若い女性の顔、昨年から顔シリーズ4作描きました、年内にあと一作描く予定です。

最初は井浦新の女性版のような顔にする予定で、途中までは上手く行っていたんですが、お手上げ状態になって、結果、全く別物に。

 

井浦新とか小沢健二とかの顔、好みなんです。

 

実在の天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットの半生を映画化し、主演のジェフリー・ラッシュが第69回アカデミー賞主演男優賞など数々の賞に輝いた伝記ドラマ。オーストラリア、メルボルンで暮らすデイビッドは、音楽家の夢に破れた父に幼少時からピアノを厳しく教え込まれ、その才能を開花させる。しかし留学の話が出ると、父は彼が家族から離れることを暴力的に拒否。結局デイビッドは父の許しを得ないまま、英国王立音楽院に留学するためロンドンへ渡る。父にいつか弾きこなすよう言われていたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をコンクールの演奏曲に選んだデイビッドは、猛特訓の末に見事に演奏するが、過度のストレスによって精神を病んでしまう。劇中のピアノ演奏はヘルフゴット本人によるもの。

1995年製作/105分/オーストラリア
原題:Shine                        映画.comより転載

 

このシーンが素晴らしくて!

 

 

以前から気になっていた映画ですが、午前十時の映画祭で上映されていることもあり、しかも意外や105分と短尺で、この機会にと鑑賞しました。

映画の内容は★3.5というところでしょうか、ご本人やご家族の了解のもとの映画化ですからあまり深くは追及できないという事情もあったのでしょうが、前半はともかく後半の説得力に欠けます。

俳優陣は熱演で特に若いころのヘルフゴッドを演じたノア・テイラーさん熱演、そして不可解な父親役にアーミン・ミューラー=スタールさん(「ミュージック・ボックス」の父役の俳優・・・ということでナチス関係あるよねという)。

オーストラリアのユダヤ人一家のお話で、父親はナチス時代のトラウマから家族の結束を何より大事にしていて、力で家族を支配しているという感じです。

自分の野心を投影した息子の才能を世に知らしめたい、でも自分の支配下から出ることは許さないというアンビバレンツな人格、この辺り描き切れていないような気がしますが息子の苦悩は伝わってきますし、この極端な性格が遺伝したのか、強い抑圧に耐えきれず自己崩壊したのか、ヘルフゴッドは脳に異常をきたします(心に、とは違うように思う)ウィキで調べると統合失調症を発症したらしい。

 

こののち何年も過ぎ、ヘルフゴッドを演じるのがジェフリー・ラッシュ、前半とはかなり映画の雰囲気も変わり重さが軽妙な感じになっています。

どんどん現在のヘルフゴッドに近づいているのでしょう。

ピアノを弾くことを禁じられていた(何故かは映画を観ているとわかります)のが出入りできるようになったダイナーで弾いたことで演奏することの歓びを取り戻していく、このシーンのジェフリー・ラッシュの演技が凄いというか、演奏シーンが本当に素晴らしい。手のみのシーンは本物が弾いているようですが、咥えたばこで楽し気に無心に弾く、ラッシュの表情から腕、指へとカメラがシームレスに移動する、ラッシュさん14歳までピアノを習っていたようで、本作のために猛特訓もこなしたようです、実に自然で、指のみのシーンにいつ替わったのかわかりません。

終盤、新たな人生や復活のステージ、詰め込まれているものは多いのですが、定番な締め方が残念。

 

父親の胸中は本人の中でもかなりの葛藤があり家族はその犠牲になっているところがある、その葛藤の部分をもう少し掘り下げた描き方が欲しい。

ユダヤ人であるがゆえにヨーロッパからオーストラリアへ逃れてきたが一家離散の恐れもあったのだろう、そして父親には親にバイオリンを叩き潰されたことによる音楽への強い渇望があった。息子が自分から離れていく恐怖と自分の夢をかなえてくれる息子の才能、その二つの間で揺れ動いていたのだろうか、たぶんそうだろうと思うが、ラフマニノフにこだわった理由は何なんだろう、そして息子がどうしてもラフマニノフを演奏したいというのは父に認めてもらいたい一心だったからなんだろうか。いろいろ想像しますが、家族が父に怯えて暮らすというだけでなく何らかの感情の共有というか、そういうものが感じられないのが残念だ。

 

追記

ウィキペディアを読んで想像するに・・

ヘルフゴッドと姉妹たちは小さなころから父から英才教育を受けたが(それが出来た父の背景はあいまい)、才能がある息子には特に期待しスパルタ教育をしてきた。

現実では、アメリカ留学や英国留学のチャンスがあった時すでに統合失調症の兆候が表れていたようだ、それが父が留学を反対した理由のようです、そうだったのか、というところあるのですが、事実はわかりません。

 

実在の人物生存中で、了解を得ての映画ですから、妥協しなければならない面も多かったのでは(特に後半)と思われます。

 

アクリル画は絵画とは違う感じで描いています、イラストとか絵本的?

