抽象的な教育方針ならいくらでも言える。

師管とか導管(道管)は中学校の教科書レベルである。それで下記の写真でどこが師管なのか?


図を見せて覚えなさいというのなら教師はいらない。



「辞書を引いてみてください師管というのは、師とかいてあっても先生のことではないのですね。もともとの漢字は篩管ですね。篩(ふるい)のように細かい目を持つように見えるのはどの部分ですか?





File:Stem-histology-cross-section-tag.svg

放物線というのは、「定点と定直線からの距離が等しい点の集まりである」と定義されています。



そしてこれは、数式で証明することができます。

しかしこういった勉強をすると、あまり面白くないわけであって、確かに、数式を使えば定点と定直線からの距離が等しい点の集まりであることが示されます。


そこで、もっと生徒にわかりやすい例をということで、下の写真のようなプリントをつくりました。


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ







「公園のような大きな広場があります。

そして、その下側には、川があります。

さて、その公園の中には、水飲み場が一つあります。

この公園の中を、犬が散歩しています。


この犬はとても賢いので、当然、近い方に水を飲みに行きます。

水飲み場が近ければ水飲み場に、川が近ければ川のほうに行きます。



のどが渇いたとても賢い犬は、水飲み場と川のどちらに行くでしょうか?


その公園の水飲み場に行く場所と、川に飲みに行く場所を色分けしなさい。」




こうすれは小学生でもわかると思いますが、その境目が放物線になるわけですね。



UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ









岡山市から町内会長に町内会の活動についてアンケートが来ました。


でもね、アンケート回答用紙に通し番号が記載してあるの。こわいですね。



このアンケートをもとに「地域の結びつきが一層求められる」って発表され、新聞・テレビで「報道」されるのでしょうね。




サバイバル・ロッタリーとは:

 

 

「臓器くじ」の思考実験ついては、下記のような空想上の社会制度をテーマとして議論される。

  1. 健康な人の中から、くじ引きで一人を選び出し、その人を殺す
  2. その人の体内から全ての臓器を取り出し、臓器移植を必要としている、別の人々に配る

つまり、この「臓器くじ」という制度によって、選び出された一人は死んでしまうが、その代わりに臓器移植を必要としている複数人の命が助かるのである。この思考実験では、「このような行為が論理的に許されるのだろうか?」という問題をその論点としている。

またこの問題は、下記のことを前提とする。

  • くじ引きは公平に行われ、不正行為が起きることはない
  • 移植手術は絶対に成功し、適合性の問題なども解決している
  • 人を殺す以外に臓器を得る手段は無く、死体移植や人工臓器は使えない

(以上、定義。ロッタリーとは。くじのこと。以下私の意見)

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答えがない。と言う事について意見を申し上げます。答えがないと言う事はわからないとか問題をほったらかしと言う意味ではありません。どちらかに一方に断定することができない問題が世の中にはあると言う意味であります。

特に生命倫理学の問題について例えばがんの告知であるとか胎児に障がいがある可能性の告知と言う問題に関してはこれが100%と言う正解はありえないというのが立場です。

人間の生きるとか死ぬと言うことに関しては方程式のような回答は無いのです。また学者が学問的な議論をしてどちらか一方に断定することが不可能だと言うのが私の立場です。

答えがないということを理解するためには勉強や研究がいらないわけではありません。

私自身京都の大谷大学大学院に社会人入学をしてさんざん文献を読んだり研究をしました。

 

その結果どちらかに 二分法 で決定することができないと言う結論にいたりました。

答えがない=研究をしなくてもいい

 

では全くないのです。


研究をして様々な学者の意見を聞いて論文も徹底的に読みこなした上で断定することができないとする意味なわけです。

今現在において様々な宗教紛争やテロとか民族・主義の対立する人々が殺し合っている残念な現実があります。

どちらも自分が正しいと信じきっているのです。

 


