父の命日
1周忌の法要は初盆の時に一緒に済ませているし、おふくろも帰らなくていい、ということだったので長兄に任せて帰省しなかった。代わりに、甥や姪にメールして「じいちゃんの命日だからばあちゃんに電話かメールを入れるように」と(内緒で)指示をした。彼らはちゃんと連絡してくれたようで、母は「今日は本当にいろんな人から連絡があってねぇ」と喜んでいた。
家族は勿論だが、親戚や母の友人たちが、残されたおふくろを気遣ってくださり、本当にありがたい。
朝晩とおふくろと電話で話したが、実家のある日田は今日は本当に素晴らしい天気だったそうで、「みんなが私のこつ気にかけてくれて、お父さんは空の上できっと喜んどるとバイ」と言っていた。俺もそう思いたい。
感謝多き日。ありがとう。
俺にも直接電話を掛けてくれた方々にも深く深く感謝しています。
■4&5月の本(娘)
■4月の本(娘)
1 へそまがり昔ばなし(ロアルド・ダールコレクション 12)
2 マチルダは小さな大天才(ロアルド・ダールコレクション 16)
3 ダニーは世界チャンピオン(ロアルド・ダールコレクション 6)
4 どでかいワニの話(ロアルド・ダールコレクション 8)
5 アッホ夫婦(ロアルド・ダールコレクション 9)
6 ドリームバスター 2
■5月の本(娘)
1 ぼくのつくった魔法のくすり(ロアルド・ダールコレクション 10)
2 奇才ヘンリー・シュガーの物語(ロアルド・ダールコレクション 7)
3 オ・ヤサシ巨人BFG(ロアルド・ダールコレクション 11)
4 こちらゆかいな窓ふき会社(ロアルド・ダールコレクション 15)
5 こわいい動物(ロアルド・ダールコレクション 14)
6 へそまがり昔ばなし(ロアルド・ダールコレクション 12)
7 魔女がいっぱい(ロアルド・ダールコレクション 13)
ロアルド・ダール三昧!
大人が読んでも面白い!!!
■4&5月の本(俺)
■4月の本(俺)
1 風の中のマリア
2 永遠の1/2
3 歌舞伎町ペットショップボーイズ
4 チッチと子
5 かあちゃん
6 悪人 上
■5月の本(俺)
1 悪人 下
2 新宿二丁目のほがらかな人々
3 十字架
実家に帰省していたり、Twitter始めたりしたので、読書量が明らかに落ちている。
普段の読書は通勤中に行っていたが、それがTwitterに置き換わってしまったせいだ。
うーむ。
父の病状5/2-5/4
・5月2日
AM「ハプニング」観賞済み。結局何か原因がよーわからんというナイト・シャラマン節炸裂やね。面白かったけど。
午後イチの見舞いでは、父は熟睡していて起きず。
夕方見舞いに行くと長兄に会う。父は、また寝ており、痰が絡んでかなり辛そう。
夜は長兄と3回目の琴ひら温泉へ。GWのためか、凄い混み方だ。駐車場は満車なのにひっきりなしに車が。
・5月3日
昨日長兄が持ってきてくれた「24 Season1」を見始める。
明日帰るのに、見終わるかな?
