「2005年の予測」
この10年間(1995年~2005年)
で、世の中の常識といわれるものが
これだけ変化してくると、例えば、今から
5年後の2010年ごろには、こう変化して
いるだろうという予測がしたくもなる。
現代日本の大人の三大心配事は、
お金に関すること、自分に近い人間
(関係=コミュニケーション)のこと、
健康(体調)のことだと言われる。
今から5年後の2010年には、この5年間
(00年~05年)より大きな変化を経て、
多くの大人が「人生(生活)の質」(Quality of Life)
に最大の関心を寄せるようになり、
つまり現実(目前に現れていて視界に
入るもの)から真実(目前に現れていなくても
真実と思われること)を重視するように
なっているかもしれない。
そうなると、人々は精神的なものに一層
価値を置くようになって、5年前(05年)の
三大心配事は、時代遅れとして軽視
されている可能性が十分あると思うのは
私だけだろうか。
上記の文章は、ぼくが05年にDIARYした
ものだ。
2010年に、多くの大人が「人生(生活)の質」
(Quality of Life)に最大の関心を寄せる社会
になっているだろうか。
「Quality of LifeⅢ」
昨夜は、第6回目の塾を行っていた。
塾の目的は、参加者が各々の
「Quality of Life」を見出すことだ。
今回の大テーマも「Quality of Work」
だった。
ぼくとの対談で登場してくれたのは、
川辺秀美さん
(㈱スカイライター代表
/http://www.skywriter.co.jp/200918y.html
http://www..co.jp/
)
だった。
優秀な編集者でありながら、勤めていた
出版社を退職して、昨年11月に自分の
会社を設立した方だ。
編集者の頃は、志ある著者の発掘に
情熱を燃やしていらっしゃったという。
独立なさった今、ご自身が著者として
ベストセラーを世に出すことを目指して
いらっしゃる。
編集者としてベストセラー作家を
輩出した後、今度は、著者としてベスト
セラー本を輩出しようという、類まれな
起業家精神に志を認めるのは小生だけ
だろうか。
「Quality of Work」とは、人を感動させる
営みそのものなのだと再認識した
昨夜だった。
「スリランカ内戦終結~25年間を経て」
今週5月17日にスリランカ内戦が終結した。
本当に長かった....。複雑な感慨はあるが、
これで内戦が終わったこと自体は歓迎する。
国連発表によると、この25年間で8万人~
10万人が内戦により死亡した。
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009051701000273.html
ぼくは、内戦の激戦の中、
1984年~1985年の1年間(15歳~16歳)、
高校生留学生として、日本人として初めて
スリランカに派遣された。
この1年間で1万人以上が内戦で亡くなった。
http://ameblo.jp/v-express/entry-10092352721.html
当時、一国の内戦による死亡者数は世界最多
だったらしい。
ちなみに、近年、イラクが攻撃され、国内テロが
頻発したが、これは外国による奇襲が原因であり、
スリランカの内戦とは性質が異なる。
やはり、民族間の内戦は、もっと、もっと
局地的で情緒的なテロの連続になる。
そして今日、スリランカ人の25年来の友人
(ビジネスパーソン)から、嬉々とした電話が
あった。
「25年ぶりに内戦が終結した。すぐに、事業を
始めよう!」
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90003011&sid=awM7WHeC6ETI&refer=jp
_
asia
スリランカに貢献する機会が再び来たのかと
思っている。
「Quality of LifeⅡ」
昨夜は、第5回目の塾を行っていた。
塾の目的は、参加者が各々の「Quality of Life」
を見出すことだ。
今回の大テーマは「Quality of Work」だった。
ぼくとの対談で登場してくれたのは、
高校、大学の同級生の田崎ケンタ氏
http://www.liberdade.com/tazaki.html
だった。
彼は、ぼくの知る限り、中学生以来、矜持を持って
強くたくましく生き抜いてきている。
とくに、
草食系の傾向がある20代男性には(女性に
負けないよう・笑)、男らしくはっきりものを言い
行動する彼に刺激を受けたのではないだろうか。
奮起を促したい。
追記になるが、
同じ高校同級生の鏡リュウジ氏 http://kagami.nifty.com/kagamilog/
にも対談をお願いしたいと思っている。
「グローバル市場主義の崩壊」
1930年代の大恐慌時には、主要国の失業率は
25%を超えた。
失業率の急上昇が自由貿易の崩壊を導き、
その結果、社会主義と共産主義への信頼性が
高まった。
この大恐慌は、半世紀にわたって1980年代まで、
主要な民主主義国においてさえ、社会主義的
経済政策を継続する原因となった。
大恐慌は、また、内向き志向、外国人労働者の
排斥や権威志向も招いた。
将来への不安におびえる人々は内向きになり、
限られたパイの奪い合いなど社会の内側でも
対立が生まれた。
市場主義の衰退期には、政治も過剰に反応する。
国民の安全性の追求は、市場に対する政治の
支配力を強める結果になる。
経済の政治への依存は、自由主義から国家主義、
保護主義への傾斜を助長する。
その結果、すでに各国政府が、金融機関の国営化
や自国メーカー救済を始めている。
新興国への影響も厳しくなっている。
貧困層は急増し、その中流階級はすでに激減
してきている。
一部の新興国はデフォルトすることも考えられる。
また、とくに米国式金融ビジネスへの信頼性は
