北インド☆ゆるヨガライフ -23ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

昨日から「嵐が来るらしいよ。」と夫に教えてもらい、ドキドキしながら待っている私。

 

暑い時期に雨の予報の時は必ずと言っていい程、雷やスコールの嵐になるので、外回りを片付けたり停電に備えてやれる事を前倒しにする。先週もそんな「嵐」はあったけど、今朝も夫は「ラジャスタンではもう荒れてるって」と言ってたので、「どんなデカイのが来るんだ!?」と半分ワクワク。(ラジャスタン州、ここから陸路で15時間くらい?)

 

学校も臨時で午前授業になったらしく、小学生~高校生までが先ほど、どどっと帰って来てた。それから皆家にこもってるのか、いつもより静かな3丁目。が、待てど暮らせど掻き曇って来ない。慌てて洗濯したけどもう乾きそう。。テレビやネットで遠くからの情報がいち早く掴める時代だけど、やっぱり五感と直感も大事だなぁと思う。

 

一時帰国まで2週間になり、もっとあれすれば、こうすれば。。。という念が出るのか、夫にもちょいちょい突っかかる感じになっているこの頃。このまま厳しく自責の念にまみれると、大事なものを無駄にしちゃうのでは?って感覚がある。

 

ただでさえストレスも溜まる海外生活、「吐き出し」ワークなるものをやって本音を書いて行ったら、やっぱり例の「揉み返し」にやられている。それで必然的に自分の立ち位置を確認することにした。今度は「良かったこと」を書き出して行くワーク。気持ち良く出せる範囲で、なるべく沢山書いて行く。

 

「良かったこと」について書いて行くうちに、「私はここに居ていいんだな」「間違ってばかりじゃなかった」「結構色々やれたじゃん!」と、あら不思議、否定がオセロみたいにひっくり返って、自己肯定感になる。

 

「否定」は意味がない訳じゃないけれど、結局「肯定」の裏返しってだけなのねと納得。全てのものに陰陽があり、光と影がある。「私が存在していること」を、その両方を使って認めて行けば良いだけ。「自分軸」はピュアで無駄のないものの気がしてたけど、そうではなくて、幅広く認めて受け入れることのできる、こだわりの少ないマインドなのかもしれない。そう思った。

 

 

 

※-※-※-※-※-※-※-※-※-※-※-※-※-※-

 

「ここにいて良かったこと」

 

夫と共に毎日を穏やかに安心して暮らせた。

インド料理(カレーとチャパティ)はマスターした。

賃貸契約証明書作成、夫のアダールカードの住所変更ができた。

(これから色々な手続きが便利に楽に。)

インド法律に基づく婚姻証明書が取れた。

大好きなヒマラヤ山麓へ新婚旅行に行くことができた。

大家さんとの関係が改善し、干渉されず、尊重して見守ってもらえるので普段の生活がとっても楽に。

夫のお母さんに気に入ってもらえて、対話が良好になってきた(去年の誤解は何処へやら)。

結婚式の実施内容や今後の生活の目処がついて来た。

流産後、心身への理解が深まり自信を取り戻すことが出来た。

近所の子供たちに、アタッチメントなく日々癒されること。

多様な背景の友人が何人かでき、話し相手に困らなくなった。

暑い夏も寒い冬もあるインドの気候に慣れてきた。

生活必需品や便利グッズや家事のコツを掴めた。

年間を通しての暮らしのリズムが分かってきた。

40℃でも5℃でも3度の食事は作れるようになった。

洗濯屋さんに頼らず自宅で洗濯ができる様になった。

 

ブログを通して沢山の方々の応援を身近に感じることができた。

書くことで、潜在意識の課題に自分なりにアプローチできた。

新規のお仕事をいただいて、また一つやり甲斐が生まれた。

風邪や小さな不調には全くならなかった。

常にポジティブな気持ちでいられ、切替えが早くなった。

結婚やパートナーシップの現実が少しずつ分かってきた。

小さなすれ違いを丁寧に扱い、夫尊重できる様になった。

夫がいつも友人や同僚と仲良く協力的な関係でいてくれること。

 

