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いつも心に音楽を

クラシックの名曲等やピアノ演奏、音楽理論などを中心に展開。
また、尊敬する若きピアニスト牛田智大さんを応援します。

 

 イタリアに影響された、触発されたクラシックの名曲・・・

 

 イタリア音楽そのものではなく、他国、他地域の作曲家がイタリアを訪れたり、憧れたりして生まれたとされる作品をいろいろ探し見ていきたいと思います。

 

 なおこの記事は ブロ智さんがイタリア語の勉強を始められた事から 不思議なヒントを得ました♪

 

 

 牛田智大さんが、2月からのリサイタルシリーズで、現在、更に今後しばらく組まれるプログラムでも、バッハ イタリア協奏曲 に始まり ショパン 舟歌 に終る(両曲イタリアゆかりの曲)プログラムになっています🎵

 

          

 

 

 イタリア(当時はまだ統一国家ではなく)は、15世紀ごろからルネサンス芸術文化の中心地で、音楽もまた、ルネサンスからバロック期にかけて、先進的に発展していました。

 

 バロック音楽、J.S.バッハ以前の優れた音楽家であった パレストリーナ 、モンテヴェルディ らが活躍していました。

 

 

 バッハは、当時はまだ音楽的には後進地域・・田舎?、ドイツ(当時統一国家ではない)に生まれ、殆んど他国へ行く事なく活躍していました。それ故音楽先進地イタリアは憧れの的だったようです♪

  

 イタリア協奏曲は、そんな秘めた憧れが、晴れやかで明快なサウンドに表れてるようです。

 

 

       

             バッハ  イタリア協奏曲 チェンバロ原典版

 

 

 ヘンデルは、何度もイタリアを訪れ、自らイタリア語も話し、多くのイタリア語オペラの創作に力を入れています。

 

 

 モーツァルトは少年期に イタリア:システィナ礼拝堂で門外不出の合唱曲を、全て聞き取って楽譜にしびっくり神童ぶりを発揮したのを皮切りに3度、イタリアを訪れ、この地で優れた作曲技法も学び、やはり生涯で重要な国の一つとなりました。

最初の訪問の際の印象は、初のオペラ「ポントの王ミトリダーテ」に結実されているようです。

 

   

         

 

 

 ベートヴェンはイタリア訪問やイタリアとの関わりは、特に伝えられていないそうです。

意外といえば意外、また彼らしいとも言えますが・・・。

 

 

 シューベルトは 当時イタリアのみならずヨーロッパで大人気だったロッシーニ の音楽の影響を受け、イタリア風序曲 第1番と第2番を作曲したと伝えられています。

 

 

 ベルリオーズは、イタリアのパガニーニに作曲依頼されたことがきっかけで、ビオラ協奏曲の形式を持つ イタリアのハロルド Op.16 を書いています。

 

         

             ベルリオーズ  「イタリアのハロルド」から

 

 

 メンデルスゾーンはイタリアを訪れた際、大変な感銘を受け、交響曲第4番イ長調「イタリア」を書いています。

その全体に輝かしく明るい曲調に、更にフィナーレには、当地の民族舞踊のリズムが一貫して使われています。     

 

      

               メンデルスゾーン  交響曲第4番 「イタリア」

       

 

 ショパンもまた、牛田さんが言うようにイタリアを愛した作曲家の一人。

病弱なショパンにとって、イタリアの明るい気候や風土は、新鮮なインスピレーションを与えたことでしょう。

 

 傑作「舟歌」はまさにその代表作。

 

また、ベネチアを舞台にした作品では、メンデルスゾーン 無言歌集の 3曲のベニスゴンドラの唄も印象的な作品です。

 

 

         

 

 

 リストは、ピアノ曲 巡礼の年 第2年「イタリア」S161に、その印象を強く書き込んでいるようです

終曲、ダンデを読んで ソナタ風幻想曲 牛田さんも13歳位でリサイタルで披露してますね。

 

更に 巡礼の年 第3年 中の「エステ荘の噴水」には、印象派風の先取りのような雰囲気があります。

 

また、イタリア語で「鐘」の意味のラ・カンパネラ パガニーニのヴァイオリンに大きな感銘を受けて書かれた代表作。

 

            

             リスト  巡礼の年から 「エステ荘の噴水」

 

 

 サン=サーンスは18歳で訪れたイタリア旅行の感銘が、生涯多くの旅行、演奏旅行をするきっかけになったそうです。

   交響曲 ヘ長調 「ローマ」、ピアノ曲 イタリアの思い出 ト長調(どちらも演奏機会は稀ですが)などにも表れているようです。

 

 

 ブラームスは生涯で8回訪れたそうです。

初めてのイタリア旅行中、強いインスピレーションを得て作曲された 

名作 ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調

は、ブラームス特有の深い思索的な作風の中にも、爽やかで明快なサウンドにあふれています。

 

          &

              ブラームス  ピアノ協奏曲第2番  第1楽章

 

 

 ワーグナーは、全盛を誇っていたイタリアオペラに対し、

楽劇という形にまでオペラを変えていった芸術家ですが、

自身も何度かイタリアを訪れ、ベネチアで客死したそうです。その旅の際、最後の作品 楽劇「パルシファル」を書き上げたとされています。

 

    

 チャイコフスキーはイタリアを何か度訪れましたが、当地をたいへんに愛した作曲家の一人。

(ロシアの作曲家は地理的に遠いイタリアには、往々にして縁が無いとも言われますが)

 

そこでの強い印象を描いた イタリア奇想曲 Op.45 は代表作の一つ。

幾つものイタリア民謡風メロディが朗々と奏でられたり、また民族舞踊タランテラも交錯して登場します。

 

       

             チャイコフスキー   イタリア奇想曲

 

 

        

              

 

 ドビュッシー は若い頃、イタリアに在学してますが、あまり水に合わなかったと言われています。

 

有名なピアノ組曲 ベルガマスク組曲(第3曲はとくに有名な「月の光」)は、

イタリアのベルガモ地方の印象を綴っていると言われています。     

 

         <

           ドビュッシー  ベルガマスク組曲から「前奏曲」

 

 

 シベリウスは、イタリア滞在中に

 有名な 交響曲第2番 ニ長調 を作曲します。

 

 シベリウスの作品にしては全体に明快で解りやすいサウンド、イタリアの明るくおおらかな雰囲気が明らかに影響を与えているようです。

 一般にフィンランドとイタリアでは、同じヨーロッパでも、まるで別世界のような気候や風土のお国柄ですから、さぞかし印象的だったと思われます。

 

        

             シベリウス   交響曲第2番 第4楽章

 

 

 ストラヴィンスキー イタリア組曲

 

ヴァイオリン&ピアノの曲。イタリアの古典的な仮面劇をテーマにしているそうです。

バロック調でありながらリズムやハーモニーは近代的という、

この頃のストラヴィンスキー独自の簡潔した新古典主義のスタイルで書かれているようです。

 

                                    ストラヴィンスキー  イタリア組曲 から

 

 

 

 輝く太陽、温暖な気候 陽気な民族性、たくさんの歴史的遺産

 

 音楽的には陽気な歌やオペラが発達していたイタリア。

 

特に北方ヨーロッパの作曲家たちにとって、活気ある晴れ晴れとしたインスピレーションを得つつ作品に反映させていったようです♪♪

 

 

       

 

 

  個人的な事情で10月から忙しくなり、更新ペースは更にゆっくりになると思われます。

 

 また、音楽ネタの慢性的枯渇により、手抜き気味の記事も出てくるかとは思いますが、何とぞご理解くださいm(__)m