映画『キャッツ』を観てきた。劇団四季の『CATS』を観た回数は数えきれないほどなので、流れもナンバーもすべて頭に入っている。(大阪公演を観たときの記事はこちら。)
さて……なにから話そうか。正直、ずーっとうっすら気持ち悪かった。顔が人間っぽいのはすぐに慣れたのだが、CG加工された動きには全然慣れなくて。常に耳と尻尾が動いているのが気味わるいし、動きもなんかニュルニュルしている。冒頭のダンスシーンも、おそらくちょっと回転を速くしたりしてると思うんだよな。せっかくのダンスなんだからそのまま見せて!という願望が拭えなかった。それは最後までちょっと残念だったポイント。
あと、これは賛否あると思うが、ユニゾンが少ない。どちらかというと個々に振付されているシーンが多いので、それぞれのスキルを楽しむ感じ。ただ、ジャンル別に手練れが集結しているため、パフォーマンスクオリティは申し分ない(動きはちょっとニュルっとしてるけど)。よく考えると、最近公開されたミュージカル映画でここまでパフォーマンスレベルが高かった作品ってなかったかも。
舞台版からの変更点をざっとまとめると以下の通り。順番などはバラバラ。
①「猫には3つの名前がある」の2つ目の名前の例をカット
②グロールタイガーとグリドルボーンの劇中劇カット(ガスの歌はそのまま)
③スキンブルシャンクスのシーン、廃材を使った機関車登場せず。背景はオールCG。
④ミストフェリーズ大して踊らず。当然スピンもなし。
⑤ジェニエニドッツのシーン、女子3重唱なし。マンカストラップリード&ジェニエニドッツソロ。ジェニエニドッツタップなし。
⑥ヴィクトリア主役に。捨てられた子猫(新入り)設定。ソロの新曲追加。
⑦マキャヴィティナンバー、ボンバルリーナのソロに。大して踊らず。
⑧グロールタイガー、マキャヴィティの手下役でちょっとだけ登場。
⑨オールドデュトロノミーが雌猫に。
⑩グリドルボーンがカットされているのに、なぜかボンバルリーナが歌うナンバーの歌詞には残る。
⑪ジェリクルキャッツ選出ルールが明確に(希望者立候補制)
⑫マキャヴィティの目的がはっきりする&候補者をひとりずつ誘拐していく設定に。
こんな感じかなー。他にもあるかもしれないけど。グロールタイガーの劇中劇は舞台版でも正直長すぎると思っていたので、間違いなくカットされると予想していた。ただ、映像で処理されるのかな…と想像していたので、バッサリカットはちょっと驚き。おかげでガスの歌がめっぽう浮いていた。(イアン・マッケランの存在感で無理やり成立させていたが)
また、ボンバルリーナがマキャヴィティの子分になっていて、舞踏会会場にドラッグ(マタタビ)を巻き散らしていた。舞踏会スタート⇒みんなで円陣になってダンス⇒ひとりひとりソロ⇒ドラッグ配布⇒混乱(カオス)という流れが、ギャスパー・ノエの新作『CLIMAX』とまったく同じだった。(『CLIMAX』の感想はこちら。)
『キャッツ』の観客が期待する見どころ(ミストフェリーズのスピンとか)がサクっとなくなっていたりするので、その都度「おい!」とは思ったが、それは知らなければわからないことなのでいいかな。ヴィクトリアのバレエソロが月光の下じゃなくて室内だったのとか、地味に残念だったが仕方ない。
ジェニファー・ハドソンが歌う『メモリー』や、ジュディ・デンチの歌など、歌は最高OF最高。上手い人しか集めていないから(誰が誰だかよくわからないが)、CG加工にさえ目を瞑れば眼福&耳福。マンゴジェリーだけイマイチだったけど。
……というわけで、鑑賞した直後は正直不満が大きかった。でも、時間が経ってくると不思議なことに感覚が変ってきて、また観たいと思うように。
全体的に気持ち悪いところとか(ジェニエニドッツのゴキブリシーンとか、本当にどうかしている)、リアルな人面猫がお互いの匂いを確認しまくるせいで妙にいやらしいところとか(発情しっぱなしと評される所以)、マキャヴィティ役のイドリス・エルバがコートを脱いだら全裸にしか見えずにザワついたところとか、あらゆる点が頭にこびりついて離れないのだ。
いまは『CLIMAX』のポジティブ版だったなと思うようになった。ドラッグをキメた浮かれ人面猫たちが、興奮のうちにクレイジーな一夜を過ごすカルト映画なんじゃないかと。常に異様に高いテンション、十分な説明なんてする気もないから!というノリで進んでいくパワー。舞台版とは全然別の楽しみ方で、盛大に笑ったりつっこみながら観るべき映画なのかもしれない。映画史に残るカルト映画になる可能性大。
というわけで、吹替版も観ようと思います。それにしても、まったくキャッツのことを知らない人が見ても、意味がわからないんじゃないかしら?と思わないでもない。