「CAn」서울←→東京のストーリー

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안녕하시안~

日韓の芸能の経験や自分が感じたものを100エピソードの達成を目指して更新します。

 

  Live a life.

時は矢の速度で過ぎていて、日本に来てから大分時間が経っています。

10年を過ごすと見えてなかったものが見えたり、経験できたりしてあまり外国暮らしという感覚も薄くなっています。

 

今だからこそ考えることだが。

なぜ、どうやって日本に来られたか?

 

最初から日本で在留しながら活動を決めた訳ではありません。そこまでの覚悟はなかったとおもいますが。

 

1>最初は日本でライブが出来ればと

日本への留学から色んなことを学んで、物足りなさを感じていました。

そこで日本でライブ活動を続けたいと思い、色んな会社と連絡を取っていましが中々うまくはいかず。

 

会社から求めてたのはグループの一員かアイドルコンセプトしかなく自分のスタイルが通れませんでした。

そもそも外国アーティストを日本まで呼んで活動させるには費用と手続きが大変なので相当な「何か」が見えない限り会社側からも判断が難しいことだと思います。

 

最初は日本でライブができることだけを考えていました。

 

2>韓国の活動が自分に合わないと

The Whiteを結成して韓国活動をスタートしたが、いわゆるバンドの形でそれもロックベースで韓国で売れるのは不可能に近いと判断しました。

当時もそうだが韓国ではアイドル一色でグループじゃないと厳しくまたソロの場合はバラードスタイルじゃないと出演のチャンスがほぼない状況で「新しいスタイル」というユニットというコンセプトでそれもJPOPの色を出すというのは当時の韓国では受け入れ辛い状況でした。

 

沢山のライブハウスでオーディションを受けたが微妙な反応が多く、「売れる音楽」と「マニア音楽」の真ん中の立場で苦労していました。

 

いくつかも番組に出演したり、事務所と契約もしたが考えていた活動は出来ず最終的に自分のスタイルを生かすなら韓国では厳しいという判断が出来ました。

 

3>受賞からの展開

曲制作・練習・ライブの繰り返し中に、薄い光が見えてきました。

日本の音楽コンテストに出した曲がなんとグランプリを受賞することに!

 

 

また続けて仕事のオファーが増えていて、フジテレビ「モノマネ紅白」にもいけるようになって少しずつ活動が広がっていて「四季の歌2012」のオーディションにも奇跡的にえらばれました。

ですが韓国国内での展開はうまくいかず海外からの良い反応が増えていました。

 

 

YouTubeが活性化されてない時からMySpaceなどに音源を公開していたが反応がよいのは海外。

ジャンルや活動の幅が広いのは日本。

何より、自分のスタイルをそのまま最大に認めてくれたのは日本でした。

 

 

4>占いからの一言

2011年ごろに原因不明の咳が止まらず、苦労をしていました。

その分野に一番有名な大学病院で精密検査をしててもはっきりした原因はわからず、ずっと眠れない+ライブが出来なくイライラの日々を過ごしていました。

そこで不安な気持ちを抑えるため占いにいきましたが、占いでは

‘あなたはこのまま国内にいると死ぬ‘

と言われました。それでどうすればよいかと聞いたら

‘近々に日本からのオファーが来ますので大丈夫‘

と言われまして実はそのまま実現されました。

 

また続きは別のエピソードで。

 

世の中、今の科学で説明できないことなんかいくらでもあると思います。

運命というのもその不思議な流れかと思いますがこんな凄い運と命があって今の活動があるかと。

 

 

まだまだ展開を作られてないが一日を大事にしていきます。

口だけとか、願いだけではなにも変わりません。

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U CAn

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Live a life.

 

人と繋がる。

どうやったら人と繋がってことを感じられるか?

 

*直接会って話せば?

*それともラインとか電話番号を知ってて連絡できれば?

*もしくはTwitterやInstagramなどSNSをフォローしていれば?

 

どちらでも簡単に正解のような答えは出ないと思います。

人によりその感覚や基準が違ううえ、誰かが確実なことを決めてるわけではありません。

 

生まれてから決まっている家族。

学校や住まい場所で知り合う友達から仕事で知り合う人々。

 

時間が増えていけば知り合う人は増えていくことは間違いないが時間が過ぎることにより。

知ってる人から知ってた人に

 

何かをきっかけで連絡が切れたり、お互いが嫌いになったり、憎んだり。

特に芸能関連の仕事ではファンだった方と縁がきれていくことを分かった時は寂しい気持ちになります。

 

 

イベントや仕事で知り合った方々とはSNSやLINEでつながることが多いですが、たまに何のトラブルがなかったのに連絡が切れたりブロックされたり又はフォローが外されることがあります。

 

特に仕事で知り合った人はFacebookでつながってることが多いです。

近況や共通の知り合いを分かりやすく世代も広いからというメリットがあるからですが、個人的にはFacebookで友達を外されることは今後これ以上かかわりたくない意味で受け入れます。