この街の交通網が整備され、タクシーや出前も便利なこと。

いざと言う時ヒンディー語だけで何でもできる自信がついた。

半べジ生活?で栄養管理が出来るようになってきたこと。

ソーダ&スナック等の間食がほとんど要らなくなってきた。

(無駄な出費と脂肪と活性酸素が減った)

一人でオートリキシャ、ローカルバスに乗れるようになった。

屋台の食べ物の良し悪しを判断できる様になった。

行き着けのレストラン、ダバ、カフェが増えてきた。

北インドのローカル・ファッションを楽しめるようになった。

いつ行っても飽きないモールがすぐ近くにあること。

いつも好きな事に取り組む時間が用意されていること。

旦那さんが優しくて懐の深い人なこと。

髪が伸びてまとめやすくなってきたこと。

 

実家の母が穏やかで元気に活動的に過ごしていること。

海外にいても親しい友人の幸せな様子が見れること。

喧嘩しても仲直りできる、頼れる友人ができたこと。

インド各地に今まで出会った人たちが住んでいること。

毎年夏に日本に一時帰国できること。

環境の良い所にいつでも帰れる実家があること。

 

 

毎日たくさんの野菜を刻みます。いつも安くて新鮮ウインク

シンプルで慎ましい毎日。ささやかな幸せ。

そんな分かりやすいものに憧れてきたと思う。

 

物が溢れなくても豊かさを感じられること。

情報に頼らなくても必要なものを得る力。

 

五感を澄ませて感じる無限の豊かさ、

直感を磨いて無駄をはぶくこと。

 

。。。



でも今は、ずっと手前で行き止まってる。


 

 

「無駄なもの」は本当はないし、

「不要な経験」も存在しない。

 

それが府に落ちるまで、憧れは続くのだろう。

 

 

 

 

昨日は少し、はっとする出来事があった。夕方、夫から「ヤキモチ」メッセージが来たこと。。私が「誰か話し相手がほしいな~」と言ったら、『誰か』の意味を誤解したみたいで、

 

「じゃぁ日本に帰って、好きにすれば。」と(汗)

 

 

いつも温和な態度の彼にしてはめずらしい反応。で、私の一時帰国まで3週間を切ってることもあり、むしろ何もないかの様に明るく振舞ってくれてたのが、気を使って、ちょっと「無理」してくれてたのかもと思い当たった。

 

色々ガマンしてたら、出て来ちゃうもんね。もちろん私の言葉足らずだったのだけど。

(『あなたと』話がしたいって意味だった。)それで夫の帰宅後、ゆっくり話す時間を作ってもらって、誤解も解けたし良かったんだけど。。。

 

あの時一瞬、ドキっとした自分がいた。

 

 

私が「他の誰か」と話したいを勘違いした夫は、他にも

「どうせここにいても面白くないんでしょ」「僕と一緒にいても体調が悪くなるばかり」「どうしていつも心配ばかりかけるの?」と、普段絶対口にしない事を続けざまに言っていた。


ええー、そんなことないよー、って返してたんだけど。。。

 

 

多分、それが本当の本音のところかも、、、



「目的を」達成せずに弱音を吐いちゃいけないから、言えずにいる気持ち。「夫を」傷つけてはいけないから、見てみぬ振りに慣れっこになって行った本音。何を優先させようとも、「自分の気持ちを」無視しているのは結局、こうやって露呈する。夫も傷ついてるし、私も、そして目的(インドで生活基盤を造るという)も、グダグダになりかけてる。

 

 

更には「一時帰国」に心を奪われているせいか、夫も毎晩クリケット中継に没頭し始め、向き合ってコミュニケーションを取ることは後回しに。

 

「ささやかな幸せ」や「普通の家庭」が欲しかったとしても、それは「不屈の精神力」と「甚大なる努力」の上に築かれた、氷山の一角だってこと、何となく感づいて来た。。。

 

 

私が「誰か」と話をしたがってると誤解されても、誤解を解けば済む話だけれど、「いつも僕を心配させている」、「つまらなくて病気になっちゃうんじゃないか」っていう所に一番ドキっとしている自分がいる。

 

基本、毎日一人で過ごしても平気だと思ってきたし、「構ってちゃん」ではないと断言できたはずなのに、ひょっとして、「無意識」でやっちゃってるのでは?という疑念がムクムク。



人を心配させる趣味はないはず。。。ん。。。?

