今日も特に書きたいことが思い浮かばないなー、となっています。

 

こういうときはダラダラモードだ、ということで、指先に任せる感じでダラダラと書きます。

 

正確には指先に任せるというか、意識のジャッジを緩める感じ。

 

結局のところ、頭の中では「こういうことをしたらダメだ」「あれもダメだ」といったジャッジが働きまくっていて、その結果「書くことのアイデアが出ない!」となっている。

 

別になにを書いてもいいじゃんという視点から言えば、それこそ昨日みたいに、にゃーんにゃーんと連呼する謎のブログになったって構わない、となるわけです。

 

でも、2日連続でそんなノリをやったらさすがに読者に失望されるだろ! なんていうジャッジが働いている。

(1日なら大丈夫だと思ってるんかい! というツッコミも浮かびますが、それはそれ)

 

意識というやつは、どうもいろいろとジャッジしたがる性質を持っているらしい。

 

なんで? と心に聞けば、「野生動物が、この食べ物は食べても大丈夫か? こっちの道を進んでも命の危険はないか? と判断するための生存のための機能」と言います。

 

そして、「それは支配と同一やな」とも心は言う。

 

つまり、なにが正しくてなにが間違っているか、というのは死や破滅への恐怖の裏返しの心理であるということらしい。

 

支配者というのはその原初の恐怖と常にともにあり、だからこそ自分を常に「正しい」側に置きたがるがゆえに、他人を「間違ってる!」と裁くことで、だから自分は正しくて大丈夫、という位置づけにしたがるのだそうです。

 

まあそういう心理ってあるよね、とは思う。

 

私も結局、無意識の方向性のほうがいろいろと面白いと思っているからそっちへ行ってるわけですが、それも結局は「そっちのほうが正しいから!」と思っているとも言えます。

 

言えるんですが、言ったそばから「そういう要素もあるけどそれだけじゃなくね?」という思いもわいてくる。

 

なんというか、世間一般が認める「正しさ」と、自分にとっての「正しさ」はまた別だったりすることもあるよねという、これまた当たり前と言えば当たり前な、しかし重要なことを思ったりもするんです。

 

過去の私は、自分にとっての「正しさ」を蔑ろにしてきて、つまりは自分が本当は望んでないことであっても「こっちのほうに行かないとダメなんだ!」と思って頑張って、結果潰れてしまった、と思っています。

 

だからこそ今は、自分の感覚というのを重視している。

 

その感覚というやつが世間一般の常識に照らし合わせて正しいかどうかとか、本当に自分の人生を幸せにしてくれるのかどうか、それはわからない。

 

でも、少なくとも自分の感覚を蔑ろにする人生はろくなものにはならない、ということは経験している。

 

だからまあ、にゃーんと連呼したくなったら連呼もするし、その次の日にはまた全然違うことも書くし、と心の赴くままにいろいろとやっていこうかなと思うんです。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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