(あるお寺で見かけた法語?許可を得て掲載)
絶対的な回答を求めれば必ず争いが生じる


先日朝、新聞のテレビ欄を見ていると、「秘密のケンミン・ショー」という番組の予告に、「県外の人が来てびっくりする岡山弁!」というのが載っておりました。
 

 

さて、それではいったいどの言葉を扱うのだろうか、予想してみました。


 

すぐに思いついたのは、「はよーしねー」。

 

これは、「早くしなさい」という意味の言葉です。

「しねー」というのは「しなさい」という言葉が変化したものです。

 

ところが、この言葉を全然知らない、県外から来た人がいきなり言われたら、「早く死になさい」という意味と解釈される可能性がある。

 

これがまず出てくるだろうと思って、放映を見ていました。


 

 

しかし、予想に反して、その番組では、岡山弁でいうところの「おめーあたまわりーな (お前は頭が悪いな)」という表現がとり上げられていました。

 

そこでは、「おめーあたまわりーな」というのは「具合が悪いのか」という意味で使われると解説されていました。

 

 

ただ、岡山弁において、少なくとも私の育った地域においては、「わりー(悪い)」というのは、もう少し広い意味で使われているように思います。


 

 

「おめー(お前)あたまわりーのー(頭が悪いですね)」という言葉は

 

 

岡山弁においては、軽い気持ちで、「それは違うのではないか」、という意味でも使われる場合があります。


 

たとえば、ちょっとした日常の会話で、ある人が道を間違えたような、ちょっとことをを指摘するのにあたって、「それは違うぞ」という意味で、「おめーあたまわりーな(お前は頭が悪いな)」という言い方をするようです。


 

 

関西でいうところの「ほな、おほなー」とか「あんた。あほちゃうんか?」くらいの表現です。「あんた。あほちゃうんか?」というのは決して「君は知能が低い」という相手を全否定する言葉ではありませんね。

 

 

 

(また、関西では「そんなん、知らんわー」とか言いますが、東京の一部の方は、冷たい表現に思うかもしれませんが、むやみに相槌を打ったりしないわけで、

 

「知っているけれどわからない」と「知らないので判断できない」を区別する責任ある合理的な表現とも考えられます。)

 

 

 

 

このように、岡山弁においては、「おめーあたまわりーな(おまえは頭が悪いですね)」という表現は、必ずしも、「おまえの知能が低い」という意味を指すわけではありません。


 

 

他にも岡山弁には、「おもしろう言うなあ」という表現があります。確かに、「おもろー」という言葉をそのまま標準語にすれば、「おもしろい言い方をするなあ」という意味になります。

 

岡山弁での、「この前(あの件で)、**君が君のことを面白(おもしろ)ういっとったわ」といった言い方は、決して、「ふざけて」、「からかって」あるいは「面白おかしく」言っているという意味ではありません。「絶妙な」という、「うまい表現をする」、という意味で使用されるようです。

 

とはいえこれも、県外から来た人が突然聞けば、「ふざけた、面白おかしい侮蔑表現をする」と解釈されるかもしれません。


 

 

前にも申し上げましたが、「連中」という言葉は、岡山弁では単に「グループ・集まり」という意味で使うことが多いようです。

たとえば、「町内会の連中と釣りに行ってくる」、とか、「知り合いの連中と将棋を指す」、という言い方がありますが、これらは必ずしも、悪い集まり・集団という趣旨で使われているわけではありません。


 

 

また、少なくとも私は、「もう夜の11時だ」、という状況のときに、「(夜の)11時が来る」という表現をします。

 

ところが東京に行って、その言葉がなまじ理解されるものですから、大学4年生の際に、「もう11時が来る」と言ったら、同級生に「変な言い方をするなあ」と言われました。

そこで初めて、「11時が来る」という言い方は、日本の他地域、少なくとも東京近辺の表現では不自然に感じるということを理解したというわけです。


 

 