 

 

いや、思い当たってしまった、これが。私、本当はかなり困った部類の「構ってちゃん」を無意識で演じていたことに。。。!!



それも、潜在意識のかなり深い所で、深刻な事態になりかねない奴を。汗

 

 

「自分の感覚を最優先させること」を、

一瞬一瞬、偽りなく積み上げること。

 

 

それを、少しずつ怠ってきたことが、

この前の出血多量、緊急手術になった。



今振り返ると何の余裕もなかったな。

出血が酷く、危ない状態だった。


3度目の流産が分かって処置をして自宅で流産したのだけれど、ショックもあって次の受診が遅れていた。病院を変えたかったのもあり、夫の休みが取れるまで、と時間をかけすぎてしまい、不完全流産に気付かなかった。



。。なんて、命がなければ言い訳もできない。



 色々と余裕のない生活。シンプルライフは遠のくばかり。。。だけど、一つずつ気付いて学んで、一ずつ変えて行くしかない。




常に自分のニーズは最優先していいし、

少しでも余裕のある基盤を作ることは必須。



ずっと自分の心の声に耳を澄まして

ずっと変わらず応え続けて行くこと。



だってサバイバルゲームだけでは

まだまだこの命を終えたくない。



本当に、私しかいないんだ

この現実を作っているのは。。。




(※過去を癒すことをテーマにした

 自問自答の自己分析です。)

 

 

なす術もなく心に傷を負った時、

人はその感情をその場では処理できない。

 

本来ならば薄れて遠くなるはずが、

その記憶は(感情・感覚)として

右脳に格納され、薄れることなく

いつまでもそれをを再現してしまう。

 

トラウマって、そういう仕組みなのだそう。

 

だから別にその人が悪い訳じゃない。

それでも「自動再生」は止まらない。

 

心の中だけじゃなく

現実でも

同じ状況を再現してしまう。

 

例えば

虐待やネグレクトを受けて育つと

大きくなってからもイジメられたり、

恋人がDV男に変身したり、

下僕みたいなダメ男になったり。

 

どんなに嫌でも、やめたくても、

強烈な潜在意識下の感情が

「同じ曲」をループしてるから。

 

頭(左脳)では理解していても、

右脳(ハート)は壊れちゃってる。



で、直せるの、それ?

。。。

 

 

。。。分からない。


だって完全になくなったら、

私の一部もウソになるみたい?

傷さえも大事に生きてきた。

 

傷付いたから、痛みが分かって

痛かったから、走って来たのに。

 

トラウマっていう、

過去からの激烈な感覚が

顔なしみたいに追って来るから、

私は逃げた。別の方向へ。

 

それでもまだ追って来るから、隣の人に

「ねぇ、これ分かる?」って

分かってもらおうとした。一生懸命。

 

それでも誰も分かってくれなくて、

ずっとずーっと、あらゆる事をし尽くして

こんな遠くまで走って来たって言うのに。

 

。。。っていう↑

未練がましい奴が、まだいるね。笑

 

 

だって自分の一部がなくなっちゃったら

これから、どこに行くんだろう?

 

予定が狂っちゃうんじゃないか、

人に迷惑をかけちゃうんじゃないか…。

 

(これも↑他人にカコつけた言い訳?)

 

 

 

アダルトチルドレンの状態や

トラウマを克服して、

思い通りの現実を生きてますって記事

いっぱいあるけど、

 

爽快なのは、大体若い方の記事。

あっさり、はっきり、きっぱりしてる。

 

そしてものすごく役に立つ。

 

その多くが、

「吐き出して、出し切って、

上書きして、また新たに願う」って手法。


だけど、、、これ。。。


アラフォーでも、できる?笑

 

 

 

○十年以上昔のトラウマは

不本意でも、人生の一部になっていて、

言ってしまえばもう、

「傷中心」に生きて来てしまった。

 だから

 

消せないのは、多分、確かなこと。

 

 

