トラブルは人生において不可避である。
もう世の中に対して、何も言いたくはないんだけれど、歳を取って、何か言う元気がなくなってきたということなのかも知れないが、トランプ大統領を見ていると元気だなと、あの活力は一体、どこから湧いてくるのであろうかと自分と見比べ、見習おうとは思わないが、まあ何て言うのか、どんな人間でも、偉人であろうが凡人であっても、生きている限り殺される(物理的にも精神的にも)リスクは、絶えず存在するのであって、そのリスクを回避することばかりを考えて生き長らえていても、人生そのものが楽しくはないし、生きる活力も枯渇せざるを得ないということは言えるのではなかろうか。余計な心配かも知れないが、トランプ大統領はこれからの任期の4年間、殺されずに生き続けることは出来るのであろうか。
ということで、よその国の大統領の身の心配をするよりも、今、この国の出来事に関連して何か言うのであれば、生きている限り、誰のどのような人生であっても何がしかの「トラブル」は付きものだと思う。まったくトラブルのない人生を送っているという人がいるのであれば、私の目の前に連れてきて欲しいと思う。そのような奇跡の人間を死ぬまでに是非、一度見たいものだと思う。そもそも人間はこの世に生きていること自体がトラブルであり、何らかのその人間の人生に相応しいトラブルが宿命づけられていると考えることもできる。イエス・キリストのような偉大な人間であっても宗教的なトラブルの末にローマ帝国への反逆罪として殺されたのである。トラブルのない人生など存在しない。ドナルド・トランプ大統領の人生もトラブルに塗れている。トラブルイコール悪ではない。トラブルをどう評価するかは別の問題である。別に擁護するわけでも、心配するものでもないが、今、世間を大きく騒がせている中居君が過去に引き起こしたトラブルがどの程度のものであったのか全く見えてこない。中居くんのマンションに女子アナが一人でのこのことやって来たのであれば、そういう行為を気持ちの上で了解済みであると中居君が思ったとしても、ある程度は仕方のないことである。そこにフジテレビの会社幹部の関与があったのかどうかということも、業務命令として行ってこいといわれたのであれば組織的に行われている性接待と見做すことは出来るのであろうが、そういう風に会社としての関与を明白に証拠づける言質をフジテレビのような大手のマスコミ企業の幹部が言明する訳がない。そこは曖昧に、あくまでも女子アナが自分の意思で中居君のマンションに行って、自分の意思で行為をしたという筋書きにしようとするであろうからグレーゾーンの領域である。要するにそのプロデューサーなのか何か知らないが、幹部社員と女子アナの阿吽の呼吸による意思疎通が取れていなかったことが、問題というか原因であったのではないかとも考えられる。或いは良い悪いはともかくも、女子アナが潔癖で世間知らずであったことも一因であったと言えるのではないか。もちろん暗黙であっても、そのような性接待の慣習が業界なりフジテレビに存在していること自体が、社会的に大きな問題であることは当然であるが、それを言うのであれば、女子アナが仕事上で付き合いのあるタレントやスポーツ選手と食事会やパーティー、合コンなどで接触することを一切、会社として禁止すればよいではないか。そのようにしても我々一般の視聴者は何も困らないし、誰も文句は言わないであろう。クレームがあるとすれば、当の女子アナからであろう。はっきりと言うが、女子アナなどという存在は差別する気も、侮辱する気もないが、ニュース原稿を間違いなくしっかりと読んで、時事問題や政治に関することをわかりやすく解説して社会に貢献したいなどという殊勝な心掛けでアナウンサーという職業を選んだ人間など一人としていないのではないか。一般の大企業と比べても高額の給料をもらって、TV番組に出演して有名になり、タレントのようにちやほやとされ、仕事や食事会などで有名人と知り合う機会が多いことが職業として女子アナを志す動機やモチベーションの全てであると言っても、決して言い過ぎではないような気がする。何もそれが悪いとか間違っているなどと言うつもりはないが、要するに言いたいことは、その環境を活かすのも、性接待の餌食になるのも子供ではないのだから自分次第ではないのかということだ。それから今回のことは刑事事件になっていないのだから、女子アナはあくまでも被害者ではなくて当事者である。トラブルの性質上、プライバシーを必要以上に晒されたくない気持ちは理解できるが、これだけ問題が大きくなりフジテレビの存亡に関わるような事態になっているのであるから、辞職しているとしても自らの口で、事の経緯や当日の状況を説明する責任はあるように思われる。高みの見物とまでは言わないが、沈黙を貫いたところで、推測の情報が独り歩きするだけで、誰にとっても何のプラスにはならないと言えよう。
中居君が芸能界を引退するのは、中居君の勝手であるが、トラブルが大きくなり過ぎて、自分の手に負えなくなったから責任を取って辞めるというのは、トラブルの有無やその影響力の大きさを善悪の基準として考えがちな日本の悪い風潮であると思われる。重要なのはトラブルの中身なのではなかろうか。中身が分からずして、トラブルの外形的な責任だけを取ったところでそこには何の進歩も改善もないではないか。もちろん覚せい剤をやっていて、乳首を食いちぎったというのであれば、何の説明も出来なくても当然であり、また引退したからといって済まされる話しでもないが、仮にそうであれば、別の意味で何でそれが刑事事件になっていないのかが問題である。よくはわからないが恐らくはそうではないのであろうから、中居君は自分の口で弁明なり、説明をすべきである。それは言い訳や責任転嫁ではなくて、自分が遭遇したトラブルを今後、同じようなことが繰り返されないようにするための材料として社会に提供する勇気ある行為として称賛されるべきものではなかろうか。何も言わないで黙っているのは、卑怯である。
ともかくも本当のことを言えば、中居君のことやフジテレビの行く末などどうでもよいのである。安倍元総理を銃撃、殺害したとされている山上徹也の裁判はどうなったんだよ。事件の日からもう2年半も経過しているというのに、いつまで公判前整理手続きをやっているのか。日本のほとんどの大衆は、このような歴史に残る大事件の第一審すらまだ行われていないことに、中居君の問題に関心が奪われて、問題視していないという以上に、完全に事件が風化してしまっていて、気付いてすらいないのではないか。そしてそれが中居君の問題の目的ではないのか。大体において安倍総理銃撃後の2年半の間に芸能界の大物のダウンタウンの松本と中居君の二人が同じような問題で世間の注目をバトンタッチのように集め続けるというのは不自然だとは思わないですか、ということだ。さらに言えばジャニーズの性加害のスキャンダルも同様である。共通して言えることは今に始まったことではないのに、何で今、問題となるのかということである。久しぶりにブログの記事を書いて、それがこんな内容であれば警察がまた政治に命じられて私の元に遊びにくるかも知れないが、それならそれで仕方のないことである。別に悪いことをしている訳ではないのだから。アメリカのトランプ大統領が生き続けるのであれば、当面は私も死なないであろう。楽しくない人生であっても、腐り切った世の中であっても、生き続けることには何らかの意味はあるのだと思う。
(吉川 玲)