京都に行って最初に違和感を持ったのは、「あたる」という言葉です。

「いやあ、今度、孫にあたりましてね」とおっしゃった方がいました。

「孫にあたる」というのは、孫を授かったという意味だとは分かりましたけれども、何か宝くじにでも当選したかのような違和感を覚えました。

 

その後聞いてみると、例えば京都では、まんじゅうを持ってきたときに、「まんじゅうは6つありますから、皆さん一人一人にあたりますよ」という表現を聞きました。

「あたりますよ」というと、何か食中毒にでもあたるのかという気がしましたが、ここでは「割り当てられる」とか、そういった意味だと私は解釈いたしました。


 

 

さて、「馬鹿」と言われたのと「阿呆」と言われたのでは、どちらの言い方に腹が立つかというのは、個人によって違うことです。

 

関西では比較的「あほな」とか「あほなこと言うて」などと、軽い表現で使うことが多いようです。一方「馬鹿」という言葉も、「愚直」という意味で使えば、それほど悪い言葉ではないわけです。


 


 

同じ日本語であっても、言葉によるコミュニケーションをとおして、お互いの意思疎通を図り、気持ちを理解していくことは難しいものですね。


 

 

ましてこれが英語になればもっと難しくなります。

「マニアック」という言葉は、日本語で言えば「こだわりを持った、趣味性が強い」という意味で使われることもあります。

さて、英和辞典で「maniac」をひいてみると、「病的な」という意味が、確かに書かれています。


 

 

本当に、言葉というものは難しいものだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健康保険証は個人個人が持っています。


なぜかといえば、いつも同じ病院に行くわけではないから、健康診断で病院に行った後に急に,


歯が痛くなったので歯科医院に行かないといけなくなった、このような事態を想定しているからです。


さてここで、根本的な疑問があります。


健康保険証はともかくとして、介護保険証は、お年寄りが自分で所持

して管理する必要があるのでしょうか。


たとえば、一人暮らしのお年寄りが脳梗塞で倒れて救急車を呼び、病院に運ばれた。そのあと寝たきりになるかもしれません。


そんなとき、介護保険証は誰が市役所にもっていくのでしょうか?
不可能ですね。


そもそも介護保険証というのは、日常的に使うものではありませんね。


個人体験ですが、岡山市役所の部署まで一日4往復もした結果、介護保険証は結局必要ありませんでした。コンピューターをたたき、介護保険証なしで手続きをしてもらいました。

しかし、1日に市役所まで4往復もしたのは、さすがに疲れました。


さてこのような場合、介護保険証はお年寄りが自分でもって管理する必要があるのか?


保険証の発行、郵送代だけでも、多大な税金に加えて人手と労力がかかっています。


こうして文章を書く以上、介護の専門家にお尋ねしました。


介護保険において、介護のなりすましということは、ありうるのか。

一度でもあったのでしょうか?


つまり介護保険料は払っていないけれど要介護になったので他人の介護保険証を使って介護を受けるということが可能なのでしょうか。


即座に、「それは絶対にありません。不可能です」という回答でした。


ところで、介護保険料は、みなさんどうやって支払っていますか?


健康保険料と一緒に払っているでしょう。

介護の必要な人は、介護保険の徴収システム、さらに介護保険の適用については、担当医師の意見書とか、自宅への調査や住民票の提出とか、ケアマネージャーの立会いとか、自宅に介護調査員が来るわけです。


在宅であれ介護施設に入るのであれ、どうしてもなりすましというのは考えられません。

常識的に考えてわかりますよね。


介護保険料は払ってないが、国保料は払っている。先日脳梗塞で倒れたが、介護保険料を払ってないので、他人に成りすまして介護を受けようとか、介護施設に入ろう・・・


とか何とか、こんなことを、80歳を超えた高齢者が考えようとも思わないし、そんなことが仮にできたとしても、100%、すぐばれてしまいますよね。

そもそもそういうメリット自体何もないし、そんなことをするなら、生活保護を申請したほうがはるかに楽でしょうというのが、専門家の意見でした。


介護保険証と健康保険証の一体化(一元管理)というのは不可能なのでしょうか?

