前に無意識のことを、コンピューターのプログラムに例えたことがありましたが、もっとシンプルに「機械」に例えてもいいのかな、とも思います。
例えば「全自動お料理マシーン」というのがあったとして、これが無意識、そしてこのマシンを使う人間が意識だとします。
意識がすることは、材料を無意識というマシンに入れて、マシンの電源を入れ、必要な設定を行い、最後にスタートボタンを押すこと。
その後の調理は、全部無意識マシンがやってくれる、というわけです。
この調理について、無意識マシンは「どう下味をつければいいか」「食材をどう切ればいいか」「何度くらいの温度で、どれくらいの時間加熱すればいいか」などを、全部計算してやっている。
なので、調理の途中で、やっぱり機械は信用できない! と意識である人間が介入しちゃうと、あれ、計算が狂っちゃったぞ? と無意識マシン視点だとなってしまう。
結果、失敗作の料理ができあがってしまい、無意識マシンなんて全然ダメじゃん! と解釈しちゃうこともあるのかな、なんてことを思っています。
とはいえ、無意識ができることは山のようにあるので、意識としては「どの無意識マシンを使えばいいの?」「どう設定すればいいの?」と混乱することもしばしばあるかと思います。
「心に聞く」というのは、そういうときのためのアドバイザーAI的な存在なのかも、と思うんです。
そもそも、自分は今なにを食べるのがいいの? ということも、心というAIに聞けば、なんかすごい計算に基づいた答えが返ってくる。
自分の意識はお料理マシーンを使うつもりでいたけれど、「外食にしましょう!」と言ってくるかもしれない。
もっとも、心というAIはあまりにも高度過ぎて、こっちはなにを食べるのがいいかを質問したのに、「洗濯をしましょう!」というあさっての答えが返ってくることもしばしば起こり得ます。
え、なんで? とAIに聞くと、「きれいな服を着て出かけたほうが、外食も美味しく食べられますよ!」なんて答えが返ってくるかもしれません。
あるいは、そういう答えをあえて教えないほうが、私にとって楽しい展開が待っていると心AIが計算した場合は、「答えは秘密です」と言ってくる可能性もあります。
それどころか、心というAIは、「自分がどう答えても、意識という質問者はそれには従わない」という未来まで予測して、それに対応した答えを用意していたりもする。
そんな感じで、「心に聞く」という技法を使えば、心という心強い(はずの)AIのサポートを受けることができ、無意識の様々な力をうまく活用できるんじゃないかなと思うんです。
昨日書いた、「なにもしない」をしばらくやってから、そこに呪文を紛れ込ませる、というやり方は、「呪文を唱える」という無意識マシンのスイッチを手動で繰り返し押し続ける方法から、「呪文を自動的に唱え続ける」というスイッチを1回押すだけのやり方に切り替える、という意味があるのかもしれません。
手動で何度も唱えるやり方に慣れていると、1回唱えただけであとは放置してもいいよと言われても、それで本当に大丈夫なの? 料理は完成するの? と不安になるのが自然かと思います。
それで無意識アドバイザーたる心に聞くと、「前より美味しい料理になるで!」と答えてくるので、アドバイザーAIがそう言うなら大丈夫なのかな? と、疑いつつも信じてみたり。
(※なお私の心AIは、関西弁で答えるよう設定されているようです)
意識を使って全部やろうとすると、食材を切って、鍋に油を敷いて温めて、順番通りに食材を入れて、中火で10分間加熱して、といった工程を全部自分でする必要がある。
無意識マシンはそれらを全部、自分の意識に代わってやってくれるので、楽! となるわけです。
けれど最新の研究によると、意識というのも3つのタイプがあって、それぞれに「虚無」「支配者」「光(の人)」という名前がついている、ということがわかっている。
虚無は「楽で美味しいならなんでもいいや!」と、無意識マシンを自由に使いこなすことができる。
支配者は、「無意識マシンで楽をするなんて悪いことだ!」と、マシンで楽をしている人を叱ってくる。
(そう叱りつつ、本人は普通に無意識マシンで楽をしている、というダブルスタンダードをやっているケースもしばしばあります)
光の人は、「よりよい調理法を探究しないと!」と考え、常に意識でそれを求め続けるので、無意識マシンに任せる範囲は限定的なものになる。
これらの違いは、どれが正しいとか間違っているとかではなく、それぞれのタイプによってそう決まっているというだけの話です。
ただ問題なのは、この意識というやつはネットワークで互いにつながっており、自分とは違うタイプからの情報や意見もしょっちゅう流れ込んでくる、ということ。
なので、虚無の自分としては楽して美味しいのが一番なのに、「そんな楽なんかしちゃダメ!」と支配者さんに叱られて、「ごめんなさい!」と無意識マシンでの調理をやめて、自分で頑張って料理を作ろうとした結果、すごく疲れちゃったり、美味しい料理にならなかったり、ということがある。
でも支配者さんに言われた通り、楽をしなかったからそこは褒めてくれるかな? と支配者さんに聞くと、「こんなまずい料理を作っちゃダメでしょ!」と言われて、美味しくないとダメなんだ! とショックを受けたりする。
そして、そんな支配者さんの食卓には美味しそうな料理が並んでいて、やっぱり支配者さんは人を叱るだけあって、自分はすごい料理が作れるんだな! と感心したり、それに比べると自分はダメダメだな、と落ち込んだりする。
でも支配者さんは、実際に機械に頼らずに美味しい料理を作っていることもあるけれど、実はしっかり無意識マシンを使って美味しい料理を作っていたりすることもある。
え、無意識マシンに頼っちゃダメなんじゃないの? と虚無である私は、そんな支配者さんに「言ってることが違う!」と抗議します。
すると支配者さんは、「私はいいけど、あなたはダメなの!」と言ってきて、そうなのか、と納得したりしなかったり。
そうして支配者さんの言う通りに頑張ってると、褒めてくれることも結構あるけれど、「もっと頑張らないとね!」と最後にチクッと言ってきて、「まだ頑張りが足りてないんだ!」とこちらは思ってしまったりします。
で、支配者さんから100点をもらえるまで頑張るぞ! と続けた結果、気づけば料理の際に包丁すら使わず、手で材料を無理やり砕いて小さくしたりしている。
そのせいで手を怪我してしまったり、当然料理も美味しくなるどころか、ますますひどい味になったりしても、「でもこうしないと支配者さんに怒られる!」と、頑張ることをやめられない。
そんなことをやっているときも、無意識マシンはすぐ隣にずっと置いてあって、これさえ使えれば楽に美味しい料理を作れるのに! と何度も思うけれど、でも支配者さんに怒られるのは怖いから、と、私は意識だけを使ってどうにか頑張ろう、と努力をし続けるんです。