 

なぜかと、Facebookでつながってる人はほぼ仕事で直接知り合った方しかいなく、またファンの方も長年お会いしたことある方しかいないです。

一方的にフォローが可能なTwitterやInstagramと違い、Facebookは相互フォローすることにより相手の活動なども全部見えることになります。

 

数年前からは直接会ったことがある方以外は一度整理作業をしました。

なぜかと、会ったこともない、自分の活動に興味もない方々と繋がっている意味が分からないと思ったので現在は少人数制で変えました。

 

その中で、SNSでつながってる人がフォローなどが外される理由は

 

①これ以上あんたを応援する気はない

ファンの方だった方からはその意味かと思われます。

 

②仕事でこれ以上関わることがなさそう

一度以上はあったが、今後はなさそうもしくは関わりたくない意味だと思われます。

 

③一身上の理由により人間関係を切る

ファンの方の場合病気・仕事の理由により人間関係が嫌になたり、関係者の場合仕事を辞めたりする場合

 

人の縁は作るより続けるのが難しいことだと思います。

人と繋がって作った絆こそが人生最後の瞬間で残るものかもしれません。

 

個人的なことですが、ほかのFacebookで縁が切れた人は今後会うことはないかと思います。

残念なこともありますが、悲しむだけの時間より現在と未来の縁を作ることを考えることを大事に考えています。

 

SNS時代に新たに分かってしまった絆の感覚でした。

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U CAn

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  Live a life.

 

学生の時はバイトをしている人が多いと思います。

まず面白いことは日本では「アルバイト」から略してバイトと言いますが、韓国では「알바」(アルバ)と略します。

同じ単語に対して日本では後の言葉を略して韓国では前の単語を略します。

 

ともかく、色んなバイトの中で韓国の大学生で人気のあるのが受験のための「家庭教師」です。

 

なぜかと、

①高収入:

使う時間と比べかなりの高収入で時給で考えると相場の5~10倍くらいになることもあります。

時間に追われてる学生としたら効率のよいバイトです。

 

②人間関係に悩まなくて済む:

接客したり、仕事関連の人ともめたりせずに親と学生だけ考えればよいので人間関係がシンプルで好む場合が多いです。

映画「バラサイト」でも出ますが子供関係で親は先生に対してかなり親切だったり扱いがよい場合が多く、先生側からするとかなりよいです。

 

③特に勉強しなくても、受験勉強した経験をすぐ活かせる:

入試を勉強した経験があれば、教えれる内容も似ていて特に覚えたりすることがなくてもできるので負担が少ないです。

 

 

ここまでよいと、大学生が皆欲しがることになりますが家庭教師をすることは簡単ではないです。

特にソウルの場合、名門大学が集中してやりたい学生は溢れています。

大学のランク、学科のランクなどが暗黙で決まってる韓国ではかなりの名門で学科も人気学科に在学ではないと仕事を探すのは中々難しいです。

 

自分の経験から言うと家庭教師で教えた学生が何人かいましたが、長くやってた生徒は全く勉強に興味のない(?)男の子でした。

条件もかなり厳しく、授業はお父さんの職場の事務所でして毎回を報告して欲しいと言われどうか思いましたがとりあえずやってみることになりました。

初めてすぐ教え子とは仲良くなり義理(?)勉強をすることになりましたが単に知識を教えるよりは彼の悩み相談もしてあげながら一緒に映画を見にいったり飯にも行ったりもして交流を深めていました。

親からは信頼をえられて、当時一人暮らしだった自分を心配してよくいいものをごちそうしてくれたり所有している食堂で授業後に飯を食って帰ることが日常になっていました。

 

教え子はあとで自分のライブに来たり、信頼関係を作っていて勉強も頑張っていました。

あとで音楽活動が忙しくなり教師はやめることになりましたが当時激貧乏(?)だった自分にはいろいろ助かったし、親や教え子からも信頼されてよい経験でした。

この後のストーリーはもっとありますが、こちらではここまで。

 

 

韓国の入試は人生を決める大事なスタートになります。

なので時間と金をかけて教育に熱心な親も多く、平均的には家庭教師に教えてもらう学生の成績は良いほうだと思われます。

 

まあポイントを分かる先生にマンツーマンで教えてもらえたら当然かもしれないが、韓国の大変な格差社会の一面かもしれません。

でも自分的には家庭教師の経験により、誰かを教えることに慣れたり知識を伝える技術を習得できました。

次は日本の専門学校で音楽や語学で講師としても働きたいと思います。

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U CAn

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Live a life.

