Live a life.
今は日本では生活の一部になっている韓流。
もうはやこの言葉自体が使用しなくなるほど一般的になっています。
ですが2004年までは交流も少なく、日本でも韓国語の曲やコンテンツが紹介されることもほぼなく韓国でも日本語でコンテンツが地上波で流れることはほぼありませんでした。
でもその中でもよいコンテンツへの人々の欲求は止まらず、日本の映画、漫画、音楽は求めてる人が多かったと思います。
そもそもなぜ韓国で日本のコンテンツが自由に公開されなかったか?
1>長い日本の韓国への植民地支配により日本の文化自体に拒否反応を起こす方が多かった。
100年ほど前は韓国は日本の植民地で支配され、文化が抹殺されていました。なので辛い記憶を持ってる人が多く日本語で作られてるコンテンツ自体が苦手な人が多く、国からは日本語でのコンテンツは地上波で放送禁止の暗黙のルールがありました。
確認した結果公式的な法律はありませんでしたが、The Whiteで活動していた時に日本語版で発売した曲は韓国の地上波で審査が通ってもオンエアーできないことになっていました。
2>文化の差により韓国の文化が侵食されることを恐れた
2020年時代では韓国は経済・文化全般的に大国になっていますが半世紀までくらいは経済も文化も発展国であり、映画も音楽も高くないレベルでした。1980年代にはアメリカ、日本の文化を追いかけることにいっぱいいっぱいで今だけを知ってる世代からは想像もできない状況でした。
その時にレベルの高い日本の文化がオープンされたら韓国の文化が侵食され、「文化の植民地」になり第2回の植民地になることを恐れ国の対策で日本文化が制限されていました。
その恐れを壊したのはキム・デジュン大統領(김대중대통령)でした。
ノーベル平和賞を受賞されたキム大統領は民主主義のために軍事独裁に長年戦って来た政治家で、経済だけではなく文化にも大きい実績を残しました。
その一つが2004年「日韓文化開放」により、日本の映画、音楽、書籍などがほかの国もモノと同じく一般公開されることになりました。
長年の制限から外れ当時心配の意見も少なくなかったが、大胆な戦略により韓流を世界出来る第1の段階が作られました。
実際に時間が経っても恐れていたことは起きず、自然に日本の文化が韓国に紹介されていきました。
当時日本ではどんな状況だったでしょう?
日本では特に韓国のコンテンツが地上波への制限はなかったと思われますが、韓国のコンテンツ自体が求めまれることは少なったと思います。
それから「冬のソナタ」が日韓文化開放とタイミングで注目されることにより興味を持つ人が爆上し「韓流」という言葉も生まれたと思われます。
今から思うと確かに、韓国でThe Whiteで活動していた2009年ごろにも日本語で歌うと観客席が微妙な雰囲気があったり逆に日本で2013年ごろに韓国語で興業の場で歌ったりすると微妙な雰囲気もあったりしたことを覚えています。
ですが2020年代になった今は、そんなことはほぼ感じなくなりました。
韓国からの日本への観光客はコロナ過の中でも2022年11月は1位になったり、日本では主な検索テーマで韓国がずっと入ってる時代になりました。
キム・デジュン大統領は当時、韓国の文化・芸能はこれからもっと発展し又日本の文化も受け入れる余裕をもっていたと判断し今の時代の扉を開きまた日本では小泉総理の文化愛により韓流も始まる流れになったと思います。
文化は力で止めることもできず、空気のように流れるものかもしれません。
20年間色んな変化を重ね今もまた未来に向け文化は進行しています。
その隙間で生きてきた自分は時代の変化を肌で感じています。
————————————————
U CAn
エッセイ→Movie Essayがスタート!




