世代なのかもしれない。

時代なのかもしれない。

とにかく今は、そう思う。

 

 

 

いっぺん「宇宙人アミ」にでもさらわれて

地上に帰還するとかしないと、

ちょっと今は、できる気がしない。

 

 

できない人もいるのかも。

まだその段階じゃないってことかも。


でも、だから降参するとかじゃなくて、

 

オールorナッシング

じゃなくても良いんだなぁと。


グレーでいい。

できない日があっていい。

 

 

 

(回復するか・しないか)の傷は

走って、走って、○十年(笑)

もう、十分癒やして来たのかもしれない。

 

「生きづらさ」とかは、もうないな。


 

ただ、自分の中にある感覚が

「怖かったよー」ってたまに言うのが

まだ何も知らない小さな女の子で

多分インナーチャイルドで、

 

(たまにしか出てこないけど)

 

「怖かった」ことを分かって欲しくて、

しょうがない時が、まだあるよね。

 

この子は、いなくならないで欲しい。

この子を大事にして行きたいから。


この子を分かりたい=私を分かりたい。

(私は私を十分愛せてるじゃんね)

 

夫は優しくて寛大な人だけど、

私がそういう感情の時はまだ

彼の優しさを試してしまう時がある。

「だって私は体調が悪いから」って

ずっと言い訳みたいになってるし。。

 

 

実際に流産3度はキツかったけど、

もう1年もずっと、こんな調子って

いい加減おかしくないか?って思う。


何なの?何の呪い?って思う。

本当にこんな現実を私が作ったの?とか


「過去の私が」作ったのか。。。

 (まだまだ癒えてなかった頃の?)


にしても、どこまで追って来るのか。

それでずっと逃げて走っても、

また責めちゃうだけになるから。



まぁでも、今は、


安心・安全を作りたい。

 

そういうモードなんだな。

 

 

「トラウマが消える」みたいなのは

とっても魅力的で、掻き立てられる。

それで「自己実現できる」とか

喉から手が出そうになるわ。笑

 

 

けど、それに追って追われるのは

ずっと前にやめたんだった。

 

 

荒療治をしてしまって

急に現実が180度変わっちゃって

 

せっかく積み上げたものや

出会って来た人・物・時間を

大切にできなくならないように

 

それもこれも含めて自分なのだから。


 

ゆっくり、じっくり、いい加減でも

 

幸せでいられるのなら、

欲張らずにやって行きたい。



(吐き出しワーク4日目)




昨日は夫がお休みで、久々に病院じゃないお出かけ。と言ってもあぢーので、あまりガッツリ行動できない4月(最高気温40度)。行ったのはデリーへ続く国道沿いの大型スポーツ店。あらゆる製品が中国製だけど、市場よりはずっと良い品物ばかり。

 

買い換えたかった夫の靴を新調!夫の靴は何故か1年持たない「消耗品」。だからなるべく長く履いてくれる様に、機能性を重視。品質は有名所の正規品とも大差なく、デザインも気に入ったらしい。お店もかなり賑わっていた。

 

バイクで片道15分の場所なのに、主要幹線道路のせいか、日曜は交通量が凄い。デカイトラック、バス、トラクター、何でもアリ。チャンディガール郊外に立ち並ぶ建設ラッシュの高層マンション郡も、何か圧巻だ。あんなに建てて需要があるの?って数。

 

帰りがけ、渋滞にはまった。郊外からの新車のSUVが多く、道幅ぎゅうぎゅう。それで15分くらい直射日光下に。やっと途中のモールに着いて、夫がクリケットの懸賞で当てた(マメです笑)ギフトカードでサンダルを2足買い、家に着く頃には頭がぼーっと、熱っぽくなった。

 

夕方休んでいると、またまた近所のS君登場。おとといご飯を届けたお礼にか、手土産にマンゴーを持って笑。でも今回は私、そのまま起き上がらずに対応。熱中症みたいだと言うと、お大事にと言って夫と30分くらい喋って帰ってった。来客にも気を使い過ぎず、自然体でいればいいんだと思うと、かなり気楽になった。

 

 

