龍のひげのブログ -7ページ目

国難を意図的に作り出す立憲民主党

ということで、そもそも今回の高市総理の発言問題は、立憲民主党の岡田克也氏の質問、追究によるものだが、1年も前の発言を持ち出してきて、それも高市総理は台湾有事が即、存続危機事態だと断定的に述べたものではない。なるかも知れない、と言っただけである。高市総理は何も間違ったことを言ったわけではなく、国家的な安全保障上の危機管理としては当たり前のことで、それを広義に捉えるか、狭義に解釈するかなどは、机上の空論でどうでもいいことである。台湾海峡が封鎖されて日本の艦船が砲弾を受ければ存続危機事態だが、それ以外の場合はどうのこうのなどと一体、何が言いたいのか、まるでイオンモールのお客様窓口に訳のわからない理由で延々と苦情を言い続ける悪質なクレーマーのような光景である。普通に常識的に考えて、中国が台湾に軍事進攻すれば、沖縄の米軍が出動することになるであろうから、その紛争に日本が大なり小なり巻き込まれると考えることは当然ではないか。またそこで自衛隊が米軍に対して後方支援なりの協力をしなければ、日本がいざという時に守ってもらえなくなると考えることも自然なことであるから、当然そうするであろうし、つまり日本が直接的な攻撃対象になる可能性が極めて高いということである。それを野党が、日本の政治トップに対して言論抑制や思考放棄を促すようなことは、言語道断である。立憲民主党は言うまでもないことだが、消滅した民主党の落武者的残党が寄り集まっている集団である。岡田克也氏もその一員である。当時の民主党政権は、尖閣諸島付近での中国漁船の違法操業で海上保安庁が取り締まりをした時に日本の巡視船に体当たりをしてきて損傷させ、拿捕したが、中国漁船の船長を処分保留で早期に釈放したものである。また後に尖閣諸島を国有化した時に中国国内で共産党政府の扇動により暴動が発生し、多くの日系企業店舗が破壊された。つまり岡田克也氏や立憲民主党の議員は、民主党政権時の経験から中国政府の過激な反応を引き出す方法をよくわかっているのである。高市総理の過去の発言を掘り返してきて、それをしつこくクレーマーのように追求することで、中国の怒りを焚き付け、煽り立てる政治手法を取っているのである。このような政党に日本国民の血税が、政党助成金や歳費などで多額に投じられていることが許されるであろうか。今更の話しではあるが日本の政治は根底において狂っているのである。野党であろうが、リベラルであろうが、政治が日本の税金で賄われている限り、思想や価値観の対立があったとしても、それは日本の国益や日本人の安全を守るための相違であることが絶対的な前提であるべきことは当たり前のことではないか。それが日本は立憲民主党やいわゆるオールドメディアの論調のように、日本をいかにして外国政府や勢力に売り渡し、貶めるかというところの正当性を争う対立軸が日本的民主主義の基調になってしまっているのである。そういう基調のもとでいくら議論したところで時間と金とエネルギーの膨大な浪費があるだけであり、国民の政治離れというものはそういうことが原因になっていることは普通の知性があればわかることではないか。ともかくも立憲民主党という政党は日本の国難を意図的に作り出すことで、政局をコントロールし、マウントを取ろうとする悪の集団である。イオンモールに立て籠る熊よりもよほど有害で危険である。民主党の残党集団に対しては何の躊躇も容赦もなく駆逐、排除していかなければならない。今こそその思いを日本全体で強く共有すべき時である。

(吉川 玲)

恫喝政治の中国と親交を図るべきなのか

ということで、最近私が読んだ本の『ウクライナ企業の死闘』(著者 松原美穂子 産経新聞出版)の内容について簡単に紹介すると、2022年2月のロシアによる軍事侵攻以降、ウクライナの電力・エネルギー、通信、金融、運輸など各分野の重要インフラ企業人たちがいかにその危機に立ち向かい、命懸けで国家的なレジリエンスを維持しているかについて具体的に書かれたものであるが、最終章が「ウクライナの教訓と台湾有事」となっていてその中に看過できない内容があったのだが、これは到底、自分の胸の中だけに治められないことであると、少しでも拡散して日本国民全体で考え、対処しなければならないと思い至ったという次第である。

台湾の抱える国防問題について述べられている229Pから引用する。

読売新聞と公益財団法人「国家基本問題研究所」が共同で衛星画像分析したところ、人民解放軍が所管する訓練場に台湾の模擬総統府が少なくとも2014年から存在していることが判明した。総統個人を標的として攻撃する斬首作戦の訓練に使われているとみられるにもかかわらず、総統府の警備担当に中国のスパイが浸透しているのは極めて憂慮すべき事態だ。

