のんすけの学校は、文化祭がありません。しかし、合唱コンクールというものがあります。

近くにあるコンサートホールを貸し切って行われます。このホールで行われる普通の演奏会と同じ様に、ホールの案内係の方がおられ、演奏中は中に入れてもらえません。

コンクールと言うだけあって、学年別のクラス対抗で行われ、課題曲(学年別)と自由曲を1曲ずつ歌います。指揮、ピアノ伴奏も、各クラスの生徒が行います。優秀なクラスには、金賞、銀賞、銅賞が贈られます。

先輩ママさんからは、「感動するで~」と聞いていたので、私は、とても楽しみにしていました。


のんすけは、夏休み前に音楽の先生から各パート別の音を取ったCDをもらっていました。1人1枚もらえるのだとか。なんだか本格的です。


さて、当日、出かける直前になって、ビデオテープの残りが少ないことがわかって、行きしなにコンビニに寄って買い、ホールについて、歩きながら必死でテープを代え、ビデオカメラを抱えながらホールに入ろうとしたところで、係の方から、「撮影禁止です。」と言われました。

「!!」そんなこと、プログラムには何にも書いてなかったぞよ。

演奏中だけでなく、コンサートホールの建物の中全体で撮影禁止なんだそうです。はぁ~、それなら仕方ないとあきらめました。

あとで、のんすけから先生に言ってもらおう。プログラムに書いておいてほしかったと。

後日、CDかDVDが出るとのんすけが言っていたので、それを買うことにしましょう。


さて、肝心の合唱コンクールはと言うと、聞いていた様にすごかったです。


みんな、上手!!ハモってる♪♪すばらしい!


1年生のあるクラスは、ピアノ経験者が1人もいなくて、課題曲は右手のパートと左手のパートに分けて2人で弾いていました。のんすけから聞いていましたが、そんなことできるのか不思議でしたが、お見事でした。


1年生が終わったところで一度家に帰り、3年生の途中からまた会場入りしました。3年生の曲は難しくなっているのですが、合唱の力もあがっているので、とても素晴らしいものでした。

ピアノ伴奏も難しくなっていたので、3年生では、各クラスに必ず1人はピアノが弾ける子がいる様にクラス分けしてほしいと思います。


全部の合唱が終わったら、全校生徒で、「ビリーブ」を歌いました。

のんすけが6年生の時に、中学校の見学に行ったときにこの全校合唱を聞いてとても感動したと言っていて、「おかあさん、絶対「ビリーブ」は聞きや!!」と言われていました。


ああ、その「ビリーブ」の素晴らしかったこと。泣けました(TωT)


実は、「ビリーブ」は、ゆかっちが入院中に行っていた院内学級の歌でもあるのです。

いろんなことが思い出されて…。病気のこと、ゆかっちのこと、のんすけのこと…゚゚・(≧д≦)・゚゚・。。


それが終わると、音楽の先生からクラスごとの講評がありました。

その時に、3年生を担当された先生が、「3年生については、今日この日が来なければいいとずっと思っていました。」とおっしゃっていました。

それほど、クラスが一丸となって練習し、指導する先生にとっても生徒にとっても合唱コンクールの練習の時間は、豊かな時間だったのでしょう。

この日は、合唱も素晴らしかったのですが、子ども達の真剣な姿と、指導された先生方の暖かい姿勢を見ることができて、とてもすがすがしい気持ちになれました。


のんすけのクラスは残念ながら入賞できませんでした。でも、のんすけも豊かな時間を過ごせたかな。

また、来年がんばってな。

さあ、次は体育大会やで!