 

いよいよEP55になり100まで半分をきりました。

早く100エピソード達成のため更新を頑張っていきたいと思います。

 

パソコンのOSは世界的にマイクロソフトのWindowsが主流になっていたが、機械とOSを同時に生産していたMac製品も使用されてきました。

 

同じくアメリカ会社でありながらソフトウェアとハードウェアを同時に作るという一体性とデザイン、独特の感性と安定性はかWindows製品と比べかなり高価にもユーザー使うユーザーがいました。

 

自分だけではなく韓国ではMacユーザーが日本と比べ圧倒的に少ない上に今でもサービスの問題が話題になっています。

実用性を大事にする韓国人的には高価で閉鎖的なMacの環境を好む人は少なかったです。

でもiPadやiPhoneの人気により、Mac製品全般の使用率が韓国でも上がっている状況です。

 

自分も一回もMac製品を使ってなく、スマートフォンもアンドロイドの韓国製を使っていたが唯一iPadを使い始めMac製品への使用を始めました。

 

そもそも日本ではなぜMac製品を好きな人が多いか?

 

①経済的に余裕のある人が多かった。

Macのパソコンの場合、Windows製品と比べて3~5倍ほど高いです。最近ではMS社でもパソコンを直接作るなどまた高級化してる傾向がありますが基本的にはMac製品はかなり高価なものです。なのでバブル期など日本では高価なものでも買える余裕のある人が多かったと思われます。

 

 

 

 

②デスクトップよりノートパソコン率が高い

2010年以降には性能の高いノートパソコンが増えていることで低電力、携帯できるノートパソコン使用率が増えてはいますが本来性能の差が大きいため、デスクトップパソコンの使用率が高い傾向でした。

特に韓国ではオンラインゲーム大国として性能のためデスクトップを圧倒的に好んでいたが、最近ではノートパソコンでもオンラインゲームを楽しめる高性能機種が増えていてノートパソコン使用率も増えています。

 

ですが日本では空間活用やオンラインゲームの微妙な人気によりパソコンにそんなに高性能を求めることがなく、ノートパソコンを好む方が多かったです。そこからMacbookシリーズが出ることにより好む方が増えていたと思われます。

 

③音楽・映像制作に特化

音楽制作で使われるProtoolsシステムはMac OSをベースで制作され、Mac OSで起動するLogicなど音楽や映像専門制作ソフトが多かったが日本ではこちらを使用するユーザーが多かったです。

最近ではMac OSやWindowsどちらでも使えるソフトが増えていますが、安定性は今でもMacが優れていますが問題は値段がかなり高いです。

私が日本に留学に来てたころも、学校ではProtoolsシステムとDigital PerformerなどMac OSで起動するソフトをメインに教育されていました。

韓国ではアマチュアの時にはともかく安いソフト、パソコンを好むことによりWindowsユーザーが多かったが日本では音楽・映像など専門分野をやるならともかく最初から投資する雰囲気が強かったと思われます。

10年までくらいでもProtoolsと簡単な制作システムを作るのにサラリーマンの3か月分給料以上の投資が必要でした。

 

逆に韓国ではWindowsを使えないと社会生活にかなりの問題が出てくると思います。

 

 

④閉鎖的でプライバシーを大事にする日本人の好みに合った

Macは主流のWindowsとはかなり違うことが多く、交換性もよくないです。それがiPhoneやiPadに適応してからはもうはやファイルのコーヒーも難しいことになっていました。初期の場合iPhoneで撮った写真1枚をWindows製品に送るためにはかなりの苦労をしなければならなかったです。また本人以外にロック解除が難しく、Apple社はテロ対策などのため国の要請があっても個人のプライバシーを尊重することで極端的にポリシーをとっています。

 

 

韓国では某長官が犯罪隠蔽に使われたiPhoneの解除ができなかったため、罪が認められない笑えないこともありました。

 

プライバシーをかなり大事にするApple製品のポリシーで今でも日本では国産性品やアンドロイドOSのGalaxyなどの製品よりiPhoneを好む方が多いことも理由であるかと思われます。

 

 

⑤デジタル化・カスタムを好まない雰囲気

自分も日本に来る前まで使っていたパソコンは部品を組み合わせたカスタマイズパソコンを使っていました。

 

 

なぜカスタマイズをするかというと、値段と比べかなりの高性能を発揮できるからですが壊れた時とか各トラブルは自分で解決しなければならないのでパソコンの知識が必要になります。

 

 

Mac製品の場合、極端にカスタマイズが難しくいじった際にはアフターサービスも受けられないことによりほぼカスタマイズができません。

結果的になったことでもありますが、日本ではMac製品を好んだためパソコンをカスタマイズすることを好む方が少なくまた1台購入への負担が高くパソコン保有率と使用率が他の先進局と比べかなり低いです。

この問題は手書きを大事にする雰囲気と組み合わされ、コロナ過の時にも問題になっていました。

 

アイロニですが、自分は日本に来てから音楽・映像制作はほぼMac製品で行っていて、スマートフォンもiPhoneを使用しています。いろんな理由がありますが、安定性と好みのソフトがMac製品が多かったのが理由ですが、逆にこちらの作業以外にはWindows製品を使っています。

 

 

結局ツールはコンテンツを作る道具でありそれ自体の価値は特にないと思います。

自分的にはスタバックスでネットサーフィンするためMacbookを買うことは絶対なく、iPhoneのデザインがいいから買うこともありえません。

 

 

単に必要だから使うだけで自分の目的により使用することが大事なことかと思います。

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U CAn

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  Live a life.