夫が夕食に作ってくれたチキンカレー、お肉が硬っー!多分面倒で、スピード重視で作ったから(マサラは絶品なのに)。。。かと思ったら、今朝は消化不良で苦しそうで、なんと出掛けに嘔吐。それで分かった、熱中症だ!!恐るべし、真夏のインド太陽、そして日曜の渋滞。

 

でも吐いたらスッキリして会社に行った。

 

 

そう言えば今日は満月。身の周りの物を新調したり、いらない物や不要な習慣を手放したり、新たな目標を立てたりするタイミングでもある。そんな時の体調不良は、新たな時期に向けた内部調整で、お知らせだそう。整ってますかーー?って。やっぱ、まだだった。笑

 

 

夫の親友マヌーも、「昨日友だちと飲んでて喧嘩になった」と、早朝から電話が来てた。お互い手が出ちゃったらしいけど、大した怪我でもないらしい。マヌーも最近仕事が決まって環境も変わり、S君ともケンカしたり、溢れ出て来てるものの調整中に見える。。。。何かこないだの、私のS君との衝突とか、夫の嘔吐とか、マヌーの不安定さとか、みんなちょっと、潜在意識からお呼びが多め。笑

 

こういうお知らせって、見逃すと変な方向に行く。知らない内に色々と溜めて来た人ほど、それが表に出たら制御不能で、劇的な出来事が起きて自分を変えざるを得なくなったり。。なので私も今日は、自分の内外の不要なものを手放すに集中しようと思う。

 

 

 

 

蠍座アセンダントのせいか、この満月で私は、新しいプロセッサーが起動したみたいな内的な変化が来た。ここ数年同じレベルをウロウロしてた心理ワークで、新境地を垣間見たみたい。

 

去年の終わり、ちょうど蠍座の新月あたりから試行錯誤を始めた、「自分軸ワーク」と「トラウマ解消ワーク」で、自分では突破できなかった扉が、パタパタと勝手に開いて行く感覚。

 

かつて鬱傾向が治った時にも、レベルは違えど「自動的な開き」を体験した。やるべき事をやったら「追い風」が来てくれるかの様なタイミング。どんなに自分でグルグル「思考」しても辿り着けない場所に、ストンとワープさせられる。

 

 

求めても求めても、どうしても得られなかったものが、見方を変えるだけで、既に手中にあると気が付いてしまうような感じ。これまでも頭では理解してたけど、感覚では分からないでいた。

 

望まなくても、求める答えを知っているんだよね、人間って。だから本当は求めなくてもいい。逆を言うと、執着してもフォーカスしても、さらに遠のいて行く仕組みになっているらしい(笑)

 

 

これも、時代の恩恵でもあると思う。「誰もが」「自在に」「どんな事でも」、求めるものへアクセスが出来る時代になっている。人や物、情報の流動性も、速度も量も上がっている。例えば、昔は海外から取り寄せて、3週間後くらいに届く本を、専門用語を読み解きながら翻訳しなくちゃ分からなかった事が、今は電子書籍で読めるどころか、今は無料で瞬時に、みんなが発信している事にアクセスできちゃう。

 

私が答えを知りたかった、自分の心の中のトラウマの問題も、今はみんなが発信してる。

 

だから求める知識や欲しかった情報は、全て与えられていると言っていい。アカシック・レコードと言われるものは、既に発信・受信を続けている私たち自身の集合意識だろう。既にアクセスの仕方も分かっていて、更に加速して行くのかも。

 

 

情報を元にして、実際に「やるか・やらないか」。その行動の違いだけで、目標に近づけるか近づけないかが決まるだけ。

 

そして「やりたくてもできない」って言うのにも、理由がある。そこのブロックを丁寧に見て行って、感情の傾向を知り、トラウマになっているものを開放して行く。劣等感、罪悪感、恥の意識や、嫌悪感、忌わしさ、タブー、後悔、悲しみ、怒り、、、みたいな怨念を、クリーニングする。

 

やり方は心理療法でも、催眠療法でも、○○の法則でも、ヨガや瞑想でも、自分に合えば何でも良いと思う。勘を磨いて自分に合うものを見つけることが近道になる。

 