わが家は、お彼岸には必ずお墓参りに行きます。

いつも5人揃って行くのですが、この秋のお彼岸は、運動会やら何やらでどうしてもお休みの日にいけず、平日に子ども抜きで、トムさんとおばあちゃんの3人で行ってきました。


トムさんの方のお墓は遠方にあるので、お参りするのはお盆だけ。お彼岸にお参りするのは、トムさんの方の親戚のお墓です。

同じ墓所で2箇所お参りします。

一つめのお墓にお参りしたときのこと、手を合わせ目をつぶると、大きな緑色の丸い光が見えました。

??こんなことは初めてです。ちなみに私には、霊感はありません。


次に、二つめのお墓でも手を合わせて目をつぶると、なんと目の前が真っ赤でした。一度目を開けて再び目をつぶったのですが、変わらず赤かったです。


なんだか不思議やなと思って、家に帰りました。


そして、先週末は、トムさんのお父さんの法事で、片道3時間かけてお墓まで行ってきました。

本堂でお経をあげてもらい、その後お墓にお参りしたのですが、その時は、手を合わせて目をつぶると、いくつかの小さい赤い光がくるくる回って合わさっていき、ひとつの大きな赤い光になり、その赤い光がだんだんと大きくなって目のなか全部が赤くなりました。

??またまた不思議な…。


帰ってからトムさんに話すと、トムさんも目をつぶると赤かったそうです。


何か意味があるのでしょうか。あるとしたら、いいことだったらいいなあと思います。

23日(土)は、ゆかっちの小学校の運動会でした。

全ての子どもが、徒競走、団体演技(踊り)または団体競技(棒引き、騎馬戦など)、エントリー種目(玉入れ、綱引き、リレーのうちのどれか)の3種目に出場します。


ゆかっちは、1年生の時は病気がわかる前だったので、全3種目に出場しましたが、その約2ヶ月後に入院しました。2年生の時は、骨髄移植の3ヶ月前で、玉入れだけにエントリーしていたのですが、しんどくて運動会自体を欠席。そして、昨年3年生の時は、玉入れだけに出場しましたが、日焼け注意だったので、出場するとき以外はずっと救護テントの養護の先生の隣に座って観戦していました。

昨年は、夏休みにはリレーに出ると言っていたのですが、9月になって体育の時間に走ってみたら、思う様に体が動かなかった様で、玉入れに出ることにしたのでした。


そして今年は、2年ぶりの3種目フル出場です。

何度も書いていますが、4年生になってからは学校を休むことなく、大きく調子を崩すこともありません。「今年はエントリー種目どうするん?」と聞くと、「綱引きにした。そんでな、来年はリレーに出るねん。」と、ゆかっち。自分なりに見通しを持てる様になったのは、年齢のせいもあるのでしょうが、体も楽になってきているのだと思いました。


ゆかっちの学校では、紅組、青組、緑組、黄組の4つに分かれて、得点を競います。ゆかっちは、今年は黄組です。

綱引きは、惜しくも3位でした。

4年生は、沖縄民謡の「ちゃーびらさい」を踊りました。運動会前の連日の2時間続きの体育は、そのほとんどがこのちゃーびらさいの練習だったせいか、みんなとても上手でした。

そして、4年生の徒競走は80メートル。結果は4位でしたが、最後まで走り抜きました。


病気になる前は足が速く、走るフォームもかっこよくて、いかにも速い!という感じでした。それに比べると、今年はまだ完全復活とはいきませんが、それでもここまで回復できたことを思うと、目頭が熱くなりました。


大変よいお天気で日焼けが心配でしたが、日焼け止めを塗り長袖の上着も着ていたので、皮膚の状態がひどくなることはありませんでした。


これでまたひとつ、行事に参加することができました。めでたしめでたしと思っていたら、さっき学校から熱があると電話があり、帰ってきました。学校では、37度5分だったとのことでしたが、帰ってから計ったら37度1分でした。

これまでの疲れと、先週末遠方に日帰りしたので、その疲れもあるのかと思います。しばらくゆっくりしたら治るでしょう。

「横になってのんびしててな。」と言うと、「ヒマやな~。」と言いつつ、テレビを見ています。

★☆ハートリンク共済③☆★


この講演会には、ゆかっちの主治医A先生も出席されていました。

「私たち医師も長期フォローアップは大切だと考えていますが、ある程度で患者が病院に来なくなってしまいます。アメリカでは、治療とフォローアップの医師は別で、きちんと体制が確立しているのですが、研究費のこともあって日本では難しいのが現状です。」と、おっしゃっていました。近年、全国の大学病院は、国からの研究費補助が削られ、本当に大変なようなのです。