 

日本文化に興味を持ったのは最初何からだったかと思ってみると、やはり漫画だったかと思います。

子供の頃から漫画が大好きだった自分は、最初は韓国の漫画を中心に読んでいたが年を重ねるほどなにか物足りなさを感じていました。

(軍隊の時に出品した作品)

 

もっと深い内容、もっと綺麗な絵。

それを求めて探していたら日本漫画にたどり着きました。

 

圧倒的な描き、構成又大きいスケールで今までの韓国漫画とは違う作品がどんどん目に入るようになりずっと読み続けました。

そもそも韓国では漫画は日本のよう人気があるわけでもなく、また漫画で飯を食えるほど商業化になりかかってる状況でした。

特に専門機関も少なく、日本へ留学に来る人も多かったと思います。

 

2004年までは日本文化開放以前なので漫画のキャラクターの名前や環境なども韓国の名前や名がつけられていることが多かったですが、違う文化や環境なのに無理やり韓国化してることにかなりの違和感を感じていました。

 

また漫画から美術に興味を持ち、早くから才能があるといわれることになりました。

親からの勧めで美術学園に通うことになり本格的に絵を学び始めていたが、自分が一番興味を持ったのはイラストなど実用的な絵でそのテキストを探していたら日本のテキストにたどり着きました。

 

当時、漫画・音楽・映画などPopカルチャーには制限がありましたが、教育関係の専門書籍には制限がなかったため色んな本を購入していました。

 

一番気に入ってたのが美樹本晴彦さんのイラスト本。

アメリカ系のテキストの線と違い、アジア人の柔らかい線や雰囲気が当時韓国にはないものでした。

色んな本を探してるうちに、イラスト本で紹介されているアニメの原作を見てみたいと思い、探してみるようになりました。

 

それで見つけたのが「マクロス」シリーズ。

 

実際に日本では上映などからかなり時間が経っていたが、日本映画が上映ができなかった当時では日本映画上映会という特集なイベントがあるまでかなりあとからみることが出来ました。

 

本当に衝撃を受けました。

アニメ=子供がみるものという意識が強かった韓国作品と違い、映画のスケールと映画では表現できない自由度。

またメカニックを中心にせず人物を中心にしたストーリーにオーケストラを動員した圧倒的なサウンドは日本アニメに興味を持つまで十分でした。

 

 

このサウンドトラックはかなり苦労して購入できましたが、全トラックを細かく頭で覚えています。笑

 

そのあとからは色んな漫画やアニメを見るようにしていました。

自分の発想にかなりの影響をくれた作品もあり、漫画から影響を受け作った曲もあるし自分の10代に影響を受けたかと思います。

 

そのあと、美大に行くのは現実的に厳しく趣味で止まてしまいましたが当時色々やっていたことで今のアルバムデザインなのへも才能が発揮されてるかと思うと無駄なことはないと思います。

 

外国人が日本に興味を持つきっかけは

 

①旅行

日本の観光スポット、また着物・茶道など日本的な文化。

 

②コンテンツ

漫画、アニメまたアダルトコンテンツを含む。

 

③和食

海外ではSushiはもうこの名前で通用され、高級で健康食として有名。

 

2022年には「Slam dunk」が映画版になり韓国でも喜んでる人が多いと思います。

よい作品は人の人生にも影響を与える、また政治などの色を付けることも本当につまらないことだと思います。

 

また「呪術廻戦」は韓国人監督が参加するなど、時代の変化も感じています。

日本の文化に影響を受けた人がそこからまた新たなものを作り出す。

 

文化の力は素晴らしいことであり、自分もその一人であり日本まで来てるかと思います。

今後はまた韓国文化に影響を受けた人からどんなものが出てくるかが楽しみでもあります。

 

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U CAn

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  Live a life.

 

今は日本では生活の一部になっている韓流。

もうはやこの言葉自体が使用しなくなるほど一般的になっています。

 

ですが2004年までは交流も少なく、日本でも韓国語の曲やコンテンツが紹介されることもほぼなく韓国でも日本語でコンテンツが地上波で流れることはほぼありませんでした。

 

でもその中でもよいコンテンツへの人々の欲求は止まらず、日本の映画、漫画、音楽は求めてる人が多かったと思います。

そもそもなぜ韓国で日本のコンテンツが自由に公開されなかったか?