それからようやく、自己肯定的な感覚やアファメーションが生きて来る(平行しても良いけど)。でも潜在意識下で「私はゲスで無粋でサイテー野郎」って書いてあったら、現実もそれに沿って来るから、「私は私を愛しています」ってアファメーションは効きにくい。

 

 

ネガティブ感覚を認識して、吐き出し切ったら、ポジティブな連想ゲームで、その場その場が上手く廻って行くのを、具体的に楽しみながら想像すると良いのかも。最終的な目標を叶えて、満足して幸せな状態の自分の感覚を、妄想で再現するみたいな。これも簡単なようで、整わないと出来ずらい。

 

 

 

でもトラウマというのは、色々な事情を踏まえずに言うと、その人自身の中での「必要悪」であり、好きで過去の場面しがみついて、好きで再現している事。そう仮定したい。で、自分にかけた呪縛の解き方が分かんなくなっちゃってる。その共通の解き方があるはず。。。あるいは、「もう必要なくなる」時が来るはずだと思う。

 

それは「本当の望み」を叶えようとし始める時かもしれない。否定的な体験ばかりの日々が、ニュートラルから肯定に転じる時。

 

ストレスも小さなトラウマだと考えられる。病気も体調不良も、自分の経験から来る感覚が選択した結果であり、中間発表でもある。だからもっと本気で受け入れ、向き合う必要がある。もし、叶えたい何かがあるのなら。

 

 

けど、私は自分の3度の流産が何のメッセージなのか考えるたびに、恐怖で思考停止する。トラウマの感覚と恐怖の感覚が邪魔してそこまで行けてない。この、腹の底からのガクブルの意味は何なのか、その正体をもう一度、目覚めた状態で見極めて、選択する必要がある。この時期にヴィパッサナー瞑想に入れる(7年越し)のも偶然ではなく、むしろ仕組まれて(潜在意識に)いるとしか思えない。

 

怖いけど、怖くない。知りたくなかったけどもう、知らないと進めない。

 

人生は本当に、思い通りです(笑)。



暑い暑いインドの夏は、マンゴーの季節口笛

コミュニケーションを円滑にする技法の1つに「アサーション」(assertion)がある。最初に知ったのは教育の現場だった。その中で私が大切だと思ったのは、相手のことを「憶測しない」ということ。

 

日本も以前までは緊密な集団主体の社会だったけど、今は個人が尊重されて、趣味趣向も多様化して行く中で、昔のように「以心伝心」「背中で語る」「空気読む」のって無理がある。それでもまだ家庭などでは、伝統的な意思伝達の方法しか実践してなくて、この「憶測しない」に衝撃を受けた。

 

 

相手のことは、分からなくて当たり前。

 

 

そんな前提で関わって行くと、親や姉妹、親友との関係など特に「親しい関係」においては、序所に息苦しさがなくなって行った。密な関係ほど、日本では「超能力」が求められてる。表情や態度で分かるはずだとか、言わなくても察するべきだとか。。。でもそれって、どうだろう?

 

分かってもらって「当たり前」と思った末に、言葉にならない、合意されない思いが絡み合い、もつれ合い。「愛情」と思い込んで押し付けてきたものが、凶器に感じられることだってある。DVや虐待などの極端な例だけではなくて、多かれ少なかれ、言葉にならない「不快な」依存関係が、自然と出来上がってしまう。

 

 

不快な関係は、「家族だから仕方のない」ことではない。言葉の使い方ひとつで、長年絡まり合った事情も、積年のもつれた感情も、一本一本ほどいて行くことが可能だ。私がそんな壮大な()プロジェクトに手を付けたのも、「アサーション」を知ってから。

 

 

それまでは「共依存」の強かった親子関係が、見る見る変わって行った。両親は相変わらず自分の価値観や期待を言ってくるけれど、私はそれを「一主張」と捉えられるようになった。「主語」や「主体」が明確になり、自分軸で考えるようになった。「~される」という受身の被害者意識が薄れて行って、身が軽くなった様で、楽しみが増えて行った。

 

 

それで鬱の傾向も、すっかり治ってしまった。

 

 