長期フォローアップに関しては、昨年やっと厚生労働省がその指示を出したとか。アメリカでは、1974年にフォローアップのための研究グループが創設されたのですが、日本はやっぱり遅れていますね。ちゃんとやってくれって感じです。


今回、林さんのお話を聞いて、一度大きな病気をしていると、保険に加入するのは大変難しいことがよくわかりました。以前、治療終了後5年経っていたら保険に入れると聞いたことがあるのですが、ちょっと甘かったようです。小児科医は、治療後5年経てば大丈夫だと声を上げているのだけれど、保険会社が首を縦に振らないのだそうです。


このハートリンク共済は、小児がん経験者の家族自らが求めてできあがりました。それゆえこの共済は信頼できるものだと思います。

骨髄バンクもそうですが、先人の方ががんばって立ち上げてくださったおかげで、あとに続く私たちが恩恵を受けられます。本当にありがたいことです。感謝、感謝です。


病気が治ったら、今度は生きていかなればなりません。再発しなくても、ケガをしたり、他の病気にかかる可能性は、一般の人と同じようにあります。だから、一般の人が万一に備えて保険に加入する様に、小児がん経験者にとっても、保険は安心して生きていくためには必要なのです。


ゆかっちもあと8年したら、私の生命保険の子ども特約が使えなくなります。入りたいな、ハートリンク共済。でも、再生不良性貧血は、小児がんではないので入れないな、残念…。と思っていたら、再生不良性貧血の人でも移植したら加入できるそうです。

やった~チョキ

加入できるかどうかはケースバイケースだそうですので、どうかなと思ったら問い合わせてくださいとのことでした。


将来の安心材料がひとつできて、よかったです。

講演会が終わってから、患者会に入会して帰ってきました。もっと早く入ればよかったな。

★☆ハートリンク共済②☆★


ハートリンク共済は、生命保険ではなく共済なので加入者の制限があります。


本人プランは、

・小児がん経験者で、治療終了後7年が経過して現在健康な人

・15歳以上60歳未満の人


家族プランは、

・小児がん経験者の家族

・小児がん関連の医療従事者

・小児がん関連のボランティア

・18歳以上69歳未満        となっています。


小児がんの治療は終了していても、投薬中の人は加入できません。例えば、高脂血症、アトピー性皮膚炎、ホルモン剤などです。また、義手、義足、義眼、人工膀胱などを使用している人もだめです。事故の確率が高いからだそうです。


ハートリンク共済事務局長の林さんは、「治療はすんでいるのだから、こういった人達もハートリンク共済に加入させてあげたいのだけれど」と再保険会社に交渉しているのですが、「リスクが高くなるので、事業としては難しい。」との回答だったそうです。

ハートリンク共済の加入条件を拡大するためには、1,000人の加入者が必要だそうです。加入者が1,000人を越えると、再保険会社が新しい商品を検討してくれるのだそうです。この1,000人という数字には、家族プランの加入者も含まれます。家族プランに加入することが本人プランの充実につながるのですね。


本人プランの給付金は、1回の入院につき60日まで、最大180日もらえます。日額は5,000円。

待機期間は、3ヶ月です。他の保険が6ヶ月~1年なので、大変良心的だと思います。


ハートリンク共済は事業なので収益が出ますが、それは今後の小児がんの研究に役立てたいとおっしゃっていました。加入することで、加入者が保障を受けることができ、さらに小児がん研究のためにも役に立てるとは、まさに一石二鳥、素晴らしいことですね。


~つづく~

★☆ハートリンク共済①☆★


先日、K大病院小児科の患者会が主催する講演会があり、患者会には入っていないのですが、お誘いしていただいたので行ってきました。

ハートリンク共済の事務局長の林三枝さんを招いて、小児がん経験者が入れる社会保障制度についてのお話しでした。林さんは、パワフルでとっても魅力的な方でした。


林さんは、ご自身の子どもさんが白血病になられ、再発を経て2年間の治療を終了。その後、「がんの子供を守る会」の新潟支部の活動に参加されています。その中で、小児がん経験者が保険の契約を断わられることや、契約はできたがいざとなったら保険給付金が出ない、という話を耳にしました。ご自身の子どもさんの場合は、保険加入の時にきちんと病気のことを話しているのですが、心配になって保険会社に問い合わせたところ、当時の営業員は既に辞めていました。そこで、正直に話をしたところ、「入院でも給付金の支払いはできない。即解約してください。」と言われたのです。様々なやり取りの結果解約されましたが、その間の掛け金の半分も戻らなかったそうです。