 

 

丸いキャンバス、楕円のキャンバス、三角やら六角やらいろいろあって遊べます。

 

知人の木彫

「旅する猫」

目にライトが当たってしまって写真が残念、もっとかわいいんです。

 

パステルスケッチ

使い物にならなくなった風邪ひき水彩紙をパステル用に使用しています。

水彩紙は湿度に弱く長期保存には乾燥材を入れて密閉する必要があります。

「恋人たち」「ぐるりのこと。」の橋口亮輔の9年ぶりの監督作となるホームドラマ。ペヤンヌマキ主宰の演劇ユニット「ブス会」が2015年に上演した同名舞台を基に橋口監督が自ら脚色を手がけ、CS放送「ホームドラマチャンネル」が制作したドラマシリーズを再編集して映画化。

親孝行のつもりで母親を温泉旅行に連れてきた三姉妹。長女・弥生は美人姉妹といわれる妹たちにコンプレックスを持ち、次女・愛美は優等生の長女と比べられたせいで自分の能力を発揮できなかった恨みを心の奥に抱えている。三女・清美はそんな姉たちを冷めた目で観察する。「母親みたいな人生を送りたくない」という共通の思いを持つ3人は、宿の一室で母親への愚痴を爆発させるうちにエスカレートしていき、お互いを罵り合う修羅場へと発展。そこへ清美がサプライズで呼んだ恋人タカヒロが現れ、事態は思わぬ方向へと転がっていく。

長女・弥生を江口のりこ、次女・愛美を内田慈、三女・清美を古川琴音、清美の恋人タカヒロをお笑いトリオ「ネルソンズ」の青山フォール勝ちが演じる。

2024年製作/106分/G/日本                映画.comより転載

 

 

 

これまたほとんど前知識なく、橋口亮輔監督の作品か~、姉妹三人の本音バトル?というので鑑賞決定。2018年吉田恵輔監督作の『犬猿』がめっぽう面白かったので、テイストは違うだろうけれど似た感じかなと期待していました。

個人的好みとしては『犬猿』のほうが面白かったけれど、これは監督の作風テイストの違いで、本作もまた面白かった。

こちらは、登場はしないけれど”母”という核があって、かなりコメディ寄りなのだけれどシリアスな内面描写に興味津々、痛い女性心理が描かれています。

 

舞台が今時このひなびた温泉?40年前かという糊バリバリの浴衣が笑える、畳の臭いだの間取りだのが母を中心に三人姉妹の本音をあぶり出すには最適のシチュエーション(舞台劇の映画化というのがよくわかる)。

登場しない母をめぐる三角関係という感じで、長女の弥生(江口のりこ)がいちばん母に囚われている、愛されなかった娘という思いから母の期待に応えたいと頑張ってきた(なので母にそっくりの価値観がうざい)、でもそれも今となっては何の意味もない、幼いころ母に言われた「一人だけ一重まぶたでかわいそう」みたいな言葉に縛られている、自意識過剰の姉を持て余す妹二人だが(観客もその面倒くささにうんざりする)、でも妹たちにも思うところはある。妹たちに本音を浴びせられ乱闘の様子を見せるも沸騰したり冷水を浴びせたりの人間模様に何やら説得力がある、やはり他人ではない、姉妹なんだなという絆を感じる。

 

弥生が本音ボロボロで付け睫毛をはぎ取るあたりから素の彼女がかわいく見えてくる、誰もが本心をさらけ出し、それでも関係が壊れない安心感で楽しめる、家族は面倒くさいのだろうけれど、この面倒くささが得難いものだと思わせる。

 

サプライズで三女の晴美(古川琴美)が”結婚を決めた人”を連れてくる、近所の酒屋の長男だ(この辺りも40年前か?と)、このタカヒロさんが、映画に大きな魅力を添えていて、好ましい鈍感力というか器が大きいというわけではないが鷹揚というか、三人姉妹とは全く接点のない思考の人物というところが好ましくてよいです。

記事を書いていて思ったのですが、人物描写が巧みで鑑賞後時間がたつにつれ味わいが増す映画です。