昨今、家族がちょっと目を離した時に認知症のお年寄りが行方不明になり、家族が困ったということが報じられております。

これは日本社会全体の問題であって、当然、少子高齢化の問題はいま日本が直面する最大の問題の一つです。


中には、ちょっと目を離したらお年寄りが徘徊をして行方不明になったあげく、列車にはねられて死亡し、鉄道会社から多額の賠償金を請求されたそうです。

鉄道会社から見れば、鉄道を安全かつ正確に運航する義務があります。

これは本当に難しい問題ですね。


法律に詳しいわけではないので詳しくは述べませんが、法律的にはともかく、心情的には、その御家族の方々が言われるように、もしそれで多額の賠償金を払うのであれば、もうお年寄りを縛るとか、牢屋みたいなところに入れるなりして一切出られなくするしかないではないか、ということは、理解できます。


これは法律上の問題と心情的な問題をわけて考えるべきだということは分かっておりますが、現実問題として心情的には理解できます。


さて、先般もニュースで認知症の妻を散歩に連れて行った夫が、妻がトイレに行きたいからということで、しばらく待っていたらトイレから出てこない、そうしたら、どこかに間違えていったらしい。大変困ったというニュースを報じていました。


これはもちろん、特殊ケースではなく、少子高齢化社会においては誰もが直面する問題だと思います。

そこで、一つ考えた提案があります。


一つの思い付きでありますが、先ほど申しましたように、介護・認知症の専門医の意見を踏まえて、ここでご紹介します。


体臭をあまり消さないようにすること


現在では、洗濯の際の消臭仕上げ材とか、あるいは自宅においても空気清浄機や消臭スプレーというものが普及しているわけです。


認知症のお年寄りが行方不明になった場合、ほとんどがまっすぐ、昔行ったことのある場所に歩いていくのだと聞いております。


何日も着ているパジャマを、ビニール袋などに入れて家族が持っておく。



訓練された警察犬は、ちょっとしたにおいをかぎ分けて、それを追跡する能力が優れているそうです。



ある程度の体臭を残して、その体臭のついた服の切れ端を、他のにおいがつかないようにビニール袋に保管し、もし行方不明になったら警察に連絡し、警察犬を派遣して追跡してもらえばいいのではないか、



と申し上げたら、それは非常にいい提案だと、ある介護の専門家がおっしゃいました。



そこで、調子に乗って、私も言いました。

これは子供の安全についても応用できるのではないか、と。



例えば、小さな子供が行方不明になった場合、子どもの体臭のしみ込んだタオルとかハンカチ、あるいはパジャマのようなものを常に用意しておけば、捜査において大きな協力ができるのではないでしょうかと申し上げたら、まさにその通りですと言われました。




2017年02月

ご注意。 海外では政治的な取材や インタビューはできないことが多いので十分気をつけてください。以下は個人が世間話をした内容を書いているだけであります。




日本国内では報道できない話。ネットでも検索できない貴重なお話が聞けること。ウイグルでの虐殺を訴える路上活動家にドイツで会って話を聞いたことがある。

 

先般の釜山でも貴重な話を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

中国で迫害されている法輪功の街頭活動。

 

顔をネットで公開するわけにはいかないので、 一見誰もいないように見えます。 色々な話を当事者から聞いてきました。

 

主張を紹介する:

 

1.中国に反対しているわけではなく中国共産党に反対しているだけ。

2.特に日本人には、共産党の意見=中国人の意見と思わないで欲しい。

3.法輪功が、なぜ弾圧されるかといえば、言論・集会の自由がない中国では、人が集まることが弾圧の対象になる。

 

とのこと。

 

特に3の意見はためになった。法輪功ってなに?宗教か?とかどんな思想を持っているか。ということを解説する評論家の意見が吹き飛んだ。要するにね、カラオケ・サークルだろうが、B級グルメ同好会だろうが連絡を取り合える集団を一番共産党はおそれているんです。

 

 

 

Wikipediaというのは間違いだらけです。その中でもイグノーベル賞の日本人受賞者である渡辺茂先生の研究について間違いが載ってるということは前から気がついていました。


鳩にモネとピカソの絵を区別させる訓練をしたわけではありません。  

生まれつき鳩が区別ができるということを証明したのです。  鳩は区別ができるかと聞いてもしゃべりませんから実験的行動分析という手法を用いたわけです。

サンデー毎日2018年10月28日号です。


ここでも間違って取り上げられています。ところが問題は、このサンデー毎日の記事はウィキペディアの丸写しなのですしかも間違ってるところもそのまま丸写ししているわけです。 もっともらしく 敬称略と つけているだけです。


  

金を払って買う気がしません。

小学生でも、平行四辺形という言葉は習います。

 

その時、なぜ「四辺形」なのか、「四角形」と言わないのかという質問を教師にする小学生は、ほとんどいないと思われます。

 

私はUBQを設立する前に、十年以上東京で、塾講師をしていて一度も小学生から「四角形と四辺形はどう違うのですか?」という質問を受けたことがありません。そういう質問をする生徒を育てるため、自分の塾・UBQを作ったのです。

それでは、四辺形と四角形は、どう違うのでありましょうか?