小児がんは、20年前は不治の病と言われていましたが、今やその70~80%は治る様になりました。また、小児慢性特定疾患事業費の改正 や医療費の改正などで、医療費の負担も高額になります。

そこで、小児がん克服者が安心して生活できるために、「小児がん経験者の社会保障制度の充実」が必要だと考え、2005年8月にハートリンク共済を立ち上げられました。

最初は生命保険を作ろうとされたのですが、小児がん長期生存者の20年以上のデータが日本にないこと、事業としてリスクが高すぎて採算が取れないことを理由に、金融庁の認可が下りなかったそうです。


この講演会では、ハートリンク共済立ち上げの経緯や保険行政のこと、小児がん経験者を対象にしたアンケート結果、生命保険と共済の違いなど、興味深いことも話されていて、とても勉強になりました。世界最大手の再保険会社と契約をしているので、事業としても安心であると感じました。ちなみに、この再保険会社の事業規模は、日本の大手生命保険会社の100倍くらいだそうです。


~つづく~

駆け足で、といっても12回もかかってしまいましたが、ゆかっちの復学について書いてきました。詳しいことはまた闘病記の方でと思いますが、まだ入院して4日目で終わっています。一体、いつになることやら…。まあ、ぼちぼち書いていきますね。


復学については、やはりなんと言っても学校側の理解と協力が必要不可欠です。担任と養護の先生がよく理解して下さっていることは、言うまでもないでしょう。


先日、養護の先生と話しましたが、骨髄移植をした子どもは初めてのケースだったので、手探り状態だったけれど、きちんと対応しようとしたと言って下さいました。1~2年生の時の担任は、以前病気の子どもの担任だったと聞きましたが、病弱児の担任をした経験のある先生の方が少ないのではないかと思います。


ゆかっちの場合は、学校側の対応はとてもよかった思いますし、私としては不満はありません。3年生の最初は大変でしたが、何度も言うことでわかってもらえたので、○です。校長先生も、「調子はどうですか。」と、時々声をかけて下さいましたし。


しかし、担任や養護の先生の理解が得られないケースが多く、苦労されている方も多いと聞きます。

理解してもらえるまで言い続ける、また理解してもらう為に、医師から話をしてもらうのがよいと思います。病気の話はもちろんですが、それだけでなく学校生活を送る上での注意点なども話してもらうのです。同じことでも、保護者が言うよりも医師が言った方が、なぜか聞いてもらいやすいようです。


また、本人が、「しんどいので保健室に行きたい。」「しんどいので帰りたい。」など、はっきりと自分の意志を伝えられることも必要でしょう。ゆかっちは、しんどいときはきちんと言っていたようです。

ただ、きちんと伝えているのに、保健室に入れてもらえないといったケースもあると聞きましたが、これは大変残念なことですね。


また、遅刻や早退、欠席が多くなると思うのですが、体育の見学なども含めみんなと同じようにできないので、いじめられているという話も聞きました。これも、かなしいことですね。

幸い、ゆかっちは一度もそういったことはなく、「みんな、優しくしてくれた。」と言っています。友達にも恵まれたということでしょうか。感謝しなくてはいけませんね。


ゆかっちが遅刻や早退をする時は、私は送り迎えをしていました。迎えに行くときは、大体給食が終わってからなので、先生の方も時間があるのかよく話しかけて下さいました。私も伝えるべきことがある時は、電話ではなく会って話をしていました。連絡帳も使いましたが、担任とはよく話をしていたので、わかってもらえていたと思います。


薬のことですが、ゆかっちが飲んでいる免疫抑制剤は、12時間ごとの服用なので心配ありませんでしたが、昼食後の薬を飲まなければならない場合は、他の子に何か言われるから、いじめられるからと、飲まない、飲めない子もいると聞きました。