損なわれ、先進各国の金融システムが崩壊
している一方で、中国の市場経済が依然として
発展している事実は、米国一極体制が終焉した
ことを告げている。
金融自由化の時代は終わったのだ。
これまでの30年間の世界のかたちはすでに
過去のものとなり、これからの世界は我々が
そのかたちを決めていくことになる。
「市場主義の崩壊」
市場主義と社会主義の混合経済
(1950年代~70年代のケインズ・モデル)の
の失敗をきっかけに、約30年前に変革が
起こった。
当時、サッチャー英国首相やレーガン米国
大統領は、「政府は悪、規制緩和された市場は善」
と繰り返し演説をしていた。
以来30年間にわたり、市場主義の考え方は
世界各国に浸透した。
(自身にも、もちろん浸透した)
中国がトウ小平の指揮下で計画経済から
市場経済へ移行したこと、1989年~1991年に
かけてのソ連の社会主義の崩壊、
1991年に起きたインドの社会主義経済政策の
転換などで、急激に数十億人が市場経済に
エントリーしてきた。
その後、今まさに激変の時が来ている。
市場への信頼は弱くなり、米国への信頼性は
損なわれ、中国の相対的権威は高まっている。
グローバリゼーションそのものが終焉を迎える
かもしれない状況になっている。
巨大な金融腐敗による危機と世界同時不況が
起きている。
「世界は、30年間の市場主義を経て、○○主義
への変革が起きた」
と、将来、歴史書に明記されるだろう事象が
今起きている。
「Quality of Life」
昨夜は、第4回目の塾を行っていた。
塾の目的は、参加者が各々の「Quality of Life」
を見出すことだ。
今回の大テーマは「Quality of Work」だった。
ぼくとの対談で参加してくれたのは、
商社に勤めるぼくの25年来の友人だった。
過去「厳」 現在「熱」 未来「静」 という言葉が
対談者から発せられた。
「過去を厳しく見る」、
「現在の仕事に情熱を持って取り組む」、
「未来を冷静に見る」。
今、今の情熱があって今日があり、
その今日は過去の礎があっての結果であり、
その今日は未来を切り拓く。
このことを再確認させてくれた
今日であった。
今後も参加者全員で
「Quality of Life」を探求していきたい。
「子どもたちに、何を教えることができるか partⅡ」
前回では、大人自身が「先が見えない」状況下
では、子どもに「教える」(teach)行為の限界を
感じると記した。
日本で学校教育を受けた大人(の大半)は、
「必ず答えがあるテスト」のトレーニングを繰り
返され、考える前に答えを覚える集団が発生した。
その集団は「勉強が良くできる」と呼ばれて
いたりした。
その結果、答えがなければ「教える」(teach)ことが
できない大人が大量に輩出されてきたのが、
この国の現実だ。
教師(の大半)は、「必ずある答え」をどうように
導くのかを子どもに「教える」(teach)ことを
繰り返してきた。
それも、文部科学省が作成した指導要項に
沿って教えてきた。
本来の教師の役割は、指導要項にしたがって
教えることではない。
子供たちが持って生まれた潜在能力を引き出す
(エデュケーションの原意)ことが最も重要な役割だ。
大人自身が今「先が見えない」(=答えが見つからない)
社会環境下で、かつ、答えがある問題の答えは
インターネットで検索すればすぐに判明する時代に、
何を教えるのか。
現代に有効なのは、
「教える」(teach)ではなく、
子ども自身が「学ぶ」(learn)ために、「助言」(advice)
したり、「示唆」(suggest)したりすることにより、
「潜在能力の開花」(empowerment)を助長する
ことではないか。
【続く】
「子どもたちに、何を教えることができるか」
最近、子どのたちや学校教員に接したことを
きっかけに、浮かんだことを記してみる。
10年ほど前に、ある企業グループが、「先が
見えない」というテーマで社員が演じる演劇会に
取引先を招いた。
(当時も、金融危機の影響で、大企業の赤字
決算や新卒採用ゼロが相次いでいた)
ぼくも招かれて、観賞した。
終了後、交流会でビジネス界の経営陣などの
方々と話をした。
「この現実は...現実をまず直視し...」と、過去を
振り返り、自己分析を行っている方々と
「この状況はチャンスだ。これからは○○が
したい」と言って、今後のプランを饒舌に語る
方々。
観賞後の感想の色合いは、大きく半々に
分かれた。
当時はただ感想を伺っていたが、今振り返ると、
前者の感想を述べた方々は無意識にしろ、
「自己保身」が原点にあったと分かる。
後者の方々は、「自己保身」より「自社の
成長」を優先していたことが今は鮮明になる。
そして再度、金融危機が起きた。
その規模と深さから、当時よりも一層「先が
見えない」状況が続いている。
「自己保身」にしろ、「自社の成長」にしろ、
大人自身が「先が見えない」状況下で、
子どもたちに何を教えることができるの
だろうか。
大人が子どもに「教える」(teach)行為の
限界を、あらためて、感じる。
【続く】
「満開のサクラ」
東京ではサクラが見事に満開だ。
このサクラは、昨日飛翔してきたミサイルを
恐れることなどなく、咲いている。
人間には、咲き誇っているように見えるが、
ただ咲いているのだろう。
文句一つ言わず、全く無理をせず、法則に
したがって、開花しているなあ、と感じ入ったり
してみても、サクラはただ咲いているだけだろう。
「敷島の大和ごころを人問わば朝日に匂う山桜花」
(本居宣長)
などと、人間が詠んでみても、サクラは自分の
ペースで咲いているだけだ。
「人間は現在がすこぶる価値のあることを知らない。
ただ、なんとなく未来のよりよい日を願望し、
いたずらに過去と連れ去って嬌態を演じている」
≪ゲーテ格言集より≫
ぼくがサクラに勝る日は永遠に来ないと
今日確信した。