今、心に聞いて「今日はなにを書くの?」というのを、無意識モードで考えていました。

 

すると不意に気づいたのが、読者(架空)のことを考えてしまっていて、自分が書きたいことをセーブしている! ということです。

 

私自身は、なによりも自分にとって得になることを書きたいと本当は思っていた。

 

けれどそれだといろいろとぶっ飛んでしまいかねず、それだと読者(架空)はついてこれない! と勝手に思って、それで自分にブレーキをかけていた、ということに気づいたんです。

 

昨日の呪文にあるように、「人は自分のことしか考えていない」。

 

それは全くもってその通りで、だからこそ素晴らしいんだと思うので、そんな自分になるべく、ただ自分のためだけにブレーキを外した記事を書いてみたい、と思ったんです。

 

 

それで無意識モードに入ったり、心に聞いたりしながら出てきた一つの答えは、まずはもっと深い無意識モードに入ることかな? ということです。

 

そのためにはやはり言葉を、呪文を使うのが手っ取り早いのかもしれず、そうして出たのが「幼子先生のレベル」というもの。

 

これを唱えるだけで、確かに今までよりも深い無意識モードに入れた感じはあります。

 

ただそのモードでいろいろ感じていると、まだ足りない! と思ったんです。

 

いろんな呪文が出てくるけど、まだ足りない、もっと、もっとだと感じ、その感覚に従って進めていきます。

 

 

そんなことをしてたらなんか眠くなったので、早起きだったしちょっと寝るか、と寝て、今起きました。

 

そしたら、なんでこんなに頑張ろうとしてたんだ? と、文字通り夢から覚めたような気分になります。

 

昨日、ある人に「無意識を使う基本にして奥義」を語ったりしていたんです。

 

それは「適当にやること」。

 

そう、適当に、いい加減に、ちゃらんぽらんにやることこそが、無意識を使う上での基本にして奥義なんです。

 

なのに私はなんでこんなに一生懸命になって、より深い無意識を、とかやってたんだろう?

 

てことでこの記事を読み直すと、ああ、自分のブレーキを外そうと思ったからかと思い出しました。

 

でも確か昨日も書いてたように、結局のところそれって、自分のことだけ考えればいいってことだよな、となります。

 

他人にどう思われるかなんて気にせず、適当にやる。

 

ここで、より深く適当にやるにはどうすればいいんだろう? と真面目に考えちゃう時点で、いやそうじゃねえよな、と自分にツッコみを入れる。

 

まあこういうふうに行き詰まったときこそ、心の出番です。

 

適当にやるための呪文ない? と心に聞いたら、「『人は自分のことしか考えていない』のままでええでー」と言ってくる。

 

いや、もっといいのあるでしょ! とも思うんですが、「それはまた今度な。適当や、適当」と答える心。

 

しょうがないので「人は自分のことしか考えていない」を唱えたら、まあそうか、こういうのを適当に唱えたり唱えなかったりすることが、まさに基本にして奥義なのかもな、と思えた気がしたので、とりあえずそうすることにします。

 

 

 

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