先の記事の完結編?を投稿したいと思います。
大学入学後はどんな様子だったのかということと、
「結局、苦労して苦労して大学に入って、当時目指していた『本物の教師』に近づくことができたのか?」というところまでを言及したいと思います。
まず、そもそも自分の大学・学部選択は、いばらの道を選んだ形となりました。
というのも、日本の大学にしては珍しく、簡単に進級・卒業ができないことでも有名な所だったからです。
一年次から2年次に進級できる人は、ほぼ半分でした。
入学時は4クラス分の入学生がいたのですが、2年次では2クラスとなりました。
(あまりにも毎年計ったように半分しか進級できないので、実は絶対評価ではなく、内部ではこっそり相対評価にしているのではないかという疑惑もあがっていました。)
なお、3年次以上は選択する科目が人によって大きく変わってくるので、クラスという概念はありませんでした。
また、さらに厳しいことに、自分は教員免許を取りたかったので、教職課程を履修しました。
当然、取得しなければならない単位は増え、ほとんど毎日みっちり講義を受けなければなりませんでした。
そのような中で、自分の場合、留年することは許されませんでした。
恥ずかしい話ですが、学費を一年分余計に工面するだけの余裕はなかったので、必死でした。
幸い、必死に取り組んだ結果は出て、単位を落とすということはほとんどなく、3年次までで、4年次に必須のゼミ以外のすべての必須単位を取得できました。
したがって、4年目はゼミのあった金曜日と、興味本位で取った任意科目の「英会話」があった水曜日だけ学校に行けばいい状態となりました。
「単位を落とすことはほとんどなく」というのは・・はい、4年間で一つだけ単位を落としました。
それは、「教育基礎1」という、教職課程の科目でした。
落とした理由は、正直に言えば、なめていたからです。
当時、一応曲がりなりにも教師として教壇に立ってきたので、「今更 教育基礎とか馬鹿馬鹿しいしー」くらいに思っていたのです。もちろん、そういった考え方は、自身の成長の妨げとなりるのですが。。
なので、まるで高校時代の英語の授業のように、サボってしまいました。。
ただ、その「教育基礎1」を一度落としたことは、結果的にはすばらしい経験に繋がりました。
というのは、翌年、もう一度その「教育基礎1」を履修せざるを得なかったわけですが、今度は違う時間帯で、違う先生にその科目を教えていただきました。
その違う先生というのが、素晴らしすぎる先生で、彼が話すと彼の世界に引き込まれてしまうのです。
面白くて面白くてしょうがない、と思っているうちに時間が過ぎてしまう。。そんな講義でした。
あまりにも面白くて、思わずその先生が独自に書かれている本を、後日購入しました。
・・・しかしながら、その講義で教えていただいたことについて、彼の身の上話以外、何も覚えていません(笑)
はい、そうですね、そんなにも面白くて引き込まれた講義でさえも、何も頭に残っていないのですから、それ以外の講義のことなど覚えているはずもありません(笑)
実を言うと、自分が最終的に専攻した、数理統計学のことさえも、何も覚えていません。
まあ、百歩譲って、今は卒業してから時間が経ったということと、数理統計学とは直接関係ない仕事をしているので、覚えていなくてもしょうがないと割り切ったとしても、卒業して一年後くらいの時点で、もはやほとんど覚えていなかったと思います。
卒論のテーマさえも、覚えていません。
覚えていることと言えば、ゼミの合宿で箱根の施設に5日間ほど泊まり込み、昼間はソフトボールをやって、一塁を守って、一二塁間を抜けるライナーに向かって思い切って横っ飛びしたら、たまたまボールがグローブに入ってくれたこと(あれは気持ちよかった。。)、その夜今度はバレーボールをやっていたら、足をくじいたこと、そして、5日もいたのにゼミに関することをやったのは初日の1、2時間で、しかもその時教授は居眠りをしていたということくらいです。
あとは、教職課程の一環で行った、母校での教育実習のことはよく覚えています。
たった一週間ではありましたが、つかせてもらったEi2というクラスの子たちが、最終日に色紙に全員のメッセージを書いてプレゼントしてくれました。
もちろん今でも持っています。
結局、普段の教室から離れて、自分たちで体を動かしたり、現実的な活動をしたりしたことは記憶に残りますが、そうでないことは難しい、ということの典型的な事例だったと思います。
・・最初の問いにかえって、「本物の教師に近づくことができたのか?」については、上記のような大学生活でしたので、答えは残念ながらNoですね。。
それでも、その4年間の経験は、確実に自分の中に変化をもたらしてくれたと思っています。