「何事もやってみないとわからない」と言いますが、これは嘘だよなと思います。

 

この実証は簡単で、いろいろと実際にやってみればいい。

 

やってみた結果、事前の予想とどれくらい違ったか、逆にどれくらい同じだったか、それを確認するだけで実証はできる。

 

私個人の経験で言うと、「やっぱり思った通りだった!」となることのほうが、「思っていたのと違った!」となることよりもやや多いかも? という気がします。

 

まあ、あくまで「気がする」だけなので、それこそ気のせいかもしれない。

 

けれど少なくとも、やってみないとわからない、が常に適用されるということはあり得ない。

 

ゲームやら本やら他のなにかやらでも、事前に「多分これはこういう感じのものなんだろうな」と自然な想像はするもので、それは実際にやってみると、想像の通りだったということもあれば、一部は想像と違っていたということもあるし、かなりの部分が想像と違っていたということもある。

 

つまり現実は、「やってみなくてもわかることはあるし、やってみないとわからないこともある」わけです。

 

とはいえ、それがどっちなのかはやってみないとわからないのかもしれないから、そういう意味ではやってみないとわからないというのは確かにその通りとも言える。

 

と思うわけだけど、実際にやる前にそこらを判断する方法ってあるの? と心に聞いてみます。

 

「ないわけじゃないが、現実的には難しい。あと、一番大事なのはそこじゃない」

 

なら一番大事なのは?

 

「やりたいかどうか、や」

 

そう、食わず嫌いはいけない! なんて言いますが、いや別にいいんじゃない? と私は思うんです。

 

極端な例を出せば、殺人は悪だと言われるけど、やってみないとわからないじゃない! 食わず嫌いはいけないよ! と言われて、じゃあ試しに人を殺してみるか、とは少なくとも私はなりません。

 

やだよ、と拒絶して終わりです。

 

この「嫌だから拒絶する」というのが実はものすごく大事だったりする。

 

やりたくないならちゃんとした理由を言いなさい! なんて言ってくる人も世の中には大勢いるかと思いますが、なんであんたに理由を言わなきゃいけないの? という話です。

 

自分が嫌だからやらない。その理由を他人に教えないといけない義理も道理もない。

 

真にワガママになるとは、自分を大事にするということ。

 

自分の行動理由を常に他人に伝えねばならない、理解してもらわないと行動してはいけない、なんていうのは自分の人生を自分のために生きているとは言えないわけです。

 

他人の理解も誤解もどうでもいい。それが自分にとって必要なら求めればいい、それだけのこと。

 

だから、やってもいないことについて好き放題言ってもいいし、食わず嫌いをやってもいいし、自分の行動を他人に理解や納得させられなくても全然構わない。

 

基準はあくまで自分に置き、全てのことは自分の感覚で判断する、それが基本にして奥義になるんです。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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