午後イチの見舞いでは再び熟睡中。
夕方にはちょっと起きてくれるが、再び熟睡。少し左手が腫れている。
長兄たちと、餃子の一品香(イーピンシャン)へ。我が家では昔から餃子はココ。
大将がが目の前で皮をのばしながら作る。メニューは餃子と飲み物だけしかない。一人前600円で20個×2。
・5月4日
年老いた母を残し、父のことがまだ心配だが、12時頃日田発→東京へ。
19時にマイホーム着。娘がマンションのエントランスまで迎えに来てくれる。
「ママー!パパが来たよー!!」
いや「来たよ」じゃなくて「帰って来たよ」と行ってくれよ(苦笑)。
父の病状4/29-5/1
・4月29日
父の意識戻る。
こちらの言葉に反応し「ありがとう」と言ってくれた。他にも何か話しているのだが、聞き取れなかった。
昨日は肺炎を起こし「GW中に会うべき人に会わせてください」と医者に言われていたのが嘘のようだ。
昨日阿蘇神社にお参りに行った健磐龍命(たけいわたつのみこと)が守ってくれているのか。
午後から父は、今までいたCCUから一般の6人部屋へ移動。左手のむくみも随分とれていた。
このまま良くなってくれればいいのだが。
夜「ジャンパー」観賞。
・4月30日
AM「グラン・トリノ」観賞。
午後と夕方に見舞い。父はこちらの言葉に顔をしかめて嬉しそうに反応する。
少しすると、うつらうつら。くしゃみを2回する。
夜「ウォンテッド」観賞
・5月1日
AM「ミラーズ」観賞。
午後見舞い。今日も父はうつらうつら。点滴がひとつ取れていた。
だんだん良くなっているようだ。
病院の後、伯母さんと母親を連れて再びひびきの郷温泉へ。天気も良く露天風呂サイコー!
父の病状4/28
・4月28日
マイナスイオンとパワースポットの1日。
長兄が仕事で阿蘇方面に行くので、一緒に行こうと誘われる。
今日はサボる日だということで、阿蘇神社へ。阿蘇神社の神様が父の守り神なのだ。
俺が小学校1年生か2年生の時だから、36.7年前だけど、父が最初の癌(大腸ガン)になった時に、飯塚の叔母さんが良く行っている霊媒師(?!)にお願いに行ってくれたのだそうだ。
その霊媒師が「健磐龍命(たけいわたつのみこと)がその方(父)を守ってくれている。その方(父)は阿蘇神社の近くを通る時に毎回一礼して通ることを健磐龍命はご存知なので必ずガンは治る!」という話をしてくれたとのこと。
当時父は単身赴任で竹田市に住んでいて、土曜日に実家に帰ってきて、月曜早朝に赴任先に車で行っていたのだけれど、その時に阿蘇神社の近くを毎回車で走っていたそうだ。
その話を今日一緒に阿蘇神社に連れて行ってくれた長兄から聞いた。
今回も父を守ってくれるといいのだが。
それから、阿蘇高森の「月廻り温泉」の根子岳を望む露天風呂へ。
月廻り公園からの景色は熊本県で、21世紀に残したいふるさと百景第1位だそうだ。
その後、高千穂峡→天岩戸神社へ。本当に神聖なパワースポットだ。
天岩戸神社横の川など河童がいそうなくらい美しい。
帰りに、大山響渓谷を望む「ひびきの郷」へ。
この日2回目の露天風呂だが、露天に入ると「明日から頑張るぞ!」とはならず「このままでいいかぁ」となってしまうのが怖いところ。俺東京でハードワークの日々に戻れないかも…
父の見舞いは、母と義姉が行ってくれた。
医師の説明があり、肺炎を起こしており、GW中に会うべき人に会わせておいてくださいと言われたそうだ。
一進一退だ。
父の病状4/26-27
・4月26日
昼は父母が新婚のころに住んでいた広瀬淡窓の書斎であった遠思楼を咸宜園に見に行くが、残念ながら休刊日で拝観できず。
「遠思楼」は、俺の爺さんが文化財保存のために自宅敷地内に移設し、新婚の父母が住んでいたのだが、昭和28年に市に寄付して咸宜園内に復元された建物である。
甥は見たがっていたので残念がっていた。当時よくこんな小さな家に住んでいたものだと思う。
長兄は小さい頃ここの2階から落ちたそうだ。
そのまま、病院へ。
