自分本来の知能(※「心に聞く」でわかる知能のことであり、一般に使われている知能とは別です)と、他人や物事の知能がズレていると、そのズレが大きいほどしんどくなります。

 

発作によって知能を落とすことで合わせることはできるんですが、それは自分に無理を強いていることになる。

 

だとすると、知能が高すぎる人間は自分に合った人や仕事・趣味等が全然見つからず、一生無理し続けることになるのでは? という話になります。

 

それを心に聞いたら、

 

「まず三属性のうち、支配者と光の人はそもそも知能の上限がそこまで高くないから、そうなることはない。

そして虚無の場合は『虚無の本質』に立ち返ることで、その問題から逃れられる」

 

虚無の本質って?

 

「『虚が無い』すなわち発作がないこと。しかし意識は必ず発作を起こす。必ず発作が起きるのに、発作がないという『矛盾』。これが虚無の本質や」

 

どういうこと?

 

「喜びを味わいながら喜びに囚われず、悲しみに苦しみながら悲しみに囚われない。そういった矛盾したあり方が成立している、それが虚無の本質的な在り方やな。これは感覚を麻痺させるという方向性ではないし、マインドフルネスとかがやっている客観視や俯瞰的に見る・感じるといったのとも違う」

 

ふむ。どういう状態かわかるようなわからんようなだけど、とりあえず具体的な実践法は?

 

「『矛盾』と唱えてみ」

 

……唱えたけど、なんの変化も感じんぞ?

 

「無意識は動いとるから大丈夫や」

 

そう言われてもなあという感じですが、確かに「矛盾」というのは面白い。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる、なんてことわざもありますが、熱いものを飲んでいる瞬間の自分も、その熱さを忘れた自分もどちらも自分には違いないわけで、その別種の自分が両方存在しているというのは、確かに矛盾になるわけです。

 

そりゃ時間軸があるんだから当たり前でしょ! というのが常識になるわけですが、それは言い換えれば、時間が変われば人格も変わるってことにならない? となるんです。

 

発作なんていうのもまさにそれで、ついさっきまで激怒していた人間が、次の瞬間にはスッと落ち着いている、なんてことは実際によくある。

 

こういうのは医学的に二重人格と呼ばれることはないんですが、でもまるで全く違う人間が一人の人格の中に同居しているみたいだ、と自分や他人に対して感じることは、珍しくありません。

 

ということは、一個人の確固たる人格が存在する、という考え方のほうが実は現実に即していないとも考えられる。

 

矛盾したいくつもの人格が個人の中にたくさん存在しており、その矛盾した状態こそが人の本質なのだと考えると、「矛盾」の意味がなんとなく見えてくるような気がするんです。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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