4年半もせっせと隔週で病院に通ったけど、お薬が苦手で真面目に飲めなかったけれど、結果的には病院も薬もお金も何も要らない、お得な結果になっていました。アサーションの他にも、私は心理療法と自然治癒法オタクなので、「認知行動療法」や「アファメーション」や「瞑想」や「ヨガ」等々、割と怪しくない()方法をどんどん試しましたが。

 

 

 

。。。というのを、今もう一度思い出してみたい。インドに住むことで環境がガラリと変わり、夫の家族とのお付き合いが始まって、こいういう事↑を今、忘れがちになっているから。これからも既存の価値観や主体性が、否応なく揺さぶられて行くのだろう。

 

 

ここ北インドでも、伝統的で集団主義的なコミュニケーションが色濃いように感じる。「ラキ」という習慣があり、女性が従兄弟や友人の腕に紐を結ぶ行事があるけれど、その相手とは一生の義兄弟として(実の兄弟のように)お付き合いして行くとか。

 

親戚の付き合いも密度が濃い。日本では「面倒な」と言われそうな位、行事も多いしプライバシーも少なめ()。そんな側面をかい間見て、最初は右往左往するばかりだったけど、そろそろ腹を据えて本気のお付き合いをしなくては。でも、ただ「本音」を出しても誤解されてしまう。ただ「従う」だけならストレスになる。

 

 

「郷に入っては郷に従え」が、一体どこからどこまでなのか?見極めないと身が持ちません。正直、自分のアイデンティティが揺らぎそうで怖いのです。だから先日も友人のS君に「もっと尊重してほしい」と強く言ってしまったけれど、S君側からすれば「尊重している」のに、何で?、となってる。個人的・文化的な前提が、全く違う故のすれ違い。お互いに意味不明??な衝突。

 

 

シンプル&神さま大好き&面倒な思考をしない夫は、

 

 

「君は君でいれば、いいんじゃない?」

 

 

と一言。。。(深いのか、どっちなのか?笑)それでいつも何となく納得して終了。でも結局夫には私の頭の中は分からないと思っている。夫婦と言っても「分かって当然」だったら息苦しいし。それでも、こんな私のまま包まれているという、不思議な安心感があるのです。

 

 

私は私でいればいい。うん、正論でしょう。

 

 

「恋愛結婚」で「外国人」が来た!と言うことで親戚中が蜂の巣をつついた様な騒ぎになって、夫はリンチに合って傷だらけになっても、借りたアパートの大家さんに「出て行け」と言われても、「どうせ日本に逃げ帰るだろう」と言われても、病院代が外国人料金で請求されて貯金が飛んで行っても、親友に絶交宣言されても、

 

(あ↑全部された、られたの受身ですね)

 

全く響かない彼は、「主体性」の化身???なのではないかと思う。モンスターです。笑

 

 

私はまだまだ、修行の身。。。笑

 

 

インドのモヤモヤは、たまのサモサで癒やします(笑)

日々、照りつける強い太陽光線と乾季で極度の乾燥にさらされているせいか。それとも今日、久々に友人と会って笑い過ぎたのか…笑。

 

目の下の、今まで見たこともない場所に、初めて見るシワを発見。

。。。。

 

何故だか、そんなに「ヤダー」って感じじゃなかった。つい去年までは、白髪も許せなかったのにね。

 

 

まじまじ鏡を見るのも久しぶり。着ていく服に悩んで2、3度着替えるなんてのも。そんな日常、しばらく忘れていた。出かけられること、歩ける自由、元気な顔で笑えること。それだけで、ただ嬉しい。

 

 

健康でいることが当たり前と思っていた頃、日常を楽しめてたかな。人からどう見えるかとか、そんな事ばかり気にしてたかもしれない。今は家事と日課で十分な毎日、でもあの頃はそんな「退屈な」こと、想像すらしなかった。笑

 

 

やりたい事、行きたい場所があり過ぎた。何でもできた筈なのに、できない事にイライラしてた。まだ見ぬ景色を追いかけて、今あるものや、与えられているもの、それが見えずに空虚になった。

 

 