さてこの一文を読んで、私が言いたいことがお分かりであろうか。言うまでもないことだと思われるが、斬首作戦という文言である。高市総理の台湾有事が日本の「存立危機事態」になり得るという答弁に対して、中国の大阪総領事が「汚い首は斬ってやるしかない」とXに投稿した表現は、その場の適当な思い付きから発せられたものではなくて、実際に台湾総統に対する斬首作戦というものが存在していることから使われたものなのである。日本の総理が台湾有事について台湾側の立場に立って敵対的な発言をするのであれば、お前も台湾総統と同様に斬首作戦の対象にするぞと脅しているのであって、これは単なる一領事の言葉の問題ではない。中国という国家の軍事作戦から出てきているものなので非常に深刻で憂慮すべきことである。現実に将来的にその作戦が実施される可能性のある中国のその斬首作戦について、日本の政治家は、特に国会議員はどの程度、知っているのであろうか。いわゆる親中派と呼ばれる国会議員は何を考えているのであろうかということである。このように平気で恫喝してくる国と友好関係を目指すべきなのか、或いは本当に共存共栄の友好関係が可能だと思っているのかということである。高市総理が習近平国家主席との会談で述べていた「戦略的互恵関係」という言葉にすら、個人的には抵抗感を感じるし、軽々しく使わないで欲しいという気持ちである。現実を無視した共生とか交流重視という理念は、偽善、欺瞞であるとしか言えない。むしろ何としても友好関係を維持し共存共栄を目指さなければならないという心理的な縛りのようなものが、日本の国家的なリスクを増大させていると言えよう。はっきり言って、まともに話しが通じ合わない相手に対しては共生ではなくて、棲み分ける以外に方法がないものである。ロシア、中国、北朝鮮のような独裁共産主義政治と自由、民主主義を標榜する日本を始め西側の国家とは基本的な価値観や善悪の基準というものが異なっているので、政治的な話し合いや経済取引、人的交流などで真の友好を醸成できるという考えそのものが幻想であり、戦争の危機を増大させているものであると考えられる。山奥から人里に餌を求めて降りてくる熊の問題と同じである。小さな国土の日本であっても太古の昔から人間と熊は棲み分けることで営々と生きてきたのである。それがその棲み分けの区分が一旦、崩れて熊が人間の生活領域に侵入してくる事態になると、当たり前の話しではあるが話し合いや取引で解決することなど不可能である。どちらがどうだという訳ではないが、選挙も行われていない独裁的な共産主義と自由、民主主義国家は、最終的には人間と熊のように話し合って、分かりあえるものではないと思われる。無理に共生、交流しようとしてもどうしてもそこには駆除の思想から逃れることができないのであって、それが戦争や斬首作戦という状況を生み出しているのである。中国という国家は共産党一党独裁の元で全世界を中国化させようと長期的に目論んでいることは明白なのであって、日本はそういう国との距離の取り方や関係性というものを再考すべきである。今や日本の権力内部に中国の浸透工作がかなり進んできていると考えられるので、最早一刻の猶予もないと言えるであろう。

(吉川 玲)

立花孝志氏の逮捕について思うこと

ということで、どうでもいいことでもないが、N国党、党首の立花孝志氏が逮捕されたということで、名誉棄損容疑での身柄拘束をする逮捕という事態は異例のことのようにも感じられるが、個人的な立花氏に対する評価や、立花氏の活動に対する日本社会の動向、反応といったことを自分なりに分析して論評することにしようか。

先ず私は立花氏が世間でほとんど知られていない無名の頃からユーチューブの動画で活動を見ていたが、初期の頃はパチンコの打ち子を集めて、組織的に金儲けをしたり、パチンコの勝ち方の解説をしていたような内容のものもあったような気がするというか、さほど真剣には見ていなかったのでよくは覚えていないが、それからNHKの集金業務に激しく反対し、NHKを筆頭にマスコミの腐敗ぶりを解説し、攻撃する動画内容に移行していったものだが、全般的な印象で言えば、昔に比べて今や、議員数一人か二人程度の弱小政党とは言え国政政党の党首であるのだから、出世というか随分と偉くなったものだなとは思う。しかしそれと同時に最近、ここ1~2年の立花氏を見ていて感じていたことは、支持するものでも批判するのでもなく、あくまでも客観的な感想であるが、限界のようなものが見えてきていたように思われる。どういうところに限界があるように感じられたのかと言えば、立花氏は単独でのソロプレーヤーとしては頭が良くて、戦略的であり、桁外れの行動力があって見ていて面白くもあり、優秀だとも言えるのだと思われるが、最大の問題は組織作りが上手くないというか、横に拡がって日本社会に定着する、ある種の正当性のようなものを獲得するところまでには至らないのである。立花氏当人もそれを自覚しているからなのか自分が住んでもいない各地域の知事選挙や市長選挙に出馬して、話題を作り、注目を集めたりすることには、非常に長けてはいるのであるが、それが政治的にどこに向かっているのか有権者的にはよく分からない、分かり難い。「NHKをぶっ壊す」のは誠に結構なことではあるが、兵庫県の斎藤氏を知事に再選させるために、兵庫県知事選に出馬するようないわゆる2馬力選挙を展開するようなことは、その場限りの瞬発的なイベントとしては確かに社会全体に与えるインパクトが強くて、それなりに民主主義的な意義や価値があるといえるのかも知れないが、それは単発的な一夜限りの花火のようなものであり、継続して社会を変革、前進させていく力とは異質のものであるように感じられるということだ。そういう単発的な花火を打ち上げるような活動を繰り返していても、政治の流れも世相も変わらないのである。結局は本人の自己満足だけに終わってしまっているようにも見えるし、どこまで行っても色物、際物的な域から脱することが出来ないような、そういう限界が私には明瞭に見えていたということである。たとえ目立たなくとも、時間を掛けて、横に拡がり続けるような地道な活動による強固で安定した組織作りというものが出来なければ、どれほど筋道の通った正論を主張し続けても、またパフォーマンスを展開させても日本社会においてはマスコミ全体を敵に回して、警察や検察に目を付けられるだけの結果に収束していくのである。参政党との差、違いはそういうところにあるように私には思えるし、またそれが今回の立花氏の逮捕劇の最大の要因であると言えるであろう。まあ、そういうことだ。

(吉川 玲)