美澄さくらです。
少し前に祖母が他界し、
山奥の祖母宅に滞在していました。
見渡す限り田んぼ
お盆休みにテレビ電話したときにはすでに意識朦朧で覚悟はしていたけれど、
いざその時がくるとやっぱり寂しい。
でも、お骨になった祖母を見ていると、
無くなるものなんて何もないんだなーと感じました。
棺に入った祖母の手に触れると冷たい。
その冷たさは心臓が止まったというサインではあるけれど、
そこに祖母はいる。
葬儀が終わって火葬されたあとも、
煙になった祖母は空気としてそこにある。
祭壇にはお骨がある。
四十九日がくればお骨はお墓に入る。
なにも、無くならない。
心臓が動いてない。
もう会話は出来ない。
触れることも出来ない。
ないに目を向ければ「無くなった!」と言えるけど
でもやっぱり、ある。
それを認めざるを得ない。
死んだのではなく生きる世界が変わっただけ。
そんなことをボーーーっと考えていました。
お通夜の日も葬儀の日も快晴でした
でも全然しんみりしてなくて、
久しぶりにいとこ5人(三兄弟+私たち姉妹)が集合して楽しかった
息子はいとこたちに遊んでもらい、
娘はばーちゃんにくっついたり花火したり。
いとこと娘
お通夜の日に泊まった斎場では叔母・母・いとこたち・わたしで筋トレしたり、
葬儀の日の夜は
いとこ2人と夫とわたしでカードゲームして
腹筋痛くなるほど笑い転げたり。
楽しすぎて同じゲームを3時間やり続けたw
葬儀ではみんなピーピー好きなだけ泣いて悲しいことはちゃんと悲しむ。
しっかりお別れをしたら楽しいことはちゃんと楽しむ。
親族全員がその切り替えが出来る心の土台があることが嬉しく思ったし、
それを温かく受け入れてくれる空気を作ってきてくれたばーちゃんに感謝もわきました。
わたしや妹の配偶者も当たり前のように受け入れてくれて、
配偶者たちもそんな場を楽しんでくれて。
恵まれてるなぁ。
祖母が他界してから怒涛の日々だったけど、
なにも無くならないから安心していればいい。
そんなメッセージを受け取った1週間でした。
でも、やっぱり、寂しいけどね。
ばーちゃんに心からの感謝を。
また四十九日法要で帰るからね。
9年半前……!!!!
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