父は昨日と容態変わらず。反応はあるが意識がもどるかどうか。
右手をギュッと握ってくれるが左側は動かない。脳梗塞は右で起きたようだ。
以前は、左手の方が自由に動いていたのだが。
不謹慎だが正直このまま生き延びても母が大変になるだけだ。
見舞い後、昼食に次兄が想夫恋の焼きそばを食いたいとのことで皆で行く。
俺も帰ったその日に行ったので2日ぶり。
「天使と悪魔」観賞後、親父の古い写真を取り出して見る。満州航空の時の写真
など、男前で甥・姪も「おじいちゃんカッコイー!」とはしゃいでいる。
姪は最終バスで帰宅。
・4月27日
父は明らかに反応が出てきたように思う。本当に危ない状態からは脱したらしいが予断は許さないらしい。
「GWまで会社を休む」と言うと兄弟親戚、妻まで「会社からもう来なくていいと言われないのか?」「大丈夫?」と心配される。
普段から(土日も出て)全然休んでいないのに、6日休んだくらいでそんなこと言われたらホントにヤダなぁ。
午後、次兄・甥が帰宅。夜、サムライミ「スペル」鑑賞。
父の病状4/23-25
・4月23日
午前中に親戚に車を借りに行く。タクシーだと病院まで1300円くらいかかってしまうのだ。
一昨日は土色だったらしい父の顔色も、随分血色が良くなって来た。
今日は目を開け、足を動かした。昨晩の家族会議の結論を医師に伝える。
ちなみに、田舎は星が綺麗だ。この星をもう一度見せたいなぁ。
・4月24日
AM母・長兄と琴ひら温泉→病院→DVDで「ハンコック」鑑賞→病院→DVDで「トランスポーター3」鑑賞。
親父の血色昨日よりかなりいい。声をかけると反応がある。しかし医師が言うには、意識はまだないようだが。
・4月25日
次兄・姪・甥が帰ってくる。
次兄・姪とは俺の結婚式以来12年ぶりに会う。
親父は、意識が戻ったようだ。頭を左右に動かし、じっと見ている。
先生はまだ意識は戻っていないというが「次兄が家族がくるよ」と伝えると「あぁー」と反応があるではないか。
あくびもする。昨日までなかったぞ。右手を握るとぎゅっと力強く返してくる。
頑張れ!親父。
夕方、次兄たちと昨日も行った琴ひら温泉に連れていく。川横の露天が気持いい。
姪も星空を見て、俺と同じ様な事を言っていた。
父の病状4/19-22
・4月19日
リハビリ施設に普段の心拍数が30-40位なので検査に行くようにと言われ、母が病院に連れて行く。
検査後、すぐに済生会に紹介状を書くので行くように言われ、済生会では検査してすぐにペースメーカーを入れる手術に。
手術は上手くいったそう。
・4月21日
急に血流が流れるようになったからなのか翌20日深夜に脳梗塞を起こす。
明けた21日午後、顔色が土色になって危篤状態に。
「延命治療をするかどうかご家族で話してください」と言われたとのことで連絡あり。
母、長兄、義姉みな「もうながくない」と思ったとのことで、連絡あり。
・4月22日
7時半羽田発の便で帰郷。
11時過ぎには病院着。父の顔色は赤みを帯びており直感的に「これは大丈夫なのではないか」と思う。
父の意識なし。
延命治療を施すかどうかについて家族会議。
医師の話では、呼吸器などつけた後で外すことはできない。後から延命治療を施すということはできるとのこと。
母・長兄と話し、このまま意識がないまま生き続けてもかわいそうなので、現状では延命治療はしないという結論に。
夜DVD「アドレナリン ハイ・ボルテージ」観賞。
全然!
父が危篤となり、4/22日より妻と娘を残して実家に帰っている。
10日以上自宅を離れているのは初なので、娘に「寂しいだろ?」と問うと
「全然」と即答。
・・・・ショックを受ける俺に配慮してか、すぐに
「ごめんね。でも大丈夫だよ。」
とあっさりしたもの。平日ほとんど顔を会わせることないしなー。
いかんなこりゃ!
「今日パパはお見舞いの後、温泉に行ったよ」と言うと、
「ふーーーーん。そう」。
我が家のエンゲージメントが・・・。