なんか最近疲れてるかも? と感じています。

 

単純な対処法としては「寝る!」というのがあるんですが、いやそこではなく、そもそもなぜ疲れてるのかを探ってみよう! ということで、心に聞いてあれこれ探ってみました。

 

そうすると出てきたのが、「常識に付き合ってるからだ」というもの。

 

 

ところで、自分の好み、自分とは本質的にこういう人間であるということを知るための方法として、実在の人物でもフィクションでもいいので、好きな人やキャラを挙げてみる! というのがあります。

 

心が言うには「この方法は相当強力」だそうです。

 

それでやってみると私の場合、ウマ娘というゲームに登場するミスターシービーがおそらく一番好きで、このゲームだと他にキングヘイロー、メジロパーマーの合わせて3人が好きなキャラトップ3かな? となる。

 

ウマ娘以外で言うと、ライトノベルのダンまちの主人公であるベル・クラネルが好きだよな、なんてのもあります。

 

ではこの4人の共通項は? と考えると、「世間では非常識とされる行動、後ろ指を差されバッシングされるようなことを、それでもそこに自分の本心があるのなら葛藤しながらもその道を貫く」というところかな、となるんです。

(各キャラ個別の物語については、興味のある人は各自調べてください)

 

まあここらへんについては、「今の」私が求めている人物像であって、そこから先に行くとまた変わってくるのかも? と思う。

 

というのは、上述の共通項の中でもポイントとなるのは、「葛藤」するところだと思うからです。

 

なにを言われようが自分の道を貫くというキャラであれば、フィクションの世界には別に珍しくもない。

 

けれどそこに葛藤が伴わない、つまり誰になにを言われようが全然気にしてない! というキャラには、私はあまり惹かれない。

 

うちのブログでおなじみの幼子先生は、ある種の理想像だよなとは思うし、自分もそうありたいという気持ちはあるものの、単純な「好き」という感情は実はそんなになかったりします。

 

それは、幼子先生はそういう葛藤とかをすでに乗り越えた存在だから。

 

言い換えれば、私もいずれはそういう葛藤を乗り越えた人間になりたい! とは思うものの、今はそうはできておらず、だからこそ葛藤を抱えながらそれでも自分であり続けようとするキャラのほうに惹かれている。

 

あれ? だとすると、そもそも好きなキャラ=自分の本質って本当なの? と疑問がわいたんで心に聞いてみると、「今の自分にとっての、やな。そこをクリアすればまた変わる」だそうです。

 

 

さて、ここで最初の「常識に付き合ってるから疲れてるのかも?」という仮説に戻ります。

 

とはいっても、自分はどういう常識に付き合ってるんだろう? いやそりゃいろいろ付き合ってるだろうけど、別に常識が全て悪いというわけではなし、要は自分の本心と異なる常識に従っちゃってることが問題なはず。

 

さて、じゃあ個別にいろいろチェックするのがいいのかな? と思って心に聞いてみると、「ポイントは一つ。『常識から離れることへの恐怖』という、俺の根幹にある支配や」だそうです。

 

なるほど。確かにそこさえなんとかできれば、日常の行動一つ一つをいちいちチェックするなんていう面倒なことは必要なくなる。

 

ではその恐怖から脱するにはどうすれば? とさらに心に聞くと、「斬れ」とおなじみの答えが返ってくる。

 

でもまあ、そうなるだろうなとも思う。

 

そう、そもそもなぜ「斬れ」なのか? というと、そこには必ず闘争があるから。

 

人間は自分の常識とは異なる存在に対して発作を起こす、そういうふうにできている。

(多分人間に限らず、感情のある生物ならみんなそうかもしれない)

 

そして素の自分の形が世間の常識と大きくズレてない人間ならば、ありのままの自分でいても、そこまで世間とぶつかることはないから、戦う必要はそもそもない。

 

けれど「自分の本心第一で生きる!」となったとき、その在り方が一般的には非常識と言われるものになってしまうと、周りが敵だらけ! となってしまう。

 

みんな違ってみんないい、なんて言葉もあるけれど、まあそれを実践できてる人間はおそらくほぼいない、というかそもそもガチで違う存在に対しては発作を起こすのが自然と見れば、むしろそういう「多様性の尊重」なんていうのは、深いレベルではできるわけがないとも言える。

 

そう、今の時代は多様性を尊重するのが当たり前でしょ! みたいな「常識」があるけれど、これは人間には実践不可能、というか結局は認められるものしか認められないよねという意味で、「嘘」になる。

 

だから、素の自分、つまり自分にとって心地よい自分でいようとしたとき、その在り方が多くの他者から受け入れられずに発作を起こさせるのであれば、それに対しては戦うしかない。

 

そう、「斬る」のは人ではなく、人が起こす発作になる。

 

……とここまで書いてきて、なんとなくはわかったような、でももっと具体的なことが知りたいようなという気持ちはあるものの、まあ今日はこれでいいかという気もするので終わり!

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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