 

1>長い日本の韓国への植民地支配により日本の文化自体に拒否反応を起こす方が多かった。

100年ほど前は韓国は日本の植民地で支配され、文化が抹殺されていました。なので辛い記憶を持ってる人が多く日本語で作られてるコンテンツ自体が苦手な人が多く、国からは日本語でのコンテンツは地上波で放送禁止の暗黙のルールがありました。

確認した結果公式的な法律はありませんでしたが、The Whiteで活動していた時に日本語版で発売した曲は韓国の地上波で審査が通ってもオンエアーできないことになっていました。

 

2>文化の差により韓国の文化が侵食されることを恐れた

2020年時代では韓国は経済・文化全般的に大国になっていますが半世紀までくらいは経済も文化も発展国であり、映画も音楽も高くないレベルでした。1980年代にはアメリカ、日本の文化を追いかけることにいっぱいいっぱいで今だけを知ってる世代からは想像もできない状況でした。

その時にレベルの高い日本の文化がオープンされたら韓国の文化が侵食され、「文化の植民地」になり第2回の植民地になることを恐れ国の対策で日本文化が制限されていました。

 

その恐れを壊したのはキム・デジュン大統領(김대중대통령)でした。

ノーベル平和賞を受賞されたキム大統領は民主主義のために軍事独裁に長年戦って来た政治家で、経済だけではなく文化にも大きい実績を残しました。

その一つが2004年「日韓文化開放」により、日本の映画、音楽、書籍などがほかの国もモノと同じく一般公開されることになりました。

 

長年の制限から外れ当時心配の意見も少なくなかったが、大胆な戦略により韓流を世界出来る第1の段階が作られました。

実際に時間が経っても恐れていたことは起きず、自然に日本の文化が韓国に紹介されていきました。

 

 

当時日本ではどんな状況だったでしょう?

 

日本では特に韓国のコンテンツが地上波への制限はなかったと思われますが、韓国のコンテンツ自体が求めまれることは少なったと思います。

それから「冬のソナタ」が日韓文化開放とタイミングで注目されることにより興味を持つ人が爆上し「韓流」という言葉も生まれたと思われます。

 

今から思うと確かに、韓国でThe Whiteで活動していた2009年ごろにも日本語で歌うと観客席が微妙な雰囲気があったり逆に日本で2013年ごろに韓国語で興業の場で歌ったりすると微妙な雰囲気もあったりしたことを覚えています。

 

ですが2020年代になった今は、そんなことはほぼ感じなくなりました。

 

 

韓国からの日本への観光客はコロナ過の中でも2022年11月は1位になったり、日本では主な検索テーマで韓国がずっと入ってる時代になりました。

 

キム・デジュン大統領は当時、韓国の文化・芸能はこれからもっと発展し又日本の文化も受け入れる余裕をもっていたと判断し今の時代の扉を開きまた日本では小泉総理の文化愛により韓流も始まる流れになったと思います。

 

文化は力で止めることもできず、空気のように流れるものかもしれません。

20年間色んな変化を重ね今もまた未来に向け文化は進行しています。

その隙間で生きてきた自分は時代の変化を肌で感じています。

 

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U CAn

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  Live a life.

 

人の趣味はいろいろあると思います。

バスケットボール、サッカー(日本ではフットサル)、登山、ゴルフからパチンコ、競馬。

又編み物、描きなとクリエイティブなことから特に日本・韓国で多い趣味。

 

ゲーム

 

です。

現在私はゲームはほぼしません。

パソコンにも携帯を含めタブレットにもゲームが入ってないです。

ではゲームが嫌いか?と言われると実はそうではないです。

 

現在ゲームをしない理由は。

中毒されやすいからです。

 

私は勝負意識が強く、一旦始めたらトップを狙いたい意識が強いです。

それがうまく働けばテクォンドの時にもそうだったし、本来そこまでしないような学校の勉強もそうでした。

音楽のところでもまだ続けられてるところもこちらの延長だと思いますが。

 

この勝負欲が悪く働くのがゲームです。

大学の時、最初は学科の友達との交流のために始めたオンラインゲームにはまり過ぎて日常生活が混乱な時期がありました。

ネットゲームは当時単にパソコンやゲーム機で行うゲートと違い、グループを組んで仲間意識を持って行うことが革命的なことでした。

特にバーチャル空間で登場する人物は全員実際に参加しているユーザーということで、やればやるほどハマる上に最後のステージなどがないためずっと続けることになりました。

 

どれくらいからか言うと、食べる時間がないからコップラーメンを食いながらプレイしたり学校で集まったらゲームの話を中心に。またマウスを使い過ぎて右手が普段震えていることもありました。ゲーム中毒だと思います。

そもそも当時卒業作品を作るため寝る時間を削ていた時期にもゲームをしていて寝ないで授業に行ったり、大学の生活全般が悪くなる一歩でした。

 

一番の問題はゲームをうまくプレイするためゲーム内での有料アイテムを買い過ぎて手持ちでお金がなくなったり最悪な日々が続いていました。

その日々の中で決断。

 

このままでは卒業できない!

