昨日に引き続き、今日も「自分が触れたくない恥ずかしいこと」を書いていき、苦痛から解放されたいと思います。

 

そしたら心が、「自分のどこがダメなのか支配者に聞こう!」と言ってきました。

 

なんでも、「心よ!」と頭につけて質問すれば心につながれるのと同様に、「支配者よ!」と頭につけて質問すれば支配者とつながれるそうな。

 

えー、それって危険じゃないの? と心に聞くと、「用法・用量を守れば大丈夫!」とのこと。

 

用法用量ってなんだよ! とツッコミながら、まあとりあえずやってみるか、とやってみることにしました。

 

支配者よ! 私のダメなところを教えて!

 

「根本的にダメ。生きる価値がない」だそうです。

 

あまりにも根本すぎてわからないので、もっと具体的に教えて! と頼んでみます。

 

「全然稼げてない!」というのが答えでした。

 

 

そう、確かに私は、お金を全然稼げていません。

 

大学卒業時、就職活動は半端に終えて、「小説家になる!」という夢を目指そうと思い、小説を書きつつ、在宅でできる仕事を細々とやってきました。

 

でもその根本にあったのは、「社会に出て人と関わるのが怖い!」という思いだったような気がします。

 

結局、小説家にはいつまで経ってもなれず、やがては自分の才能を信じられなくなり、小説を書くこと自体が苦痛になってきました。

 

そして、在宅の仕事では大したお金も稼げません。

 

そうこうするうちに精神疾患を発症して、そのささやかな仕事もできなくなりました。

 

今は障害年金をもらっていますが、月額換算だと7万程度。

 

実家暮らしで、もうかなりの歳になる母に養われているおかげで、生きることができているに過ぎません。

 

 

ということで、支配者に、私の他にダメなところを教えて! と聞いたら、シーン! と無反応。

 

なんで教えてくれないの? と聞いたら、「なにもかもダメすぎて挙げられない!」と返ってきました。

 

そんなこと言わないで教えてよ! と聞いても「シーン!」。

 

じゃあ、「稼げてない」の次にダメなところは? と聞いたら、「甘えている!」と言われました。

 

 

そう、私は甘えて生きています。

 

今も、確かに病気はあるものの、短時間のバイトぐらいならやれるかもしれません。

 

なのに、働きたくない! と甘えたことを言って、ずっと実家でゲームばかりやっています。

 

例え短時間のバイトでも、少しでも生活費の足しにできれば母を楽にできるかもしれないのに、それすらせずに甘えている。

 

 

……と書いていると、なんだかお腹の辺りにゾワリと、黒くて重いなにかを感じました。

 

ここにはどうも、私にとってさらに触れたくないなにかがあるような気がします。

 

 

支配者よ! この黒いなにかについて具体的に教えて! と聞いたら、「言いたくない!」と返ってきました。

 

そんなこと言わないで教えてよ! と聞いても、「シーン!」。

 

 

もしかして、と思って、聞く対象を心に切り替えます。

 

「心よ! これって、支配者が私に投影している根本的な罪悪感になるから、見たくない! ってことで返事がないの?」

 

その通り、というのが心の返事でした。

 

 

じゃあ、この根本的な罪悪感を知ることはできないのか、と心に聞いたら、できる! とのこと。

 

「支配者の支配者よ! と頭につけて聞いてごらん」

 

なんかさらにややこしくなってきましたが、言われた通りにやってみました。

 

支配者の支配者よ! この根本的な罪悪感ってなに?

 

「母を犯したい、という薄汚れた下劣な衝動」

 

 

ここで、私の支配者である父のことを思い出しました。

 

父の母は、ともかく仕事もふくめ、自分ではなにもしない人だったそうです。

 

そして父は子どもの頃から、母の使い走りで、近所に行っては「借りたお金を返せないんです」と謝らされていたとか。

 

ひょっとしたら父は、そんな自分の母親に愛されたい、尽くしたいという思いがずっとあったのかもしれません。

 

 

あれ? でもそうだとすると、支配者である父型の祖母が父に罪悪感を入れて、支配者である父はその罪悪感を私に入れてたってこと?

 

心は「そうだよ。それだけじゃないけどね!」と教えてくれました。

 

そんな会った記憶もないババアの罪悪感なんか知らねえよ! と思わず叫びます。

 

なんかもう面倒になって、「心よ! どうすりゃいいの!」と、投げやり気味に聞いてみました。

 

すると、「『無意識の癒やしの催眠』と繰り返し唱えとき」と言われました。

 

 

これを唱えようとすると、自然と、身体が前後に揺れて、吸う息のときはただ吸うだけ、吐く息のときに呪文を唱える、というふうになります。

 

そう、大嶋先生の本にあった「呼吸合わせ」のやり方に、自然となっているんです。

 

呪文の力なのか、それとも呼吸合わせの力なのか、唱えていると、だんだんボーッとしてきて、なんかどうでもいいかー、という気になってきます。