ジャズピアニストの小曽根真、s**t kingzの持田将史と小栗基裕が表現する舞台作品。映画『戦場のピアニスト』の主人公として知られ、戦禍を生き抜いたポーランドのピアニストであるウワディスワフ・シュピルマンの半生を描く。上演台本・演出は瀬戸山美咲。

 

ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に手が迫り、やがて破壊されつくすことになるワルシャワの街。シュピルマンは何度も危機を乗り越えながら、立ったひとり瓦礫の街で生き延びていく。後に生まれた彼の息子の視点を基軸に綴られていく、戦争の物語。

 

この舞台のことを全く知らなかったのだが、他の作品で配られていたチラシを見てすぐにチケットを買った。こんなにチャレンジングかつ同時代性を帯びた企画を見逃すなんて考えられない。2023年の舞台納めとしても理想的だと思った。

 

雑然と家具が積みあがったセットの真ん中多くにあるピアノ。まず小曽根真が出てきて弾き始める。彼はシュピルマン本人として、そして進みゆく街の変化を表現する「音」として、最初から最後までそこで弾き続ける。

 

s**t kingzの2人については、ダンスメインで表現していくのかと想像していたが全然違った。膨大なナレーションとセリフと滔々と語り、その都度色々な人物を演じながらシュピルマンに起きたことを描写していく。ほとんど朗読といってもいい。セリフ回しは達者とまではいかないが(プロの役者でもあそこまで膨大なセリフを発し続けることなどほとんどないはずで、かなりのチャレンジだったと思われる)、聞き取りやすさとしてはベストな早さで、明朗に話していく様子には途方もない稽古の跡が感じられた。

 

言葉で彩られていくとはいえ、彼らの優れた身体性はちょっとした動作にもいかんなく発揮される。まったくノイズにならない滑らかな動き、観客の視点をクリティカルに誘導するステージングは洗練されていて無駄がない。

 

しかし、当然ことながらしっかりとしたダンスシーンもある。ハッキリと「舞踏だ」とわかるものが2シーンで、頻度を絞っているからこその爆発力が物凄い。破壊しつくされていくワルシャワの街で、シュピルマンが生き抜いていく根源にあるもの、彼の人生そのものである「音楽」が、これ以上ないほどにピュアな形で目の前で輝きを放つ数分間。ピアニストだからこそ、ダンサーだからこそ実現できたストイックな「音楽」に心が震えた。

 

イベントプロデューサーをしていたころ、ストリートダンサーを含む何人かのダンサーに「ダンスをする上で最も大切なことは?」と聞いたことがあるのだが、ほぼ例外なく「リズム」「音」という答えが返ってきた。たとえ無音であっても、そこには「無音」という音があり、ダンサーは自分の体内にリズムを意識して踊っているのだと私は理解している。だから、本作の中でクライマックスとなる「音楽」がダンスという形で視覚化されたのはとても自然なことであり、あのダンスは「音楽」そのものだと思えた。そして、ラストのピアノ演奏で劇場が一体となるあの感覚たるや。素晴らしい作品を観られて感無量である。

 

そして、何十年も前に破壊しつくされたワルシャワのドラマを目撃しながら脳裏でどうしたって重なるのは、いまのガザにおける悲劇。この舞台が企画されたときにはどう考えても想定していなかったこの事態が、上演時に重なるのはなんという運命なのか。シュピルマンの壮絶な数年間に涙した観客の想いは、遠く離れたガザに飛んでいかざるを得ない。こうして、狙いを超えた次元でメッセージを強めることになる作品は、続けていく使命を背負っていると私はどうしても思ってしまう。きっとこの作品は字幕でも同じくらいのパワーを持つはずなので、海外も含めてぜひとも再演をしていってほしいと強く願う。