 

家に帰ってからゲームのアイテムを知り合いに全部配りました。

そのあとゲームを削除。



そこからようやくゲーム中毒から解放されることが出来ました。

禁断症状がありましたが、卒業作品制作や仕事で忙し日々が続いていたため丁度いいタイミングだったと思います。

 

それ以来、ゲームはほぼしてないです。

またギャンブルも同じだと思い趣味でもしないようにしています。

 

勝負欲は両面の刀のようでうまく使えばよい結果を作れやすいが、間違ったら廃人になる可能性があります。

 

最近はE Sportsとして世界的にオンラインゲームが人気があり、プロゲーマーという職業もあります。

特に韓国では優れたゲーマーが多く、オンラインゲーム大国でもありますが。

 

ほどほどゲームが出来れば一番よいですね。

自分には無理な気がします。

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U CAn

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  Live a life.

 

現在だけを考えると、身長から体格まで弱くはないと思いますが幼少期では全然違いました。

中学性まではかなり細身でまた身長も150㎝にならないくらい小さく、体も弱かったです。

 

それを心配していた父は本人が習っていた「合気道」を教えてくれました。

そこそこやっていましたが、筋力が弱く小さい自分には強くなるにはあまり効果がなかった気がします。

小学校ではいじめられていたこともあり、特に負けず嫌いだった自分は一度大喧嘩になり、身長の高い奴(?)に殴られて倒れたことがあってからまた上の学年の大きい子に蹴られて飛ばされたことがありました。

 

自分が小さくても勝手なかったことがとても悔しく絶対勝ってやる!と思い。

そのあと強くなるため必死にトレーニングをしていましたが、父は忙しかったし独学では限界がありました。

 

そこで見つけたのが「テクォンド」(태권도)でした。

親は身長(?)を心配して関節技が多い武術は習わせないようにしていたが、突き系が主なテクォンドは途中で辞めない条件付きで承諾してくれたました。(実はちょうど入会キャンペーン期間だったため。。。。)

 

通い始めた道場は公認7段の館長が運営する厳しいことろでした。

通って1週間くらいから全身筋肉痛とあざだらけになっていたが、なぜか当時すぐ辞めたいとは思ってなかったと覚えています。

直接指導するのは館長じゃなく師父(사범)が多かったが、私は当時4段の厳しい師父を選択しました。

 

通い始めてから確実に強くなっていくのが感じていたからだと思います。

道場では大きく3種類の稽古がありました。

 

*基本技術:突き、蹴り、体力トレーニング

*レベルの動き「품새」:태극1~8장/고려/금강/태백の順番で習得していく。

*組み手「대련」:同レベルだけではなく級が上とも頻繁に。

 

あとはスポーツ大会をやったり、映像を見る時間もあり少し稽古で疲れていた時にも道場に行くのはとても楽しかったと覚えています。

館長のポリシーでよかったことの一つが。

級、体級関係なく順番ずつ組み手を行うこと。

 

 

偶に大人クラスからの参加者で体育大学生やボディーガード希望の180㎝以上の有段者も多かったが、ほどほどはしてくれたが組との終わりには両手があざだらけになっていました。

その中で、半年ほどが過ぎたら大分なれていまして特に組み手の時間が楽しみになっていました。

 

体が小さい自分には当時足の技がよく、気が付いたら同級では一番強く(?)なっていました。

 

武術をやってよかったことは

①礼儀を学んで、お互いを尊重する:

年齢も違う、不良もいたり、問題児とか色んな人がいたがテクォンドを学ぶことにより仲間意識を持ち厳しくトレーニングの中で礼儀を学んでいました。

 

②いじめられた子も、いじめた子も仲間になれる:

実は私がこの道場に通っていたことがあとから周りの友達や学校にも知られ、学びたい入会者が増えていました。

その中では自分をいじめた子達もいて、あとから組み手をしてからはいじめることがなくなりました。

単に自分より強いからではなく、武術を通じ仲間意識や人をいじめることがよくないことに気づいたからだと思います。

同じ道場に通うだけで「仲間」意識を持っていました。

 

③自身を持って落ち着ける:

体力全般が強くなり、全般的なことに自信を持つようになりました。

学んでいた初期には荒かった(?)時期も確かにありましたが、自分が直接人を殴ったり逆に殴られたりすることで相手のダメージがどれくらいかもわかるよになり、暴力をふることは出来なくなりました。

 

実はそこから館長にオリンピック選手団になるかとを強く誘われていましたが、親が大反対して微妙な雰囲気になり厳しい師父から甘やかし師父に交代があってその道場にはいかなくなりました。

 

そこから公認2段、非公認3段で大学の時にも少しやっていまして軍隊では訓練所では教官もやっていました。

今はトレーニングをさぼって(?)形くらいしか覚えていないですがテクォンドをやってから得られたことがたくさんありました。

 

近代テクォンドは空手からの動きが似ていたり、現在は幼稚園生に習わせる基礎教育みたいなものになっていて認識がよろしくないことも事実ですが『礼儀』を大事にし弱い人も身を守れる素晴らしい武術です。

