楠木正成の足跡めぐりあしあと

観心寺から移動して来ました。🛵。。。

総門。使用されてませんねぇ。



金網がまあまあ邪魔ですねぇ。



お隣の門を通って駐車場へ。🛵。。。



天野山 金剛寺(以下、金剛寺)は、奈良時代、天平年間(729~749年)に聖武天皇〔しょうむてんのう〕に帰依を受け、日本最初の大僧正の位を授けられた和泉国出身の高僧の行基によって開かれたといわれています。また、平安時代に弘法大師(空海)が修行した聖地といわれています。





天野川。



本坊。後で入らせていただきます。





大講堂。







金剛寺 全景図。



女人高野、天野行宮、後村上天皇の行在所ビックリマーク







楼門。



格子が邪魔だぁ。





河内長野と楠公(楠木正成)さんラブ



天野殿。



食堂(天野殿)。

後村上天皇が正平9年から14年(1354〜59)に至るまで、正庁とされた建物ビックリマーク


鎌倉時代の終わりに、金剛寺は、後醍醐天皇の倒幕に味方した当地の武将楠木正成が戦勝祈願を依頼したり、学頭禅恵と後醍醐天皇の腹心文観との関係から、南朝方と深く結びつきました。南朝の後村上天皇が正平9年(1354)から5年にわたり、子院の「摩尼院と「食堂〔じきどう〕」を行宮としました。その間、3年あまり、京都から連れ去られてきた北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)及び直仁親王が、子院「観蔵院」に幽閉されたことがありました。また、次の長慶天皇も文中2年(1378)から4年余り行宮とし、足利幕府軍と対峙しました。


手水舎。



鐘楼。南北朝頃の創建。



金堂。🙏



平安時代の創建。大日如来を安置。



大日如来(パンフから)。



経蔵。



多宝塔。



宝蔵。



薬師堂。





五仏堂。







御影堂。







後村上天皇が月見をされた観月亭ラブビックリマーク





法具蔵。



観月亭越しの多宝塔。



護摩堂。



開山堂。



一段たかいところに。




北朝初代 光厳天皇分骨所。


🙏





境内の様子。



食堂前の蓮。





本坊へ向かいます。



御朱印。



パンフ。




つづく。










 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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