似たような話をふたつ、別々の場所で聞いた。
同業の、若いピアニストに伝えたい話である。
まずは、同業の後輩から聞いた話。
某オープンスタジオでのレギュラーの仕事が決まったとのことで、そこのスタジオのいろいろなクラスの見学をさせて貰っていると言う。
そのなかでの一コマ。
外人講師Aと、ピアニストBのクラス。
講師は淡々とクラスを進め、Bも淡々と弾いていたと言う。後輩の感想は、「特に変わったことも無し」。
こんなものかという感じだったらしい。
場面変わって、同じ外人講師Aと、ピアニストCのクラス。
「目を、耳を疑いました」と言う。同じ講師Aだとは思えなかった、という。
ピアニストCの演奏に対して、「グッド!!」「エクセレント!!」を連発。表情豊かに言葉も笑顔も多く、非常にエネルギッシュなクラスだったという。
…勿論これは、ピアニストCが良かったからなのだが、後輩がびっくりしたのは
「講師Aが、これほど態度を変える」ことだったらしい。
ま、態度変えるってより、自然にそうなっちゃったんだと思うけどね。
「あたし、最初のクラスだけ見て終ってたら、A先生はいつもあんなふうに淡々としてるんだ、A先生のクラスはあれでいいんだって思うところでした…」
この話の怖いところは、最初のクラスを弾いているピアニストBは、講師からのクレームがないからといって、自分はこれでいいと思ってしまっている場合がとても多いことだ。
講師はピアニストにはなにも云ってくれない。
大きなスタジオのオープンクラスでは特に、ピアニストに働きかけて良くしてあげようなんて暇な講師はすくない。
ピアニストBは、このまま永遠に、自分が講師Aをポーカーフェイスにさせていることに気付けない。自分がクラスの質を下げていることに気付けない。ピアニストCとの凄まじい差に、B本人だけが気付けない。
怖いね。
もうひとつ、知り合いのバレエの先生に聞いた話。
朝のプロクラスにて。
レギュラーのピアニストがNGで、代わりに自ら売り込んできた若手ピアニストに、試しに1クラス弾かせてみたらしい。
経験者だということだったのだが…
「全然ダメ」(←先生の言葉のママ)。
アクセントが強い、単調、から始まって、あれでは気分がわるい、無料でも弾いてほしくない、いったいどこのバレエ団でどんな経験したというのだ、…等々と散々な評価だった。
知らない人とはいえ、同業者のあまりの言われ様に、あたしは「相性もあるし、流派も違うし、普段弾いてないクラスなんだから…」ととりなしたが、それでもダメ。
「そのひと、これからも使う?」と聞いたら
「絶対ない」。
「育ててあげないの?良くなるかもよ」と聞いたら
「なんであたしがそんなことしなきゃなんないの」。
「もう使わないってことや、その理由を云ってあげないの?」と聞いたら
「そんな面倒なことできないよ」
…これが本音ってやつだよね。
この話の怖いところは、そのピアニストはもう使わないということすら伝えてもらえない、ひょっとすると自分がダメだったことすら判ってないというところだ。
先生たちが特別に意地悪なのではない。下手なピアニストに関わる義理も時間もない、というところじゃなかろうか。
たまに、ウチの弟子にもいる。
他所に弾きに行って、「勉強になりました!!」と顔を紅潮させ息を弾ませて報告してくる。
そりゃあ、貴方の勉強にはなっただろうけど、先方はどうだったのかな。
先方に対する、アンテナはちゃんと立てて弾いていたのかな?
勿論、疑心暗鬼になりすぎて卑屈になってもいけない。
それから、1回もクビになったことの無い、ダメが出たことの無いピアニストなんて多分いない(誰にでも新人時代はあるんだよ)。
失敗と、ギリギリセーフ、を繰り返して成長して行くものだろうと思う。
繰り返せるうちに、その機会を与えられているうちに、自ら気付いて、改善し研究していくことを望みたい。
…あ、新人だけじゃなくあたしたちも常に、か。
画像は、去年大阪の国際美術館で観た
「福岡道雄 つくらない彫刻家」展より。