先日朝、新聞のテレビ欄を見ていると、「秘密のケンミン・ショー」という番組の予告に、「県外の人が来てびっくりする岡山弁!」というのが載っておりました。
さて、それではいったいどの言葉を扱うのだろうか、予想してみました。
すぐに思いついたのは、「はよーしねー」。
これは、「早くしなさい」という意味の言葉です。
「しねー」というのは「しなさい」という言葉が変化したものです。
ところが、この言葉を全然知らない、県外から来た人がいきなり言われたら、「早く死になさい」という意味と解釈される可能性がある。
これがまず出てくるだろうと思って、放映を見ていました。
しかし、予想に反して、その番組では、岡山弁でいうところの「おめーあたまわりーな (お前は頭が悪いな)」という表現がとり上げられていました。
そこでは、「おめーあたまわりーな」というのは「具合が悪いのか」という意味で使われると解説されていました。
ただ、岡山弁において、少なくとも私の育った地域においては、「わりー(悪い)」というのは、もう少し広い意味で使われているように思います。
「おめー(お前)あたまわりーのー(頭が悪いですね)」という言葉は
岡山弁においては、軽い気持ちで、「それは違うのではないか」、という意味でも使われる場合があります。
たとえば、ちょっとした日常の会話で、ある人が道を間違えたような、ちょっとことをを指摘するのにあたって、「それは違うぞ」という意味で、「おめーあたまわりーな(お前は頭が悪いな)」という言い方をするようです。
関西でいうところの「ほな、おほなー」とか「あんた。あほちゃうんか?」くらいの表現です。「あんた。あほちゃうんか?」というのは決して「君は知能が低い」という相手を全否定する言葉ではありませんね。
(また、関西では「そんなん、知らんわー」とか言いますが、東京の一部の方は、冷たい表現に思うかもしれませんが、むやみに相槌を打ったりしないわけで、
「知っているけれどわからない」と「知らないので判断できない」を区別する責任ある合理的な表現とも考えられます。)
このように、岡山弁においては、「おめーあたまわりーな(おまえは頭が悪いですね)」という表現は、必ずしも、「おまえの知能が低い」という意味を指すわけではありません。
他にも岡山弁には、「おもしろう言うなあ」という表現があります。確かに、「おもろー」という言葉をそのまま標準語にすれば、「おもしろい言い方をするなあ」という意味になります。
岡山弁での、「この前(あの件で)、**君が君のことを面白(おもしろ)ういっとったわ」といった言い方は、決して、「ふざけて」、「からかって」あるいは「面白おかしく」言っているという意味ではありません。「絶妙な」という、「うまい表現をする」、という意味で使用されるようです。
とはいえこれも、県外から来た人が突然聞けば、「ふざけた、面白おかしい侮蔑表現をする」と解釈されるかもしれません。
前にも申し上げましたが、「連中」という言葉は、岡山弁では単に「グループ・集まり」という意味で使うことが多いようです。
たとえば、「町内会の連中と釣りに行ってくる」、とか、「知り合いの連中と将棋を指す」、という言い方がありますが、これらは必ずしも、悪い集まり・集団という趣旨で使われているわけではありません。
また、少なくとも私は、「もう夜の11時だ」、という状況のときに、「(夜の)11時が来る」という表現をします。
ところが東京に行って、その言葉がなまじ理解されるものですから、大学4年生の際に、「もう11時が来る」と言ったら、同級生に「変な言い方をするなあ」と言われました。
そこで初めて、「11時が来る」という言い方は、日本の他地域、少なくとも東京近辺の表現では不自然に感じるということを理解したというわけです。
京都に行って最初に違和感を持ったのは、「あたる」という言葉です。
「いやあ、今度、孫にあたりましてね」とおっしゃった方がいました。
「孫にあたる」というのは、孫を授かったという意味だとは分かりましたけれども、何か宝くじにでも当選したかのような違和感を覚えました。
その後聞いてみると、例えば京都では、まんじゅうを持ってきたときに、「まんじゅうは6つありますから、皆さん一人一人にあたりますよ」という表現を聞きました。
「あたりますよ」というと、何か食中毒にでもあたるのかという気がしましたが、ここでは「割り当てられる」とか、そういった意味だと私は解釈いたしました。
さて、「馬鹿」と言われたのと「阿呆」と言われたのでは、どちらの言い方に腹が立つかというのは、個人によって違うことです。
関西では比較的「あほな」とか「あほなこと言うて」などと、軽い表現で使うことが多いようです。一方「馬鹿」という言葉も、「愚直」という意味で使えば、それほど悪い言葉ではないわけです。
同じ日本語であっても、言葉によるコミュニケーションをとおして、お互いの意思疎通を図り、気持ちを理解していくことは難しいものですね。
ましてこれが英語になればもっと難しくなります。
「マニアック」という言葉は、日本語で言えば「こだわりを持った、趣味性が強い」という意味で使われることもあります。
さて、英和辞典で「maniac」をひいてみると、「病的な」という意味が、確かに書かれています。
本当に、言葉というものは難しいものだと思います。