平成29年初詣特集⑦ ~お諏訪さま、祗園信仰~ | 神々の東雲

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わたくしたちの美しい国日本の成立を、記紀や神様のはなしを中心にまとめました。

初詣といえば思い出すのが、まだ息女たちが小さかったときのことです。

参拝の列に並んでいると長女が「なんて言ったらいいの」と聞いたので、家内が「そうね?? 世界のひとたちがみんな平和で、幸せに暮らせますようにってお祈りしたらどうかしら」というと

「分かった!」

といった長女は、みようみまねで二礼二拍すると、とてつもなく大きな声で

「みんなでなかよく暮らせますように!」と....??

隣で参拝していた老婦人が「まぁ、なんてかわいいこと」と言われてましたが、筆者と家内は「なんだか、別居家族みたいだなぁ...」と苦笑いしたり恥ずかしかったり。

 

 

諏訪信仰

これは記紀にある、「国譲り」に於いて、オオクニヌシさまの御子神の建御名方神を主神としている諏訪大社を中心とした全国に点在する諏訪神社に参詣する信仰をいいます。

ですが、そもそも諏訪大社の鎮座に関しては大きく二つの説があり、そのひとつが記紀にある、タケミカヅチとの力比べに敗れてこの諏訪から一歩も出ないことで許されたという一般的な説です。

もう一方はこれは信州に伝わる神話では、建御名方神とは諏訪に坐していた「モレヤ神」を倒してこの地に鎮座したというものです。

恐らくは、このふたつはそれぞれ別個に存在していたものを、古事記でひとつにすることで天照大御神の権威を誇示するために国譲りに登場させたのではないかというのが有力な説になっています。

 

神功皇后の三韓出兵祈願も有名ですが、平安時代になって、坂上田村麻呂も蝦夷征伐の際にここに神の導きがあり、結果、東北地方の豪族がこれにならい、多くの諏訪神社を勧請して参りました。

その後、鎌倉幕府の御家人である諏訪氏が氏神として厚く信仰したことで武家の間にも広く信仰の対象になりました。

勝利の神さまという御利益ではいまでも初詣に人気があります。

 

 

祗園信仰

祗園信仰は京都の八坂神社を総本宮としています。

わたくしも何年か京都で越年した年の初詣は必ずこちらでした。

なぜかって?? それはとても参拝の方々が華やかだったからです。若い頃は神への畏敬の念もありましたが、俗世間はもっと大事でしたので...

こちらはスサノオさまがご祭神ですが、そもそも神社以前に観慶寺というお寺がありその境内に牛頭天王を祀る社殿がありました。

牛頭天王は釈尊が説法を行ったインドの「祗園精舎」の守護神でしたので、このお社は「祗園天神堂」と呼ばれておりました。

 

しかし、寺院そのものは早く廃絶してしまい、祗園天神堂のみが人々の信仰を集めましたが、その信仰の特徴は「祗園祭」に対する信仰として広まったことが特徴です。

祗園祭は山車を賑やかに巡行しますが、これは京の町に疫病を流行らせる疫神を追い払う儀式でした。

 

スサノオと同一視されるようになったのはもっと時代が下ってからで、実は「茅の輪くぐり」の神事はこのお祭りに由来するものだというのが定説になっています。

 

 

武家や公家衆など、身分や出自によっても色々信仰は違うものです。また逆にいえば、祖先の信仰がどんなものだったかmによって、自分のルーツも分かるものです。

 

鰯の頭も信心と言われるほど、やはり日本人には基本的に高い精神性が備わっていることが、初詣という慣習を生みだしたのでしょう。

 

 

via 神々の東雲
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