体調を崩したときは、何が原因で体調が悪いのかを考える必要があるでしょう。薬が足りていないのか、精神的な事が原因なのか、ただ甘えているだけなのか、他にもいろいろなことが考えられると思いますが、きちんと見極めることが大切だと思います。

なかなか判断できなかったり、勝手な思い込みをしていたり、復学を焦ったりすると、子どもに長い間しんどい思いをさせてしまうことになります。これは、私の大きな反省です。


長い入院生活やしんどい治療は、子どもにとって、おとなが思っているよりもずっと体力が衰え、精神的にも負担になっているのだと思います。

先日、昨年6月頃にのんすけ、ゆかっちと私がしていた交換日記(2回まわった位で終わってしまいましたが)が出てきました。最近は、交換日記用のノートがあって、「今日の出来事」「私のベスト3」「悩み相談」など、あらかじめ項目が書かれているのですが、「今日の一言」の所に、ゆかっちが「もっとゆっくりさして」と書いていました。

その頃は、訪問教育を受けている頃で、わりとのんびりしていたと思うのですが、しんどかったのですね。そのページを最後に誰も書いていないので、ゆかっちが私かのんすけに回さなかった為、この交換日記が終わったのだと思いますが、その時読めていたらと思います。


骨髄移植をして、退院してから約1年半。経過が良好なのは、大変ありがたいことです。最近はGVHDの症状も落ち着いてきました。今年度は学校行事にも欠かさず参加出来ているので、やっときちんと復学できたという気がしています。

これまでいろいろあったなあと思うのですが、もっと苦労されている方もおられるでしょうし、ゆかっちは、順調に復学できていると思います。

油断は禁物ですが、これからも体調管理には気をつけて、免疫抑制剤ゼロをめざしていきたいと思います。

★ゆかっちの場合⑩★


年が明けてから、「学校、どうする?」と尋ねると、「6時間目まで行ってみようかな。」と言うので、思い切って全日登校にしてみました。

不安はありましたが、朝もちゃんと起きることができ、調子よく毎日登校できました。

風邪をひいて熱が出たときは、回復に1週間ほどかかりましたが、その後もそれまでの様に起きられない日が続くことはありませんでした。そして、この時期に最も恐れていたインフルエンザですが、幸運にもかかることはなく、無事3年生を終えることができました。


そして、この4月に4年生になってからは、遅刻することもなく、欠席は通院のときだけで、他の子と同じように学校生活を送っています。

プールは見学でしたが、それ以外の体育の授業には出席し、6月には一泊の野外活動にも行ってきました

友達のおうちに遊びに行っても、日曜日に遠出をしても、体育をしても、次の日はちゃんと起きられています。


9月に入って、運動会の練習が始まり、連日2時間続きの体育があるのですが、大きく体調を崩すことはありません。でも、疲れはたまっている様で、顔と首の一部がちょっと赤くなっていますが、かゆみはそれほどひどくないようです。週末は家でのんびり、放課後も友達の家に遊びに行かず、家でゆっくりして、体調を整える様にしていると、悪化することはありません。

以前は、一度調子を崩すと、元に戻るのに時間がかかっていたので、つくづく体力がついたのだなと思います。


勉強についてはほとんど書いていませんが、2~3年生の時に半分位しか出席していないわりに、それほどひどい成績ではないと今年の担任には言われました。

低学年であったことも幸いしているのでしょう。「あまり学校に行けていないので、勉強が心配だ。」と院内学級の先生にも何度か相談していたのですが、「低学年だしまだ間に合うので、あせらなくてもいい。」と言われていました。

反復練習が必要な漢字については、書けないものも多く、抜け落ちている様な感じもあります。これから努力が必要ですね。

算数に関しては、院内学級でしっかり教えてもらったおかげで、そこそこできていると思います。


そうそう、体力作りに大きく貢献したバドミントンですが、もうしばらくやっていません。その理由は、放課後にゆかっちがお友達の家に遊びに行く様になったからです。ゆかっちもだんだん上手くなってきて、結構おもしろかったので、私も夕方のバドミントンは楽しみにしていたので、ちょっと残念ですが、ゆかっちが元気になったので、まあいいかな。


ある時、友達と公園でバドミントンをやったと言うので、「どうやった?おもしろかったか?」と尋ねたら、「○○くん、下手やったし、あんまり続かへんかったから、おもしろなかった。」と言っていました(^~^)