 

時代が変化し厳しいトレーニングが出来なくなっているのがとても残念なことだと思います。

 

今Netflixで人気ドラマの「Kobra Kai」では空手を通じ、アメリアの町の中で起きるハプニングが描かれていますがかなり共感することが多いです。

 

 

武術を通じ仲間意識を持ったり、結局「善」に近いものを求めるようになること。

強さは他人を痛めてから生まれるものではないことや、善のためには力が必要であることも。

特に面白いのはドラマでは韓国人の空手師父が悪(?)で出ているが、アメリカ人から見られたアジアの武術の目線と考えるととても面白い気がします。

 

武術を通じた友情・仲間意識。

今は中々持てない懐かしい気持ちです。

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U CAn

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Live a life.

友達になることや仕事の時もそうだが、国により異性とのアクセス(?)の仕方もあるほど差があると思います。

そもそも人間関係に正解があるか?

と思うとそうでもなく、人によっても差があるし時と場合にも対応が変わっていくことで社会に生きていく中で一番難しいことには間違いありません。

 

あくまでも自分の意見にすぎませんが、日韓で短くない間仕事して来てみて経験して聞いたことが多い人の意見は説得力があるかと思います。

 

1>日韓の友達の差

日本:距離感が遠く、お互いに迷惑をかけないように気をつかう。

言いたいことも遠回しすることが多く、同性同士での愛情表現があまりない。

 

韓国:距離が近く、お互い迷惑をあるほどかけて問題ない。きついことも相手のためなら遠慮なく言う。

同性でも気に入りの場合積極的な愛情表現をする。

 

 

2>恋人、男女の関係での差

日本:「付き合う」から始まり、まずは関係性を決めてから次を考える人が多い。

連絡の頻度が少なくお互い束縛も少ない。

また付き合う=結婚対象になるのが多いのは考えにくいが同居するカップルは少なくない。

 

韓国:사귀자(付き合おう)という言葉から始まることもあるが、流れ的に関係性を決めていくことも多い。

連絡の頻度がかなり多く、付き合ってる時からお互いの人生に口出しが多い。

付き合う関係性を認めてからは結婚を意識するが同居することはかなり慎重。

クリスチャンの場合、宗教も大事に考えることも多い。

 

 

3>仕事での差

日本:上下の関係性を大事にする。仲間意識を大事にするが(日韓共通)、仲良くなったと思っても線をはっきり切る。

男女より立場で認識して仕事することが多い。

後輩におごったことのない(?)先輩も少なくない。

 

韓国:歳を大事にしていたが最近は立場を中心にする雰囲気もある。男子は義務の軍隊文化により上下・団体文化を大事にしていたが最近は男女の対立により男女差別を意識することで個人を大事にする雰囲気で変わっている。

まだ先輩が後輩におごる文化が有効。

 

日本での経験>

①韓国から来日したお客さんと日本の会社が契約を決めることで手伝いで参加していました。

皆んなで食事に行きましたが食事で仲良くなって仕事の話に進めたい韓国側と仕事の話から始めてあとから盛り上がりたい日本側の差があって中材に大変だったことがありました。

 

②昔ライブでお世話になって応援してもらったことがある方だが、なぜかある時から連絡を取れなくなりました。

薄々気づいてはいたが、当時一緒だった業者がこちらの悪口を言い関係を続けると損をさせると話をしたのを知りました。

最近再度連絡を入れましたが、既読無視されたため連絡先から消しました。

 

仕事をするとこちらが分からず嫌われたり呪われる(?)こともあります。

人間関係ってだからこそ難しいことだと思いますがいちいち気にし過ぎると前には進めません。

 

正解はないが、だめな人間関係にこだわらないこと。

また自分を大事に考えてくれてる人を同じく大事にしていくことは人間関係において間違わないことだと思います。

 

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U CAn

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  Live a life.

 

芸能人、もしくは文化関連の人の収入は少し特殊なことがあります。

特に音楽系になると音楽著作権というものが収入になります。

 

大きくは作詞・作曲への著作権料が大きいですが、これは

 

テレビ、ラジオ、ネット放送と再生などでのオンエアー

ダウンロード、CDの販売

ライブなどの実演での使用

 

から原作者への著作権料が大きかったですが、時代が変化しCDが売れなくなりまたテレビやラジオの視聴率が確実に下がりこの著作権料はかなり減ってしまいました。

 

そこから新しいフラットファームになったのが

 

 

YouTube

 

 

最初は面白いくらいの形でしたが、今はもうはやメインストリームになっています。

YouTubeには再生数による著作権料が発生することにより、今の時代からの新しい著作権料が生まれました。

 

ですがYouTubeが形になったのはそんなに長くはなく15年ほどくらいで、今までと韓国と日本ではYouTube上の音楽著作権に対してかなりの差がありました。

 