欲しい、欲しいと求めても、見合わないものは来てくれない。一度執着の塊になってしまったら、今手にしているもの、そして唯一無二のはずの自分まで、価値のない、つまらないガラクタのように思ったり。それで抜け殻のままで、自分の外に救いを求めて、親しい人を試したり、刺激ばかりを求めたり。

 

 

当然、身体もこわれるのかもしれない。「自分を大切にする」って言葉が気になり始めても、やり方を知らなかった。たぶん、家族の誰も知らなかったのだろう。どこかで見た仲の良い家族のような、無条件の愛情に憧れて、それを恋人に求めても、依存されたり依存をしたり。人との境界をうまく作れなかった。

 

 

一番見えていない時に、身体は素直に教えてくれる。無理してるよー、向き合っていないよって。必要なことを、必要な時に。だから大切な自分の身体が教えてくれること、不調や病を怖がることはなくなった。何かの「罰」だとも、もう思わない。良い悪いはなく、理にかなったシステムなのだと思う。気付いていたいし、今度はどこまで高められるかが、私の次の挑戦。

 

 

会社員をしてた頃、「体調管理がなってない」って考え方がメジャーだった。その人が怠慢だという理屈。今思い出すと、何だか冷やっとする。9-5時+残業時間で計算したら、そうなのかもしれない。でも機械じゃないよ、人間だもの。みんなが繋がる社会だもの。巡り巡って、その人に来ているだけ。切り捨てられる社会は苦しい。繋がりなんて見えないフリで。

 

「当たり前」に出来なきゃいけない事が多すぎて、ノルマが多すぎて、24時間何でも手に入る便利な社会になったのに、生きて行くのが辛いなんて、私だけ狂ってるのかと疑ったよね。でもやっぱり、違うと思うんだ。

 

 

今日、目の下の変てこなシワを見つけて、私はちょっと安心してる。年を取ることさえ想像できなかった、ギリギリの毎日は、ずっと前に終わってた。何かを成し遂げないと認められず、キチンとしてないと愛されないと、自分を小さく閉じ込めて。大事な事を履き違えてたし、言われることを鵜呑みにしていた。

 

 

何がなくても、愛されている。生まれて来た時から、命のある限り。そのことを学ぶために、命を得るのかもしれない。楽に便利に豊かになるため、だけじゃない。何でも手に入れるためでもない。生まれ持ったこの命が、無限の愛であることを知って、気付いて広げて繋がりながら、私たちは生きている。そんな風に思いたい。

 

 

 

 

 

インドの人たちを見ていると、照りつける強い太陽と、極度の乾燥にさらされて、刻まれたシワのその奥に、キラリと光る瞳が見える。泥や埃で汚れっ放しの、路上の子供たちの目に、見たこともない力強さ。どんな物より尊い光が、その奥に見え隠れして、心をつかんで離さない。こんな不便な土地、不潔な場所、野蛮な事件の多発する、貧しい人たちの国、でも、どんなに忌み嫌っても、ずっと問いかけて来るようで。

 

 

目に見えないものが、見えているか。

 

 

愛想笑いなどなく、真っ直ぐに見据えて来る視線は、私には怖ろしかった。何かを見透かされるようで、小手先を見破られそうで。いまだに怖くて好きじゃない。好きじゃないけど忘れられない(変な人もいるから気をつけなきゃだけど笑)。

 

 

かすかに見える光は、私の中にある光。ここで見る希望は、私の中に眠っていた希望。小さく縮んで固まっていた、生きる力が呼び覚まされる。知らなかった世界に、出会ってしまった人たちに。それは不思議な、永い冬眠から覚めて行くような感覚。

 

 

周りのせいと駄々をこねて、現を抜かしていた時代は終わった。シワと白髪だらけになって、現実世界に戻って来ちゃった(浦島太郎の「続編」みたい)。便利なものはないけれど、終わらない喜びがある。朽ちないものもないけれど、果てしない光がある。壁も苦労もあるけれど、命を使う意味がある。

 

 

シワはイヤになっちゃうけど、年を取るのは楽しいのだろう。

いっぱい越えて行けるのだから。笑



オールドマナリの森で、山羊追いしてたアンティ。北インドの人は、何かあったかい。