楠木正成(大楠公)の足跡めぐりのつづき。
観心寺へやって来ました。🛵。。。
楠木家代々の菩提寺
新西国三十三所の客番、関西花の寺第二十五番。
701年、役行者によって開創されたとされる古刹。弘仁6年(815)、弘法大師空海が真言宗の道場として再建。開創当初は「雲心寺」と呼ばれましたが、再建の際、空海が如意輪観世音菩薩(七星如意輪観世音菩薩)を刻んで本尊とし、寺号を「観心寺」と改めました。
山門。
楠公学問所 中院。
奥へ進みます。
手水舎。
花手水やぁ〜
鎮守堂(訶梨帝母天堂)。
弘法大師が勧請された観心寺の鎮守堂だそうです。春日造、桧皮葺の建物で後村上天皇の命によって楠木正行が修理。
会津八一歌碑。
金堂へ向かいます。
観心寺金堂は南北朝時代の建立。内陣の厨子の中央に御本尊の如意輪観音坐像を安置。御本尊も国宝に指定され毎年4月17,18日の二日間のみ公開。
🙏 本尊 如意輪観音。
びんずるさん。
観心寺建掛塔
楠木正成が建武中興の無事を祈って三重塔を建立しようとしたが湊川で自刃したため初重のみで建築が中断、このような形になったと。
鐘堂。
星塚7 破軍星。
御影堂。
修行大師。
開山堂(本願堂)。
楠木正成首塚。
太平記によると楠木正成は、後醍醐天皇からの依頼を受けた後、鎌倉幕府との戦いに向けて妻の久子と子の正行を観心寺に預けている。
1336年5月25日に自刀した正成の首は観心寺にいる遺族に送られている。ここには楠木正成の首塚がある。
観心寺で生きていた正成の息子である正行(まさつら)が1347年8月26日南朝に組して足利尊氏と戦いを始める。数えて22才。
後村上天皇檜尾陵参道。
阿弥陀堂。
弁天堂。
観心寺境内の様子。
出口へ向かいます。
梅園。
後村上天皇御旧跡(旧惣持院跡)。
後村上天皇が正平14年(1357)12月から翌年9月まで行宮としたところ
菊水の紋
大楠公(楠正成)銅像
御朱印。
パンフ。
つぎへ行きます。🛵。。。