また、セカンドオピニオンとして、ある医師に介護保険の不正利用があるのかと聞いたところ、やはり、なりすましは絶対あり得ない


ただ、介護保険証を利用しての不正行為は何件か聞いたことがある、と言われますから、どんな不正かと尋ねたところ、介護保険証を利用して不正に銀行口座を開設するとか、そういう事例であれば実際にあったそうです。

だったらなおさらのこと、介護保険証をお年寄りに渡す必要はないでしょう。


住民票も提出しているし、健康保険証も見せているわけですから、絶対になりすましはあり得ないと申し上げました。



そもそも、介護保険証というのは、一生に一度かそこら使うかどうかというものです。明日から寝たきりになるから、今晩のうちに介護保険証を探そう・・・なんてことがあるわけないですよね。


混乱が容易に予想される状況で、介護保険証を探して持ってこいというのは、お年寄りに対して酷なのではないでしょうか。

そして、そのための書類をわざわざ税金を使って作成して郵送し、あなたが、入院したら、その時は介護保険証を持ってきなさいということ自体、税金の無駄遣いではないでしょうか



また、以降はケアマネージャーがついていますから、更新手続は全部お願いしているわけですから、ますます自身で管理する必然性はなくなります。



いろいろ難しい問題があるかとは思いますが、少なくとも、お年寄りが倒れた・介護が必要になった。足腰が不自由になった、そんなときに市役所まで、家族が、平日に会社を休んで申請にいっているのに、介護保険証を持ってこい!というのは、税金の無駄遣い以外の何ものでもない。

もう少し、現実に即した制度の検討を、お願いします。
















介護離職を防ぐなんて、いかにも経済界、雇っている側からの上から目線。

まるで悪いことをしているような表現かも。

 

離職ってのは正式な手続きを取って会社を辞めること。でも離職っていっても優雅に遊んでいるわけではない。仕事を辞めたわけではない。いろいろな公的届け出に主婦という言葉が書いてあるのに、なぜ無職にマークしなければならないのか?

 

会社を辞めて専業主婦になったら離職者? その後に親の介護をしても無職なの?自営業者は介護離職には届けがいらない。おまけに岡山市から「収入のない方」へのお尋ねがくる。離職したときに解約した共済(塾を作った時から毎月、自分の金を7万円積み立てている)の退職金で暮らしている。

 

これからは「岡山市公認 無職者」 という名刺を作ろう。

 

 

 

ホテルに泊まるときでもレンタルビデオ店の入会でも届ける書類に「無職」ではなく「介護専任者」という項目があれば・・・

 

離職票をもらって失業保険も申請できないから、ハロー・ワークに届ける必要もない。

もともと60歳を過ぎて退職した後、配偶者の介護をしている方は統計に反映されない。

 

介護離職者という言葉を辞めて「介護専任者」という言葉を提案したい。

 

 

 

 

 

草津温泉の湯はかなり酸性が強くて硬貨も溶けるとのこと。でもやっちゃだめですよ。

 

 

 

 

思い出した。物理のクイズ。

 

金属製のばねをしっかり縮めて、溶けない糸でくくる。

そのまま強酸に入れて溶かすとばねが消えて糸だけ残る。

 

ばねを縮めていたエネルギーはどこに行ったのでしょうか?

 

 

 

 

