前記事で、シャンソン縛りでクラス弾いたよー、ボロボロな割には好評だったよー、という話をした。
が、ダンサーの中にこんな人がいた。
「シャンソンって、何ですか???」
シャンソンを知らない人が居たのだ。
皆で口々に
「フランスのー、…演歌みたいなの」
「古いフランスの、歌謡曲?」
と説明し出した。
「新しいのもあるよ」
「新しいのってフレンチポップスっていわない?」
「なにそれ」
「シャンソンって、分野??」
「そお、分野。ジャズとかブルースとかと同じ」
…
とまあ、少々アバウトではあるが、バレエスタジオという場所で、特にファンでもなければこんな認識で差し支えないのではと思う。
ただ、知らないというのには正直驚いた。
やはり知ってる方がいいのでは、ある程度知るべきなのではと思う。
踊る人と音楽をやる人は、例えるなら、隣で仕事をしている関係だとおもっている。
他にも、演劇をやる人が隣人だ。
衣装屋さん、照明屋さん、演出家さん、脚本屋さん、映像屋さんは隣というよりお向かいさん。
絵を描く人や漫画家、小説家なんてひとたちは、私の感覚だと「はす向かい」なんだがどうだろうか。
話それて、ごめんね。
せめて隣で仕事をしている人たちのいろいろなことは知っといた方がいい、という理由を次に挙げたい。
教養として、とか仲良くなれるから、なんてうすらぼんやりした理由の他に、はっきりした理由がある。
「共通の認識のもとに、共同でそのことについて掘り下げることができるから」。
仕事になる、というところまでストレートではないかもしれないが、「知らない」では「あっそう」で済んでしまい、話が終わってしまう。生まれるべきものも生まれてこない。それでは文化にならない。
シャンソンを知らない、というのも接点がなければそんなものだろうし、知らなくてもダンサー生活に差し支えないかもしれない。
だが、我々は仕事として芸術に関わった時点で、文化に貢献する義務があると思う。文化を(その人のできる範囲内で良いので)深掘りする責任があると思う。
去年、こんな記事を書いたが、我々はもっと異分野のことを知っても良い。もちろんあたし自身も偉そうに書いてるけど、知らないことは山のようにある。
まずは、隣で仕事をしている人の分野から。まずは、浅くても構わないから。
それに、「知る」「学ぶ」というのは本来きっと楽しいものなのだ。
件のダンサーの人も言ってたよ。
「へえー、そういうの全然知らなかったから、もっと知りたい!!」
でしょ。
画像。
ウサギ舎のまさに隣に、ベトナム料理店ができた。
333が氷の入ったグラスで出てきたのは初めて。そう来るか。早速、隣人の文化を学んでいる(違うってば)。
今度ね。