★ゆかっちの場合⑨★


「早寝早起きを心がけ、体力をつけるために少しずつ運動をして下さい。」と言われ、振り返ってみると、夏休みは元気にしていたのに、学校に行きだしてから体調が崩れてきたと気づきました。毎日6時間目まで出席するということが、ゆかっちにはしんどかったのですね。全日登校にする時期が、早すぎたのです。

しかし、その時日付は既に10月25日。2ヶ月ほどしんどい状態が続いていたことになります。ああ、またやってしまった。もっと早くに気づくべきでした。反省、反省。ごめんな、ゆかっち。しんどかったやろ。本当にごめん。


翌10月26日から、担任に事情を話し、年内は7月の様に給食までの登校にしました。


養護の先生にも相談しましたが、自律神経の問題だと、早寝早起きをして生活リズムをしっかりとすることが大切と言われました。う~ん、それが難しいんやけどなぁ…。


とりあえず、早寝早起きを心がけました。これは大変難しいことなので、本当に心がけただけですが。


これまでに、いじめられているのか、学校が嫌なのか、先生が嫌なのかと、起きられない原因が精神的なものかと思って何度か尋ねてみたのですが、いじめられてもいないし、学校は楽しい、先生が嫌なわけではないと答えます。迎えに行ったときは、友達と楽しそうに遊んでいるし、「ばいば~い」と声をかけてくれる友達もいるので、友達とのトラブルをかくしているわけでもなさそうでした。


そこで、回復の近道は体力作りだと思い、毎日家の前でバドミントンをすることにしました。学校を休んだ日も、午後には元気になるので、夕方には「バドミントンやろ~。」と誘いに来ます。学校を休んだのに、元気にバドミントンをする姿を友達に見られるのは、ずる休みと思われて嫌ではないのかと聞いてみましたが、全く何とも思わないとの返事に、ちょっとびっくりしました。でも、そこがゆかっちのいいところです。

実際、何度が近所に住む友達に目撃されましたが、次の日学校に行ってもなにも言われなかったそうです。


冬になって、風が強い日はシャトルが流れてしまうのでバドミントンはお休みして、自転車で少し遠い公園に行ったり、散歩をしたりと、体を動かすようにしました。
そうしてしばらくしたら、朝すっと起きられる日も出てきました。


その頃から、ゆかっちがやりたいと言うので、体育も無理しない程度にやり始めました。

日曜日にちょっと遠出をしたり、体育をした次の日や放課後にお友達のおうちに遊びに行った次の日などは起きられませんでしたが、それでも9月10月の2ヶ月と比べるとずいぶん状態がよくなったように思いました。

のんすけ、剣道の1級審査に合格しましたキラキラ

クラッカーおめでとうクラッカー


のんすけは、早起きしたからか、審査で緊張して疲れたのか、ただいまお昼寝中です(今は、午後2時過ぎです)。


審査は、実技と形(かた)があって、形が覚えられないと苦労していましたが、得意な方が出たそうで、意気揚々と帰ってきました。


昨日、「合格したら、何かある?」と聞かれたので、「お友達からもらってまだ飲んでないワインを、おとうさんといっしょに、「のんすけ、おめでとう!」と言って飲むことになっているよ。」と言ったら、「私に関係ないやんか!どうせ不合格でも、残念でしたって言って飲むんやろ。」と言われてしまいました。なんでわかったんかな。さすが、のんすけ。


さてさて、これで小さいですが、ヤマを1つ越えました。

次は、秋季大会とそのシード決定戦です。シード決定戦で見事シード権が獲得できたら、トンボもしくは桜の絵が描いてある鍔とちょっとカッコイイ鍔止めを買ってあげることになっています。

だいぶ前からほしいと言っていたのですが、実力が伴わないのにカッコだけつけてるのもはずかしいので、強くなってから自分で買ってと言っていたのです。しかし、この鍔、中学生がお小遣いで買うにはちょっとためらう様な金額なのです。でも、CDよりは安いけど。がんばるんだよ~。


これからも精進して、心技体が備わった剣士になってほしいと思います。