岡山県内のある公立図書館は、貸出数が非常に多いことを誇っております。


一見素晴らしいことのようですが、まさに本末転倒というもの。

手段と目的を混同している典型的な例です。



この図書館には、例によって、皆様の声というコーナーがあります。


これは、利用者の意見や要望を投書で受け、それに対して図書館側が回答し、重要と思われるものが掲示板に張り出されているというわけです。

掲示板を見ていると・・・・・

「女性セブンを置いてほしい」

とか

「スポーツ新聞を置いてほしい」


「熱中症対策のため、ドリンクを飲みながら、閲覧させるべきだ」

といったものがありました。


しばらくしていくと、本当にスポーツ新聞が置かれるようになりました。





その図書館の2階には、パソコンコーナーがあり、利用者は、インターネットを活用して情報を調査できます。


では、利用者がどんな利用の仕方をしているか、通りがかりに見てみると、

YOU TUBEをみていたり、インターネットを使ってゲームをしていたり・・・

正直、そんな利用者を見受ける機会が多いのです。


さながら無料ネットカフェの様相さえうかがえるような状況です。



そもそも図書館においては、レファレンス・サービス、古地図や地域の歴史書のような郷土の資料、あるいは北海道新聞や琉球タイムズなどのように、その都道府県や市町村では、個人が容易に購入できないような他地域の資料、こういったものを所蔵し、閲覧できるようにするべきなのではないか。


たとえば、ハリーポッターシリーズのような本を何冊も購入する必要があるのでしょうか。


なかには、「ファミ通(「ファミコン通信」の略)」が置かれている公立図書館さえあります。

ファミ通を蔵書とすることが、図書館法上正しいかどうかはともかくとしても、その法令の趣旨にのっとった図書館運営がなされているものであると、自信をもって言えることとはとても思えません。




さて、皆様の建設的な提言というところで、面白いことがありました。

そこには、2枚の利用者からの声が並べてありました。


そのうちの1枚には、

「インターネットのアクセス時間が1時間では短い。長くせよ」

と書かれていました。


なるほど、調査のためにインターネットを活用するにしても、それなりの時間を取らせてくれという要望なのかと思ってみていると・・・・・


その隣にあるもう1枚のほうにはなんと、

「1時間では利用者が混み合うので、待ち時間が長くなる。もっとアクセス時間を短くせよ」

と書かれているではありませんか。


この相矛盾する要望を、誰かが一人で、あるいは二人で示し合わせたうえで、こうなることを狙って出したのだとすれば、たいしたものですね。




なお、ある小説の最初の部分に、下の写真のような、非常に貴重な「前書き」がありました。




















2021年4月1日



消費税が導入された時のことです



消費税はいただきません



というお店がありましたけれども元々これは不当表示になります。禁止されているんです


2021年4月1日時点での

消費者庁のホームページより






この店は消費税を取らない良心的なお店という人もいました。




まるでこちらが悪徳業者のように言われます。ルールを破ってる人が良心的でルールを守ってるほうが悪く言われるのです。





自営業者として本当に苦労しました。

こんな小さい学習塾

のくせに消費税をとるのかと言われました



お店が消費税をとるのではありません。



お店や業者.

小売業には徴税権がありません。



簡単に言えばお店が税金を徴収するとかしないとか権限があるはずがありません。



お店には消費税を払う義務がありますからそれを販売価格に転嫁するだけのことです。


消費税は転嫁するように指導されているのです。


お店に言わないでください。消費税について意見があったら直接財務省に言ってください。民間の学習塾に言われても困ります



消費税が導入された時に小さなお店に消費税がそのまま残る益税と言われました.



残って利益が出たならばそのぶんに法人税とか所得税がかかるわけですからそんなことはありえません。


消費税が総額表示になって便乗値上げすると言われますけれども。





元々ラーメン店が定価をいくらにしようが自由なのです。

ある日2倍にしたって構わないわけです。

そうしないのは良心的なわけではなくてそうしたらお店が潰れるからです



消費税が3%の時に1000円で売れば消費税を取らないと思われて1030円にすれば消費税を取ってると思ってますけれど間違いですね。



実際に消費税転嫁することを義務付けられている自営業業者としては迷惑なばかりです。



駅前のドラッグストアに行った時の事です。

本日は消費税還元セールなので消費税を頂きません と言われました。




そこで税務署にその旨相談いたしました。


お役所仕事とはこのことです。


税務署は税金が正しく徴収されているか収められているかを監督するので表示については知りません。

担当が違いますと言われました