 


 

それは、四辺形というのは、「同じ面の上にある」という必要はないわけです。

 

たとえば、折り紙を折り曲げたように、空間で四辺形を折り曲げたものも考えられます。

これを「ゴーシュ四辺形 gauche-quadrilateral」といいます。

 

 

もしかして、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を連想された方もおられるかもしれません。

これは、フランス語でもともと「ゆがんだ」とか「不器用な」という意味の言葉だと聞いております。

 

宮沢賢治の詩に「ゴーシュ」という言葉がいろいろ出てきているのは、これさて、元に戻って、なぜ平行四辺形というかと言えば、向かい合う二組の辺が平行であれば、すなわち、同じ面の上にあることは保証されますから、平行四角形とは言わず、平行四辺形というわけです。

 

(もちろん、妙法蓮華経の常不軽菩薩の影響を受けているのだと思われます。これは教養として知っているわけだけのことです。私は法華経系の宗教の信者ではありません
 

 

 

 

数学においては、例えば、相似の条件においても、三辺の比が等しいと言わずに、二辺の比が等しいと言います。

 

このように、最低限の表現をすることが基本なわけです。

ですから、円に内接する四辺形という言葉も、これからお分かりいただけると思います。

 

そういった細かい定義に塾講師として、こだわるつもりはありません。

 

 

入試の指導に必要だから述べているのです。

 

例えば、京都大学(1993)において、下の問題文が出ております。

 

「空間において。平面αに含まれる凸四辺形 ABCDと・・・」

 

 

 

これを見れば、京都大学の出題者が、四辺形と四角形の違いを区別されたうえ、四辺形は同じ面の上にあるとは限らないとの前提で、出題されたことがわかりますね。

A→B で客観的に正誤を判断できるものを命題といいます。(→は’ならば’とよみます)

 
 

 

りんご→くだものである。という具合です。これは正しいので真といいます。

 

では りんごでない→くだものではない は正しいでしょうか?勿論間違っていますね。りんご以外にも果物は沢山ありますからね。これは偽といいます。

 

 

つまりA→Bである と Aでない→Bでない の真偽は一致しません。

 

従って 「迷惑なこと→してはいけない。」と小学校の先生が教えても「迷惑ではないこと→しても良い」と教えているわけではありませんね。

 

 

・迷惑という言葉が数学的に定義できないという問題はここでは無視しましょう

 

 

「嘘をついてはいけません」というのは、「本当のことならば何を言っても良い」ということではありません。

 

 

 

学校で小さいときから

 

・うそをついてはいけません

・決まりを守りましょう

・人に迷惑を掛けてはいけません

 

くりかえし聞かされていると思います。

 

 

上の簡単な数学が理解できれば

 

 

・本当のことなら何を言ってもいい

・決まりに書いてなければ何をしても良い

・迷惑でなければ何をしても良い

というおしえではありませんね。

 

こんな簡単な数学も分からない人が日本には山ほどいます。

 

 

あなたの身近に結構いませんか?

 

・だって、本当のことじゃない!本当のことを言ってどこが悪いのか!

・俺が・・・したからって、法律のどこに違反しているのかよぉ!

・私が・・・してからといって誰に迷惑を掛けてるのよぉ!

 

 

 

などと切れている方が。

 

 

 

 

 

 

 

2018年夏


草津温泉に行ってきました。素晴らしい温泉でした。有名な温泉地だけあって、高級な旅館からリーズナブルな低価格の旅館まで。昼はカフェ巡りを楽しんできました。その中でもノイエポストというカフェのソーセージはとっても美味しかったです。





草津温泉では湯畑のそばの無料の足湯を楽しんできました。

ところが足湯に全身浴をすれば違法行為なのだそうです。






足に全身浴をする人もいないと思いますがね。顔を洗っても法律に触れるとのこと。

私の性格上どの法律に触れるのか聞いてみました。

観光協会に行ってきましたが鳩首、

一番詳しいのは旅館の女将さんでした。何でも足湯は公衆浴場として許可を取っている。

したがって届けている使い道を超えたら公衆浴場の範囲を超えているから違法行為になるとのことでした。

公衆浴場営業法というのは今でも生きてるそうです。

なお、あくまでもお聞きしたことですので、法律的に正確なことは僕もよくわかりません。ネットをご覧の方は法律の専門家にお問い合わせて確認してくださるように思います。

Cultural Literacyという言葉 があります。

 

 まず、culturalというのは、「文化的に」、literacyというのは、「読み書きのできること」という意味です。つまり、



文章を読むためには、文化的な素養が必要なわけであって、ただ単に文字が読めれば文章が読めるというわけではありません。

 

 たとえば、法律学の論文を読むときにはある程度法学の知識がなければ読めないし、物理学の本を読むときには物理の知識がなければ読めないわけです。

 

 英会話と受験英語というのはそれぞれ別物だと申しましたが、


受験英語というのは、小論文入試が英語で出題されているものである

 


例を挙げてみましょう。



 岡山大学1994年入試問題に、




「Just as Malthus was incorrect in his prediction」という文章が出ています。そのまま訳せば、「マルサスの予測が間違っていたように」という意味になりますが、これをある予備校が作成した訳を見てみますと、ちゃんとそこには、「人口学者マルサスの予測が」と書いてありますね。


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 ところが、原文には「人口学者」という言葉はないわけです。つまり、岡山大学の出題者としては、受験生たる者、マルサスというのはいかなる人物で、どんな業績があるのかということは、最低限知っていなければならないという意を込めて出題したものだと思います。




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 もうひとつ、例を挙げます。



1991年青山学院大学の入試問題でありますが、生物学の知識がなければ分からない文章が出題されています。これは、リチャード・ドーキンス博士の遺伝子理論について述べた文章であります。



 私は、この英文を教えるために、何冊か、本を読んでみました。



  

 つまり、塾講師というのは、英語の一回の授業を予習するために1冊や2冊本を読むことがあるわけです。そのくらいの準備がなければ英語は教えられないのです。


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 したがって 英語がどんなにできても 難関大学の英語が 満点取れるとは限りません。


日本語がペラペラでも 現代国語は満点取れませんよね。


具体的な 講義の 例は下をご覧ください。