、運転手として参加してくれということで、まあ参加したのでした。
したがって、パスポートを取得するのと並行して、国際免許もとりました。
ハワイといっても郊外だと日本語は全く通じないので、自分にとっては人生初の、英語しか通じない世界でした。
ガソリンを給油するのに、「テン リッター プリーズ!」とか言っても全然通じず、ガソリンスタンドの人も困ってしまった、ということもありました。
(※アメリカではガソリンはリットルではなくてガロンという単位で扱っているため、リットルでは通じないのです)
思えば、あの時受けた衝撃、英語しか通じない世界を渡り歩くということの興味深さを知ったことが、のちの自分を形成するきっかけになったのかも知れません。
しかし今、大統領が変わって、アメリカ国外から入ってくるビジターや、ましてや就労ビザで働こうとする外国人(日本人含む)に対する待遇はかなり変わってしまう可能性があり、あの頃のような気持ちでは行けなくなるかもしれませんね。
人生3回目の更新となります。
今でこそ、パスポートがないと業務上困りますが、初めてパスポートを取得する数か月くらい前までは、海外で仕事をするのはおろか、「海外旅行」にさえ自分は生涯いかないのではないかと思っていました。
いや、下手をすれば国内線を含めて「飛行機」に搭乗することさえないかもしれないとさえ、思っていました。
そう思っていた背景としては、まず自分の親は、海外旅行に行ったことがありませんでしたし、飛行機に乗ったこともありませんでした。
親戚関係も、まあやっぱり田舎ですので、当時だれも海外旅行に行ったことがなく、親戚のおじさんが国内線で北海道に旅行に行った、という話がまるで武勇伝のように親戚の集まりでは話されていました。
あの勢いは、我々で言えば、「南極大陸に行ってきた」くらいの感じでした(笑)
そんな自分の初めての海外旅行は、ハワイでした。
もっとも、ハワイといっても、ツアーで参加して日本語の通じるホテルに泊まって買い物三昧、という類のものではなく、友人たちと合同で一戸建ての別荘を借りて、レンタカーを借りて、郊外で一週間ほど過ごすというものでした。
正直自分は乗り気ではありませんでしたが、運転手として参加してくれということで、まあ参加したのでした。
したがって、パスポートを取得するのと並行して、国際免許もとりました。
ハワイといっても郊外だと日本語は全く通じないので、自分にとっては人生初の、英語しか通じない世界でした。
ガソリンを給油するのに、「テン リッター プリーズ!」とか言っても全然通じず、ガソリンスタンドの人も困ってしまった、ということもありました。
(※アメリカではガソリンはリットルではなくてガロンという単位で扱っているため、リットルでは通じないのです)
思えば、あの時受けた衝撃、英語しか通じない世界を渡り歩くということの興味深さを知ったことが、のちの自分を形成するきっかけになったのかも知れません。
しかし今、大統領が変わって、アメリカ国外から入ってくるビジターや、ましてや就労ビザで働こうとする外国人(日本人含む)に対する待遇はかなり変わってしまう可能性があり、あの頃のような気持ちでは行けなくなるかもしれませんね。