1>日本は著作権に厳しく、色んな形で徴収

これはけして悪いことではありません。

音楽家が苦労して作った音楽を楽しむことは当然お金がかかります。

カフェやデパートなどで音楽を流すこと、ライブで使われること、もちろんダウンロードからも。

ダウンロードだけ考えてもそもそも韓国と比べダウンロードの単価が圧倒的に高いです。

 

1曲あたりで

日本:250円

韓国:60円(約600ウォン)

 

昔の話ですが、CDの販売値段は

日本:3000円

韓国:1200円(12000ウォン)

 

2020年ごろからは円安で多少の差がありますが、そもそも「文化」を利益かすることやその価値をお金を払って楽しむ意識は日本はかなり高いです。

 

韓国では商業施設で流れる音楽への著作権料を徴収したのが長くなく、使うとPRになるからいいだろという考え方がありました。

最近韓国の記事でクリスマスキャロルが著作権問題で町中に流れるのが減ったということで

「音楽人の奴らは金ばかり求めてる最低の奴らだ」

と思う意見が多く、苦笑いしました。

 

そもそも音楽はただで楽しむもの?

では音楽家は単に趣味で音楽とかかわる、仕事ではない意味になります。

音楽が「商品」として販売される以上、ただで楽しめることはおかしいことに間違いありません。

 

もちろん、著作権に関しては色んな意見があります。

単に商品ではなく、芸術品ということであります。

全てをお金を払って使うことではないと思いますが現代は商品のカテゴリーになり他人が苦労して作った商品はお金を払って使うことは当然のことです。

一番のPRになる地上波でも使用料を払って使っています。

 

自分の音楽も日本ではJASRAC(日本音楽著作権協会)に管理されお世話になっています。

私はKOMCA(韓国音楽著作権協会)の会員ですが、両協会は提携契約を結んであり日本で徴収される著作権料が多いです。

 

現在は日本と韓国での著作権徴収の形の差はほぼないですが、ここまで来るまで大分時間がかかりました。

 

 

2>YouTubeへの対応には温度差

これは結果的にKPOPが世界的に広がるきっかけになりましたが、韓国ではYouTubeで音楽が使われることに関してゆるかった時期があります。

2010年代に、YouTubeでCDの音源をそのままアップする人やKPOPが流行り出し音楽で踊ってる映像が増えていました。

YouTubeでの新しいフラットファームでの法律や規則が決まってない状況で日本ではYouTubeに使われる音楽全般に関して厳しく法律を適応しました。

 

韓国では音源をそのままアップさせる行為に関しては指導をしていましたが、各事務所側からの意見は著作権協会と少し差がありました。

 

踊ってみた映像がPRに効果的なので放置してもよい

 

これに関しては色んな意見があったと思うが、確かに歌ってみたとか踊ってみたとかの映像で曲を知ったり興味をもつ人も多いと思います。

なので当時韓国ではYouTubeでの関連映像を厳しく適応しませんでした。

結果的にYouTubeを通じKPOPが世界的に広がる大きい影響を与えることになりました。

 

未だに著作権協会がない国もあり、音楽を楽しめないところもあります。

現在はYouTube側が音楽使用料を払うことになり、ユザーへの制限がかなり無くなりましたがいいものを見たいのに見れないのは悲しいことでもあります。

 

日本でのYouTubeへの対策は何も間違ってはいませんでした。

原作者を守ることが優先んされたことですが、YouTube側の対策で現在は色んなことが解決されています。

 

 

3>韓国では盗作へもゆるい?

結論からいうとそんな時期もありました。

特に90年代まではJPOPそっくりの曲も多く、盗作にゆるい時期もあり音楽・映像などコンテンツに関しても認識がよくなるまでかなりの時間がかかりました。

 

何年前まで、新大久保の店で「カンナムスタイル」でPSYさんの写真付きの看板があることを見てびっくりしたが現在は著作権協会からの色んな活動もありかなりよくなったと思います。

 

日本と比べればかなりゆるい時期がありましたが、そもそも韓国では経済成長中に無形の著作権を厳しく管理する認識があまりありませんでした。国の成長と一緒に色んな場面での著作権の認識が変わっています。

 

そもそもコンテンツはユザーが楽しむためのものだと思います。

それを作る原作者は金を設けるだけを考える人はほぼいないと思います。

色んな人に見て、聞いてもらってやりがいを感じることを優先敵に考えてるはずですが、皆ただで楽しむといいコンテンツはもう生まれません。

 

時間と努力、予算がかかった作品は対価があってから次のいい作品が生まれること。

 

著作権に関しては単に厳しくするだけではなく、「人を楽しめる、感情を豊かにさせ生を豊かにする」ことを考えることも大事だと思います。

ユザーが楽しめることと創作者が活動を続けられる環境を作ること。

 

両方のバランスをとっていくのが大事だが、簡単なことではありません。

 

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U CAn

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