Pray for the life.
2011年3月11日、日本では忘れられないことがありました。
関東大震災。
当時私は日本に住んでいなかったが、丁度The Whiteのライブツアーで東京に来ていました。
11日夜の便でソウルに帰る予定だったが、いきなり大きい揺れが始まり全ての交通手段が止まってしまいました。
何時間を歩いてホテルに着いたが、既に空港まで行ける方法がなくなっていました。
泊まっていたホテルは破損があり、安全のため宿泊の延長が出来なくなって新しいホテルを探していましたが、沢山の人が家に帰る手段がなくなって空いてるホテルは中々見つけられませんでした。
また何時間を探し回って、地震で施設が一部破損されてるがそれでも大丈夫ならという条件でようやく新しいいホテルに入れました。
当時日本側のコーディネーターは連絡が出来なくなっていて、少しでも日本語が出来る人は自分しかいなくてメンバーやスタッフの分までの責任があり本当に重い雰囲気が続いていました。
今だに当時ホテルの入口で電話に出ない親の安否で泣いていた人の声は覚えています。
当時は3月の春にもかかわらず、強風でかなり寒かったです。
ホテルでは次の朝まで眠れず、テレビでずっとニュースをみていました。
4時半ごろから大江戸線が動くとニュースをみてから、全員荷物を持って移動を始めました。
お土産など不要な荷物は全部捨ててホテルから一番近い大江戸線の駅まで徒歩で移動していました。
皆無言。
当時はまだスマートフォンの機能やアプリもあまり使えなかったのでとりあえず駅に着いて聞いてみるしかなかったですが、モノレールも動き始めようやく午後には羽田空港に着きました。
空港では見たことない光景が広がっていました。歩く隙間も少ないほど沢山の人が空港を埋めていました。
とりあえず航空券の再手配を求め、予約してから順番を待ってました。
実際に帰れたのは次の日の夕方の便でした。
無事ソウルに戻れましたが、初めて経験する災害にしばらくは不安定な状態が続きました。
その気持ちと、震災で苦しんでる方々に少しでも力になりたいと思い作った曲が「Hope」。
自分の思いは人の心を動かし、Ponycanyonさんから自ら制作したアルバム「Pray for the life」のメジャー発売が決まりました。
メジャーデビューにこだわっていたのはもっと沢山の方々に聞いてもらうためにはメジャーの拡散力が必要だったからです。
当時韓国は配信発売(デジタルシングル)という形が決まっていましたが、日本ではまだCDがメインだった時期でCDはインディーズだと全国発売が難しかったのでメジャーデビューにこだわっていました。
それからフジテレビ「モノマネ紅白」にも呼んで頂き、沢山方々に知ってもらうことが出来ました。
それで「Hope」を少しでも多くの方々に届けることが出来ました。
それから周りからは色んな心配事でとめる意見も多かったが、私は日本に在留しながら活動をすることを決め本日までたどり着きました。
13日の夜遅くから10年ぶりに東北、関東ではまた大きい地震がありました。
今回は福島、宮城では地震の被害は10年前より大きいと記事が出ていました。
東京もかなり揺れていて、10年前の揺れ方や当時の空気感と似ていると感じました。
10年間、ようやく復興されたものが一瞬で壊れることは本当に辛いことだと思います。
また10年前のように、地震の次の日には冷たい雨が降って現地の不安な方々を苦しめていました。
まだ福島の原発問題は10年前から解決されてないです。
10年をかけ復興していた町がまた一瞬で壊れ。
次々悲しむ方が増えていく。
特に今はコロナウィルスの影響で前のようにボランティア活動や避難なども難しい状況だと思います。
何より今回は津波がなく、10年前とは大分違う対応や速やかな判断で良かったと思いますが、これからもこれ以上被害がないように切実に願っています。
本当に生きて行くことは大変なことの連続だと思います。
混乱が次々現れ、私達の意思は折れそうにもなるが。
それでも負けずにお互いを助け合いながら前に向け進んでいたらきっと乗り越えられると信じています。
私は今自分が日本で来た目標を。
遅らせず叶えていくことが沢山の方々に一番の力になれると思います。
今出来ることをやって行きます。
希望は捨てない限り、近くにあると信じています。
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U CAn
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