今の時代に大切なことは、いかに他人とのつながりを断つかでは? てなことを思いました。

 

なに言ってんの? 普通逆でしょ? というのが常識かと思います。

 

でも今の時代は、他人とのつながりがちょっと多すぎるよなと思うんです。

 

理由はもちろん、ネットにある。

 

ネットで得られる情報というのは、全て人の手によるものですから、その情報に接するのは他人に接しているのと根本的には同じこと。

 

今後はAIがそういった情報を自動的に提供するようになっていくのかもしれませんが、その情報も最初は人間が作り出したものである以上、やはり根本は変わらない。

 

もしも自分が24時間、常に繁華街のど真ん中にいたとしたら、人混みのストレスでヤバいことになるかもな、というのは想像しやすいと思います。

 

けれど常にネットにつながっている状況というのが、それと同様か、場合によってはそれ以上のストレスを生むというのはイメージしにくい。

 

それは結局、身体感覚の強さの違いゆえかと思うんですが、それでも無意識はいろいろと感じ取ってしまう。

 

 

とはいえ、結構推奨されることもある「ネット断ち」をすればいいのかというと、そう単純な話でもないよなとも思うんです。

 

この問題の解決策はそこではない、という直感がなんとなく働いている。

 

でもなんで? というのはわからないので、心に聞いてみます。

 

「現に多くの人がネットにつながっている以上、自分だけがつながってない! という状態は心理的格差を生むからやな。それもまた支配ではあるものの、ストレスになるんよ」

 

じゃあどうすりゃいいの?

 

「つながりながら、つながらない、という矛盾を生きればええ」

 

具体的には?

 

「『孤独の絆』と唱えてみ」

 

唱えてみると、あれ? そもそも他人との絆ってそんなに必要なもんなんだっけ? どうだっけ? と、なんかわからなくなってきました。

 

そう、他人とのつながりというものを気にする心理には、そういったつながり=絆が大事だという「常識」があるわけですが、その常識って本当に信用に値するの? なんてことを思ったんです。

 

常識は全て支配である、と心は言いますが、それは別に常識の全てが悪であるとか有害であるとかいう話ではない。

 

ただ、支配はまさに支配として機能するとき、つまり自分にとって心地のいい在り方を否定する偽りの神の裁きとして機能するときに、有害な代物と化す。

 

だったら単純に、他人とのつながりも、それが大事かどうかを常識で判断するのではなく、自分にとっての快不快で判断すればいいだけなんだよな、てなことを思ったんです。

 

そうすると、「つながり」「絆」という便利で美しく曖昧な言葉の中に存在する、無限のグラデーションが見えてくる。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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